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5─5 悪魔と勇者

「レイン…………どこ…………?」


 アリアは座り込みながら、呆然と辺りを見回した。


 神騎士であるアリアが全力で放った一撃によって、辺りはまるで地獄のような様相を成していた。限界を超えた“神之焔ブレイズ”の焔は凄まじく、水蒸気や煙、土埃が舞い、あまりの熱故に普通の人間ならば立っていることすら出来ないだろう。

 炎熱操作を持つアリアだからこそこうしていられるが、何も力を持たなければあるのは死だけだ。


 まるで灼熱地獄と化した戦場には、誰一人・・・いなかった。


 翼獣魔種も、わずかに残っていた下位級ロウの悪魔たちも――あの少年も。アリアが放った一撃は、文字通り全てを燃やし尽くした。


 こうなる可能性を考えていなかった訳ではない。もしかしたらレインですら耐えられないかもしれないと、心の中で思っていた。

 しかしそれでもアリアは憂慮を押し殺してこの一撃を放った。


 きっと“漆黒の勇者”ならば、何とかする手立てがあるのだろう、と思って。


 しかし今ここに、あの黒い姿はない。


「嘘……。だって…………大丈夫って言ってたじゃない……」


 自分で言っていたではないか。俺のことは気にするな、と。自分に出来ることをやれ、と。だからこそ、レインを信じてアリアは全力を放ったのに。


 その結末が――レイン自身も犠牲にしての勝利だなんて、認めない。


「何が自分に出来ることをやれ、よ……。あんただって……あんただって、自分に出来ることをしなさいよ!」


 レインの顔が思い浮かぶ。いつも飄飄としていたあの少年が、こんなに簡単にいなくなる訳が無い。きっと今だって、ひょっこり後ろから話しかけてくるに違いない。


 そんなことは有り得ない、という理性の声をアリアは必死に消す。


「“漆黒の勇者”なんでしょ!? だったら私の攻撃くらい、簡単にはねのけてみせなさいよ! 出来ないはずないんだから!」 


 思い浮かぶレインの顔はどれも笑顔だった。苦笑されたり、呆れられたり、ぶっきらぼうに突き放されたりもしたけれど、それでも脳裏に蘇るのは、必ず笑顔だった。


 いつしかアリアはまた泣いていた。

 子供のように叫びながら、泣いていた。


「だって……まだ、あんたと何も出来てない……まだ…………何も…………」


 今まで、ほんの短い時間しか過ごしていない。

 まだまだ話したいことはある。聞きたいことがある。一緒にいたいと今でも思う。また笑ってほしいと心から願う。


 ――また会いたいと思う。


 だから……。


「レイン……お願い……返事をして…………っ」


 泣きじゃくりながらアリアが言った時。

 じゃりっ、と。

 背後で何かが立つ音がした。


「…………! レイン…………!」


 思わずアリアは振り返って――それを見た。

 

 しかし。

 アリアから離れた位置で立ち上がったのはレインではなく。

 

「ハハ……ハ……! 馬鹿ガ……ッ、コノ程度デ我ガ……死ヌカアァァッ!!」


 ハハハァ! と狂ったように笑う――翼獣魔種。

 災厄の化身が立っていた。


「な……んで…………」


「魔素再生ヲモウ使エナイト踏ンダノダロウガ甘イナァ! マダマダ我ハ死ナンゾオォ!!」


 途端、翼獣魔種を光が包む。光が収まった時には、翼獣魔種の傷は完全に癒えていた。


 まさに悪魔。箍が外れたように笑う翼獣魔種は、あの時と同じ――否、それ以上の絶望をアリアに与えた。

 

