2─2 いざ、城へ
アルス経由でガトーレンから紹介状を受け取った三日後。ついに城へ向かう約束の日である。
服等の準備は全てアルスが受け持つということで、レインは学園の校門前でアルスと待ち合わせをすることになっていた。
アルスは普段は学園の男子寮にいるのだが、諸々の準備のために昨日の放課後には王都に行って、城に滞在したらしい。今日は城から学園にアルスが戻り、レインを連れてもう一度城へと行く段取りである。
何から何まで申し訳ないな、と思いつつレインは校門前にたどり着く。持ち物は渡された紹介状だけだ。準備は全てアルスに任せてあるし、自分で準備しようにも、何を持っていけばいいのか分からない。
そんな訳で、校門前でしばらく待っていると。
「おーい、レイン君!」
すっかり聞き慣れたアルスの声が聞こえた。前回のように、約束の時間よりも少し早い。レインがさらに早かっただけだ。
「おう、アル……ス…………!?」
挨拶を返そうと、声のした方をレインが見る。
が、そこにいたのはアルスではなく――巨大な馬たちだった。
「ブルルルル…………」
「…………」
――馬車だ。それも、町ですらあまり見かけることがないほど巨大な。
馬が引くのは、目を見張るほど大きい客屋。壁などは主に金属製で、全体を派手な装飾がなされた布が覆っており、中の様子は全く見えない。前側にあるドア以外、中に入るところはなさそうだ。
アルスは壁に三つある窓の内、唯一開けられた中央の窓から顔を出し、声をかけてきたのだ。
レインが茫然としていると、そのドアが開かれ、アルスが出てくる。
「……大丈夫? レイン君」
「お、おう……。……ってかお前も…………!」
出てきたのは、ぴしりとした礼服に身を包んだアルス。羽織られた外套の装飾が華やかさを添える。
いつも学園で見るのとは違う、紛うことなき上位者の姿。
かなり派手な装飾の外套が、対称的に落ち着いた礼服の黒を一層上品に見せ、その黒がアルスの金髪をさらに引き立たせる。腰に吊られた〈アポロン〉も今は一種の装飾品と化し、アルスの魅力を引き出す。
なまじ童顔なために真面目な服装とのギャップが激しい。なのに違和感は感じず、絶妙な調和を保っている。大人でも子供でもないような不思議な感じが漂っていた。
「ん? ……ああ、服のこと。僕も慣れないんだけど、さすがに城に正式に行く訳だからあまり適当な格好はして行けないんだよ」
レインの視線に気付くと、アルスは恥ずかしそうに笑った。いつも通りなのにいつもと違う笑顔に、思わずレインの心臓が跳ねる。
「それよりほら、早く乗って。準備もしなきゃないんだし」
「あ、ああ、うん」
アルスに促されるようにレインは馬車に乗り込んだ。
「うわ、広…………」
中はやはり――否、外から見た以上に広い。天井は真っ直ぐ立っても問題ないほどに高く、床面積も女子寮の居間程はあるだろう。
両壁に取り付けられた向い合わせの椅子とその間にテーブルはあるものの、それを差し引いても十分なスペースが残っていた。
「すごいな……。お前、いつもこんなのに乗ってるのか?」
「うん、正式な務めの時はね。僕は小さい馬車でもいいんだけど、王族だってことを示すためにも、他の貴族よりも大きい馬車じゃないと」
「へえ…………」
アルスは御者に「お願いします」と声をかけてからそう言った。確かに、国の頂点が貴族より小さい馬車というのはおかしい気もする。
そんなことを思った直後、ガコン! と一度大きな振動がして、馬車は走り出した。
レインとて馬車に乗ったのはこれが初めてではない。歩くよりかは確かに早いし、無駄に体力を使わなくていいため、意外と馬車の有用性は高い。金さえあれば、街道で馬車を呼ぶことも出来る。
しかしその時の経験から、馬車は乗り心地が悪いものだということも知っていた。
街道で呼ぶような乗り合いの馬車は多くの場合、経費を削減するために客屋が適当な造りになっている。道のでこぼこが直接響くし、椅子も木材を組み合わせたものがそのまま取り付けられていたりして、長時間座るのには向いていない。加えて通気性も悪い。
――それ故に、そこそこに長い王都までの道のりを心配していたのだが。
「何か……揺れないな、全然」
