2─4 ウルズ・エルド=レイヴン
神王ウルズ・エルド=レイヴン。それが、今この神王国ゴルジオンを統べる絶対王の名だ。
歴代の神王の中でも優れた力を持つ英雄であり、近隣諸国にも名を馳せる実力者である。幼い頃から頭角を現し、十五歳の時には既に王になることを約束されたらしい。
『大厄災』によって崩れた国を王位に即くやいなや見事に立て直したことで民からの信頼を多く得ることになった。国境騎士団を始めとする様々な機構を革新した結果悪魔への対策はより強固なものとなり、安定した平和をつくりだすことに成功したのだ。故にいまだ四十に届かない若さでありながら民からの信頼も含めて人望は厚く、神王国ゴルジオンの絶対的守護者とも言われる。
当然、一般人からすれば見ることすら難しい人物である。何しろ国を統べる王なのだ。雑務は臣下に任せていても、外交や政策の検討などやるべきことは多い。城にいないことも多く、いるとしても人と会っている時間などない。
貴族ですら会うことは会談以外ほとんどないのに、一般人であるレインが会えるはずはなかった。
しかし、レインの目の前を歩くガトーレンは言う。
「神王自らレイン様との面会をご所望されました。長年仕えてきましたが、誰かと会いたいなどと仰られるのはかなり珍しいことです」
「はあ……。その理由に心当たりは…………?」
「いえ、私にもその真意は分かりかねます。ですが先程の手合わせで、神王が貴方を気に入りそうだということは分かりましたよ」
わずかにしか見えないガトーレンの顔が意味深げに笑うのを見てレインは首を傾げた。
ガトーレンは少し振り向きつつ言った。
「神王は、底が全く見えない人物ほど興味を持つのです」
何から何まで全てを見通されているような気がして、レインは薄く笑うことしか出来なかった。
ゴルズ城の最奥にある最後の部屋、王の間。
神王に会ってほしいというガトーレンの案内のもと、その扉の前にレインたちは辿り着いた。
大きく重厚な扉は、前に立っているだけで押し潰されそうな威圧感を感じる。ガトーレンの部屋のものとは根本から違く、単なる部屋と廊下の隔たりではない神王の権威の象徴としての役割を果たしていた。
扉の側に立つ衛兵も六人と多く、武装は今までに出会った衛兵の中でも最高級のものだ。みなぎる気迫は段違いに感じる。恐らくかなりの実力を持った者たちが選ばれているのだろう。
そんな彼らはガトーレンとアルスを見るなり騎士礼をして槍を地に下ろす。しかし、たったそれだけの動きにすら乱れはなく、レインは思わず圧倒された。
「神王にお目通り願いたい」
「はっ」
ガトーレンが言うと最も扉に近い衛兵が返事をし、扉に向かって大きく伺った。
「神王よ、ガトーレン様が来客をお連れになりました!」
数秒遅れて返ってきたのは「入りなさい」という若い声。神王ではなく、臣下だろう。返事を確認すると衛兵は二人がかりで扉に手をかける。
「神王は寛大なお方です。礼儀など気にしない方ですから、肩の力を抜いて、私の指示にだけ従って下さい」
扉が開かれる直前、ガトーレンは小さくそう言った。初めて会った時と同じ優しい雰囲気にほっと安堵してレインは頷いた。
直後に、重い音を響かせながら扉はゆっくりと開いた。
***
ガトーレンの後ろについて王の間の中ほどまで進む。
中は圧倒的に広い。こう言ってはなんだが、ガトーレンの部屋ですら霞んでしまうほどだ。
ただしガトーレンの部屋とは対照にこちらには、絵画、彫刻を始めとした多種多様な芸術品が配置されている。芸術について詳しくないレインには分からないが、王の間にある以上、とてつもなく価値のある作品たちなのだろう。この部屋にある芸術品だけで一体どれぐらいの金額になるのか想像もつかない。
また、中央には見たこともないほど巨大な赤い絨毯が敷かれていた。上に優に百人は立てるだろう。部屋自体が広いために分かりづらいだけで、近づいてみるとその巨大さがよく分かる。
踏むのが躊躇われるほど綺麗に整えられているが、ガトーレンが止まることなくその上を歩いていくので心中で謝りながら踏んでいく。
