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1─1 赤と黒、その出会いは偶然か

「はあ……はあ……ッ!」


 少年は走っていた。

 いや、正確には逃げていた。まるでどこかの大街道のようにやけに広い廊下を、全力で。


 上質な絨毯が、踏み出す足と体重を支えてわずかに反発する。普段なら歩き心地の良い廊下なのだろうが、今の少年の状況からすれば、走りにくく疲れやすいことこの上なかった。

 男としては少し長めの黒髪が鬱陶しい。とはいえ一思いに切ってしまうのも躊躇われる。まさかこんな時に邪魔になるとは思ってもいなかった。


 そもそも本当は追われる理由なんてないのに――と言っても遅いことは明白だ。今捕まれば、どんな目に遭うか分かったものではない。

 しかし少年は、既にかなりの距離を走っていた。追っ手は大分引き離したはずと走りながらも振り向けば。


「待ちなさいこの変態!」

「下着ドロよ! 捕まえて!」

「簡単には逃がさないんだから!」

「……いや何で増えてんだよ!?」


 追っ手――制服を着て、腰に剣を吊った少女たちの姿が、少年の黒い瞳に映っていた。その数は減るどころか異常な増加を見せている。


「何で……っ、こんなことに…………!」


 思わずそう嘆きながら、少年は数分前の出来事を思い出す――。


  ***


「ほえー……。でかいなあ……」


 巨大な校門。威圧感すら受ける大きさの石柱を前に、少年――レインは一人呟いた。

 しかしその言葉は、眼前の校門に向けられたものではない。


「ここが神騎士学園……」


 “神騎士学園ディバインスクール”。レインの視界の遥か先にありながら、しかし圧倒的な存在感を放つ巨大な建造物がそこにはあった。



 神王国ゴルジオン。領土の広さと軍事力の大きさから、武装大国とも言われる王国である。

 そしてここは、そんな大国の中にある都市の一つ、〈フローライト〉。


 国は、王都を中心に東西南北あらゆる方向に広がっている。


 領土はおよそ正方形を描く高い塀、“神壁”によって囲まれており、人間ではないとある外敵・・・・・に対する防御壁として役目を果たしている。同時に、豊かな大国の侵略を狙う他国にとっても厄介な障害であり、ゴルジオンが武装大国と言われる一因となっていた。


 王国内は、各神壁の中点同士を結ぶ十字の大街道によって区分けされ、大街道の交点部分に円形の塀、“王壁”を持つ王都が存在する。〈フローライト〉は十字で分けられた内の北西、第二街区と呼ばれる地域に属していた。


 距離は王都とそれほど、というかほとんど離れていない。それ故に栄え、活気に満ちた街である。第二街区内の街と王都とを繋ぐ役割もあり、多くの人々が集まる重要な街だった。

 だが、この〈フローライト〉が重要視されるのは、王都に近いからではない。むしろもう一つの理由の方が大きかった。

 “神騎士学園”が存在するからである。


 それぞれの街区に一つずつある神騎士学園は、神王国ゴルジオンにとっての、いや、世界にとっての希望だ。



 レインはここ、第二神騎士学園……通称〈フローライト〉――単純に都市〈フローライト〉にあることからこう呼ばれる――に入学することとなったのだが。


「広い……。本校舎が遠い……」


 神騎士学園とは、国が直々に造った数少ない国立学園である。従って財政事情としては普通の学校とは比べられないほど豊かであり、学園の広さにも羽振りのよさが表れていた。  

 学園の敷地内には本校舎や校庭だけでなく、闘技場や実験場、生徒の寮までもが存在する。必然、学園の敷地面積は膨大なものとなり、レインを苦しめていた。


 ――そんな時。


「……ん?」


 レインはすぐ先の地面に、キラリと光る物が落ちているのを見つけた。


「これ……鍵か……?」


 拾ってみれば、持ち手部分は円形で、そこから伸びる長方形のパーツにランダムな歯形が生えており、確かに鍵と思える外見だった。三桁の数字があるところを見れば、どこかの部屋の鍵だろうか。

