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5─1 最後に笑うのは

「アル……ス……ゥ!」


 理性を完全に失い人としての全てを犠牲にしたナガルは、大きすぎる代償と引き換えに手に入れた力を以て、アルスとの距離を瞬く間に詰めていく。巨躯に似合わない俊敏な動きは、神器使いでなければ恐らく捉えることさえ出来ない。

 しかしもちろんレインは問題なく反応した。アルスの横から駆け始めた次の瞬間には音もなくナガルの目の前に現れ、


「はあっ!」


 漆黒の剣が振るわれると同時にナガルの体表を覆っていた外殻だけが吹き飛ぶ。


「が、あっ……!?」

 

 魔素の存在を鋭敏に感じ取れるレインの感覚は、やはりナガルの肉体が残存していることを証明した。外殻のさらに奥には、魔素を感じ取れない部分があるのだ。

 しかしそんなことを観察しているのも束の間、あっという間に再生した外殻がナガルの全身を覆い直す。身体能力だけでなく、魔素再生の速度も桁違いになっているようだ。

 一度飛び退ってから思わずレインは呟く。


「厄介だな。これじゃあ…………」


 ナガルを人間としてもう一度復活させるため、レインたちは核となった心臓だけを破壊したい。それ以外の部位にまで余計な傷を負わせれば、人間に引き戻すどころか、最悪の場合すぐに絶命する危険性もある。故にあまり大きすぎる傷はつけられない。

 しかし魔素再生がここまで速いとなると、外殻を破壊したとしても核に攻撃することさえ難しいだろう。核に一撃を与える前に再生されてしまう可能性があるのだ。となると確実に核を攻撃するには胸に大きな穴を開けるしかないが、それは同時に回復不可能な損傷を与えてしまう危険性を孕んでいる。


 つまるところ、どうやっても危険がつきまとうのだ。レインとアルス二人が出来ることには限界がある。


「レイン君、大丈夫? やっぱり僕も……」


 アルスも核に攻撃することの難しさは分かりきっているのだろう。心配したように加勢しようとするが、それでは肝心の核への攻撃役がいなくなる。


「や、大丈夫だ。正直きついけど――」


 剣を構え直しつつそこでレインは言葉を切る。後に続くのは「一人で頑張る」ではなく。


「――一人じゃないからな。それを信じるだけだ」


 そうレインは言った。


 確かに二人で出来ることには限界がある。しかし、ならば。


 三人なら――?


「……そろそろか」


 呟いて辺りを見回す。すると、レインの感覚が、魔素が不自然に集まる地点を見つけた。凝縮された魔素たちが陣を形成しているのを見て確信する。


「アルス、出番だ。俺が突っ込んだ後、最初で最後のチャンスが出来る。全力の一撃を打ち込め」

「う、うん分かった。でもどうやってチャンスを?」


 アルスの問いにレインは笑って答えた。


さあな・・・! 俺も分からないけど信じろ!」

「……ええ!?」


 アルスの叫びを無視してレインは走り出した。

 異能“翔躍アドバンス”がレインの速度を飛躍的に高める。数瞬で最高速度に到達し、決して短くはないナガルとの距離を詰めた――と思った時にはナガルの腕の外殻が吹き飛ぶ。


「があああああッ!!」


 しかしナガルは怯まなかった。獣の如き咆哮が辺りの空気を震わせ、ほんのわずかにレインの動きを封じる。剣撃の嵐から抜け出たナガルは凶悪な爪の生えた腕を振りかぶる。


「――っ」


 レインの異能“翔躍”はエネルギーを高める能力だ。しかし無から有は生まれないように、“翔躍”がエネルギーを発生させることは出来ない。性質上“翔躍”が行えるのはエネルギーを乗じることだけであり、そもエネルギーが零であるものを増幅することは出来ないのだ。

