3─5 最奥へと
「……着いた…………」
森の中で唯一樹木がなく開けた空間がアルスの前に広がっていた。
当然だ。本来樹木が生えているべきはずの空間には、王族が所有する屋敷が存在するのだから。
しかし、今は。
「何で……こんなことに…………」
――屋敷は既に半壊状態だった。
アルスが以前来たときは王族の所有物らしく堂々とした巨大な建物だったはずだ。しかし今目の前にあるのは全体の八割ほどが無惨に崩れた白亜の残骸。放たれていた威圧感はもはやなく、漂っている聖なる気配がなければ倒壊した家屋と見分けがつかないとも思える。
恐らくラムルと敵が争った際の反動で壊れたのだろう。王国の王子が全力で抵抗すれば、いくら頑丈な建物といえどただではすまない。
だが同時にアルスが探す敵は、全力を出したラムルにすら打ち勝ったということになる。予想していたことではあるが、もしアルス一人である今を狙われれば、倒すのはおろか逃げることさえ難しいだろう。
「…………」
――だとしても逃げ出す訳にはいかない。ラムル兄さんやレイン君のために。
早く脈打つ心臓を落ち着かせて、アルスは倒壊しかけている建物の探索を始める。
倒壊具合からして屋敷の中に入ることは不可能だ。入り口は瓦礫で塞がれているうえ、迂闊に入ればそこから再び崩れて生き埋めになる可能性もある。
そこで中には入らず裏側に回ってみると、ラムルたちの戦闘がいかに壮絶なものだったかが分かった。かなり厚いはずの鉱石で出来た壁にも容易に穴が開き、ひどい所ではそもそも壁が残っていなかった。よほどの斬撃が建物を真っ二つに切断したのだろう。まるで芝居に使う模造部屋のように内部が見えるのだ。ところどころの瓦礫には血が残り、まさしく死闘だったことが窺える。
しかしこれでは。
――瓦礫が転がり建物の内部へ行くことすら難しい状況。この中からアルスが知るべきものを探すということがどれほど無理難題であるのかは嫌というほど分かった。少なくとも小物を探すのは不可能だと断言出来る。
倒壊した屋敷の回りを調べながらぐるりと回る。が、そもそも何を探すのかさえ分からないのに見つけられるはずもない。こうしている間にも時間は経ち、敵と遭遇してしまう確率も上がる。
時間だけが無駄に流れる。ここまで来て収穫がないとなれば、自分に付き合ってくれた人たちに面目が立たない。
しかし、見回しても手掛かりになりそうなものは何も見つからなかった。あるのは瓦礫と戦闘痕だけ。
一体どこに。何が。時間もない。そんなアルスの焦りに呼応するように、心なしか先程から感じていた気配も弱く―――。
「…………違う」
その時アルスは気付く。
「違う。何もなくなんかない」
アルスにとってはあまりに身近すぎて意識することが出来なかった。だが考えてみれば、本来はこう思うべきだったのだ。即ち――。
――この気配はどこから放たれているのか、と。
アルスが普段過ごしている学園や城では主に周りの神器から神の気配が放たれる。加えてアルス自身が常に〈アポロン〉を所持しているため、アルスにとっては神の気配を感じている状態が普通だ。故に敢えてそのことを意識することはなかった。
だが、ここは深い森の中。気配を放つ要因など〈アポロン〉ぐらいしか存在しない。
なのに感じるのは〈アポロン〉からではない気配。その時点で疑ってかかるべきだったのだ。
「……そうだ、僕はあの時…………!」
同時に記憶も蘇る。初めてここに来た時――まだアルスが神の気配を感じとることに慣れていない時――に神王に聞いたのだ。どうして神器もないのに気配を感じるのですか、と。
確かあの時、父は。
「――見えるものが全てではない。本質は全て隠れているものなのだから――」