 『女 303』と書かれた比較的新しそうな鍵を手にレインは立ち止まる。

 真っ直ぐ行けば本校舎、左に行けば女子寮だったはずだ。


「…………」


 三秒ほど考えてから、レインは足を左に向けた。



 三分後。

 女子寮の前に立ったレインは再び呆然としていた。

 ――大きい。かなり立派な建物だ。派手に装飾されて美しくそびえ、まるで城のようにレインは感じた。


 中に入ってみるが、特に寮母さんのような人は見当たらない。

 朝のまだ授業も始まっていない時間だ。生徒もいるのかも知れないが、少なくともここから見える廊下には誰もいない。 

 どうすればいいのか少し迷った後、レインは鍵にある部屋番号の部屋を探すことにした。


 さらに一分後、レインは目指した部屋の前に着いた。三階だったが、玄関付近の中央階段からはさほど離れていなかったのだ。

 ドアを軽くノックしてみるが、返事はない。


「すみませーん」


 話しかけてみても反応はない。もう既にいないのだろうか。鍵はここにあるため、それも考えづらいのだが……。


 レインにも用事がある。時間を無駄に使うこともないだろうと、やむを得ず鍵だけを置いていくことにした。本来はこの寮の責任者に渡すべきなのだろうが、生憎その責任者がどこにいるかも分からない以上、部屋の持ち主に渡すのが一番だろう。

 しかし、いくら何でも部屋の前にただ残していくのも不用心だ。寮の中とはいえ誰が何をするか分からない――と、自身が女子寮に無断で侵入していることにも気付かずレインは判断した。


「中に置くか……」


 ドアノブを捻ってみれば、幸い、と言っていいかは分からないが鍵はかかっていなかった。

 少し悪い気分だが、仕方ないと自分に言い聞かせ、静かにドアを開けて顔だけを入れる。灯りはついていないようで、中は薄暗かった。


「すみませーん……」


 さっきよりも小さい声で断りつつ鍵だけを玄関に置こうとして――。


「――え?」


 ――そこに人がいた。


 一番に目に入るのは赤い髪。流れる絹のように美しく、何故か濡れた髪が、レインの目を引き寄せた。薄暗い部屋の中でも色褪せることなく輝き、心地よい光を辺りにふりまく。

 瞳さえもが赤く、わずかに上気しほんのりと染まった頬と相まって、言葉を失ってしまうほどに美しい。滑らかな肌からは水滴が流れ落ちる。


 そんな少女が、白い布――恐らくバスタオルだけを身に纏って立っていた。


 純白の衣装は、起伏の激しい美しいシルエットを描いていた。大きく膨らんだ胸に、引き締まった肢体。油断していたのか、今にもバスタオルがはだけてしまいそうだった。


「ぁ…………」


 まるで、突然現れた女神のような。


 あまりに魅力的な姿に、レインは何も言えずに見つめることしか出来なかった。正常な判断力すら失い、自分が今どんな行為をしているのかも分からない。


「な……な……?」


 思考停止するレインの容赦のない視線を受け、少女の顔が薄暗い中でもはっきりと分かるほどに真っ赤になった。

 大きく息を吸って――。


「……きゃあああああああ!!」

「……ッ!?」


 可愛らしい少女の叫びで、レインはやっと我に返った。


「す、すみませんでしたあっ!?」


 鍵だけを置いて即座にドアを閉め、逃げるように階段へ。同時に自分が何をしていたのか、どういう事態かに気付き、冷や汗が吹き出す。


 このままでは――もしかすれば、いや間違いなく痴漢案件。


 一瞬にしてレインの脳内を痴漢という単語が埋め尽くした。同時に冤罪という言葉も浮かぶが、状況証拠から察すれば間違いなく自分に有罪判決が出る。

 脳内略式裁判による自己判断では、レインは死んだ。


 ここで逃げたりしたらまして疑われることになる。ならば怒られるのを覚悟で謝りに行くべきか――。

 