レインは立ったままだというのに、振動でよろめくことはない。ときどき、ほんの小さな揺れが断続して続く程度だ。別にレインはバランスを意識している訳ではないのだが、転ぶことなど有り得ないだろう。
椅子にしても、座る部分には柔らかそうなクッションが敷いてある。あれなら長時間座っても辛くないはずだ。
「しかも涼しい……。空調があるのか?」
レインが快適すぎる室内に驚いていると、アルスは笑って言った。
「国の一流職人たちが造った馬車だからね。材料も最高級だし、快適さなら他のどんな馬車にも負けないよ。空調はほら、そこ」
アルスが指差す天井の隅には、仄かに輝く不思議な玉が浮かんでいた。照明ではない。光が弱いし、何よりその周りで魔素が揺らいでいるのをレインは感じた。
「小規模範囲の温度を変化させる魔法具だよ。今はまだそこまで暑くないからいいけど、夏になれば二個使ったりもする」
「やっぱり魔法具か。さすが王族…………」
術式を刻印して、設定した魔法を自動で発動することが出来るようにしたものが魔法具だ。魔法能力を持たない者でも容易に使うことが可能で、予め準備しておけば高難度の魔法も詠唱なしに行使出来る。
ただし刻印する術式が難しいものであればあるほど、実際に刻印する媒体は大きく重いものを選ばなければならない。そのため気軽に戦場へ持ち込んで使うことは難しいとされる。
とはいえ戦いには向いていないだけで、その利便性は筆舌に尽くしがたい。部屋に据え置いて使うような用途であれば多少大きくても問題ないだろうし、何より自動で発動出来るのは便利だ。一般人でも魔法を使えるため、人気は高い。
欠点があるとすれば――性能に比例するように値が張ること。そもそも刻印するという技術自体がかなり稀少であり、魔法具を作ることが出来る職人の数は限られている。どうしても絶対数が足りないため、必然値段は高くなるという訳だ。
恐らく、この拳大の魔法具一個でも、レインの財布の中身が全て消えるほどの値段はするのではないだろうか。さすがに使い捨てではないが、それでもかなりの出費になるはずだ。
「王族ってすごいなあ…………」
改めてレインが呟くと、アルスは笑いながら、椅子の脇にあった木箱をテーブルの上にあげた。
「今日はレイン君も貴族扱いだからね。これ着てみて」
蓋を開けると、入っていたのはアルスが着ているものに似た礼服と外套だった。丁寧に折り畳まれていて、思わず手にとるのを躊躇ってしまうほど格調高い服に、レインは苦笑する。
「お、俺もこんなの着るのか……。ちなみに、他にもうちょっと落ち着いた装飾の服は……」
「ないよ。これだって、レイン君がそう言うと思って出来るだけ派手じゃないものを選んだんだ。これ以上装飾の質を下げると、かえって無礼になっちゃう」
レインが聞き終わるよりも早くアルスは言い切った。反論は許さないというようにこちらを見る視線が痛い。
とはいえ、もとより城内でのマナーなど知らないレインには、反論などしたくても出来ない。アルスに準備を任せたのは自分だし、恐らくアルスが正解なのだろう。道を知らない以上、道を知る案内人についていく他ないのだ。
「分かったよ。着ればいいんだろ、着れば? どうせ一日だけだし、我慢すればいいだけだ」
レインは意を決して、生まれてこの方着たこともない華美な服を着ることにした。変に傷でもつけてしまわないように丁寧に取り出し、広げてみる。
「うわあ…………」
美しい。選んだのはアルスだから、その点に関しては心配していなかったが、やはりアルスのセンスは目を見張るものがある。
外套で輝くのは小さな宝石たち。しっかりと織り込まれた糸の上で踊るような光を散らすそれらは、しかし決して下品ではない。着る者を飾っても、卑しくは見せない最適なバランスを保っている。
礼服も、サイズ以外はアルスとほぼ同じく、落ち着いた黒が主になっている。外套とは対称的に装飾は一切なく、どちらかと言えばこちらの方がレインとしては好みだ。
しかしアルスに聞くと、どちらも着なければならないということで、やむなくどちらも着ることにする。
だが着替えようとすると、とあることが気になった。
アルスの――視線が。
興味津々といった感じでこちらを見つめてくるアルスがどうにも気になる。いくら広い客屋とはいえ隠れられるようなスペースはなく、着替えるとすればここでそのまま行うしかないのだが――。