そしてガトーレンが止まったのは、絨毯が終わる寸前の位置だった。
――レインの視線の先にあるのは王の間の最奥に位置する玉座。
過剰に思えるほど華美なそれに腰掛けるのは壮年の男。
思っていたほど服装は装飾されていない。むしろレインたちよりも控えめなのではないだろうか。有事ではないのでもちろん鎧の類いではなく、シンプルでゆったりとした外套を羽織っていた。
男の前で止まるや否やガトーレンは片膝をついて頭を垂れた。隣のアルスも同じようにするのを見て、慌てながらレインも片膝をつく。
「レイン様を連れて参りました、神王よ」
ガトーレンの言葉に男――神王国ゴルジオン現神王、ウルズ・エルド=レイヴンは表情を全く変えないまま口を開く。
「よく来た、レインとやら。わざわざすまない」
放たれるのは聞くものを圧倒する厳かな声。絶対的な力の差をまざまざと感じさせられる王者の風格を具現化したような言葉は、無条件での畏怖を約束させられる。
しかしレインが、そして周りの臣下やアルスまでもが驚いたのは、神王が謝意を示したということだ。
本来王国の頂点である神王は同じ国に属する者にへりくだることはない。感謝や礼儀を感じこそすれ、立場として自分が上である以上言葉にする必要がないのだ。故に神王に長く仕え貢献してきたガトーレンであろうとも、感謝の言葉をかけられたのは数えるほどしかない。
今会ったばかりの若者に謝意を示すということはつまり、その若者が自分と同等、或いは上だと暗に言っていることなのだ。
「貴様と直接話がしたい。レイン以外はここから失せろ」
「…………!? ……はっ」
続けて放たれたのはレイン以外は部屋から出ろという命令。これにはさしものガトーレンも少し驚いたが、神王の命令である以上背くという選択肢はない。アルスや臣下を含め、返事をしてから速やかに退室した。
そして最も驚いたのは当然レインだ。
頼みの綱であったガトーレンはいなくなり、ここまで導いてくれたアルスもいない。加えて前に立つのは国の頂点である神王。礼儀も何も知らないレインにとっては地獄も同然だった。
頭を上げていいのかも分からず膝をついた姿勢のままレインが動けないでいると――神王は笑った。
「ふん、そこまで緊張せずとも良い。顔を上げろ」
言葉に従い恐る恐る顔を上げると、神王はすっかり相好を崩していた。
改めて見ると、神王の顔がかなりの美形であることに気づく。
年齢的に若いとは言い難いが、その分年相応の落ち着きがあると言うべきだろうか。濃い茶髪やしっかりとした目鼻立ちの剛毅そうな表情は、偉丈夫と言って差し支えないほどの体格と相まってとてつもない安心感を抱かせる。
もちろん覇気は相変わらず人のものとは思えない威圧感を放っているが、少なくとも表情で言えば竹を割ったような清々しさがあった。まるで街を歩く気のいい男といった風貌にレインはほんの少し肩の力を抜いた。
「礼儀など気にするな。臣下たちから言われるだけでもむず痒くなるのだ、今ぐらい気楽にさせろ」
「は、はあ…………」
予想とは大分違っているが、恐らくこれが神王の本当の姿なのだろう。レインは漠然とそれを理解した。
神王は少し真面目な顔になり、言う。
「……久しぶりだな。もっとも貴様が俺を覚えているかは分からんが」
「え……、久しぶり…………?」
唐突な神王の言葉にレインは戸惑った。
一般人に過ぎない自分が今まで神王に会ったことなどなかったはず……とレインが思っていると神王は再び笑う。
しかし、続く言葉にレインの体は強張った。
「はは、やはり覚えていないか。無理もない、あの時の貴様は人よりも悪魔を屠ることしか考えていなかっただろうからな」
「…………!」
レインがただの学生であれば、そうそう悪魔と戦うことはないと容易に分かる。それでも“レインが悪魔と戦ったことがある”と断定するということは、ほぼ何かしらの確信を持つということだ。
加えて妙に含みのある言い方を聞けば、神王が持つ確信のおおよその見当はつく。
それはつまり――。