 つまり、動きが止まってしまった今は、“翔躍”による高速離脱は不可能。


 だがレインは。


「“翔躍”ッ!」


 発動する“翔躍”。動くはずのない体であるはずが、しかし。


 レインは高く飛び上がった。


「……があッ!?」


 振るわれた爪はレインに当たることなく空を切る。これにはさしものナガルも驚きを隠せずに叫んだ。アルスでさえも目を見張った。


 レインの動きは止まり、エネルギーが零になった状態。例え“翔躍”を使おうとも動けるはずはない。だがそれは――自らが発生させたエネルギーは零、ということに過ぎないのだ。

 レインの体に作用しているのはレイン自身が生んだエネルギーだけではなく、より根本的な、ただそこにいる為に必要なエネルギーが常に存在する。


 つまり――重力・・。星の上にいる限り、いつ何時だろうと作用する固有のエネルギー。


 だが“翔躍”でまともにエネルギーを増幅すれば、数倍、数十倍に大きくなった重力に押し潰されるだけだ。そこでレインがしたことは単純明快。

 “翔躍”がエネルギーを乗じる能力だと言うならば、それは何も増幅だけでなく。


 負の乗算・・・・。そんなことすら“翔躍”は可能にする。


 エネルギーが持つ二つの要素、向きと大きさ。言い換えれば方向性とエネルギー量のどちらにも“翔躍”は干渉する。地面に向かって働く重力を反転させ、空に向かうエネルギーへと転じれば、正しい物理法則に従ってレインの体は浮き上がるという訳だ。


「〈逆翔躍アナザーアドバンス〉……!」


 ナガルの頭よりも高く飛び上がったレインはそこでエネルギーの操作の限界を迎える。


 エネルギーを支配出来る能力の“翔躍”だが、限界はある。特に外部からのエネルギーを操作するのは自発的なエネルギーの操作よりも遥かに難しく、そう簡単に何度も行使することは出来ない。言わば重力の操作は数度しか使えない最後の手段ということだ。


 だがそれでも使うだけの価値はあった。ナガルの動きが驚きによって止まったのだ。


 核への攻撃のための最低条件は、修復前に核へ剣を届かせることが出来るほどの穴を開けること。そして余計な傷を負わせることなく安全に為すためにナガルの動きを止めること。


 今ならばそのどちらも可能だ。動きは止まった上、自然落下によるエネルギーも剣に乗せて穴を穿つ。角度こそなくてもレインの技量を以てすれば問題はない。


「お……あああああっ!」


 まさしく全体重をかけてレインは剣を降り下ろす。ナガルは刹那の静止からやっと覚めたがもう遅い。腕を掲げてもレインの重い剣は全てを両断するだろう。避けるには防御ではなく回避を選ぶしかないが、今からでは間違いなく不可能。


 だが、しかし。


 ガキン! とレインの剣は阻まれた。


「――ッ!?」


 目を見開いたレイン。その視界に映ったのは剣を通さないナガルの腕。

 鈍く光る外殻が、レインの全力の剣を弾いていた。


「な……に……!?」


 違う。今ナガルを覆っているのは今までの外殻とは別物であることをレインは察した。でなければレインの剣が弾かれるなど有り得ない。


 ――そう、それはナガルの成長。外殻に特化して成長した結果、ナガルの外殻は異常な堅さを手に入れていた。特に幾度となく破壊された腕の強度はレインの剣をすら弾くほどになっていた。


 やむを得ずレインは腕を両断することを避け、着地した。が、ナガルは止まらない。着地直後の隙を狙い爪を振るう。


「がああああああっ!」


 理性と人間の体に戻ることを犠牲にした悪魔の力の全解放と、絶え間ない肉体強化によってナガルとレインとの差は確実に縮まっている。“翔躍”を使おうとも一度先手を取られれば容易に覆すことは出来ない。