 ここまでしてもまだ倒せない。アリアの全力を、そして“漆黒の勇者”の命を以てしてなお。


 突きつけられた事実がアリアの心を折るのは簡単だった。


「随分ト手間取ラセテクレタナ……。モウ体モ限界ダ……ハハハ」


 翼獣魔種はゆっくりと右手をアリアに向ける。異様に細い指が広げられ、どこか不気味なオブジェのようなそれの先に、灰色がかった球体が生まれた。


「サア、終ワリニシヨウ。セッカクダ、微塵モ残サズ一思イニ殺シテヤル」


 翼獣魔種は自らの特異体質によって、手の中央に魔素を集める。小さかった球はあっという間に大きくなり、ついには人の頭ほどにまで成長した。


 魔素を凝縮して創られた純粋なエネルギーの塊。

 どれだけの破壊力を持つのかは言うまでもなかった。ぱち、ぱち、と時々爆ぜるような音を立てるそれを一度解き放てば、この辺り一帯が今度こそ完全な更地になるだろう。


「“漆黒の勇者”ノ後ヲ追ッテ死ネルコトヲ光栄二思エ、人間ヨ」

「…………」


 悪魔の言葉を聞いても、もはやアリアは何とも思わなかった。

 いや、何も思えなかった。“漆黒の勇者”を失った時点で、アリアの心は抗うことを放棄していた。


「デハ、サラバダ。〈絶望の産声ボルヌ・ディスペア〉」


 ついに絶望は放たれた。


 確実な死が迫ってきている。事実は認識していても、アリアは動かない。動く気力すら無い。動いたとしても、凄まじい威力を持つであろう球体に抗う術はない。

 これこそが正しく絶望なのだろう。“漆黒の勇者”という望みを絶たれたアリアに出来ることは何一つなかった。

 

 ――もういい。あいつがいないなら、私は……。


 そんなことさえ、アリアは思った。


 たった一つの目標であり、憧れだった彼が負けた今、アリアには生きる意味すら無くなった。別に誰に必要とされている訳でもない。きっと王国や学園は、他の優秀な神騎士が守ってくれるだろう。


 いなくなろう。この世から、きれいさっぱりと。木端微塵にしてくれるというのなら、むしろ願ったり叶ったりだ。


 ……でも。

 もし最後に何かを望むとしたら、一つだけ。


「レイン…………」


 会いたい。彼に、最後に一度だけ。それが叶わぬ願いと知りつつも、アリアは願った。最後の一滴の涙が零れた。


「レイン……私は…………」


 滲んだ視界。灰色がかった球体が近付いて来る。もう猶予はない。あと少しで自分は。

 死――。


「死なせない」


 不意に聞こえた声。


「…………え……?」


 アリアは自分の耳を疑った。有り得ないと心の中で叫んだ。

 しかしそんなアリアの叫びを否定するかのように。

 滲んだ視界の中に、黒い姿が映った。


「――何があっても絶対に、お前を死なせない」


 “漆黒の勇者”が、そこに立っていた。


「何……ダト!? 貴様、一体ドコカラ――!?」


 翼獣魔種が信じられないというように叫ぶ。しかし、やがて気付いたように大きく笑った。


「ハ……ハハ、コノ愚カ者ガ! モウドウダッテイイ、二人マトメテ消エロォ!!」


 ――そう。いずれにしろ、問題無いということに。


 このままでは結局何も変わらない。レインがどこから現れようが、二人一緒に死ぬだけだ。


「レイン…………っ」

「心配すんな。絶対に死なせないって言ったろ?」


 それでも悠然と、レインは絶望を前にして立つ。


「俺は今度こそ、守ってみせる」


 そして、その漆黒の神器を絶望へと向けた。


  ***


 もう迷いなどない。自らに迫る絶望を具現したかのような球体を見ながら、レインはただ後ろのアリアのことを想った。


 まだ本当にわずかな時間しか過ごしていない。だというのに、いつの間にかもっと一緒にいたいと思っている。笑ってほしいと願っている。生きていてほしいと心から望んでいる。


