4─3 再び
「はあ……はあ……」
目の前で燃え盛る〈滅焔陣〉を見ながら、アリアは荒く息を吐いていた。
超高難易度の魔法を立て続けに使用して、精神力を大きく消耗している。しかしそれでもアリアは満足していた。ようやくレインに勝てたのだから。
術式を解き、〈ヘスティア〉を床に突き立てる。体重を預けて休みながら見れば――。
「え…………?」
煙の中から、頭をかく無傷のレインが歩いてきた。
「何、で…………」
崩れ落ちそうになるアリアに気付き、レインは慌てたように駆け寄ってきた。
「お、おい大丈夫か?」
「だって……あれだけやって、まだ…………」
「ん? ああ、魔法なら当たったぞ。お前の勝ちだ」
「…………え?」
レインの言葉にアリアは茫然とした。
アリアが仕掛けた〈遅焔爆〉は、威力に重点を置いている訳ではない。そもそもアリアの目論見通り行けば防ぐことは出来ないのだから、無理に威力を追求する必要が無かったのだ。
しかし、とは言っても〈遅焔爆〉はれっきとした攻撃魔法であり、ある程度の破壊力があったはず。ましてや、かなりの至近距離で――というかほぼ零距離で――受けたはずなのに傷一つ付かないとは……。
「おい、化け物を見るような目で俺を見るな。魔法を使ったんだよ」
「魔法…………?」
「ああ。こんな風にな……〈治癒〉」
レインの手から溢れた緑の光がアリアを覆った。
「ぁ…………」
――温かい。
まるで春の日射しのような温もりがアリアを癒やす。
ゆっくりと体が回復していくのが実感出来るほどに心地よく、安らぐ光。しばらくしてその緑の光が収まった時には、既に疲れも息切れもなくなっていた。
「これは……試合の時の?」
「ああ、そう言えばあの時も使ったな。外傷を軽く塞いで、痛みとか疲れを和らげるんだ。もう色々治っただろ」
「うん。気持ち良かった」
素直なアリアの言葉にレインは笑う。得意気な顔をして嬉しそうに。
「さてと……ついに負けちまったなあ…………」
しかし、呟くとすぐに苦い顔になり天を仰いだ。レインの性格上、余程悔しいのだろう。アリアはしてやったりと密かに笑みを浮かべた。
レインに勝ったのならば――。
「それじゃあ、私のお願いを聞いてもらわないとね」
「う……覚えてた?」
「もちろん」
満面の笑みでアリアは答えた。レインはがっくりと項垂れる。
「はあ……でも、約束は約束だしな。何をすればいいんだ?」
「えーとね、それは…………」
何を言うのかはずっと前に決めていた。
アリアがわずかに頬を染めながら、願いを言おうとした時だった。
ヴー! ヴー! ヴー!
「なっ…………!?」
「これは……また!?」
突如響いたのはあの警告音。悪魔の襲来を告げる放送だ。
予想もしていなかった事態にレインは戸惑う。何しろ前回の襲撃から二週間と経っていないのだ。いくら何でも早すぎる。
『北”の神壁、第二街区付近に悪魔が接近中…………』
続けて聞こえたアナウンスは、前回と全く同じものだった。“北”に悪魔が現れ、国境騎士団からの応援要請があったらしい。
「明後日には皆も王都から帰ってきてたのに……! つくづくタイミングが悪いわね!」
言うや否やすぐさま校舎に向けて走り出そうとするアリア。その時、思わずレインはアリアを止めていた。
「ま、待てよアリア、また行くのか? 体だってまだ……」
しかしアリアは迷いなく答える。
「体はもう大丈夫。それに、私が行かなかったら神器使いがいなくなっちゃう。皆の士気が下がるのは間違いないわ」
「で、でも、そうだとしても――」
なおも食い下がるレインに、アリアはゆっくり首を振りつつ、言った。
「大丈夫よ。このためにわざわざ修練に付き合ってもらってたんだし、むしろ早く試したいくらい。それに……ただ黙って見ているのだけは、絶対に嫌なの」
「…………」
強い意思を秘めたアリアの瞳を見て、レインはもう何も言えなかった。