 今度こそ本気でレインは追い詰められていた。ナガルの爪を避けることしか出来ず、確実に後退していく。


「く……あっ!」


 一歩一歩と。今主導権を持つのは間違いなくナガルであり、レインが一度でも防御を失敗すれば計画が潰えるのは明らかだった。


 そしてついに、その時が訪れる。


 数えて十数合目、ナガルの横殴りの爪をレインは受け損ねた。威力を逸らしきれず、体勢を崩す。


「まずい……!」

「がああッ!」


 ナガルが吼える。だが微かに残った戦闘的記憶が大振りになることを抑えた。数度ここぞというところで邪魔されてきた記憶から本能的に体が縛られた。

 とはいえそれはさほど問題ではない。重力操作はこの短時間では再使用出来ず、ナガルと違い一撃で倒す必要もない。即座に回復不可能な損傷を与えればナガルが勝つことは間違いなかった。


 ――それがこの場所・・・・・・・この地点でなければ・・・・・・・・・


「まずい……少しずれましたか?」


 レインは呟き。


「――いいえ。寸分違わぬ誘導に感謝します、レイン様」


 答える声があった。


 そう、ここはレインが魔素の異常を察知した地点。魔素が不自然に陣を形成している地点。


 声の主はいつの間にか姿を現していた。


陣よ表にインハイド。〈魔鎖・故滅魔剣ホーリーチェイン〉」


 声の主――アルスのさらに後方のガトーレンの詠唱が、陣に意味を持たせる。


 ナガルの足下に浮かび上がる魔法陣。そこから飛び出たのは魔素で構築された半透明な鎖。異様に白く煌めく鎖は逃がす暇を与えずにナガルを拘束した。

 ナガルが腕を大きく振りかぶっていなかったのが幸いした。一瞬にして全身を縛られ、身動きがとれなくなる。


「アア!? ガッ、あああア!!」


「……滅魔剣を触媒にした特製の鎖だ。これまでの時間全てを陣構築に費やした。いくら貴様といえど容易には破れまい…………」


 片腕を押さえながら立っていたガトーレンは言い終えた後、血を吐いた。立っていることだけで限界のようだが眼光の鋭さは全く鈍っていない。


 レインがこの大広間ホールに到着した時、レインはアルスの前に、倒れたガトーレンに治癒魔法を付与していた。

 レイン自身気配を察知出来なかったということは、レインが渡した“虚無エンプティ”を封じた護符で気配を消していたのだろう。限界まで力をこの陣の構築に注いでいたようだ。


 正直レインでさえ陣がどんな魔法のものなのかは分からなかった。だが、望んでいた最良の魔法であることは言うまでもない。ここまで完全に動きを止められれば全ての条件を達成出来る。


 今この瞬間が、恐らく最後にして最大のチャンス。


 レインは一切の躊躇いなく剣を振るった。


神剣技デュオブレイド――〈円輪撃サークルスレイブ〉!」


 光を纏った〈タナトス〉はナガルの胸の外殻を吹き飛ばし、その内側へと穴を穿つ。だが貫通はせず、唯一堅い赤色の球――核だけが露出する。


 ナガルもレインたちの目的を察したのか必死の抵抗をする。しかしそれでもガトーレンを縛る鎖は一切緩まない。それを確認してから、レインは笑って横へ飛んだ。


 ――その後ろから飛び込んでくるのは金の輝きを持つ少年。


 全てを終わらせるために。最初で最後、最大の好機を作ってくれた二人のためにも、失敗する訳にはいかない――いや、例えどんな手を使おうとも成功させるとアルスは剣を強く握りしめる。アルスが持つ神器〈アポロン〉は主の意思に同調し、既に振動を始め、音色を奏でていた。


 ――まだだ。もっと、もっと強く、大きく。


 ナガルへと駆けるアルス。道を阻む万物を貫くその意思が〈アポロン〉を強化する。かつて願った思いと同等に〈アポロン〉は主の願いを肯定し続ける。どんなに情けなくても、どんなにちっぽけでも、その思いが間違っていない限り、アルスの全てを受け入れる。自分を受け入れてくれる〈アポロン〉をアルスは信じて全てを託す。