 死への恐怖がレインの足を止め、冷静になる時間を与えた。

 階段の手すりに手をかけたまま、恐る恐る振り向いてみる。が、追ってくる人影はなかった。


 ――もしかしたら、それほど怒ってない……かもしれない。謝れば許してもらえる可能性も…………。


 理性を取り戻したレインはそう判断した。

 レインの判断自体は間違いではなかっただろう。「相手は怒っていない」という推測が間違っていなければ、だが。


 部屋に向かって歩こうとしたレイン。だが同時に、ドアがバカン! と蹴破らんほどの勢いで開けられた。


「え……?」


 現れたのは、制服を身に纏ったあの少女。腰には確かに上質だと分かる剣を吊っている。


 ――そして、凄まじい怒気を放っていた。


「観念しなさいこの痴漢。捕まえて憲兵に……いや、私自らが刑に処してあげるわ」


 まるで燃え盛る炎のような少女のあまりの迫力に、レインの「謝るべき」という意思は粉々に砕け散った。


「すみませんでしたッ!!」


 言うが早いか、レインは即座に反転して階段を下ろうとする。

 しかし。


「さっきの悲鳴は!? 痴漢!?」

「分からない。けど行かなきゃ――」

「階段を固めて! 私たちは上を見てくる!」


 階段の下から、複数の女子の声が聞こえてきた。数は決して少なくない。


「ちっ……」


 ――さっきの悲鳴が階下にも聞こえていたのだ。今の時間帯、寮にはまだかなりの人数が残っているだろう。もし寮全体に響いていたとすれば、絶望的なほどの人が集まるのは想像に難くない。


「簡単には逃がさないわよ、変態」

「変態じゃないし!? さっきのは誤解――」

「言い訳は聞かないわ。大人しく投降しなさい」


 やはり話は聞いてくれないらしい。だが、だからと言って捕まればどうなるかなど分からない。最悪、死――。


「くそっ」


 ――今は逃げるしかない。まだそこまで人は集まっていないし、今ならとりあえず逃げ切れる可能性がある。


 即断したレインは、階段ではなく赤髪の少女とは反対側に伸びる廊下へ走り出した。


「待ちなさい!」


 当然、レインを追うように少女も駆けてくる。だがレインには勝算があった。もともと身体能力には自信があるし、逃げ切るだけなら十分可能だ。


 だが――。


 いくら走っても、少女との距離は離れない。それどころか、徐々に合流しつつある他の女子によって、大集団が形成されつつあった。

 その理由を、レインは遅まきながら悟る。


 すなわち――この学園の生徒は、全員が神騎士ディバインを目指すエリートなのだということを。


 神器や聖具を用いて国を守る、人智を超えた存在の騎士。それが神騎士である。

 高い身体能力と魔法適性を持ち、一人で一つの軍に匹敵するほどの力を持つという一騎当千の騎士だ。神騎士学園とはその名の通り、神騎士を育成するための学園である。


 この女子寮にいるということは、追いかけてくる彼女ら全員が〈フローライト〉の生徒であるということに他ならない。当然、神騎士の候補である神騎士学園の生徒ならば、然るべき身体能力を持っていても不思議ではないのだ。

 そのことをレインは完全に失念していた。


 このままでは逃げ切ることすら危うい。多勢に無勢、数の利は明らかにあちらにある。


 しかし、どう動こうかなどと迷っている暇はなかった。


「総員――抜剣用意!」

「はあっ!?」


 赤髪の少女の何やら物騒な声が聞こえてきたのだ。

 直後。


「――抜剣!」


 抗議など出来るはずもなかった。走るレインの後ろで、剣たちは解き放たれる。


 閃光――。


「っ……!?」


 直接見ている訳でもないというのに、視界が一瞬白に染まった。


 そして、光がおさまった頃に振り向けば。


 そこにあるのは、神々しい輝き。

 聖具――神器を元に、量産できるように開発された武器だ。しかしそうは言っても威力は十分に既存の武器を凌駕する。使用することすら並の者には許されない、力の象徴。

 一本でも強力な聖具が、ここに十数本も。


「嘘だろ……? こんなのあり得な――」


「「〈移動不可アンチブロード〉」」

「ッ……!?」


 愕然とするレインの足下に、小さな魔方陣が無数に展開された。


 魔法。

 自然には起こり得ない、超常の現象を引き起こすすべだ。


 床を埋め尽くすように展開された魔方陣に足を踏み入れれば、途端に移動を封じられる。今動きを止められれば、あるのは捕縛、後に……刑。


 ――それだけは勘弁してくれ!