いや、言ったとしても恐らくアリアは行くだろうという諦めに近かった。何故ならアリアは、誰かに――恐らく自分に似た瞳の輝きを持っていたから。
「……嫌な予感がする。油断だけはするなよ」
「分かってるわよ。……お願いはまた後ね。期待してるから」
「おう。それより、無事に帰ってこいよ」
「ええ」
それだけを言い残すと、アリアは足早に校舎へと走っていった。あっという間にその姿は見えなくなる。
この短い期間での悪魔の二度もの襲撃。普通なら有り得ない事態だ。少なくとも、自然に起こり得ることではないとレインは思う。
レインの本能が、嫌な予感を大声でわめき散らしていた。
「……無事に、帰ってこい」
もう一度、見えないアリアの背中に向かってレインは呟いた。
***
「何度も呼んでしまってすまない、諸君。詳しい説明は省略するが、事態は前回とまるで同じだ。“北”に悪魔が接近しつつある」
学園長室にて、アリアは他の生徒と共にミコトの話を聞いていた。
放課後ということもあってか、前回よりもさらに人数は少ない。当然神器使いはアリアだけだ。一様に不安そうな顔をしているが、内心アリアも同じ気持ちだった。
――もう二度と、あんな失敗は許されない。それがこの場にいる意味なのだから。
怖くないと言えば嘘になる。出来るのならば今すぐ逃げ出したい。あんな醜態を晒しておいて、再びここにいることが不思議なくらいだ。
――けれど、それでも。
それでも、前とは違う。
たった十数日でも、アリアは変われた自信がある。だからこそ再びここに来たのだ。
「目標は当然、悪魔の殲滅。前回は私の失敗もあり、一体取り逃がしたが、今度こそはうち漏らすことなく目標を殲滅してほしい。容赦はするな」
「「はい!」」
返事をし、各々が自分の準備をしてから、部屋の中央の巨大な陣の上に乗る。アリアがミコトを見たとき、わずかに視線が合った。
――もう失敗なんてしません。私は私が目指すべきもののために――。
強くアリアが思うと、ミコトはまるでアリアの意思を汲んだかのように小さく笑い、頷いた。
直後、陣が光る。
「何も心配はいらない。君たちが力を発揮すれば問題などないのだ。――頑張ってこい」
「「はい!」」
――そして、アリアを含めた騎士たちは、戦場へと転移した。
***
「転移の成功を確認。索敵開始します」
索敵班の生徒が呟いた。
“北”の神壁の上に転移された騎士たちは、身を低くしながら報告を待つ。
索敵を受け持つ彼らは、魔法によって自らの眼を強化しているのだ。単なる遠視のみならず、物陰の透視や隠蔽魔法の看破までしてのける。
結果分かった事実を彼らは淡々と告げた。
「索敵完了しました。数は二十二、邪犬種五、邪人種十七です」
「多いな……」
誰かが小さく呟く。
その数、計二十二体。前回の三倍に迫ろうかというところだ。確かに多い。
しかし……。
「指揮個体は?」
「確認出来ません。恐らく前回と同じ、突発的な襲撃だと思われます」
アリアの質問に索敵班の生徒が答える。
やはり指揮個体はいないようだ。それに、見た感じでは悪魔たちは全て下位級だろう。
「大丈夫、問題ないわ。強力な個体はいない」
敢えて少し大きな声でアリアは言った。皆の視線が一斉に注がれる。
アリアは、一度深呼吸してから言った。
「……この前はごめんなさい。一人で突っ走って、あげくにあんな失敗を犯してしまって。本来なら、ここにいるのもおかしいくらいなのに」
無様で。情けなくて。恥ずかしくて。
でもアリアは決めたのだ。起こったことをなくすことは出来ないのだから、もう起こさないと。それこそが本当の強さなのだから、と。
「勝手なことを言ってるのは分かってる。けど、もう失敗したくない。失敗しちゃいけない。だから……力を貸して欲しい」
アリアが話し終えると、場が静まった。
しかしやがて。
