1─5 神器アポロン
姿を表した〈アポロン〉は、まさしく神々しい光を振り撒く。
夕陽を遮る影の薄暗さが、かえって剣の美しい装飾を際立たせていた。そこらの剣とは比にならないほど美しく、毅然とただ王者たる覇気を放ち、見る者全ての感慨を支配する。
アルスを広く包囲するように構えていた男たちも、思わず一瞬言葉を失った。美しさ故か、或いはその神器を向けられる恐怖故か。
いずれにしろ生まれたわずかな時間に。
「……う、狼狽えるなお前ら! たかがガキ一人だぞ! 全員でかかれば負けるはずねえ!」
さすがと言うべきか、リーダーの男だけはすぐに立ち直り、声を張り上げる。その一声に、周りの男たちも次々に我に返り、叫びだした。
一瞬で怒号に包まれる広場に、しかしアルスは。
「なら僕も――全力で行くよ」
言葉が紡がれた、その瞬間。
空気を伝って、アルスの真の覇気が場に浸透した。
「…………ッ」
今度こそ、男たちは沈黙する。
感じたのは恐怖でも、ましてや怒りでもない。
畏怖。自分ごときが近寄っていい相手ではないということを本能的に感じさせる、王者の風格。外見など関係なく、男たちは無条件にアルスを「出来損ない」などではないと知った。
「こ……こんなの聞いてねえぞ……。何だアイツ……!?」
「化けもんだ……。勝てる訳ねえ……!!」
男たちに動揺が広がる。弱い心はすぐに伝播し、徐々にそれは恐慌に変わっていく。
いくら目が濁っている彼らだろうと、さすがに気付くだろう。あれに勝てるわけがないと。むしろ下手すれば、自分たちがやられると。
「――静まれ、お前ら!!」
「……!?」
それを一喝したのは、リーダーの男だった。
彼だけは、唯一正面から目を逸らさずアルスを見ていた。
「忘れてんじゃねえ、俺らも武器は持ってんだろうが! 全員剣を抜け!」
「あ……お、おう!」
言うと男は自らの腰に吊っていた鞘から剣を抜く。男に倣うように周囲も一斉に剣を抜き――眩い閃光が広場に満ちた。
「…………なるほど、それが武器か」
そこにあったのは――強化聖具。
普通の人間にはまともに扱うことすら出来ない、力の象徴。
聖具よりも高い性能を誇るが、一般人が入手するのはかなり難しいはずだ。恐らくアルスの殺害を企てた者から渡されたのだろう。さすがに強化聖具を使ってくるという予想はしていなかった。
「へへ……さすがにビビったか? こんだけの数ありゃ、ガキ一人くらいどうってことねえよ」
にやりと男は歪な笑いを浮かべた。強力な武器、そして圧倒的な数的有利があるからこそ負けるなど有り得ない。そう確信しているようだ。
「……終わりだ。行くぞ、お前らぁ!」
男の声に、配下の男たちは喚声で応えた。
アルスに、数十人が同時に襲いかかろうと殺到する。
「…………」
強い武器がある。敵戦力の何十倍もの味方戦力がある。だから負けない。
そんな理論はしかし、ある前提の上にあることで初めて成り立つ。即ち。
個々の力量と、集団での連係。
武器を以てして得た力は、自らの力量に左右されることを彼らは知らない。例え神器を持っても、並の人間が扱うことなど出来ないように。
強化聖具といえど、力量が伴わない状態で得られるものなどほんのわずか。全てを引き出すことなど到底出来ない。
また、数を以てして得た力は、自分たちの連係に左右されることも彼らは知らない。例え何百、何千と数を揃えようが、一つの意思に従わなければ力が分散されるように。
二十倍以上の数的有利といえど、連係のない状態での混戦はかえって不利。たった一人の敵をすら殺せない。
アルスはそのことをよく知っていた。
とある傍付き騎士に、何度も教えられたことだから。
「行くよ、〈アポロン〉……神能、”鳴奏“」
そしてアルスは、自らの神器〈アポロン〉の神能を解き放つ。
「…………?」
音がする。
アルスの後方で形だけの構えを取っていたレインは、広場に流れる小さな音を辛うじて捉えた。
男たちが猛る声にかきけされてほとんど聞き取れないが、常人より優れたレインの耳は微かな異音をさえ拾う。高く低くを繰り返し、時に大きく、また小さくなる異音。
