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1─4 アルス

 神王国ゴルジオン、王都。


 日がそろそろ落ち始め、石とレンガの町並みが一層赤く色づく夕暮れ時――。


「はぁ─……。美味しかったね、レイン君」

「お、おう…………」


 人並みが早朝と並んで最も少なくなるこの時間帯に、レインとアルスは学園へ帰るための道のりを歩いていた。そこそこに大きい主要な道のはずだが、二人以外に通りを歩く者はいない。夕陽が建物の隙間から射し込み、何とも言えない美しさを一人占め――いや、二人占めしているようだ。

 そんな二人はちょうど夕食をとり終えたところだった。当初の予定通り、超高級店で。


「どうしたの? ご飯食べたばっかりなのに元気ないね」

「ちょ、ちょっと気分がな。色々、精神的に疲れてるというかなんというか…………」


 少々げんなりした様子でレインは答える。


 食事代は、結局背に腹は変えられずアルスに持ってもらった。そもそもミコトの情で何とか寮に住まわせてもらっている立場のレインに払える額ではなかったのだ。何気なく開いたメニューに書かれた値段を二度見してしまったのは、まだ記憶に新しい。


 確かに料理はどれも美味しかったが、まだまだ成長期、一般的に食べ盛りと言われる年代のレインにとっては些か量が物足りなかった。値段との釣り合いがとれていないと叫びたいところだ。

 だが、同年齢のはずのアルスはこの程度の量の食事に慣れているのか満足そうだ。レインとは対称的に元気である。


「いやぁ、久しぶりに楽しい休日だったなあ。ここのところ、ずっとやんなきゃないことに追われてたし…………」


 アルスがぐぐーっ、と伸びつつ一人言のように言った。同時にレインは、そしてアルスも今日の本来の目的を思い出す。

 アルスはほんの少しだけ顔を曇らせた。


「あー……、そうだったね。今日はそのためにレイン君が来たんだっけ……」


 レインの目的――それは、アルスが抱えている悩みを聞くこと。


 どんなことで悩んでいるのかのある程度の目星はついていた。それでも、アルス自身からしっかりと話してほしいと思い、レインは今日アルスと会うことを決めたのだ。


 だが――。


「ああ。……けど、無理する必要はないぞ? 王族の話なんだし、話したくないならわざわざ話さなくても…………」


 レインは出来る限りアルスに気を使わせないように言った。

 

 一日中楽しそうにしていたアルスだが、レインとて、横でただぼーっとしていた訳ではない。

 ふとした時、アルスの顔を見たのだ。


 ――大きな影を落としたような、不安と苦しみに押し潰されそうな表情を。


 それを見て、わざわざ内容を言わせるようなことをすべきではないとレインは悟った。アルスが必死に抱えているものを横から下ろさせるのは、何よりアルスにとって辛いことに思えたのだ。


 しかしアルスは。

 

「ううん、約束したことだし話すよ。むしろこっちが聞いてほしいくらい」


 アルスは一度立ち止まると、わずかに視線を上げる。レインが視線を辿ると、その先にあったのはゴルズ城だった。


 神王国ゴルジオンの神王が住まうところ。

 ――アルスの父親がいるところ。


 父親が一国の王とはどういう気持ちなんだろう、とレインは想像しようとしたが、あまりに茫漠としすぎていて具体的な感覚は全く湧かなかった。ただ一つ言えるのは、とてつもない重圧を感じるのだろうということだけ。


 アルスは視線を元に戻して再び歩き始めた。レインも横に並び、ついていく。


「僕はね……恥ずかしいけど、兄弟の中で一番の出来損ないなんだ」


 歩きながら唐突にアルスは言った。


 予想もしていなかった思いがけない言葉にレインは驚く。

 同時に心のどこかで、アルスが言いそうだと想像していたことでも思った。


「お前が……出来損ない?」

「うん。兄さんたちは、ここ数代の王子たちの中でも優れた器だって言われてる。けど僕はどれだけ頑張っても兄さんたちに追い付けない。誰よりも僕が一番分かってるんだ」


 ぽつぽつと語るアルスの顔には、先程までには微塵もなかった苦悩の表情があった。

 歩みを進めるアルスがちょうど建物の影に入り、金色の髪や瞳までもをどこか暗くする。輝きを失ったくすんだ金は、探しても表現する言葉が見つからないほどに悲しく、寂しい。


「……何で、なんだろ。何で僕だけこんなに弱いんだろ。守りたいのに……僕を信じてくれた人を、僕を支えてくれる人を。それなのに、何で…………」

「アルス…………」


 自嘲とも自戒ともとれないように一人呟きながらアルスは歩く。いつの間にか普段のアルスの明るさは消え、見たこともないような暗い雰囲気が、レインにかつての自分を思い出させた。


