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4─1  探し求めたその先に

 アルスが足を踏み入れた先の空間は光で溢れていた。

 どこかに光源がある訳ではない。だが、壁が、床が、辺りの全てが美しい純白の光を仄かに放っているのだ。


 ――大広間ホールと言うべきだろうか。予想していた通り、アルスが下ってきた螺旋階段の中央の空間がまるまる部屋として使われていた。いや、もはや部屋と呼ぶには大きすぎるか。何しろアルスが今までに見てきた部屋と呼べるもの全てを容易に上回るのだ。王の間すらこの空間の前には霞んで見える。


 左右の壁は湾曲していて、かなり遠くで再び交わっていた。地表から見れば完全な円を描いているだろう。上を見ればこれまた天井まではかなりの高さがあり、ことによると神壁よりも高いのではないだろうか。


 地中にある建築物ではあるが、まさに広大としかいえない大きさだった。


「うわあ…………」


 あまりに広すぎる景色を前にアルスは思わず深い息を吐く。


 感じるのは紛うことなき神の気配。しかし空間には何もないように思えた。というよりも、本当に何もない・・・・・・・。少なくともアルスの視界の中には純白に輝く壁と床以外には何もないように思えた。


「ここは……一体…………」


 何のための空間なのか。少なくともアルスが探していた何かはあるはずだが、一体どこに。


 そう思いつつ、部屋の中央に向かってまた一歩を踏み出した時。


 壁が――強く光りだした。


「…………っ?」


 壁の全面が眩い光を放ち、アルスの視界を奪う。思わぬ閃光にアルスは目を瞑ったが、〈可聴世界〉を展開する前に一瞬で光は収まった。


 恐る恐る目を開けると――。


「…………! これは……!」


 先程まで見ていた光景はもはやそこにはなかった。


 あったのは――本。

 表紙も裏表紙も全てが真っ白な本が、宙を埋め尽くしていた。


 ふわふわとまるで重力を無視するように――いや、実際に無視しているのだろう、宙に漂う本の数々。飛んでも届くことはない高さに浮かぶそれらは、さながら夜の空に散りばめられた星々のようだ。どれがどれかを判別することは全く出来ないほど一様な外見だが中身は違うのだろうか。


 純白の壁は今や本棚と化し、さらにそこすら一分の隙間もなく埋め尽くす本は果たして幾冊あるのだろうか。上を見渡しても本の行列は続き、天井付近にまで収まっている。ゴルズ城にも歴史書を保管するための部屋があるが、この規模に比べればあってないようなものだろう。


 大量の書物をまとめて保管しているところ。

 つまりここは。


「書庫…………?」


 アルスの呟きを肯定するかのように、床がもう一度光った。


  ***


 玉座に腰かける神王ウルズ・エルド=レイヴンは横に侍る臣下に悟られないように、何食わぬ顔をしながら“千里眼ルノウ”を発動させる。今日三度目となるその行為は、しかし予想通り神王の望みを叶えることはなかった。


 如何せん屋敷との距離が遠すぎるのだ。限界まで知覚範囲を広げてもその様子を知ることは出来なかった。アルスとレインが向かっているはずだが、無事に到着しただろうか。


「…………」


 内心の心配を顔に出すことはないが、神王は久しぶりに感じる不安に苛まれていた。自分が危地に飛び込むことには何の躊躇いもなくても、他人が――ましてや息子が死と隣り合わせの危地に赴いていることが予想以上に神王を不安にさせていた。

 敵方が国を落とすことを考えている以上、神王は簡単に城を離れる訳にはいかない。この状況では“漆黒の勇者”を、そしてアルスを信じる他ないのだ。


「む……? ガトーレンはどうした」


 もう一度“千里眼”を発動させた神王は遅まきにガトーレンの不在に気付く。臣下の一人が答えた。


「昨晩、レイン様が城を訪れた際にガトーレン様をお呼びになったそうですが……その後ガトーレン様がどこへ行かれたのかは存じ上げません」

「レインが……? ふん、奴は何を考えているのか……まあ、いい」


 レインの意図は不明だが、それなりの考えがあってのことなのだろう。深く考えるのはやめて、神王は目を閉じた。


 ――無事に辿り着いてさえいれば。あの書庫にさえ辿り着ければ、アルスは恐らく自分が王としての器を秘めていることを知るだろう。ウルズをすら越える力を秘めていると気付くだろう。その時こそ、アルスが王たりえる時だ。

 本来ならもう少し時間を置くべきだったのだが、この状況下ではやむを得ない。王になる役目を捨て、書庫の守護者となってくれたラムルが殺された今、アルスが王国を救える最後の希望だ。


 実を言えばあの書庫のことは、王族の間でも神王となる存在とその守り手しか知ることが出来ない決まりになっている。王になることが決まったものにのみ書庫へ入ることが許され、そしてそれを口外しないことを約束させられるのだ。現神王ウルズもそうして先代から教えられた。

 初代神王オリガが定めたとされるこの盟約は、ただの一度も破られたことはない。何故この盟約が生まれたかは説明されなくても分かるし、何故守らなければならないのかも、あの書庫を目にしてなら容易に理解出来る。