そうだ。確かにそう言った。あの頃は意味が分からなかったが今では分かる。きっとそれこそが、アルスが知っておくべきだった事実。
神王が「隠れている」と言った以上、今では倒壊してしまった建物の中に見える状態で置いてあったとは考えにくい。第一アルスもその時に探してみたが何もなかったはずだ。恐らく瓦礫の中にはない。
となれば考えられるのは。
「見ても駄目なら…………」
アルスは静かに目を閉じる。そして、音高く〈アポロン〉を抜いた。
「聞いてみることしか僕には出来ない。神能、“鳴奏”」
突然辺りに響くのは〈アポロン〉の音楽。神の調べと称される曲たちはしかし、ただ美しいだけではない。
〈アポロン〉の神能である“鳴奏”は端的に言えば、物質の振動を操る力だ。
〈アポロン〉を中心に一定範囲内の物質の振動を自在に操ることが出来るのだが、これだけでも分かるように戦闘に直結する能力ではない。事実今まではそう考えられ、城の宝物庫で使われることなく眠っていた。
しかし、〈アポロン〉とアルスとの相性は非常に良かった。適正な持ち主であるアルスによって限界までその能力を高められた〈アポロン〉の神能は、戦闘への活用すら可能だ。
即ち、超高周波による衝撃破壊。
最も効率的に振動を制御出来るのは当然〈アポロン〉本体だ。そこで〈アポロン〉自体を限界まで振動させることにより、触れた物質をも強制的に振動させ、粉々に破壊する。悪魔の外殻でも容易に破砕する剣撃の前に防御は不可能だ。ただ打ち合うことだけでも、神器クラスの武器でなければ難しいだろう。
そして最も活用されているのが、空気の振動で音を発生させることである。振動を操作することにより音階、音質、音量までも完璧に制御でき、そこから奏でられる完成された音楽は聞く者の運動効率を最大まで高める。同時に敵対する者のそれを下げることも出来るのだ。
だが音を発生させることのメリットはそれだけではなく。
「異能――“音智”」
“鳴奏”と共に、アルスは異能“音智”を発動させる。
途端にアルスの瞼の裏に映るのは辺りの光景。しかし目で見ているのとはまるで違う。何しろ今アルスが見ているのは、反響音から構造を暴き映し出される景色なのだから。
“鳴奏”の利点。それは、“音智”との並列使用で物質の詳細な情報を得られること。
“音智”は常人を遥かに超える聴力を発揮出来る異能だ。単なる微温を捉えるだけに留まらず、多種多様な音の聞き分けを可能にする。
つまり今のアルスは“鳴奏”による高低大小の様々な音の反響音を“音智”によって聞き分け、その違いから物質の距離、位置、堅いや柔らかいなどの性質までも判断し、脳内で景色を再構成しているのだ。色だけを失ったどこか無機質な光景は、しかし何よりも純粋に構造を露にした世界だ。
「〈可聴世界〉――」
聞こえる世界。或いは音で把握される世界。アルスが見るのは紛れもない世界そのものであり、目では不可能な透視すらしてのける。
その結果、アルスは“それ”を見つけた。いや、気付いたという方が適切か。
「……これは………………?」
アルスが今まさに立っている地点。屋敷から少し離れた、以前なら恐らく離れがあった場所。
その真下に奇妙な空間が存在していることに。
自然に生まれた空洞ではない。四方を平らな壁に覆われた、明らかに人為的に創られた空間だろう。更に奇妙なのは、それより下が“可聴世界”でも捉えられないことだ。音が反射してアルスの耳に届く限り地形を詳細に把握出来るはずだが、それで捉えられないということは、これより下の地面には音を反射しない地点があるということ。感じることが出来るのはせいぜい神の気配だけだ。
少なくとも、この壁が自然界に存在するものではないことは明らかだった。