 レインにも、アルスの気持ちは痛いほど分かる。


 自分は無力だと分かっているのに何も変えられない歯痒さが。

 守りたいと思っているのに守れない悔しさが。

 いつか目の前で、奪われたくないものが奪われてしまうのではという恐怖が。


 誰かに任せることなど出来ない、「守りたい」という意志。自分自身が守るのだという決意は、実現出来ないと自覚した瞬間に、何より重い枷になる。

 嵌まれば、あるのは抜け出すことの出来ない自責と後悔による地獄だ。レイン自身、嫌というほど経験したことのある苦しみは、他人がどうこう出来るものではない。レインは誰よりもそのことを知っていた。


 それでも、ほんの少しの支えになれば。レインはそう思い、言葉を紡ぐ。


「……お前だけじゃないよ」

「え?」

「誰かを守れるほど強くなりたいって皆が思ってる。けど本当に守れるのはきっと、たった少しの何かだけだ。望んだもの全部を守れる奴なんて、それこそ数えるほどしかいない」


 レインも守れなかった者の内の一人だ。自分が守りたいと望んだものは決して多くなかった。それなのに、そのわずかなものでさえ失い、守れなかった。


「けどさ、だからこそ俺たちは強くなれる。守りたいと思わなくなったらそれが限界だ。そこからは強くなれない。俺たちは弱いんじゃなくて、守れるほどまで強くなる途中だ」


 どの口がそんなことを、と思わなかった訳ではない。或いはこの言葉は、自分がそう信じたいという身勝手な願いなのかもしれない。

 ――だとしても、思っていることだけは真実だ。例え不似合いな願いでも。例え自分には過ぎた望みでも。


「強くなる……途中?」

「ああ。いつか守れるように。十分な強さを手に入れられるように。少なくとも俺はそう思ってるよ」


 夕暮れに赤く染まった空を見上げながら、レインは言い終えた。


 ――なんと無様なのだろう。醜いのだろう。過ちを繰り返した自分が何を偉そうに。


 レインの心に聞こえるのは、冷静なもう一人の自分の声。自責と後悔に捕らわれた、いまだに消えない者の声。

 粘着質な声は、過去を乗り越えようとするレインをもう一度地獄に引きずり込もうとする。悪夢を思い出させ、罪を自覚させ、ずるずると引っ張ろうとする。


 だがレインは決めたのだ。もう二度と立ち止まらないと。


 振り返ることはあるかもしれない。ほんの少し歩みが遅くなるかもしれない。けれどだとしても、止まることだけは絶対にしない。前に歩き続けるのだ、と。


「……レイン君」


 隣を歩くアルスが名前を呼んだ。

 レインがそちらを向くと。


「ありがとね」


 アルスはぽつりと、それだけを呟いた。

 いつもとは違う微笑は、しかし以前の、”いつもの“アルスのように輝いている。


「…………ん。そろそろ暗くなってきたし、急ごうぜ」


 少しは何かを届けることが出来たかもしれないと安堵して、レインはもう一度空を見た。


 初夏の夕陽は、ゆっくりではあるが確かに沈んできている。日没までさほど時間はないだろう。寮の門限まではまだ余裕があるが、こんなにかよわい――ように見える神器使いだが――アルスを夜に連れ回すのはあまりよくないだろう。


 ――いや、あるいは既に。


 レインはちらりと視線だけで後ろを見た。そこには誰もいないように見えるが。


「あ、ごめんレイン君。もう少しだけ付き合ってくれる?」


 と、横から聞こえたアルスの声に、レインは視線を戻して言葉を返す。


「まだ行きたいところがあるのか? けどそろそろ…………」

「ああ、違くて。行きたいというより、やらなきゃないこと・・・・・・・・・かな」


 アルスもまた同じように、後ろを一瞥してから答えた。

 レインはアルスの意図を察する。


「……分かった、じゃあ行こう。さっさと終わらせないとな」

「うん」


 そんな当たり障りのない会話をしてから、二人は歩く速さを少しだけ緩めた。


  ***


 実を言うと、レインは今日ずっと気になっていたことがあった。

 アルスが腰に吊る神器〈アポロン〉だ。


 確かに神騎士学園ディバインスクールの生徒は、どんな時でも剣を持つことを許されている。不測の事態に対応するための備えであり、逆に言えば、武器を持っている子供というだけで神騎士学園の生徒だと分かるのだ。それ自体が、面倒な荒くれ者への抑止力になる。

 とはいえ王都はそこまで治安が悪い訳ではない。辺境の村ならまだしも、そう簡単に襲われるなんてことはほとんどないだろう。衛兵もいるし、余程のことがない限りそんな心配はしなくていいはずだ。


 ましてや今日一日いたのは、ほとんどが「貴族の域ロイヤル」。むしろ剣など、あまり歓迎されるものではない。驚くようにこちらを見る者も一人や二人ではなかった。


 主要な通りを避け、少しずつ人目のつかない場所・・・・・・・・・へ歩くレインとアルス。


 ゆっくりと背後を窺うように、それでいて傍目からすれば自然に歩くように見えるアルスは、一度辺りを見回すと、小さく頷いて止まった。レインも一緒に止まる。


 いつの間にか、街のかなり奥深くに進んでいたことにレインは気付いた。

 やけに細い裏路地に入り、何度も曲がって着いた先だ。レインもほとんど道順は覚えていない。ここで置いていかれたら、正直寮まで帰れるか分からない。


 ここはもとは広場だったのだろうか。少し開けた視界の真ん中に、水の枯れた噴水がぽつりとある。敷かれた石畳もところどころは崩れ、隙間からは雑草が小さく伸びていた。ほとんど人が通らないのだろう。当然ながら今も辺りに人気は全くない。


