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1─1 日常と平穏 

「ふあ…………」


 よく晴れた休日の午後。レインは大きくあくびをして、一度空を仰いだ。

 雲ひとつない澄みきった空は、初夏の爽やかな風と一緒にレインの迷いや苦しみを吸い込んでくれる気がする。そんな理由から、レインはよく晴れた空が好きだった。


「平和だなあ…………」


 呟いてから、レインはゆっくりと視界を下げる。


「……こんな物騒な奴がいなければ、だけど」

「戦闘中によそ見なんかしてないで構えなさいよ! まだ終わってないんだから!」


 そこにいたのは、神器〈ヘスティア〉を持ち、戦意剥き出しの少女――アリア。神能”神之焔ブレイズ“によってあふれでる焔が、爽やかな風を吸い込みさらに燃え上がる。


 よく晴れた午後の空気を破壊する、何とも物騒な光景だった。


「はいはい……。ほら、来いよ」


 対するレインは適当に剣を構えつつ言った。やる気のない態度に苛立ったアリアは、一息でレインの前に詰め寄る。


「え?」


 剣を引き――。


「せあああああっ!」


 放たれたのは超高速の突き。一般人には捉えることすら叶わない速度。

 しかしレインはアリアの狙いを正確に見抜き、首をわずかに曲げて回避する。


「まだまだ…………っ!」


 アリアもそのままでは終わらない。勢いで流れる体を立て直し、一瞬で次の攻撃へと繋げる。剣を横に薙ぎ、またしてもレインを狙った。

 が――。


「前も見たからなあ……。同じパターンは隙を生むことになるからやめた方がいいぞ?」


 ――その時既にレインはアリアの後ろに立っていた。いつ動いたのかはアリアにも分からない。


「くっ……、なら!」

 

 アリアは振り向き様に連撃を繰り出す。それもまた超高速、かつ超威力の剣だ。当たれば命すら失いかけるほどだが、レインは動じない。


「ほいっと」


 わずかに、白い剣を持つ腕の手首をくんっ、と返した――ように見えた。


 それだけで、アリアの剣は全ていなされ、かわされ、逸らされる。


「…………!」


 アリアが思わず動きを止めた次の瞬間には、レインの剣がアリアの首もとに突きつけられていた。


「俺の勝ち、だな。ほら、剣下ろせって」

「~~~~!!」


 アリアは一目で分かるほどに悔しそうな顔をして、剣を下ろした。

 レインは苦笑しつつ言う。


「これで三本やったろ、休憩だ。体休めないと余計勝てないぞ」

「うるさいわね! 言われなくても分かってるわよ!」

「だったらさっさと離れろよ……。不意打ちも無駄だからな」


 レインが釘を刺して言うと、アリアは、ふんっ! とそっぽを向いてレインから離れ、少し離れた段差に腰かけた。


 レインもため息を吐きながら横に座る。


「……何でわざわざ近づいてくるのよ」

「何でって、ここが一番座りやすいし。駄目か?」

「…………別にいいけど」


 アリアは相変わらずそっぽを向きながら言った。


 女子寮から程近い開けた庭。二人はそこで、休日の習慣となっている修練を行っていた。


 庭といいつつ辺りにはほとんど何もない。せいぜい芝生らしき草が足元に密に生えている程度で、どちらかと言えば運動場のようだ。もちろん整備も何もされていないので、闘技場などと比べると環境は劣悪だが、ここなら誰にも邪魔されることはない。

 寮から近いというのも、二人が休日の修練にここを選ぶ理由の一つだった。


 今度こそ静かになった空間でレインは再び空を見上げる。

 日射しを遮るものはないが、初夏の日射しはむしろ好ましく思える。心地よい熱を伝えてくれるそれに、レインは思わず、深い息を吐いた。

 

  ***


 翼獣魔種ガーゴイル討伐から既に一週間が経過していた。


 上位級ハイの出現という情報による学園の困惑は、ミコトやアリア自身の情報操作でいつしか収束していた。結果アリアは讃えられ、レインに注目が向くことはなかったが、むしろ感謝したいほどだ。正体がバレる訳にはいかないし、注目されたいということもない。

 強いていうならば、今回の騒動によってアリアに重圧がかかることだけは避けたかったというのが本音だ。


 翼獣魔種の討伐という結果で、アリアへの期待は当然高まった。


 つまり、もし次にまた同じようなことが起こったとき、アリアに白羽の矢が立つ可能性は否定出来ない。だが、世の中上には上がいるのだ。それはまたレインについても然りであり、助けるにしても、今回と同じように上手く行くかは分からない。

 アリアの強さを認めていない訳ではない。しかし、自分ですら太刀打ち出来ない敵が現れたとしたら。ましてや立ち向かったアリアが負けるようなことがあれば。

 それは自分が巻き込んでしまったも同然なのではないか。


「……何かまだ信じられないわね。あんたがあの”漆黒の勇者“だなんて」

 

