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2─1  紹介状

 レインにその話が唐突に告げられたのは、アルスと王都へ出かけてからわずか三日後のことだった。


「……という訳で僕と一緒に城に来てよ、レイン君」


 女子寮に設けられた談話室兼、応接室。

 来客時のことも一応は考えられているのか、少し高級なソファが向かい合うように二つと、間に小さなテーブルが置かれている程度の部屋だ。しかしレインは、この女子寮に入ってから、談話する以外の目的にこの部屋が使われているところを見たことがなかった。

 

 が、今日はその応接室としての役割を果たしていた。アルスがレインを訪ねてきたのだ。


「んー、ごめん、全く理解出来なかった。え、いや何で俺が?」


 向かい合わせで座るアルスとレイン。


 アルスは目の前に置かれていたカップを取り、口に含んだ。

 レインが淹れた紅茶だ。ほっこりした表情を見るに、なかなか上手く淹れられたようだ。


 しかし、立場としては迎える側のレインの前には飲み物はない。アルスが言ったことは理解出来ないが、どうやら簡単に終わる話ではなさそうで、自分の分も準備しておけば良かったと後悔した。


「話が全然飲み込めないんだけど…………とりあえず要約すると?」


 理解出来ないことは簡略化して考えるべし。どこかで聞いた教えを実践すべく、レインはアルスに要約を求めた。


 アルスが間髪入れずに返した答えは。


「僕と一緒に城に来てほしいなってこと」

「…………うーん……?」


 おかしいな、全然理解出来ない…………、とレインは首を捻る。

 そも、何故自分が城になど行かなければならないのか。話はそこからだ。


「悪いけど、もう一回最初から頼む。出来るだけ簡単に」

「うん、分かった。えーとね……」

「あ、少し待っててくれ。自分の飲み物持ってくる」


 飲み物のことを思い出したレインは立ち上がり、そそくさと給湯室へ向かった。


 魔法によって火を起こす火台コンロでお湯を沸かし、茶葉を用意する。てきぱきと紅茶を淹れる準備をしながら、ふとレインはアルスの言葉を反芻した。


「城に行く、ってさ……」


 城かあ……城ねえ……、と繰り返している内に。


「……城…………城おおおおお!?」


 ようやくレインが事の重大さを悟ったのは、丁度お湯が沸いた頃だった。


  ***


「大丈夫? 何かすごい絶叫が聞こえたけど」

「い、いや何でもない。それより説明頼む」


 給湯室へ行き、紅茶を淹れてきたレイン。目の前には湯気を立てるカップが置かれていた。長い話に付き合う準備も整ったところで、アルスに話の説明を促す。


 にわかには信じられない話だが、レインの知る限り、この国における城、加えてアルスが城と呼ぶところなど一つしかない。


「まず結論から言って。僕と一緒に、ゴルズ城に来てほしい」

「あ、やっぱり…………」


 どうやらレインの推測は当たっていたらしい。まあそもそも外しようがない問題ではあったが。


 しかし、ゴルズ城はこの国の頂点である神王が住まうところ。立ち入ることが出来るのは、王族や、貴族の中でも特に格の高いごく一部の家の者だけだ。少なくともレインのような一般人がおいそれと入れるところではない。

 いや、入る可能性すらないと言っていい。ゴルズ城とはそこまで隔絶された領域なのだ。


「俺が城に入るなんて無理だろ。城内の人に紹介状でももらわないと……」


 正直、紹介状があったとしても入れるかは怪しいとレインは思ったが、一応考えられる方法は言ってみた。が、もちろん城内に、紹介状を書いてもらえるような親しい者はいない。そもそも入る理由すらないのだから、友人がいたとしても紹介状など無理だ。


 しかし、アルスは真顔のまま言った。


「それがあるんだよ。ほら、これ」


 ゆったりとした私服の胸ポケットからアルスが取り出したのは封筒。

 差し出されるがままに受け取って中を見ると、入っていたのはなかなか見ることが難しい真っ白な紙。きれいに折り畳まれたその表面には、ゴルジオンの紋章が描かれていた。

 広げてみると、そこには美しい文字で、レインが城内に立ち入ることを許可する旨の文章が書かれていた。


「ちょ、これってもしかして…………?」

「まさしく紹介状だよ。ガトーレンが書いた、ね」


 別段いつもと変わらない軽いトーンでアルスは言った。


 驚いたのはレインだ。


「そんな、何で俺が!?」


 レインは思わず叫ぶ。


 大体、自分が城に呼ばれる意味が分からない。ガトーレンと直接面識がある訳でもないし、何かやらかした記憶もない。いや、まさかアルスと関わったことでガトーレンの反感を買い、城に呼んだ上で拘束、後日公開処刑――などという非常によろしくない結末が浮かんだ時。


「……何を考えてるのか分からないけど、レイン君が思ってることとは違うよ」


 いつもより少しだけ冷たい視線でアルスはレインを見た。


「え…………じゃあ何で? 俺、処刑されるんじゃないの?」

「処刑って何のこと…………」


 明確にアルスは呆れたような顔をした。紅茶を一口飲んでから話し始める。


「この前、一緒に王都へ行ったでしょ? その時にやっぱりガトーレンもついてきてたらしくて、レイン君が気になったんだって。信用出来るか見極めたい、とか言ってその場で紹介状を書いて渡してきたんだよ」