「何言ってるんですか、アリアさん」
男子生徒の声が聞こえた。
彼は自らの強化聖具を抜き放ちながら立ち上がった。
「謝るのはこっちです。あの時俺たちは心の中で喜んでたんだ。神器使いが戦ってくれれば、俺たちが行く必要はなくなるって。でも――そんなんで良い訳がないっすよね」
すぐ横で、また違う男子生徒も立ち上がる。
「気付いたんです。俺たちは騎士で、国を守らなきゃいけないんだ。誰かに任せるなんて、そんなの間違ってる」
数人の女子生徒たちもまた。
「私たちも戦います。私たちはそのためにいるんですから」
――そして、全員が立ち上がった。
「皆…………」
確かに人数は少ない。それでも十分戦えると、アリアは確信した。
「学園長からです。作戦は前回と同じ、複数人でチームを組み、戦ってください。アリアさんは自由に動いて遊撃を」
通信を受けた生徒が作戦を伝えた。頷いた生徒たちはそれぞれにチームを組み、その時を待つ。
大丈夫だ。自分たちは十分に戦える。もう負けない。
アリアは自らの武器、神器〈ヘスティア〉を音高く抜き放った。真紅の剣が姿を現した時。
「攻撃圏内に悪魔が侵入! 作戦、開始して下さい!」
索敵班の生徒が叫んだ。
「作戦――開始!」
アリアの号令と共に、騎士たちは地表へと飛び降りた。
***
「…………ふむ」
学園長室で、ミコトは小さく呟く。
彼女が余裕を失ったことは、その永い生涯の中でも数えるほどしかない。現に今も余裕の態度を全く崩さない彼女だが――。
「…………何も視えない、か。久しぶりの感覚だ」
心なしか、ほんのわずかに困惑が混じった声でミコトは言った。
“力”が使えない。いや、使えてはいるが効果を発揮しない。得られている情報が少なすぎるのだ。加えて、何か大きな力が外から加わっている。
恐らく、災厄の引き金になれる何か、或いは何者かの。
とはいえここを離れて実際に見に行く訳にもいかない。ミコトに課せられているのは悪魔の殲滅ではなく作戦の指揮、そして手薄になった学園を守ることなのだから。
通信の様子を聞く限り、特に違和感は無かった。多少、数は多いがまだ想定の範囲内、指揮個体や中位級以上の悪魔もいない。彼らならやってくれるとミコトは信じている。
特に、アリアがいれば間違いはない。失敗を経て彼女は強くなった。体調も問題ないはずだ。
「…………」
――それでも、不安が拭えない。
“力”が使い物にならなくても、長年の勘がミコトに告げていた。
これは危険だ、と。
悪い予感とは、えてしてよく当たるものだ。それも良い予感より確実に。質が悪いとミコトは笑うが、だからといってどう出来る話でもない。
今ミコトに出来るのは、信じて待つこと、それだけなのだから。
***
「〈焔球〉!」
アリアの放った魔法が走り出していた邪人種に命中し、その体を灰に変える。得意の炎系魔法の威力は凄まじく、既に三体を骸すら残さず倒している。
戦闘が始まって数分。たったそれだけで悪魔の数は最初の三分の一まで減っていた。
「アリアさん! そっちに一体行きました!」
一息つく間もなく新たな邪人種がアリアに向かって走ってきている。だが、アリアは恐れる様子もなく集中し――。
「……〈焔球〉!」
――淡々と魔法を放った。邪人種を打ち抜いた〈焔球〉はそのまま奥にいた邪犬種まで燃やし尽くす。
「ギシャアアアアァァァ…………」
悪魔の断末魔を聞くことすらせずアリアは場を見渡し、すぐに自分が必要な場所へと走り出す。
アリアたちがとっている作戦は基本的に単純だ。
いくら神騎士の卵たちとはいえ、複数の悪魔を一人で相手取るのはまだ難しい。そこで、数人のチームを組み、一対複数の状況を作り出すのだ。当然悪魔の方が数は多いため、必要最低限の人員が魔法を用いてあふれた悪魔を足止めしている。
そこをアリアは駆け回り、苦戦しているチームや足止めが間に合わない悪魔を倒しているという訳である。