 レインがそんなことを考えていたとき、横に座るアリアが一人言のように呟いた。


「こんなに普通なのに、まるで勝てる気がしないし…………」

「…………あー…………」

 

 アリアの言葉にどう返すべきか迷うレイン。しかしアリアはそんなことは気にも留めず、いきなり膝を叩き、上を向いた。


「うん! こんなことで悩んでちゃ駄目よね。私がレインを守るんだから、強くならなくちゃ! ……だから、レインも私を守ってね?」

「あ…………あ、ああ」


 アリアはレインの方を見てそう言った。心なしか頬は赤い。思わずどぎまぎしながらレインは何とか頷く。


 ――俺はお前を守りたい。守れるようになりたい。だから……お前も俺を助けてくれ――。


 前に交わした二人の約束。共に互いを守るという、どこかむずがゆい、けれど大切な約束。


 ――どうするも何もない。俺が負けなければ、アリアを守りきれればいいだけの話だ。


 レインはアリアのはにかむような笑顔を見て、純粋に思った。


「というか……一応会話には気を付けてくれよ。うっかり大勢の前で言ったら…………」

「分かってるわよ。でも今はいいじゃない? ……二人きり……なんだし」

「……………………まあ、な」


 レインの内心の動揺を察したのかどうか、アリアはくすりと微笑む。わずかに体温が上がるのを自覚しながら、こういうところは敵わないな、とレインは思った。

 アリアはほんの少しだけ、レインに近付いて座り直した。

 

 心地よく感じるのはきっと日射しのせいだけではないと、レインは空を見ながら思った。


  ***


「ふあ…………」


 翌日――教室にて、いつものように机に体を伏しあくびをしていたレイン。休日はあっという間に過ぎ、再び今日から学園での授業が始まる。


 アリアは昨日の疲れもあったのか少し寝坊気味で、まだ教室には来ていない。

 遅刻はしないだろうが、さすがにそろそろ焦ってくる頃だろう。担任であるノルン教官の指導――本人は決して説教などとは言わない――は神器使いの強靭な精神をも打ち砕くほどの威力を持つが故、簡単には遅刻出来ないのだ。


 そんなことを考え、机に伏したまま時計をちらりと見た時、レインの横を金の輝きが通った。


 妙に懐かしいような感覚に捕らわれたレインが顔を上げれば、通ったのはアルスだった。


「ん、アルス。おはよう」


 その背中に声をかけると、アルスはゆっくりと振り向く。


「あ……おはよう、レイン君…………」


 一切の乱れのない金髪に、一片の曇りもない金の瞳。背はレインよりも低く顔立ちが幼いため、どこか中性的な印象を受ける少年――アルス・エルド=レイヴン。


 神王国ゴルジオンの王子であり、その名に恥じぬ力を持つ神器使いであるらしい少年は――しかし、どこかいつもと違っていた。


「久しぶりだな。……元気なさそうだけど、大丈夫か?」

「あー……うん、ちょっとね…………はは」


 アルスは力なく笑いながら言葉を濁した。


 翼獣魔種が出現した時、学園の神器使いの大半は王都での会合に参加していたらしい。アルスも当然〈フローライト〉にはおらず、アリアが討伐後に「せめてアルスがいればこんなことにはならなかったのに」と、愚痴のように嘆いていたのを思い出す。


 数日前には王都から戻ってきていたはずだが、会うのは随分と久しぶりだった。

 