「えー…………」


 紹介状の経緯を聞いて、レインはそんな声を上げる。


 予想外どころの話ではない。まさかアルスの傍付きからの紹介状だとは。やはりアルスが大事だからこそ、周辺環境には気を付けておきたいということだろうか。


「というか、これ渡された時点で俺に拒否権ないよなあ……」

「うん、まあそうだね。断ったらそれこそ何されるか分かんないよ?」


 アルスは笑いながら言う。目の前のアルスから、そして紹介状を書いたガトーレンからの無言の圧力が、レインの断るという選択肢を問答無用に切り捨てていた。


 恐らくアルスもこの件をさっさと終わらせたいのだろう。友人のことまでとやかく言われるのは、いくらアルスでもかなりのストレスになっているはずだ。


「分かった、行くよ。いつ行くんだ?」

「お互い早い方がいいよね。次の休日はどう?」


 レインは脳内で予定を確認する。

 直近の約束は何もない。せいぜいアリアと修練をする程度だ。まあ断ればいいだろう。


「確か……予定はなかったはず。じゃあその日で」

「うん、よろしく。手間かけさせちゃってごめん。多分すぐ終わるとは思うんだけど」

「気にすんなよ、お互い様だ。帰りは気を付けろよ。結構暗いし、この前のこともあるんだから」


 帰り支度をするアルスに、レインはそう声をかけた。


 授業が終わってからアルスはここに来たため、少し話し込んでしまった今では、外は陽が沈みかけてしまっている。真っ暗ではないが、そこそこに薄暗い。

 学園敷地内ではあるし、暗殺者の類いは容易には侵入できないとは思ったが、一応レインはそう言った。

 

「大丈夫だって。……でも、ありがと。紅茶、ごちそう様でした! じゃあね!」


 ドアに手をかけたアルスは、レインの方を振り向くと笑った。レインがわずかにドキリとするのと同時、アルスは部屋を出ていった。


「ふう…………」


 一人残されたレインは、片付けをすべく、二人分のカップを持って給湯室へ向かった。半ば無意識に歩きながら、レインはポケットにしまった紹介状のことを考える。

 わざわざ城にまで呼ぶとはよほどアルスが心配なのだろう。ガトーレンという人物が好々爺にしか思えなくて、レインは少しだけ笑った。


 給湯室に着いたレインは、これまた魔法が利用されている水道から水を出し、カチャカチャと小気味いい音を立てる白磁のカップを洗う。


 ふと、顔も見たことのないガトーレンの姿が思い浮かんだ。アルスはよほど大切にされているのだろう。いちいち付き合いのある者全員を呼ぶなんて――。


「…………――」


 と考えて気付いた。


 ――本当に、全員呼ぶことなど有り得るのか、と。


 普通に考えれば有り得ない。あのアルスだ、他にも親しい友人はいるだろうが、その全員を呼んでわざわざ確認するものだろうか。


 そもそも自分が呼ばれている時点でおかしいのだ。いくらアルスと親しいからとはいえ、そこまで危険視される覚えはない。アルスから話を聞けば、親しい友人のことなどすぐに分かるだろうし、わざわざ呼んでまで確認する必要があるとは思えない。


 なのに実際には、恐らく自分だけが城に呼ばれている。


 となると考えられるのは。


「……勘付かれてるのか……?」


 レインはそんな結論に至った。


 レインだけが呼ばれているという点で、あちら側はレインに特別な用がある。それも直接会って確かめる必要があるほどの。

 故に、レインが断れないように、用件を偽ってまでして紹介状を書いた。


「…………」


 少しだけ冷や汗がにじむ。それはつまり、事態があまり喜ばしくない方向へ向かっていることを示す。

 

 為す術なく相手の思惑にはまっている気がする。一つ一つ確実に、核心に迫られている感覚がある。ともすれば既に正体を知られている可能性すらある。


 全て自分の思い込みだ――と信じたいが、理性がそれを否定していた。少なくとも現状を正しく分析すれば、今考えたことが最も合理的で辻褄があってしまうのだ。それしか考えられなくなるほどに。


「…………あ」


 ふと手元を見ると、いつの間にかレインはカップを洗い終えていた。水だけがやたらと流れている。我に帰って水を止め、カップの水滴を落とす。


 レインは、きれいになったそれを持って食堂へ向かった。使う前は給湯室の食器棚にあるのだが、使用後はしっかり洗ってもらわなくてはならない決まりだ。

 廊下を歩くが、冷や汗は止まっていない。むしろ増しているかのようだ。冷静な推測を脳が意識した途端に体は素直な反応を示した。


「俺、バレるのを怖がってる……のか」


 静かな廊下にレインの声はよく響いた。幸い周りには誰もいない。

 レインは自嘲するように笑った。


 何故怖がる必要があるのか。正体がバレたとしても殺されることはないだろうに。それどころか誉められ、称えられ、敬われるだろうに――。


「…………ッ!」


 ――気付けばそんなことを思っている自分に、吐き気がした。


 許されることではないと何度思ったのか。殺されるべき罪であると何度自覚したのか。自分がしたことを何度回顧したのか。


 自分が何者なのかを、一体何度見誤ったのか。


 自分が恐れているのは少しずつ変わっていってしまっている自分自身だと、レインは気付く。そして、普通になりたい、ずっとこうして生きていたいと思う自分になりつつあることを恨めしく思った。


 その時、手が滑り、持っていたカップは落ちて。

 儚い音と共に、白磁のカップは粉々に砕け散った。

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