 だからこそ、レインは剣を絶望へと向けた。


「『消えろ』……。お前はそう言ったな、翼獣魔種」


 迫る絶望。圧倒的な破壊力を持つ球体。当たればあるのは死――。


 たかがそんなもので・・・・・・・・・消えろ・・・


 くだらない。レインはそう切り捨てる。


「それはそんなに簡単に言えるものじゃない。背負うものの重さが、失うものの大きさがお前に分かるか?」


 レインには分かる。幾度となく経験して悟ったのだ。消すということがどういうことなのか、何を表すのか。


 それはつまり覚悟だ。消した何かを全て背負える覚悟。どんな物だろうと、或いは何かであろうと、業を受けとめ前を向き続ける覚悟。レインが常に求め、希う覚悟。


 故にレインは剣を振るう。求める覚悟を自覚するために。

 ――全てを背負える強さを得るために。


 神器〈タナトス〉を、漆黒が包んだ。


  ***


「あれ……は…………」

 レインの神器〈タナトス〉を覆った輝き――否、純黒をアリアは見たことがある。 


 それはあの試合の時。壊放オーバーフローした〈ヘスティア〉の一撃が放たれた時だ。


 あの時〈ヘスティア〉の一撃は――。


「全てを喰らえ、〈タナトス〉」


 レインが呟くと、その闇はさらに密度を増す。質量を持つが如く濃い闇が〈タナトス〉を完全に覆った。


「この体で、この力で俺は全てを失った。だから願うんだ。今後こそ守りたい。あの時願ったことを――」


 漆黒のコートがはためいた。蠢く濃密な闇はレインの腕を半分ほど呑み込んでいる。荒れ狂う闇のエネルギーを受けながら、それでもレインは神器を構えた。


 レインはただ、守るためにここにいるのだ。


「下ラン御託ハソコマデダ! サッサト死ネェ!」


 翼獣魔種が叫ぶ。絶望は既に、すぐレインの目の前だった。

 それでもレインは微動だにしなかった。


それ・・がアリアの絶望なら。俺が守りたい者の希望を絶つなら――俺は、その絶望を消してみせる」


「―――っ」


 そして。

 絶望がレインに直撃する瞬間。


「神能――“虚無エンプティ”」


 神器が閃いた。


「〈絶望の終焉エンドオブディスペア〉」


 剣が絶望を絶ち。

 絶望は・・・一瞬で消え失せた・・・・・・・・


「ナ―――」


 秘められた膨大な破壊力を解放することなく、絶望は冗談のようにどこかへと消え失せた。


 神器〈タナトス〉の神能――”虚無“。

 触れたエネルギー、さらに神能ですらも完全に消去する・・・・・・・力。

 そして、同時に。


「諦めろ――お前は俺には勝てない」


 レインはいつの間にか、翼獣魔種の前に立っていた。

 神器〈タナトス〉は燃えるような赤と暴れるような灰を、刀身に宿していた。


「馬鹿ナ、ソノ剣ハ…………!」


 ”虚無“によって消去されたものは、エネルギーとして〈タナトス〉自身に蓄積される。先程の絶望、それにアリアの”神之焔“を防ぐことによって蓄積されたエネルギーは、翼獣魔種を滅するには十分だ。


 魔素再生の限界は、供給される魔素の限界、或いは術者の限界だ。しかしそれ以前に。


「――魔素再生をするより早く殺せばいい。意識も何も無くなるほど木端微塵に、な」


 魔素再生をさせないほど一瞬で殺せばいい。至極当然の事実だった。


「言っただろ。お前じゃ”漆黒の勇者“には傷すらつけられない」


 凄まじいエネルギーを纏った〈タナトス〉をレインは大きく引いた。優雅な、淀みのない破壊の前兆だ。


「お前は俺の大切なものを消そうとした。なら俺は、そうしようとする一切の害悪を消してやる。何があろうと、絶対に」


 〈タナトス〉から溢れでるエネルギーがばちばちと音を立てた。今にも爆ぜてしまいそうなそれをレインは一層深く引き――。


「ヤ……ヤメ――!」


「彼の害悪を無へと還せ、神よ。――〈滅消の一撃ラストワン〉」


 翼獣魔種の胸を、〈タナトス〉が貫いた。


 一度、剣は瞬き。

 直後、膨大なエネルギーが放出された。


「グ……オ……ア、アアアアアア」

 

 暴れ狂うエネルギーの奔流が翼獣魔種を呑み込み――。

 叫び終えるよりも早く、翼獣魔種はこの世から一片も残らず消滅した。


  ***


「ふぅーっ…………」


 一度大きく息を吐いてから、レインは“力”を解く。


「〈制限施行リミットオン〉」


 呟くと、全身を包んでいた黒い衣はたちどころに消え、もとの制服姿に戻る。幾分窮屈な気もするが、あの姿で帰る訳にはいくまい。自分から正体をバラしているようなものだ。


 もっとも――。


「あんたが…………“漆黒の勇者”の正体なの…………?」


 レインが振り向いた先には、アリアがいた。


 ――彼女にはもう隠しだて出来ない。全てを見られたのだから、仕方がないだろう。


「…………ああ。そう呼ばれたこともある」

「…………!」


 アリアの表情が強張る。


 それを見てレインは確信した。


 ――もう一緒にはいられないな、と。


 “漆黒の勇者”の正体は今まで誰にも――唯一の例外を除き――知られていなかった。しかし正体が公になれば、とても普通に生活することは出来ないだろう。王国の民が“漆黒の勇者”に持つのは、必ずしも感謝の念とは限らない。