人の手で創り出されたもの。もしかしたらそれは危険なものかもしれない。様子を見るべきなのかもしれない。
だがアルスは迷わず目を開け、〈アポロン〉を地面に突き立てた。
「〈超共鳴〉」
発動した“鳴奏”。一見何も起こらないように見えたが、目には見えないレベルで〈アポロン〉が異常な振動をした直後。
アルスが立つ周囲の地面だけが美しい円を描いて崩落した。
不可思議な空間はさほど深い訳ではない。多少の土砂と共に落下したアルスは再び目を閉じて〈可聴世界〉を展開し、床に着地した。
光は一応届くが、なにぶん地面に開けた穴が小さいため光量が不十分なのだ。〈可聴世界〉で辺りを把握してみるが、四方の壁以外に何かがある訳でもない。床より下の空間は相変わらず何も捉えられず、寮の一室分にも満たないほどの小さな部屋のようにも思える。
しかし改めて詳細に部屋を捉えたアルスは、四方を覆う壁の一面だけが妙に修飾されているのに気付いた。
「これは…………?」
描かれているのは禍禍しい角を生やした生物と、それに相対して剣を構える人の姿。間違いなく悪魔と神器使いをモチーフにしたものだろう。
だが、どうしてこんなところに。そもそもこの空間は何なのか。
そう思いつつ、何気なくその壁に触れた瞬間にその謎は明かされる。
神器〈アポロン〉が突然輝いたのだ。
「うわっ…………!?」
閉じた瞼越しでも突き刺さってくるように強烈な光は、どうやら〈アポロン〉だけでなく眼前の扉からも放たれているようだ。お互いに呼応するかのような閃光に辺りは一瞬で包まれた。
同時に聞こえたのはギギギ……という重い音。
普通ならば眩しすぎて目を開けられないが、音で景色を把握出来るアルスは別だ。手で光を遮りつつ、アルスは〈可聴世界〉で音の発信源である壁を捉えた。
「…………!」
――そこにあったのは、地下へと続く階段。
先程まで確かに壁として存在していたものは両開きの扉だったのだ。
アルスが触れたことにより扉としての役割を果たしたようだ。鍵穴のような類いはもちろん繋ぎ目すらなかったため、アルスも気付くことが出来なかった。
〈アポロン〉が光ったところを見るに、恐らく神器の保有者でなければ通さない仕組みなのだろう。つまり、間違いなくこの先にアルスが知るべき何かがある。
いつの間にか閃光は収まっていた。代わりに地下へ伸びる階段の両壁に取り付けられた燭台に火が灯り、道を照らす。
目を開けたアルスは静かに深呼吸した。
「…………よし」
この先に待つのは何なのか。希望か絶望かそれらとも違う何かか。分からないが、引き返すという選択肢はもはやアルスにはない。
〈アポロン〉の柄を一度触ってから、アルスは階段へと足を踏み出した。
***
アルスがちょうど階段を下りようとしていた時、アルスやレインの他にも屋敷に向かっていた者がいた。
森の中を静かに歩く姿は一見普通の人間だ。意識は正常であり、身体的に違和感がある訳でもない。悪魔と化してしまった賊上がりの男たちとは違うまともな人間に思える。
だがそれは偽りの姿でしかない。胸の内には確かに蠢く悪魔の心があった。
本質的には彼はあの哀れな男たちと同一だ。元人間である人の形を留めた悪魔。だが違うのは、自我を持つことに成功したこと。暴れ狂う悪魔の本性を抑え込み、人としての意識を保ったままに力を手に入れた。
――と、彼自身は自らをそう評価していた。
半年ほど前、あの外套を被った男に会って、自分は自分がいる意味を悟った。何故生まれたのか、いずれどうなるべきなのかを知り、同時にそれを邪魔しうる力を持つアルスを恨んだ。本来自分に定められた役割がアルスに奪われる未来を諭された。
だから壊す。自分を邪魔する者を、障害となる者を。ラムルも彼にとっては邪魔な存在に他ならなかった。故に殺した。ただそれだけに過ぎない。