 お互いがお互いを支えあい、共に高みへと昇っていく。


 ――矛盾してても、おかしくてもいい。どんなに皆から笑われたって、僕は……。


 その時、アルスと〈アポロン〉はもう一段上へと階段を昇る。


「ナガル兄さんを……取り戻す! 神能“鳴奏シンフォニー”――〈極共鳴ギガレゾナンス〉っ!」


 以前の限界を越えて振動する〈アポロン〉がナガルの核に激突した。


 キイイイイッ! と凄まじい振動故の高音が鳴り響く。付随して奏でられる“鳴奏”の調べがアルスを後押しし、ナガルの決して柔らかくはない核を少しずつ砕き進んでいく。


「グッ……ガ、アアアア……アア!」

「ああああああああああっ!」


 胸の傷口は魔素再生によって確かに閉じつつある。だがこの分なら、傷が塞がれる前にアルスが核を貫く。鎖に拘束され体の動きを封じられたナガルに出来ることはない。


「このまま……終わらせる……っ!」


 万に一つの可能性を打ち消すべく、アルスはより一層力を込めた。超振動による熱を帯び、〈アポロン〉が光を纏う。美しい調べの中、悪魔の胸を貫かんとするアルスの姿は、まるでどこかの神話のように気高く、神々しい。

 抵抗など出来ようはずもない。ナガルは間違いなく負ける運命にあった。神が定めた結果に抗える術などなかった。


 ――そのはずなのに。


 万に一つの可能性が現実のものとなる。


「…………っ?」


 異変に気付いたアルス。それは今のこの状況からすれば些事ではあるが。


 ――傷口の再生が止まっている。胸の穴を塞ごうとする肉の修復が停止していることにアルスは気付いた。


 魔素の不足かとも思ったが、この空間に蓄積された魔素の量は膨大で、不足することなど到底ないと思える。何しろ先程から幾度となくナガルが魔素再生をしているというのに、体感で魔素の減少を感じられないのだ。或いはどこかから魔素が供給されているのかもしれないが、いずれにしろ魔素再生が出来なくなるということは有り得ないだろう。

 ならば何故魔素再生が止まったのか――そう思った時に、核に変化が現れる。


 ガキッ、と〈アポロン〉を通して手応えが伝わった。


「―――なッ!?」


 堅い・・。物質として有り得ないほどに堅い。

 アルスは察する。核は〈アポロン〉の振動でも割れない堅さへと変化した。寸前まで割り砕かんとしていた剣先は、銀色に染まった核の前でそれ以上進めなくなっている。それが何なのかには心当たりがあった。


「まさか……核を”頑強ハーギン“で……!?」


 銀色に包まれた核を見れば一目瞭然だ。ナガルは核を変質化させた。魔素再生を止め、特異体質である成長能力を全て注いで、一瞬で核を硬質化させた。

 成長した“頑強”によって普通の物質では有り得ないほどの堅さを持った核は、難なく〈アポロン〉の振動に耐える。アルスと〈アポロン〉の全力を以てしても砕けない――どころか。


「そんな……押し、戻される…………っ!?」


 ほんの少しずつではあるが、今まで砕いてきた核に剣が押し戻される。ただでさえ“頑強”で硬化し砕けない上、核という一点だけに集中させた超高速の再生により、核の損傷が〈アポロン〉を押し退けて原型に戻りつつあるのだ。

 パキ、パキという小さな音は核が球を取り戻しつつある証明。アルスが、〈アポロン〉がやっとのことで刻んだ勝機を無へと帰す絶望の音。


 絶望を必死に押し殺してアルスは意識を〈アポロン〉に集中させる。だが、それでもなお核は微動だにしない。ゆっくりと、しかし確実にアルスを押し退ける。


 嫌だ。嫌だ。皆が繋いでくれた。必死の賭けを成功させてくれた。命まで対価にしてでも僕を支えてくれた。

 僕には失敗なんて、許されない。


「ここまで来たんだ! なのに、こんなところで……負け――」


 しかし。アルスの叫びを無視するかのように、遂に。


 ……パキン。


「―――ぁ」


 核は、完全な――銀に光る、球としての形を取り戻した。


 ナガルが歪に笑ったのをアルスは感じた。

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