 ぐるりと広場を囲むようにある数件の建物も、人が住んでいる訳ではないのか、薄暗いこの時間帯でも灯りがついているところはなかった。


「さてと……ここなら文句もないかな。出てきてよ」


 そんな場所で、アルスは少し大きく言った。

 何かを答える者がいるはずもない。静寂が辺りを包む。


 しかし、やがて――。


「……ちっ、やっぱバレてたか。おい、お前ら! 出てこい!」


 野太い声が広場に響いた後。


 ――建物の陰やその屋根の上から、続々と人が現れた。


 皆一様に顔は隠されている。背丈も格好もバラバラだが、顔を隠す布以外の唯一の共通点は……その手に握られた剣。


「おお……思ったより多かったな。二十人くらいか?」

「もっと多いかも。さすがに彼らを学園にまで連れていくのは許せなかった」


 人目のない広場で、剣を持っている男たちに囲まれている。どんな者でも分かる危機的状況に、しかしレインとアルスは冷静に話を続ける。


「巻き込んでごめんね。最近こういう手合いが多くて。大方誰かに頼まれたんだろうけどさ」

「お前を殺すように……か。わざわざ剣を持ってきてる訳だ」

「どうしてもね。何か落ち着かなくて」


 目の前の男たちを無視するかのように、全く動じる様子のない二人。

 それも当然だろう。とうの昔に背後の男たちには気付いていたのだから。


 二十人を越える尾行など、優れた神騎士であるレインやアルスが気付かないはずがない。気配を消そうと頑張ってはいたようだが、さすがに無理があった。


 気付いた時点で彼らを撒くことも出来ただろう。しかし敢えて、ここまで彼らを引き連れて来たのだ。


「いいかお前ら! 狙いは金髪の方だ! 殺せば大金が手に入るんだ、抜かるなよ!」


 リーダー格なのだろう大柄の男が、布の隙間から覗く目を醜く光らせながら叫んだ。周りの男たちも一斉に欲望にまみれた喚声を上げる。


 しかし二人はそれでもなお動じず。


「賊上がりってとこだな。武器もそれなりにあるけど……どうする?」

「僕がやるよ。レイン君は見てて」


 レインの返事を聞かず、アルスが前に出た。先程までの柔らかさなどない鋼のような声に、レインは笑った。


 ――やっぱりお前はすごいよ、と改めて確信して。


 レインは素直にアルスに従い、一歩後ろに下がる。


「まあ自分のことぐらいは自分でも守れるから、こっちは心配するな。無茶だけはするなよ」

「うん。ありがとう」


 アルスは短く言葉を返し、さらに前に進んだ。覇気を全く感じない姿が、逆にレインには恐ろしく感じられた。


「死ぬ準備は出来たか、坊っちゃん。何だか女みてえだな。殺さないで俺たちで遊んだ方が得じゃねえか?」


 挑発のように嘲る男の声に、辺りの男たちも下卑た笑いを浮かべる。しかしアルスは淡々と答えた。


「生憎、まだ死ねません。むしろ――貴方たちは覚悟出来ているのですか?」


 優雅に、上品に、気品すら漂わせて。

 微笑みを浮かべて、言外に「お前らは死ねるのか?」と聞くアルスに、男たちは一瞬凍りついた。


「……は、はは、何をいきがってやがる。依頼主から聞いたぜ。お前、王子の中で一番の出来損ないらしいじゃねえか」


 気圧されたことを誤魔化すための男の言葉。前までならアルスを縛る鎖になっていただろう言葉は。


「…………」


 男たちは知らない。今のアルスが、少なくとも「出来損ない」と言われた時とは違うことに。

 今のアルスにとって「出来損ない」とは――無限の可能性を秘めた者のこと。故に恐れる必要などなく、むしろ誇るべき事実。


「……僕は出来損ないだよ。でも、もう怖がらない。僕にだって希望はあるって、教えてもらったから」


 形式ばった口調などかなぐり捨てて、アルスは真っ直ぐに前を見た。王族の未熟者という自らへの暗示レッテルを破ったアルスにはもう迷いなどない。


「神の調べを奏でし神器よ。汝の力を我が手に宿せ。気高き旋律と理想の音色で、あらゆる邪を浄化せよ。神臨――神器〈アポロン〉」


 勢いよく引き抜いた〈アポロン〉は、薄暗い辺りを一瞬だけ昼の太陽のように照らした。男たちがさらにざわめく中で、アルスはただ愛剣を握りしめる。


 ――僕に力を貸してくれ、〈アポロン〉。僕が王になるために。


 まるでそれに応えるかのように、どくんと震えた〈アポロン〉を感じ、アルスは笑った。

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