自分は自我を持っている。そして悪魔としてのまさに人外の力を手に入れた。自分に優る人間などいるものか、と。自分より正しい人間は、自分より力を持った人間はいない。だから自分は絶対的に正しい。
――彼は、その思考こそが既に悪魔と同一であることを自覚出来ていなかった。
「待っていろ……アルス」
獰猛な悪魔のごとき笑みを顔に浮かべながら、彼はゆっくりと屋敷へと歩みを進めていた。
***
アルスが階段を下り始めてから既に十分が過ぎようとしていた。
かなり長い。当然、地表からはもうかなり深い位置にいるだろう。下りても下りても終わりが見えず、警戒を切らさないままの歩みは確実にアルスを消耗させていた。
〈可聴世界〉によって探ってみても、やはりこの壁の奧は何も捉えられなかった。だが、何にも遮られていない階段の構造自体は暴けた。どうやらほんの少しずつ湾曲しているようだ。
つまり螺旋階段になっているということ。円柱形の空間に巻き付くように階段が設けられていることになる。中央の空間の大きさはとんでもない規模だろう。
「一体誰がこんなところを…………」
一人歩きながらアルスは呟く。
これだけの地下空間を造るには、一流の神騎士たちが魔法を使ってもかなりの労力になるはずだ。まして空間だけでなく、音などの情報を一切遮断する特殊な壁に床、魔法具と思われる壁の燭台など、どれもこれも簡単に造れるものではない。正直アルスには、何故これだけの空間を造ったのか、誰が造ったのか見当もつかなかった。
罠が仕掛けられていることはないと思えるが絶対に有り得ないと言える根拠もない。朝から集中し続けていたせいか、こめかみも鈍く痛む。それでもアルスは歩みを止めない。
少しでも早く調べなければ、ここまで敵が追ってくる可能性もある。レインのこともあるし、出来るだけ速やかに事を終わらせたい。そんな思いも確かにあったが、それよりも。
心が叫ぶのだ。この先にあるものを見ろ、とアルスに強く訴えてくる。何よりも自分の胸に湧く意思を叶えるためにアルスは歩いた。
――そして、苦痛とも言える時間は、やがてアルスを称えるように終わりを告げる。
「……着いた」
ついに足を止めたアルスの前にあるのは巨大な扉。
ゴルズ城の王の間の前にある扉と遜色ない……どころかむしろこちらの方が大きいのではないかと思えるほどだ。彫り込まれた装飾は、角を生やした悪魔と剣を手に立ち向かう人間の姿。だが、大きさが桁違いのため、受ける迫力は前の比ではない。
そして何よりも違うのは、神器使いの後ろに立つ複数の巨大な人間だった。
――いや、違う。これは人ではなく…………。
「神々…………?」
背格好や服装こそバラバラだが、よく見ればそれらが皆、人ではないことが分かる。手から焔を生み出す者に氷の息を吐く者。雷を纏った者もいる。武器を持っていないのは、自らの神器を人間に託しているからだろう。
つまりこれは、人、悪魔、神が全て入り乱れた戦いの様子を表しているのだ。
扉自体が濃密な気配を放っていて、この中が聖なる気配の発生源であることは間違いなかった。今までとは非にならない神の気配を感じつつ、アルスは扉に手をかけた。
突然発光することはない。だが少し力を加えると扉は震え、ひとりでに動き出した。
地鳴りのような。或いは神が動き出すかのような。
荘厳な重低音と共に、扉は完全に開かれた。
途端に中から溢れ出す濃密な気配に意識せず〈アポロン〉を触ると、愛剣は仄かに熱を放っていた。この先に何かがあるのはもはや明らかだ。
このために、“何か”を知るためにここまで来た。今さら躊躇する理由などない。
真っ直ぐに前を見て、アルスは扉の内側へと足を踏み入れた。