――アリアさんは力を温存しておいて下さい。今は良くても、この先何が起こるか分かりませんから――。
アリアが地表に降り立った時に、索敵班の生徒に通信で言われた言葉だ。
彼の言葉が、本当に思っているからなのか、それとも自分たちで戦うために言ったのかは分からない。
しかしそれは他の生徒たちも同様の意見のようであり、アリアは素直に従うことにした。もとより一緒に戦うつもりだったのだから、全力で神能を放つ訳にはいかない。
そういうこともあり、今のところアリアは全力を出していない。神能を使っていないのもそうだし、魔法もほどほどに力を抜いて行使しているのだ。
にも関わらず、まるで苦労することなく悪魔を焼き尽くす自身の魔法に、アリアは内心驚いていた。
以前までと違い、大気中の魔素の動きが何となく分かる。アリアが集めるのは、その中でも自分に近寄ってくる魔素たちだ。遠くから無理矢理引っ張ることなく必要最低限の魔素を集め、エネルギーとして魔法を行使する。恐らくこれが、魔法の効率化なのだろう。
『原理を知って効率的に魔法が使えれば、威力は簡単に跳ね上がる』。レインの言葉は紛れもない事実だったのだ。
さらに、魔法が体にかける負担は神能に比べれば非常に小さい。神能が自らの体力を糧として使うのに対して、魔法は外部の魔素をエネルギーとするからだ。術者が使うのはせいぜい集中力くらいである。
高難易度魔法を立て続けに行使すれば大きく精神をすり減らすことになるが、それでもまだ倒れることはないだろう。体に直接負荷がかかった訳ではないからだ。
魔法は非常に優れた力なのである。
「くっ、〈治癒〉頼む!」
「了解! おい、そっち行ったぞ!」
「私に任せて! 〈緑の罠〉!」
前衛を引き受けていた生徒が一度下がり、他の生徒と入れ替わる。途端に、前衛から下がってきた生徒に〈治癒〉がかかり、傷を癒した。わずかな隙に騎士の足止めを抜け出した悪魔はすぐに、魔法で異常成長した植物に足を取られ、動きを止める。
戦況は、大きな動きこそないものの、わずかに騎士たちの方に傾いていた。重傷者もいないし、何より個々人が確かに機能している。相手が悪魔だろうと臆することなく戦えているのだ。
学園で身に付けた知識と技術を用いて勇敢に戦う彼らは、間違いなく騎士だった。
索敵班の通信を聞く限り悪魔の援軍も確認出来ないようだ。不審な動きもなく、戦闘は順調そのものらしい。
何だか拍子抜けしてしまうほど、生徒たちはよく戦えていた。戦闘前にあれだけ緊張していたのが嘘のようだ。やはり彼らも神騎士になる素質を持っているということなのだろう。
「……私だって! 〈焔球〉!」
アリアも彼らの頑張りに負けじと魔法を放った。焔は今まさに足止めを振り払った邪犬種に命中し、一瞬で消し去る。
これでアリアの撃破数は六。近くでも生徒たちが立て続けに撃破し、残りは五体。ここまで数を減らせれば、足止めを引き受ける生徒たちの負担も減り、攻撃に力を割ける。
「よし、ここまで減らせれば……! 足止めはもういいわ! 全員、攻撃に移って!」
「「はい!」」
アリアが号令を再び出す前に、生徒たちは既に行動を始めていた。今何をすべきなのかを理解している証拠だ。
総攻撃に移った生徒たちの威力は凄まじかった。至るところで剣閃が煌めき、多種多様な色とりどりの魔法が咲き乱れる。
「ギシャアアアアアア!!」
アリアが何もしなくとも、悪魔の数はどんどんと減っていった。もうあと四……三……二……。
――勝てる。今度こそ、失敗せずに。
アリアは確信した。
残るは一体。そして……。
「うおおおおぉぉ!」
男子生徒の剣が、悪魔を捉え――。
……零。
「やった…………!」
と、一人の女子生徒が呟いた時。
――ザワリと。
大気が、そこに含まれる魔素が、震えた。
「…………!?」
アリアだけが、その異変を感じた。