 故にレインは尋常ならざる反射神経で魔方陣の全てをかわす。


 普通ならかわせるはずがない。しかしレインは危なげではありつつも、魔方陣だけには足をつかずに走り続ける。


「な……! まだだ、第二波用意!」


 しかし必死の抵抗虚しく、少女たちは再び術式を唱えようとしていた。


 これではキリがない。例え今はかわせても、次をかわしきれる確証などあるはずもなく。黙っていれば負けるのはレインだ。


「……それなら――」


 レインは走る方向をわずかに変えた。向かう先にあるのはバルコニー。


 だが当然バルコニーに出てしまえば、他に逃げる道はなくなる。そのことを分かっているからこそ、少女たちは戸惑う素振りを見せた。しかしだとしても追わない理由はない。

 レインがバルコニーへ出るのを確かに確認してから、少女たちも整然とした動きで、淀むことなくバルコニーへと出た。


 バルコニーの手すりを背にしたレインは、どこからどうみても追い詰められていた。


「さあ、もう逃げられないわよ変態。何を考えたのか分からないけど、自分で自分の首を絞めたわね」

「だから俺は変態じゃないっての! ただの誤解なのに――」


 いくらレインが言っても、少女は警戒を解かない。むしろ、レインが何かを言う度に警戒を強める。


 口で言っても伝わらないのなら今この場での説明は無意味だ。ひとまず時間を置き、後で誤解を解くようにもう一度話す必要がある。少なくともここで捕まってしまえば、そんな時間も与えられないだろう。


 だからこそ、逃げるためにレインはここへ来たのだ。


「申し訳ないけど、今だけは逃げさせてくれ。後でちゃんと説明するから」

「逃げる? 一体どうやって?」


 赤髪の少女は嘲るように言った。レインの周りは完全に少女たちが囲んでおり、逃げられるような隙はない。


「……じゃあ、また後で」


 唯一レインが逃げられるのは。


 レインはバルコニーの手すりに手をかけた。

 そこで赤髪の少女はレインの真意に気付く。


「! まさか――!」


 しかしレインに対して少女が何かするより早く、レインは体を投げ出した。


 ――唯一空いている背後、宙へと。


「!?」


 少女たちが固まる中、レインは重力に従い落下する。


 レインは外からこの寮を見たときに気付いていた。各階のバルコニーの下には同じようなバルコニーが存在することに。

 ならば、そこへの着地も可能。そう踏んで、バルコニーから飛び降りたのだ。


 下を向けば、すぐそこに足場があるのが見えた。しかし問題が一つ。


 発想自体は良かった。いや、事実着地は可能だったのだ。

 しかし今、レインが着地を予定していた二階のバルコニーには何やら白い物が大量に置いてあった。それだけが、レインの不幸であった点だ。


「くっ!?」


 レインは抗うことも出来ずそこに着地する。途端に、ボフッ! と白い何かが盛大に舞った。

 どうやら固いものではなかったらしい。むしろ軽くて柔らかい何かだ。


「布…………?」


 その内の一つを手に取って――レインは知る。

 そこそこに小さい布のパーツを紐で繋いだような、これらの布の正体に。


「これ……下、着…………」


 洗濯物だったのかも知れない。周りの山の布は、全て同じような形状をしていた。中には下半身用の下着もちらほらと見える。


 レインの頭が沸騰しかけ――しかし直後真っ白になった。何故なら。


 女子の下着の上に座り込むレインの目の前には、これらを干していたと思しき少女がいた。

 突如現れた謎の男に、少女の目は大きく開かれ――。


「きゃあああああああ!!!」

「うわあああすみませんでしたっ!!」


 レインは立ち上がり、素早く脱出しようとする。逃げ切らなければ、せっかく危険を冒してバルコニーから飛び降りた意味がない。しかし、


「どうしたの!? 下着ドロ!?」

「なになに、何かあったの!?」

「誰か人を呼べ! 何やら騒がしい!」


 あっという間に人が集まってくる。手をこまねいていれば、また包囲されるだろう。もう一度バルコニーから飛び降りることも考えたが、恐らく少女たちとの差はほとんど開かない。本校舎まで走っている内に先に自分の体力が尽きる危険もある。