「なあ……“漆黒の勇者”よ」
「――…………」
かくしてレインの嫌な予想は的中した。
わずかに心臓が跳び跳ねるが、無理矢理押さえ込んで拍動を鎮める。例えバレていようと素直に認める訳にはいかない。
「何のことですか? 俺があの“漆黒の勇者”なんて、有り得な――」
「無駄な隠しだてをするな」
しかし、そんなレインの抵抗も王者の一言で瓦解する。
「正体が知られても微動だにしなかったところはさすがだ。だが俺の前で隠し事は止めておけ。俺ではなく俺を盲信する連中に刺されるぞ」
神王の表情は変わらない。そこに一切の敵意や害意がないのを見て、やむなくレインは事実を認めた。
「『大厄災』の時に……俺と会っているんですか」
「ああ。あと敬語は止めろ。貴様が普段話すように……あの時俺に話したように喋れ。英雄に敬われるのは気持ちが悪い」
「…………」
“英雄”という呼ばれ方に嫌なものを感じたが、レインは神王の望みに従う。
「…………俺はあんたと話したことがあるのか」
「間違いない。今でも鮮明に思い出せる。確かに俺は貴様と会い、話したよ」
神王の要求通りレインは普段通りの口調で――否、わずかに刺を乗せて話した。が、神王は別段気にすることなく言葉を返した。
「“俺が悪魔と間違えてお前を斬る前に失せろ”……貴様は俺にそう言った。考えてみれば、会話ではなく宣告に等しいかもしれんがな」
「…………そうか」
レインにそんなことを言った記憶はない。だが、レイン自身あの時のことをすっかり覚えている訳ではなく、むしろ記憶のほとんどが霧のようにぼんやりしていると言った方が適切だろう。
いつ終わるか知れない黒い泥の中を手で掻き分けるようにして進むが如く、不鮮明で苦しかったという記憶しかない。それでも神王の言葉は事実なのは、その瞳を見れば明らかだった。
「いつからだ? いつから俺が“漆黒の勇者”だと気づいた?」
レインはずっと思っていたことを問う。
普通に考えてレインが“漆黒の勇者”だと断定出来る証拠はない。
『大厄災』の時からしばらくは、表立って悪魔と戦うことすらなかった。巷ではちらほらと死亡説が上がっていたほどだし、王国が熱心に探していた様子もなかったはずだ。
しかし、レインの問いに神王はさも当然と答えた。
「俺を誰だと思っている。王国内で起こる出来事で俺が知り得ないことはない。例えば……聖具使いの学生が翼獣魔種を屠った、という話もな」
「…………!」
神王の答えにレインは絶句する。
あの現場にはレインとアリアと翼獣魔種以外、誰もいなかった。仮に暗部に依頼していたとしても、翼獣魔種の特異体質で魔法が封じられていた以上、レインの知覚範囲外から状況を知ることは出来ないはずだ。
「誰から聞いた……!?」
「自分で知った。俺の異能――“千里眼”を使えば容易い」
かくしてそれを知った手段は――自らの異能だと神王は言う。
「“千里眼”を発動した俺の瞳は、俺を中心に王国全体のおよそ四分の一ほどの範囲の事象を直接把握する。国境騎士団の鼓舞のために北の壁付近にいたが……よもや“漆黒の勇者”を見つけられるとはな」
「――」
神王は隠す様子もなく自らの異能を明かした。
その凄まじさにレインは再び絶句する。
超広範囲の情報把握能力。それを予測する術は、ましてや阻害する術はレインにはなかった。というより物理的距離をすら無効化するならば、どんな者でも阻害するのは難しいだろう。
「なるほどな…………。それは防げなかったな」
ただ、それでも後悔はすまい。あの時ああしなければ、アリアを救うことは出来なかったのだから。レインは心中でそう思った。
「今まで姿を隠していたのは誉めてやろう。“千里眼”は範囲内で一定以上の脅威になる強者は自動で察知するが、貴様は正体を晒すまで隠し通した。生半可な隠蔽では不可能なはずだ。大した術だよ」
続けて神王はレインを讃えた。が、レインにとっては何も嬉しいことはない。正体を看破され、正直今ここにいることが既に苦しい。
何故なら――。