 そしてそれはつまり、学園から去ることを意味する。


 せっかく推薦をしてくれたミコトから。最初こそ距離は遠かったものの受け入れてくれた生徒たちから。厳しくも優しい教官たちから。


 ――いつの間にか隣にいてくれた、アリアから。


「…………」


 レインは無言のまま、アリアに背を向けた。

 自分は王国に戻ることすら出来ないのだ。


 だが幸い、公域を真っ直ぐ行けば比較的近い位置に国がある。そこまで行くことが出来れば、何とかなるだろう。


「……じゃあな」


 短く別れの挨拶をして歩き出そうとした時――。

 トン、と背中に軽い衝撃を感じた。


「え…………?」


 アリアがレインの背中に抱きついていた。


「何で…………」


 震える声でアリアは言う。


「何で……何で言ってくれなかったのよ!」


 アリアはまた、泣いていた。


「アリア…………」

「ずっと探してた……。いつか絶対に会って助けるんだって……! それなのに……もう行っちゃうの……っ?」

「…………」


 ――行きたくない。行きたい訳がないと、レインは思った。しかし、そうすることは出来ないのだ。


「…………俺は勇者なんかじゃない。多分、お前が思ってるほど立派な人間じゃないよ。俺の近くにいればお前だって危ないんだ」


 “漆黒の勇者”を狙っているのは何も悪魔だけではない。王国内にだって陰で憎んでいる者もいるだろう。レインには心当たりがある。

 だからこそ自分の近くに誰かがいるのは、ましてや自分が“漆黒の勇者”だと分かっている状態にあるのは危険なのだ。


「俺のことは――忘れろ。翼獣魔種との戦いで死んだことにすればいい。ミコトさんなら誤魔化してくれるはずだ」

「…………ぃや」

「俺はもう行くよ。見られてはないと思うけど、念のため――」


「――嫌!」


 最初は弱く、しかし強く。アリアはレインの背中に顔を押し付けた。


「……駄目だ。俺はお前と一緒にはいられない」


 それでもレインはアリアを拒む。そうしたくなくても、そうしなければいけないから。


「嫌だよ……せっかく会えたのに、こんなの……っ。あの時、始めて誰かに守ってもらえたのに、またいなくなるなんて……!」

「でも――」


 と、レインが言おうとした時。


「私が……あんたを守る……! そう、決めたんだから!」


「…………!」


 アリアの一言に、レインは息を呑んだ。

 

「約束、したでしょ…………?」

「え…………」

「何でも、私のお願いを聞くって…………」

「…………あ……」


 それはアリアとの約束。

 出発する前にした約束。


 アリアは腕を解き、レインの後ろで顔を見せないまま言った。


「私を…………これからも、守って…………っ」


「―――っ!」

 

 今度こそレインは言葉を失った。


 ――何度、守りたいと思ってきたのだろう。

 自分が守りたいと思った人を。ものを。或いは実在しない何かを。

 それでも、自分には出来なかった。納得出来た終わり方なんて一つもなかった。いつも必ず何かを失って、後悔した。

 きっとまた――。


「……俺には―――」


「私も守るから!」


「…………!?」


 唐突なアリアの言葉に遮られ、レインは驚く。

 そんなレインの心に追い縋るようにアリアは言った。


「私もあんたを助けるから! あんたがなくした何かも、なくしそうになるものも全部守れるように! だから……だから――!」


「…………」

 

 そんな、アリアの願いを聞いて。


 無言で――レインは歩き出した。


「俺は…………お前は守ると約束出来ない」


 何もなくなった土の上を一歩、また一歩と。

 アリアは俯き、顔を歪める。


「……レイン…………っ」


「でも」


 レインは止まった。


 アリアを守るとは約束出来ない。自分の力では、まだまだそんなことは言えない。もしかしたらまた、失敗してしまうのかもしれない。

 けれど…………。


「―――約束は守んなきゃな」


 レインは振り返り、そして――笑った。


「俺はお前を守りたい。守れるようになりたい。だから……お前も俺を助けてくれ」


「……………………っ!」


 もう何も言えなくなったようにアリアは。


 もう一度、レインに抱きついた。


「レイン……レイン…………っ!」

「ん、分かったって。もうどこにも行かないよ」

「レイン……っ」

「…………」


 顔をうずめて繰り返すアリアの頭を、レインは撫でた。


「ぁ………………」


 やり方など分からなかったが、ゆっくりと、ゆっくりと撫でた。絹のように美しい髪が光り、レインすらも癒やすようだった。


「レイン…………」

「…………うん」


 何もなくなった地面の上で、何にも邪魔されることなく。


 いつまでも、いつまでも――。


 ――いつまでも二人はそうしていた。

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