 もう少し寮の中で鬼ごっこをするしかない。幸いにも寮は広く、廊下では数の利もそこまで大きく影響しないはずだ。細かく曲がって魔法を避け続ければ何とかなるだろう。


 決心したレインは、まださっきよりも人数的に少ない少女たちに向かい、走りだした。


「剣を抜け! 油断するなよ!」


 聖具が抜かれ、光が辺りを支配する。

 しかしレインは動じず少女たちに向かう。


「抜かせるな! 私たちで壁を……――!?」


 物理的に壁を作りレインの進路を塞ごうとした少女たち。だが、もはや遅かった。


「……? 足が……っ?」


 足下に展開されているのは、無数の小さな魔方陣。そこから飛び出した半透明な鎖が、少女たちの足を縛っていた。


 レインが仕掛けた・・・・・・・・魔法〈移動不可〉だ。


「馬鹿な、一体いつ――」

「悪い、事情は後で!」


 少女たちが動きを止めた隙に、レインは一瞬で横を走り過ぎた。

 だが。


「いたわ! 二階よ!」


 第一陣の少女たちは、既にレインに追い付いていた。


「早っ……! くそっ!」


 仕方なくレインは再び寮の廊下をひた走る――。


  ***


 ――こうして今に至る。レインはただひたすら逃げることしか出来ない。


 確かにレインにも至らない点はあっただろう。というかレインのせいでこんな状況になっていると言っても過言ではないのだが、レインからは、大人しく捕まるという選択肢はもはやなくなっていた。


「何とかして……逃げ切ってやる……!」


 半ば意地でレインは走る。

 レインはただ無闇に走っていた訳ではない。あえて違うルートを通ることで情報を得て、全てを脳内で再構築していた。今までに走った廊下の位置関係から、大まかな寮の内部構造を把握していたのだ。

 誰にも気付かれぬように、ある策を仕掛けるために。


 今、それを実行する。


 瞬間的に走る速度を上げ、角を曲がる。曲がった先の廊下にあるのは、前もって確かめておいた、物置代わりの空き部屋だ。少女たちがまだ角を曲がっていないことを確認してそこに入る。


「ふうーっ……」


 息を整えつつ、策の最後の仕掛けを終える。

 失敗すれば今度こそ逃げ場はない。これが最後の賭けだ。


「あれ? あの変態は?」

「どこかの部屋に入ったんじゃない?」

「となると……」


 ドア越しの少女たちの声が聞こえる。もちろん、少女たちも気付くはずだ。もし逃げ込むとすればこの部屋しかないことに。


「今度こそ追い詰めた。……けど、何か仕掛けてあるかも知れないから気を付けて」

「ああ。……入るぞ。せーのっ!」


 バン! と勢いよくドアが開かれた。


「……あれ?」


 しかし、開いたドアの先には誰もいなかった。

 

 元より物置代わりなので、中はかなりの物で溢れかえっており人が身を隠せるようなスペースはない。唯一あるとすれば部屋の手前の何もない空間なのだが、そこには誰もいなかった。


「えー? ここしかないはずなのに……」

「どこかに隠れているのか?」

「いや、どこにも人影はないよ。そもそも隠れる隙間すらないし」


 少女たちは戸惑いの声を上げる。


 レインは、少女たちを確かにこの部屋の中・・・・・・・・・で見ていた。それどころか、彼女たちの目の前にいた。


 レインが使ったのは、幻惑魔法と言われる種類の魔法だ。

 その効果は、対象の意識を惑わせ、幻覚や幻聴を感じさせること。応用すれば、本来見えるはずの物を視認出来なくさせることも可能だ。

 もちろんそこまで大規模な魔法は簡単には行使出来ない。しかしレインは廊下を走る途中で、今いる部屋が中心となるように各ポイントに陣を設置していたのだ。内部構造を確認したのもその為である。


