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3―1 正体

 ニーナの姿をした何者かとシャルレス。その彼我の距離は大股二歩ほど。お互いに微動だにせず、冷静に相手を見据える。


 事前の調査やダイズの話を聞くかぎりニーナに騎士としての素養はないはず。先程の動きから考えても、眼前の何者かは間違いなくニーナの姿を借りた実力者。

 以前に逃がした不審者だと、直接対峙したシャルレスの直感が告げていた。


 問題は、この不審者がどうやって屋敷に入り込んだのか――


「…………」


 無言のまま、シャルレスは短剣を握る手に力を込めた。今考えるべきは敵を退けることであり、敵は目の前にいる。これだけの手練を相手にして戦闘以外に意識を割けるほど、シャルレスの並列思考は極まっていない。


 幸いにも敵の思惑は明らかである。ならばシャルレスの目標はそれを阻むこと。


「ノッグス卿、敵の狙いはやはり貴方のようです。すぐに部屋を出て自衛に専念してください。最大限、支援します」

「は、はい!」


 離れて様子を窺っていたダイズは、さすがは神器使いというべきか、臆することなく体勢を整え、得物である短剣を構える。


「へぇ……ここから離れるつもり?」


 妖しく微笑む不審者。獲物を前に舌なめずりする捕食者の如き雰囲気は、場の空気を一層重く感じさせる。

 この場において、まさにその獲物であるノッグスも緊張を隠せず、短剣を握り直した。


「逃げられると思ってるの?」


 ――その前に立つ不審者。彼女の手の上で揺らめく瘴気が致命的な効果を孕んでいることは火を見るより明らか。ゆえにダイズも油断なく短剣を構えていたが、不審者はダイズが短剣を振るうよりも早く距離を詰めた。


 闇が蠢き、ダイズを呑み込むその瞬間。

 軽やかに、極低温の刃が不審者の手首を撫でる。


「〈凍凝血斬スライス〉」


 あまりにも滑らかに切断された手首から鮮血が噴き出すことはない。切断面が即座に凍てつき、組織ごと凍り固まったからだ。出血は抑えられるが、低温による末端組織の壊死は避けられない。

 すなわち多量出血こそ防げても、長期的には無視できない傷。相手が人間か悪魔デモンか判別できないため、即死を防ぎつつも自由を奪うシャルレスの選択。


「ノッグズ卿!」

「はい!」


 その隙をついて、ダイズは部屋の外へ脱出する。閉じられた扉はすぐさま凍てつき、封された。

 屋敷内部に不審者に与する者が他にも侵入している可能性は否定できない。しかし、不審者の仲間が屋敷内に侵入している危険性と、この部屋でダイズを守り続ける危険性とを天秤にかけたとき、後者の方が大きいとシャルレスは判断したのだ。


 氷で厳重に封された扉は、破壊不可能ではないが、容易に開けることもできない。この部屋から出ようとすれば確実に余計な動作が必要になる。その「余計な動作」をシャルレスの前で行うのは事実上不可能だろう。


「…………まあいいか。代わり・・・はいる」


 不審者はシャルレスから距離を取ると、切断された左腕を一瞥し、鼻を鳴らす。


「さすがに片手をなくしたままは不便だな」


 粗雑な口調でそう呟くや否や、不審者は凍った左腕を右手で握り潰した。


 凍結していた切断箇所ごと肉が潰れ、血が噴き出す。しかしそれもわずか一瞬のこと。無残に潰れた左腕はすぐさま再生し、切断前と変わらない傷一つない状態にまで戻った。

 間違いなく魔素再生オートリバイヴによる再生。すなわち眼前の不審者は悪魔――少なくともその因子を持つものであるということ。


「…………」


 もはや躊躇する必要はない。排除に向けて、シャルレスはわずかに構えを変える。


 シャルレスが一段階深く集中し、排除へと方針を転換したことを悟ったのか、不審者はため息を吐いた。


「……まあ、もう隠す意味もないな。そろそろこの姿にも飽きてきた」


 先程までとは違う口調。不審者の周囲の魔素が揺らぎ、独特な気配が放たれる。変身を解いているのだと直感的に理解しながら、シャルレスは油断なく身構えていた。


 少しでも隙を見せれば即座に斬る。集中を練り上げて、シャルレスは〈ミツハノメ〉を握りしめた。ダイズを守るのがシャルレスの任務だが、それは不審者を排除しても達成される。むしろシャルレスにとっては排除こそ得手。