いや、異音というよりもこれは――。
「旋律…………?」
言ってからレインは確信した。
流れる音。それは……美しい旋律。
一流の管弦楽団が奏でるような――いや、それ以上に心地よい旋律。レインは音楽についての造詣は深くないが、間違いなく今まで聞いた中で最も美しいと思える。
それどころか、これ以上に美しい旋律を人間が奏でることが出来るだろうか、と疑ってしまうほどに完成された音楽は、一時ここは戦場だというレインの自覚を忘れさせた。
まさしく、神が奏でるかのような旋律。
発生源は神器〈アポロン〉。しかしそれを男たちが知ることはない。
「死ねええぇ!!」
物騒な言葉を各々吐きつつ武器を振り上げる男たち。
次の瞬間には渾身の一撃がアルスに全方向から迫るだろう。
「僕に力を貸して、〈アポロン〉」
しかし、刹那。
男たちの武器は、全て空を切った。
「…………!?」
アルスの姿はもはや狙いを定めた先にはない。男たちには捉えられない動きで包囲を抜けている。
正直レインですら、一瞬姿を見失いかけるほどの速度。焦ったように次々と放たれる男たちの攻撃は、ことごとくアルスにかわされる。
「な、何でだ!? 何で当たらねえ!?」
「もっと数かけろ! これだけいるんだ、囲めよ!」
「囲っても駄目だ! すり抜けられちまう!」
全ての剣は虚しくアルスの残像を通過していく。当てたと思った時には既にそこにアルスはいない。人で肉壁を作って囲もうにも、ほんのわずかな隙間が閉じる前にアルスはそこをすり抜ける。
ほとんど休む暇なく襲いかかる剣を、アルスは一瞥しただけで即座に識別、判断しているのだろう。そうでなければここまでの反応は見せられない。
男たちの意思疎通が乱れているのも原因ではあるのだが、何よりもアルスの反応速度が凄まじい。自らに向かってくる剣のみならず、視界全体の敵の位置、数、思考を把握し、剣を避けながら完全に囲まれるのを防ぐ。
独特な走法からの移動は、一般人からすれば瞬間移動にも見えるはず。男たちは完全に混乱に呑まれていた。
「クソが…………。お前ら、一度退け!」
そんな混乱を静めるように響いたリーダーの声が、男たちのざわめきを消した。
静かになった広場で、男たちはようやく気付く。
「何だ……? この音…………」
広場に鳴り響いていた美しい旋律。
アルスの神器〈アポロン〉が奏でる音楽は少しずつ大きく、そしてクライマックスへ近付いていた。
「これ、どっから……」
「ンなことはどうでもいい! 一気に囲めないなら円を囲んでから距離を詰めろ!」
男たちの疑問を遮って、リーダーは叫んだ。言葉の意味は至極簡単だ。理解した男たちは、疑問は一度放置して、指示に従う。
無理に近寄るのではなく、距離を保ったまま、円をつくるようにアルスを囲む。何をする気なのか、離れたレインにも分かった。
近付いて囲めないなら、”囲んでから近付く“。円をつくってからアルスに近付けば、すり抜けることも物理的に不可能。
じりじりと、ほんのわずかな隙間すらつくらないように男たちは距離を詰めた。アルスまでもうほとんど距離はない。あと二、三歩男たちが進めば、剣の間合いに入るだろう。
リーダーの男は、歪な笑みをもう一度浮かべ、叫んだ。
「…………突っ込めェ!」
男の声が辺りに広がる。波が伝播する。男たちが剣を振りかぶる。
レインはそれを音のない世界で感じた。いや、違う。アルスの神器が奏でる音楽だけが聞こえる世界で感じた。
神の旋律を持つ曲はその時、クライマックスを迎えた。
神器〈アポロン〉が閃いた。
「〈超共鳴〉」
誰にも――レインにもほぼ捉えられない剣閃の先で。
――パキィィン……と。
ささやかな破砕音が響いた。
「は…………?」
呆然とするリーダーが持つ剣は。いや、周りの男たち全てが持っていた強化聖具は――。
――例外なく、刀身を失っていた。
文字通り消えていた。
今の一瞬で〈アポロン〉が触れた途端に、跡形もなく破砕されたのだ。
「…………!? 何が……、ッ!?」
と叫びかけたリーダーの首には、鋭い光が突きつけられている。