「ここにいないとなると……この部屋に入っていなかったということか?」

「そう……なるね。まさか、そんなに速かったなんて……」

「もう逃げられたかも知れないけど、追ってみようよ。まだ分かんない」

「そうだね」


 口々に言うと、少女たちは部屋から出ていく。

 レインは安堵の息を吐きつつ、少女たちが部屋から出ていくのを見送る。すごく悪いことをしている気分だが、仕方なかったのだ。こうしなければ間違いなくレインは捕まっていただろう。

 無言のままで、レインはただひたすら少女たちが出ていくのを待つ。

 しかし。


「…………」


 赤髪の少女だけは、すぐに部屋を出ることなくここに留まり続けていた。


 ――早く出てくれ。この魔法もそんなに長くは続かないんだから。


 しかし、いくらレインが祈っても少女は全く動こうとしない。女の勘、という奴だろうか。だとしたらあながち迷信でもないのかも――とそんな碌でもないことをレインが考えた瞬間。

 

 不意に少女の赤い瞳が、レインを捉えた。


 とても偶然とは思えないほどの、意思を持った瞳が、レインに向けられる。


「…………ッ」

「……そういうことだったのね、いつまでも走り続けていたのは。やっと納得したわ」


 彼女には何も見えていないはず。しかし少女はレインの不安を助長させるように静かに話し続ける。


「ずっと走って、その間に陣を張っていたんでしょう? 少し走りに違和感があったから、理由が分かってすっきりしたわ」


 幻惑魔法を意志力で無効化するのは相当難易度が高く、加えて陣まで張って構築したこの魔法を無視できるとは思えない。しかしこの少女にはどうやら本当に見えている。レインは確信した。

 だが何故――。


「短時間で策を組み立てたのと、実際に皆を騙してのけたのは素直に褒めてあげる。けど、一つ誤っていたのは私の“異能”を知らなかったことね」


 少女は口許に笑みを浮かべつつ言った。少女が放った言葉にレインは驚愕する。


 異能とは、神器によって引き出される人外の能力のことだ。一度目覚めれば神器を抜かなくとも扱えるようになる特異な力であり、逆に言えば、異能を持つ時点で少女は神器を扱えるということ。


 そして神器とは、各地で見つかる古代の武器。


 その力は当然だが聖具の非ではない。手にした者には絶対の力が約束され、神器を扱えるということだけで王に仕える騎士となることも出来る。つまりは、この国において最高峰の戦力であるとされるということだ。

 しかし、そもそも神器の存在自体が稀少な上に、神器を扱うのには神器に認められる必要があり、おいそれと扱える訳ではない。神器を扱えると言われるのは、国全体でも数十人しかいないはず。


 だというのに、この少女は。


「私の異能は“無属オリジン”。私に対するあらゆる異常は全て無効化されるわ」

「―――」


 だから――幻惑魔法すらも無効化されて、俺が見えるのか。


「今度こそ終わりよ。〈移動不可〉」

「――っ!」


 逃げる暇はなかった。

 行使する予兆すら見せないほど速く、流れるように顕現した鎖は、足どころかレインの全身を縛った。

 まるでお手本のような魔法に、レインは抗うことすら出来ずあっという間に捕らえられた。


「やっと捕まえたわよ変態。とりあえず、学園長に報告するわ」

「だから変態じゃないって……」


 もはや抗議にすら力が入らなかった。


 まさか神器使いに追いかけられていたとは――。


 一歩間違えれば、この場で死んでいてもおかしくなかった。彼女がその気になれば十分可能だっただろうし、そういう意味ではまだ幸運なのだが。


「はあ……。ついてないなあ、俺……」


 鎖で捕縛されたまま一人でぽつりと呟くことしか、今のレインには出来なかった。

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