「神騎士の会合だったんだろ? 何かあったのか?」


 レインの問いに、アルスは曖昧に言葉を返す。


「うーん……それもあるけど、どちらかと言えばその後の方が大変だったかな…………」

「後…………?」


 レインが首を傾げていると、アルスは気付いたように言った。


「あれ、そういえばアリアさんは?」

「ああ……ちょっと寝坊しかけてな。多分そろそろ来ると思うけど」

「アリアさんが寝坊なんて珍しいね。……ん? 何でレイン君がアリアさんの寝坊を知ってるの?」

「何でって、俺とアリアは一緒の……」


 と答えかけてレインは気付く。


 ――いや、それは今言ってよいことなのか? と。


 今学園で、レインとアリアが同じ部屋で暮らしているということを知るのはごく一部の人間だ。しかしもしこれが学園中に広まった場合どうなるか…………。


 最悪の想像にレインは青ざめた。


「どうしたの、レイン君? ……一緒の……ってまさか――」

「あ、そ、そうだ食堂! い、一緒の食堂でいつも朝に会ってたから、今日はいなくて寝坊かなって思ったんだって!」

「ああ、レイン君、女子寮で暮らすことになったんだっけ。色々大変だね」

「そ、そう! 本当に毎日大変でさ!」


 ははははーと笑いながら、レインは必死で内心の動揺を隠す。幸い、アルスに感づかれた様子はない。


 何とか誤魔化せたか……? とレインが安堵しかけた時。


 ガラッ! と教室の引き戸が開かれた。


「はあ、はあ……間に合った…………」


 そこにいたのはアリア。かなり息が切れており、全力で走ってきたのは疑いようがない。


「お、ぎりぎり間に合ったか。良かったな」


 ずんずんと歩いてきたアリアにレインが声をかけると、アリアは突然文句を言い始めた。


「もう、何で先に行くのよ! 起こしてくれたっていいじゃない!」

「は? いや、俺は起こしたって。お前があと五分、あと十分って寝続けただけだろ。記憶ないのか?」

「あったらこんなに疲れることもなかったわよ!」

「えー……。それ俺が怒られることじゃないし…………」


「…………」


 そんな二人の会話をアルスは黙って聞いていた。

 やがて、訝しげに。


「ねえ、二人ってさ…………」


「え? …………あ」

「あーっと、その…………」


 自分たちの失言に気付いた時には既に遅かった。


「一緒に暮ら」

「アリア、一時限目って何だっけ!?」

「た、確か神代史だったはずよ!」

「…………」


 二人の必死の抵抗は、もはや何の効果もなかった。


「……ふふっ、本当に大変だね、レイン君」


 そんなあからさまな二人を見て、アルスは笑った。もはや誤魔化しようもない。


「なるほどね。このことは皆には黙っておくよ」

「「…………お願いします……」」


 顔を赤くしながらそう言うことしか、二人には出来なかった。


  ***


「――こうして後に初代国王となるオリガ・エルド=レイヴンは、その神器を用いてゴルジオンの前身を創ったとされる。また、他にも彼は――」


 神代史の授業が始まり、担当の男性教官の声が教室に響く。今日の内容は神王国ゴルジオンの成り立ちについてらしい。


 教室内全てが見渡せるこの位置だが、一時限目ということもありさすがに寝ている者はいない。厳密にはレインのすぐ横の約一名の女子生徒は今すぐにでも落ちてしまいそうだが、教官も特に何かを言う気配はない。神器使いだからだろうか。


 そんなことを考えながら何気なく教室内をもう一度見渡すと、今度はあの金の輝きが目に飛び込んできた。


 いつものように真面目に授業を受けているように見える。だがそれでも、やはり今までにレインが見てきた少年とは何かが違っていた。


「なあ、アリア」

「ぅん…………。何よ、人がせっかく睡眠を確保しようとしてたのに…………」


 レインが声をかけると、アリアは眠そうに目を擦りつつ頭を上げた。思わずレインはため息を吐く。


「一応言っとくけど今授業中だからな…………。アルスのことなんだけどさ」

「……アルス? アルスがどうかしたの?」

「こう、元気がないっていうか……何か普段と違う気がするんだけど……」

「そう? 特に気付かなかったけど…………」


 アリアは起き上がってアルスを見た。すると合点がいったように頷く。


「ああ……確かに言われて見れば。多分、王都に行った時に会ってきたのね」

「会ってきた? 誰に?」


 レインの問いに、アリアは答えた。


「――神王国ゴルジオン現神王、ウルズ・エルド=レイヴンに、よ」

「…………なるほどな」


 答えはそれだけだったが、レインにもその意味は何となく理解出来た。


 この神王国ゴルジオンは、神王と呼ばれる絶対王によって統治されている。

 その実力は唯一無二と言われるほど強大で、特に現神王の力は歴代でも強力なものらしい。ごく一部では、”漆黒の勇者“の正体は即位前の現神王だったのではないかと噂されているほどだ。


 当然、王子であるアルスならば王になる可能性だって十分に考えられる。継承権は第三位と言っていたが、それでも何が起こるか分からないのがこの世界の常識だ。


 謁見やら諸々の責務やら、やらなければならないことはいくらでもあるのだろう。今回の会合へ参加した際には神王に会ってきたということか。であるならば、心労は相当なものだろうとレインは納得した。


「何か……あいつ、人にはいつも優しいけど、本当は自分が一番辛いんじゃないかな…………」


 そしてふと、そんなことを思った。

 アリアは静かに呟いた。


「……まあ、私たちには分からないことなのかもね。王子っていう立場の重圧は」


 ともすれば投げやりなアリアの言葉だが、内心で深く心配しているのがレインには分かった。


 レイン自身、まだまだアルスをよく知っている訳ではない。しかしそれでも彼を深く心配してしまうのは何故なんだろうと、レインは思う。

 だが、だからといってそれは、心配してはいけないという理由にはならないとも思った。


 アルスの小さな背中は、まるで何かに押し潰されているかのように弱々しかった。

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