 あの書庫に蓄えられている情報は、いわばいつ壊放オーバーフローするか分からない神器のようなものだ。上手く扱えばこれ以上ない武器となるが、一歩間違えれば自身を滅ぼす。何代と重ねた神王といえど、あの本の記録を正しく扱えた者はほぼ・・いなかった。

 だからこそ、迂闊に触れられることのないように守り手を置き、真に本を扱える王が来たる日のために保管してあるのだ。


 だが恐らく――その来たる日が訪れるのはそう遠くない。国を統べる神王の内のほんの一握り、長い歴史の中でも数えるほどしかいなかった真の神王がもうすぐ現れる。


「…………」


 神王はゆっくりと目を開けた。


 脳裏には、金の輝きを持つ我が子の姿がいまだにありありと残っていた。自分すらも容易に超えていくだろう少年は今、王になれるかどうかの試練を受けていることだろう。


 どうして自分ではなかったのかと思ったことも当然ある。他人ではなく、自分にこそ力は与えられるべきだったと自惚れたこともある。しかしそれはやはり違ったのだ。

 神王ウルズが求めていたのは、“何よりも強い力”だったのだから。そしてアルスが求めていたのは、“強さではない力”だったのだから。

 自分とアルスの一番の違いはそこだろうと、神王は小さく笑った。


「……そのためにも、奴には頑張ってもらわなくてはな」


 呟いた小さな一人言は、幸いにも臣下の耳には届かなかった。


  ***


 目の前に広がる光景にアルスは完全に圧倒されていた。


 純白に輝く数多の本。異様と言って差し支えないだろうが、何よりも圧倒されるべきなのは。


「まさかこれ……全部が…………?」


 その本一つ一つ・・・・・・・から、神器並の気配を感じるということ。つまり、神器に匹敵する力をこの本たちが持っていることに他ならない。

 先ほどまででもかなりの強さの気配だったが、本たちが具現化した今感じられるそれはまさに次元が違う。この濃さならたとえ神騎士でなくとも感じとることが出来るだろう。ましてやそれを鋭敏に捉えられるアルスにとっては、まさに神そのものが近くにいるのではと錯覚してしまうほどだ。


 神器並の気配を放つ本。その中身を見たいとアルスが思ったのは至極当然のことだった。


 アルスは壁際の本棚に近付き、恐る恐る本に触れた。本は一度仄かに光ったがそれ以上特別な反応を示さず、ほっと息を吐く。そのまま手にとってみるが、辞書ほどの厚さにも関わらずとても軽い。


 やはり表から見える部分には何も書かれていない。作者どころか題名すら不明だ。装飾の類いも一切ない。

 しかしそれでも、その本がただの本でないことは、もはや明らかすぎるほどに明らかだった。


 心臓の鼓動を感じながらアルスは深呼吸する。何か触れてはいけないものに触れている感覚に陥るが、恐らくこの中にこそアルスが求めていたものがあるのだ。ならばここで退くという選択肢はない。

 覚悟を決めて、アルスは本を開いた。

 そこには。


「…………え?」


 開いた瞬間、中は全くの白紙だった。

 しかしほんのわずかに遅れて文字が浮かび上がる。まるで今まさに誰かが書いているかのように、左から右へと文字が記されていく。白紙だった紙が、みるみる内に整然と並んだ文字列で埋め尽くされていく。

 だが、アルスが真に驚いたのはその不思議な過程ではなく。


「何だ……? この文字…………」


 読めない。書かれている文字が全く読めないことにアルスは戸惑っていた。


 勉学という点において、アルスが受けている授業は普通とはかけ離れている。悪い意味ではなく、一般人を遥かに超える高いレベルでの学習をしているのだ。王族である以上教養は戦闘能力と同等に大切なものであり、アルスの成績は、学力の点でも王国有数といわれる神騎士学園ディバインスクール〈フローライト〉において、最上位付近に位置する。


 学園での授業の他にも、城で専属の講師から授業を受けることもあり、その中には当然言語についての授業もある。世界の公用語となっているゴルジオンの言語は言わずもがな、ゴルジオンが起こるさらに昔の古の時代に使われていた古語ですらアルスは読み解く。歴史書の類いならば、およそアルスに読めないものはない。


 だが、そんなアルスですら読めない。そも本に書かれていく文字自体をアルスは見たことがなかった。


「古語よりも昔の時代の文字……? 似てるところはいくつかあるけど…………」


 そんな中でも、丹念に見ていくと幾つか古語に似た文字があった。古語に変移していく前のかなり昔の言語と見て間違いないだろう。本自体が魔法具なのか劣化がほとんどないため時代は見当がつかないが、少なくとも数千年の隔たりはある。


 さすがのアルスといえど、未知の言語を解読することは不可能だ。しかし、どうにも悔しい思いでページを捲っていく内に、何とか読めそうな文字が続く部分があった。文というより単語だろうか。