〈アポロン〉を突き付けたアルスの顔には、今まで見たこともないような厳格さがあった。
「…………ッ」
今度こそ完全に、場は静まった。
そんな中、アルスの声がやけに静かに響く。
「悪いけど、帰ってくれるかな。この剣をあまり人には使いたくない」
その声に容赦はない。言葉は本心そのものだが、もし逆えば間違いなく剣を押し込むだろうということは、リーダーの男にも確信出来た。故に深く後悔した。
リーダーだけではない。場にいる誰もが、自らの過ちを悟った。
自らの力を知らなかったこと。
自分たちの――否、借り物の力を過信しすぎたこと。
そして何より――アルスの力を見誤っていたこと。
あんなものに勝てる可能性など端からなかったのだと、遅まきにも悟ったのだ。
「……ひ、ひいいいぃ!!」
リーダーの男はまるで腰を抜かすように後退り、剣から離れると脇目も振らず逃げ始めた。周りの男たちも叫びながら、リーダーに追随するかのように逃げていった。
「……終わった、かな」
誰もいなくなった広場でアルスは呟くと、〈アポロン〉を鞘に納めた。
息を深く吐きながら空を仰ぐ姿には、紛れもない王者の雰囲気が漂っていた。
***
「おつかれさん。ほら、やれば出来ただろ?」
何かを思うように空を見続けるアルスに近寄り、レインはその肩を軽く叩いた。アルスはいまだ物思いから覚めないのか、曖昧に返事をする。
「ああ……うん。何かすっきりしたよ。ありがとう」
「……の割にはすっきりしてない顔してるけど、大丈夫か? 疲れただけならいいけど」
レインの問いにアルスは呟く。
「何か、この感覚が久しぶりだなあって思ったんだ。子供の時から、いきなりスイッチが入ったように歯止めが利かなくなることがあってさ。久しぶりにその感覚になった」
自らの手を見るアルスの顔には、困ったような苦笑いだけがあった。あまりいい感覚ではないのかもしれない。
「レイン君はさ、自分が怖いって思ったことある?」
「…………」
「僕はあるよ。ふとした時に、まるで別人になったような気持ちになって怖くなるんだ。今もそう。さっきの僕は僕じゃないみたいだった」
いつの間にかアルスの顔からは苦笑いすらも消えていた。ただ無表情に、アルスは自らへの恐怖を告げる。
「強くなりたいって思えば思うほど、自分が怖くなるんだ。いつか本当に僕じゃない僕になっちゃいそうで。矛盾してるみたいだけど…………」
アルスは俯いた。下ろした右手は強く握りしめられ、深く葛藤しているのが分かる。
レインがしばらく黙っていると、アルスはふと顔を上げ、もう一度苦笑した。
「あ、ごめん、急に。強くなりたいとか言ってたくせにおかしいよね、こんなの。うん、何でもないから忘れて――」
「俺もある。自分が怖いと思ったこと」
アルスの言葉をレインは遮った。
「え…………」
「自分が何なのか分かんなくなって、やってることが正しいのか不安になる。本当はとんでもないことをやってるんじゃないかと思って逃げたくなる。やってきたことを振り返って後悔して、諦めたくなる」
アルスの気持ちを完全に理解することは出来ない。ただ、少しは似た経験をレインは知っている。言葉にするのは恥ずかしくて情けないことだけど、それでも。
アルスが話したのなら、自分も話すべきだとレインは思った。
「けど俺はここまで来た。道のりは長くて苦しかったけど、ここで引き返すことはしたくない。この先もまだまだ辛いだろうけど、進み続けたい」
「…………」
「お前は、違うのか?」
「――っ」
アルスは唇を噛み締めた。
「僕は…………」
「やった後のことを考えるのは悪いことじゃない。ただ……案外、今のことだけ考えて進んだ方が正しかったりすることもあるしな」
「うん……うん」
アルスは顔を上げた。久しぶりに見る笑顔は、薄暗い夕方の下でも輝いていた。
「僕は――強くなるよ」
つられるようにレインも笑った。やっと、アルスの底をわずかでも、本当に理解することが出来た気がした。
「帰ろうぜ。門限もあることだし」
「うん!」
笑いあいながら、二人は広場を後にした。