「俺の正体を突き止めたのは分かった。だが……何故俺をここへ呼んだ…………?」
――ここにレインを呼んだ目的。それが思い付かなかった。
レインの正体を見破ったことは認めざるを得ない。
しかしだとしても、わざわざ城にまで呼ぶ必要はないだろう。ガトーレンの「アルスの友人を知るため」という理由すら、レインの本当の実力を知るための建前だった以上、神王がレインを呼んだ真の理由は見当がつかない。
いや、そもそも――。
「まさか、もう城の人たちにはバレてるのか……!?」
最悪の想像に、レインのこめかみを冷や汗が流れる。
しかし神王は首を振った。
「貴様の正体は俺以外知らぬよ。ガトーレンは察しているかも知れんが、幸い奴は賢い。俺が隠そうとしているのだから辺りに話すことはないだろう」
「そ、そうか…………」
レインはほっと息を吐く。何とか最悪の事態は免れているようだ。
「それは分かった。じゃあ、何故俺を……」
「そう焦るな。今から話す」
レインを遮ると、神王はゆっくりと玉座に座り直してから話し始めた。
「貴様をここに呼んだ目的だが……まず断言しておく。俺は貴様の正体を公にするつもりは微塵もない。貴様が一番心配しているのはそこだろう?」
レインは頷く。何よりもレインが恐れていたのは他ならぬその一点だ。
神王が盛大に会を挙げるとでも言おうものなら、レインは王国を離れなければいけない。悪魔以外にもレインと敵対するものは少なくないからだ。
「無論、王国の危機を救ってくれたことについては感謝している。だが、今まで素性を隠してきたのには理由があるのだろう。ならばそれを無駄にする気などない。安心しろ」
「…………助かる」
全てを知っているかのような神王にレインは頭を下げる。まさにその通りで、否定する気などない。
「気にするな」とレインの頭を上げさせると、神王は真面目な表情になった。
「本題はここからだ。貴様の正体は隠そう。だがその代わりと言ってはなんだが……近く王国が揺れるほどの危機が迫る。その時には俺に協力してほしい」
唐突な頼みにレインは思わず聞き返した。
「王国の危機だと…………?」
王国が揺れる出来事など……と思ったが、神王を見て決して嘘ではないのだと気付く。神王の表情は何よりも雄弁に物語っていた。
「恐らく猶予は余りない。今起こってもおかしくないほどだ。確証もある」
「確証ね……。内容は分からないのか?」
「分かっていれば苦労はしないな。何かが起こるということしか断言出来ないのが現状だ」
まるで未来を見通しているかのような話しぶりではあるが、王国内のあらゆる手段を行使出来る神王であれば、不可能ではないことなのかもしれない。半ば予想通りだった答えに「だろうな」と返してレインは考える。
王国を揺るがす危機――。
普通に考えれば悪魔の襲来だろう。つい先日も起きたばかりだし、最も考えられる線だ。
しかし『大厄災』の時よりも今の備えは万全になっている。戦力は目の前にいる神王を含め桁違いだろうし、悪魔に対応するためのシステムも改良されている。仮に『大厄災』と同程度の悪魔が襲ってこようと、事前に分かってさえいるのならば簡単に王国は崩れないはずだ。
にも関わらず王国を揺るがす危機と言うならば、恐らく根本的に違う危機が迫っているのだろう。
「……分かった。いずれにしろ、この国が壊されるのを許す訳にはいかないしな」
それだけを言って、レインは協力を約束した。
「頼む。何か起こればまた貴様を呼ぶだろう。今度は堂々として入ってこい」
「余計なお世話だよ……。話が済んだなら、帰っていいか?」
「ああ、いや待て。最後に一つ」
帰ろうと背を向けたレインを神王は呼び止めた。
レインは首だけで振り返る。
「まだあるのか。何だ?」
「…………アルスをよろしく頼む」
そう言うと神王は始めて頭を下げた。王国を救うための協力を頼む時でも下げなかった頭を。
何だかんだ言っても人の親なんだなと、レインは声に出さず思った。
「言われなくても分かってるよ。じゃあな」
首を戻すとそれだけを口にして、レインは王の間を出た。