 自身の能力を最大限生かすべく、感情を消そうとしたシャルレスが、しかしその姿を隠すことは――できなかった。


 原因は、不審者が顕にした真の姿。


「っ…………」


 一滴の透明な雫が、こめかみを伝う感覚を久しぶりに覚えた。


 戸惑っている。驚いている。それも、生まれてからこれまでで最も大きい衝撃を自分は感じている。


 いつもなら、動揺さえも冷静に見つめ返し秘匿して、外に出さないようにしているはずなのに。きっと、そうできたはずなのに。


 ――シャルレスは今、思考の一切が停止していた。


「……動揺を隠せないって感じだな」


 眼前の男がそう呟く。聞き覚えのある声がシャルレスの鼓膜を叩く。敵対してはいけないと理性が囁く。


「なん……で…………?」


 掠れたシャルレスの疑問に、男は右の口角をわずかに吊り上げて笑った。


「さあね……ただ、俺はお前を殺さなきゃないんだ」


 黒い装衣に身を包み、それと同じほど……否、それ以上に暗い漆黒のような髪と瞳を持つ男――レインは、凶悪に輝く〈タナトス〉を構え、明確な殺意をシャルレスに向けた。


「……ッ!」


 次の瞬間、シャルレスの左腕に鋭い痛みが走った。


 背後にレイン。すれ違いざまに斬られたと気付くのにも一拍遅れたシャルレスは、痛みを無視して振り向き、横薙ぎの一撃を何とか〈ミツハノメ〉で受け止めた。


「どうした? 反応が遅れたな」

「…………!」


 意趣返しのつもりか、左手首に刻まれた斬線はかなりの深手だ。利き手でなくとも戦闘への影響は避けられない。


 しかし――シャルレスにも含まれているのだ。忌まわしき、悪魔の因子が。


「……っ!」


 無声の気勢とともに、シャルレスは〈タナトス〉を弾く。その時点で既に左手の再生は終わっていた。


 無意識に発動する魔素再生。半魔であるがゆえの特異な現象は、シャルレスにも制御できない不可避の業ともいえる。忌むべき肉体――しかし同時に、戦闘においてはこの上なく有用な能力。

 自嘲しながらシャルレスは、再生した左手を伝う血液を握り締めた。


 弾かれた〈タナトス〉を引き戻すレインと、振り切った〈ミツハノメ〉を構え直すシャルレス。それぞれの得物の長さゆえに、取り回しは〈ミツハノメ〉に分がある。数瞬早くシャルレスは体勢を立て直した。

 そのわずかな時間的有利は、確実に一撃を当てるには不十分――ゆえにシャルレスは、不意に左手を払った。


 滴っていた血液がレインの眼前に飛び散り、そして凍る。


「…………! ちッ」


 刹那、視界が覆われ、反応が鈍ったレイン。

 わずかだった時間的有利は、このとき確実な隙へと変わった。


 視界が晴れたとき、シャルレスの姿はなく。


「――ッ!」


 動きを止めたレインの首筋には、斬線が走っていた。

 咄嗟に傷を手で押さえるレイン。しかし、それは明らかに致命傷。もはや何をするにも遅く、そのままずるりと、首が落ちる――


「おいおい、容赦ないな。仮にも友達だろ?」


 ――ことはなく、血が噴き出す前に斬線は塞がり、レインは笑った。


 当然のように魔素再生で人間としての致命傷を塞いだレイン。その再生速度はシャルレスをして驚くほどだ。因子が含まれるどころではなく、悪魔そのもの、それも最高位に近い存在でなければできない芸当である。


 その姿は確実にかつてシャルレスが見ていた姿。その声は確実にかつてシャルレスが聞いていた声。それは疑いようのない事実。否定できない現実。


 しかし――


「友達なんかじゃない」


 塞がった左手の傷がわずかに疼く。血を流しながら感じたその痛みが、シャルレスの思考を鮮明にしてくれた。


「は?」

「レインは〈タナトス〉をそんな風に振るわない。レインは視線をそんな風に動かさない。レインはそんな風に走らない」


 忘れるはずもない。彼の一挙手一投足を見ていたシャルレスには分かる。眼前の存在が、形だけ彼をなぞった紛い物であることが。


 性格が変わろうが、目的や目標が変わろうが、はそう簡単には抜けない。どれだけ精巧に姿を真似たところで無意味だ。今も瞼を閉じれば過る記憶が、シャルレスに確信を与えてくれる。


 もはや一片の迷いもなく、シャルレスは問う。


「あなたはレインじゃない。もちろんニーナさんでも。あなたは何者?」


 シャルレスの問いに、レインの姿をかたどった何者かはしばし沈黙し――やがて、笑った。


「……くっ、ふっふっふ…………! やはり〈形染めナレソメ〉では見抜かれますか。まさかそこまでとは……ふふふ……」


 その姿は靄のように揺らめきながら変容する。妖しい笑い声を上げながら、輪郭が崩れ、声は高く、纏う気配はより邪悪に変化する。あまりにも異質なその変化が、何よりもこの存在が悪魔であるということを証明していた。


 不穏な変身を終えたとき、そこにいたのはメイド姿の悪魔。


「”四選魔カルテット“が一体、ラヴァスと申します。以後会うことはないでしょうが、お見知り置きを」


 凄絶な笑みの裏に隠された底知れない悪意。人類に仇なす存在であることは火を見るより明らか。


 排除しなければならない。ダイズを守るためだけではなく、未来のために、ここで断ち切らなければならない邪悪であると、シャルレスは直感的に理解した。


 決意と覚悟と信念とともに、シャルレスは床を蹴った。

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