「“全界戦”…………。聞いたことないなぁ……ガトーレンに聞けば何とか…………」


「そこで何をしている」


 ――唐突に聞こえたのは聞き覚えのある声だった。


「…………っ!!」


 本に気をとられて、一切周りに注意を払っていなかったのにアルスは気付く。

 体を強張らせながら振り向けば、そこにいたのはナガルだった。


「ナガル……兄さん…………!? どうしてここに…………!?」


 その一言にナガルは明らかに気分を害した表情になった。


「気安く呼ぶなと言っただろうがクズめ。学習能力すらないのか?」


 いつものように傲岸不遜なふるまいでナガルはアルスをクズと吐き捨てた。思わず萎縮してしまうが、こんなことに時間を費やしている場合ではない。

 どうやってここに来たのか――というのは愚問だろう。今も地表に穴は開いているだろうし、そこに気付けばここに来るのはさほど難しくない。それよりも、何故ナガルが屋敷に来たのかの方が疑問だ。


「今、僕たちは命を狙われてる状況なんですよ? 神王も外出は控えろと……」

「貴様風情が俺の心配とはな。こんな場所を発見して手柄を得たつもりか? いや、そもそもここを知っていたのならそれも頷ける話だ。手柄は独り占めしたい訳か」

「ち、違います! ラムル兄さんのことを調べようと思って屋敷に来たら、偶然……」

「ああ、そうか。まあそんなことはどうでもいいが、人の心配をするなら自分はどうだ? あの男――レインはどうした」


 レイン。その名前にアルスの心臓は嫌に跳ねた。


「……レイン君は、ここに来る途中で襲われた時に、僕を先に行かせるために足止めをしてくれました。多分まだここには着いてません」

「はっ、どんな化け物に襲われたのか知らんが一人でか。愚民にふさわしい死に方だな」

「…………っ!」


 これ以上ない侮辱に体が熱くなるが、ここで厄介を起こす訳にはいかない。出来るだけ速やかに会話を終わらせて、調べることを調べなければ。


「ラムル兄さんのためにも、僕はもう少し調べます。すみませんが……」

「ふん、まあ俺も目的こそ違えど同じようなものだ。まさかこんな収穫があるとは思わなかったがな。俺はひとまずやるべきことをやる。出来損ないは出来損ないなりに、せいぜい足掻いてみろ」


 そんな言葉を残してナガルは去っていった。


 口ぶりから察するに、ナガルもラムルのことを調べるために屋敷に来ていたようだった。それが本当に敵を探るためなのかは分からないが、少なくともアルスの邪魔をすることはないだろう。ならば自分はすべきことをするだけだ。


 アルスは深く息を吐きつつもう一度本に目を通す。


 相変わらず書いてある内容はさっぱり分からない。これだけ膨大な数があるのだ、アルスが求めるものは違う本に書かれている可能性もある。見たところ文字こそ読めなくても歴史書であることは間違いなさそうなので、年代の新しいものを見ればまだ内容を理解出来るかもしれない。


 ふと、少しだけ冷静になった頭に先程の会話が蘇る。


 レインはどうなっただろうか。まさか簡単に殺されるはずはないと思うが、男たちもかなりの数と強さを持っていた。

 そもそも何故彼らはあんな姿になっていたのか。少なくともアルスは人が悪魔になるなど聞いたことがない上に、壁の外にいる悪魔とはまた違う様子だった。レインは何か知っていたようだし、聞いてみるべきだろう――。


「…………ん……?」


 その時、アルスはそのことに気付く。


 レインはここにいない。だが、もともとそれを話したナガルは、どうしてアルスがレインと一緒に来ていると思っていたのか。


 普通に考えてアルスが一般人であるレインを危険な場所に連れていくとは思わないだろう。事実アルスはレインが同行すると言った時に最初は拒否した。

 にも関わらず、ナガルはレインが一緒にいることをほぼ断定した様子で話していた。


 そして同様に。いや、それ以上に不可解なのは。


 自分は――レインが化け物……つまり人ではない存在・・・・・・・を足止めしているとナガルにいつ言った?


 ここは神壁に囲まれた王国領土内であり、自然に悪魔が発生することは有り得ない。何かが襲ってくると言われて一般的に想像するのは人間だろう。だがナガルはそれを化け物……人間以外の存在に襲われたと判断した。


 つまりナガルは森に悪魔化した人間がいることを知っていた。さらに言えば、それがアルスたちを襲うことをすら予期していた。


 これから示される事実はただ一つ。


 有り得ない。有り得るはずがない。思い浮かんだ推測をアルスは否定する。否定しなければいけなかった。そんなことを許容する訳にはいかなかった。


 しかし本能が騒ぎ、アルスは無自覚に“音智”を発動させる。捉えたのは――すぐ後ろで、剣を振りかぶる音。


「―――ッ」


 推測が確信に変わる中、アルスは悟る。

 間に合わない――。


「――アルス様ッ!!」


 ――聞こえたのは、声と、何かが壁に打ち付けられた轟音。


「え…………?」


 この場にいるはずのない者の声と起こるはずのない音。立て続けに起こった有り得ないことに驚いて、アルスが振り返ると。


「よくぞ……ご無事で!」


 アルスに背を向けて剣を構えるガトーレンの姿がそこにはあった。

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