「あの……着替えたいんだけど、その…………」
アルスは男だ。男に他ならない。男のはず。そうは思っても気恥ずかしさは消えず、たまらずレインはアルスに言った。
「え? …………あ……」
レインの言葉の意味を察したアルスは途端に真っ赤になった。
「ご、ごごごめん! 後ろ向いてるから、どうぞ!」
言うや否や凄まじい速さで後ろを向き、アルスはじっと動かなくなった。レインも妙な恥ずかしさに汗をかきつつ、ようやく着替え始める。
レインが着ていたものを脱いだところで、アルスは後ろを向いたまま呟いた。
「……言っておくけど、僕も一応男だからね? 背はちょっと小さいけど…………」
自信なさげに、けれど不服そうにアルスは言った。その一言にレインは慌てる。
「あーと、今のは別にそういう意味じゃなくて……いや、そういう意味もあるけど……じゃなくて!」
変なことを口走りそうになる口を一旦閉じて、レインは考える。
アルスは自分の容姿を悩んでいるようだが、よく考えてみると。
アルスが男に思えないのは恐らく自分だけではないだろう。年齢性別性格関係なく、万人共通でアルスは可愛らしいと答えるはずだ。
しかしそこに、何か悪は存在するのだろうか。問題など有り得るのだろうか。
花を美しいというように。自然を素晴らしいというように。神を偉大だというように。万人が納得する事実において、異論は認められず存在する必要もない。何故ならば、花が美しくない理由を考えることこそが無駄なことだからだ。故に無駄なことから派生した考えは全て無駄となり得る。
ならばこそ、アルスが自らの容姿を悩む必要はないだろう。
従って――。
「男か女かなんて関係ないだろ。誰が何と言おうと、お前はお前だ」
――アルスが可愛らしいことに性別など関係ない、と。そんなことを悩む必要はないのだと、レインは結論づけた。
暴論だろうか。しかしレインは、これこそが真理であると、深く悟ったのだ。
「……うん、そうだよね。ありがとう、レイン君!」
レインの複雑かつ難解かつ意味不明な悟りなど知ることもなく、アルスは邪気のない笑顔でレインを向いた。
……ちなみにその時、レインはパンツ――下着的意味で――しか履いていない姿だった。
「うわああああごめんなさいっ!」
再び真っ赤になって後ろを向くアルス。
「お、おう、そんな気にしなくていいけど」
それを見てレインは、自分が学園に来た初日のことを思い出した。鍵を届けるために女子寮に入り、何を血迷ったか部屋の扉を開け、そこでアリアと遭遇したときのことを。
風呂上がりのバスタオル一枚だけの姿をいきなり見知らぬ男に凝視されたアリアの心情を、今更ながら理解出来た気がした。対男、それも友人に見られただけでこんなにも恥ずかしいのだ。アリアが感じた恥ずかしさはこの比ではないだろう。
帰ったらもう一度謝ろう、多分殴られるけど……と、レインは心に強く決めたのだった。
***
約二十分後。正装に着替え、アルスから簡単なマナーについて教えてもらったレインが窓から外を覗くと、すぐそこにゴルズ城が見えた。もうあと数分もすれば城門に着くだろう。
「あー、さすがに緊張してきた……。アルスは慣れてるのか?」
「まあ、家だから入るだけで緊張はしないよ。家族に会うとなるとそれなりにするけどね」
アルスは小さく笑いながら言った。本当に緊張していないのだろう。レインとは違い、動揺が見えない。
「大丈夫だって、何かあったとしても殺されはしないよ」
「まあそれは……って投獄レベルは有り得るってこと!? いずれにしろ刑に処されてるんだけど!?」
相変わらず笑いながら言うアルスにぞっとする。あっけらかんと言うが、前例はあったのだろうか……とレインが怯えた時、ついに馬車が止まった。
「着いたみたいだね。じゃあ、行こっか?」
アルスは外から御者に開けられたドアを先に下りると、レインに向かって手を差し出した。
「教えたことを守れば大丈夫。レイン君なら心配ないよ」
アルスの相変わらずの笑み。しかしそれが今レインに与えるのは、恐怖ではなく安心。
人を安心させるその笑顔は、まさに王の器を持つ証だろう。そんなことを思いつつ、レインもまた笑った。
「…………よし」
その手に導かれるように、レインは意を決して馬車を下りた。




