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2―1 調査開始

 ノッグズ家の屋敷、その二階の最奥にグローズ氏の私室はあった。


 書斎を兼ねた部屋には落ち着いた印象の家具が並んでいる。一際大きな執務机の上には何もなく、直接の手がかりは見当たらない。


 ふと横に目をやれば、壁際の本棚には書物が隙間なく詰められていた。お飾りの本なのか、背表紙を含め状態は綺麗なままだ。数冊引き抜いた後に戻した形跡があるのはどれも剣術の指南書である。


 一目見た限りでは、何か異常があるようには思えない。そもそもこの部屋に手がかりが残されているかも定かではない。


 だからこそ、直々にミカがここに来たのだ。


 部屋を見回しながら〈ケルヌンノス〉を抜剣するミカ。無骨な長剣は、姿を顕すと共に仄かに輝く。


「神能“従獣オベイル”――〈召獣サモン寝不見ネズミ〉」


 途端、ミカの足下の虚空から、柔らかく光を放つ半透明の齧歯類に似た神獣が湧き出るように発現した。そこらの野山を駆け回る野生種よりもかなり小さく、手の親指の爪ほどの大きさだ。

 同時に三十体以上召喚された神獣は、めいめいに散って部屋を探索し始めた。


 探知能力に優れた神獣である〈寝不見〉。視界に入った物体の詳細はもちろん、空気中の目には見えない物質、さらには魔素反応まで感知できる上、小さく小回りのきく体躯を用いてありとあらゆる場所に入り込めるため、人には物理的限界がある箇所の探索も可能だ。また、同時に複数体を使役することで効率よく周囲を調べあげることができる。


 〈寝不見〉の視界はミカにも共有されており、ミカが望むタイミングで同期できる。その同時同期数に神能としての上限はない。すなわちミカの処理能力が許す限り、全ての〈寝不見〉の視界をミカは同時に精査できるのだ。

 〈並行視界パラレルアイ〉――脳内に流れ込む圧倒的な情報量は、常人ならば一瞬で錯乱してもおかしくない。ミカは卓越した情報処理能力でそれを捌いていく。


 しかし――


「異常なし、ですか…………」


 もっとも情報として有益なのは魔素反応だが、“操魔クリック”まで活用して探索しても異常な魔素反応は見当たらない。魔法具アイテムを使った隠し部屋や隠し通路の類いもなさそうだ。また、部屋のどこにも特殊な物質等は検知されない。


 唯一、ミカが違和感を覚えたのは開閉式の窓のフチ。この部屋には、執務机の背後の壁にのみ窓があり、同じ高さに開閉式の窓が二つあるのだが、一方の窓のみ枠組みに強く擦れた痕がある。つまり、こちらの窓のみを頻繁に開けていたということだろう。


「…………」


 窓に近付き、おもむろに窓を開けたミカ。特に窓そのものに違和感はない。一般家屋のものより多少大きく、ちょうど人がくぐれるほどの大きさだ。


 グローズは私室が目立つのを嫌ったのか、屋敷の正門がある側とは真逆に窓が面している。あまり景色が良いとは言えず、眼下には屋敷の塀と森が広がっていた。

 窓から身をわずかに乗り出してみると、真下の地面は緑に覆われていた。日当たりが悪く、人が入る場所でもないので、あまり手入れもされないのだろう。


 ふと、手のひらの上に〈寝不見〉を喚び、窓枠へと乗せたミカ。〈寝不見〉はそのまま窓をくぐり、壁にへばりつくように下へ降りていく。

 地上へと降りた〈寝不見〉と視界を同期したミカは、少し先の地面が抉れているのを発見した。緑が茂る中で不自然にその箇所だけが抉れている。


 まるで――誰かがそこに着地していたかのように。


「…………ふむ」


 小さく呟いたミカは、意識を再び室内へと戻した。


  ***


 一方、シャルレスは出会った人に片っ端から事件の情報を聞き込みながら、屋敷の主要な部屋を調査していた。


 ミカには劣るものの、第二部隊の一員として観察力と洞察力を鍛えてきたシャルレス。しかしながら事件が起きた日から二週間が経ち、屋敷内の状況も当日から変化している。少なくとも現物的な手がかりは残っていなそうだ。

 使用人たちへの聞き込みからも、大した情報は得られていない。無愛想なシャルレスの態度――姿を晒しながら他人と会話できるようになっただけでも大きな進歩ではある――に対して、使用人たちは嫌な顔ひとつせずに包み隠さず知っていることを教えてくれたが、既に第二部隊で調べがついている情報ばかりだった。

 誰一人として隠し事をしている様子もない。少なくともシャルレスの感知能力では、何の手がかりも見当たらないのが現状だ。


 人が頻繁に出入りする大きな部屋は粗方調べ終わってしまった。そもそも、もし黒幕のような存在がこの屋敷で悪事を働いていたとしても、このような人目につきやすいところに迂闊に痕跡は残さないだろう。

 となれば、痕跡が残っている可能性があるのは、屋敷に無数にある雑多な部屋だ。「どの部屋でも入って構わない」とダイズの許可は得ている。あまり気は進まないが、虱潰しに調べるほかない。


 周りからの視線がないことを確認してシャルレスは“受心トレース”を行使する。認識阻害を発動させた今、シャルレスの存在を認知できる者はいない。

 部屋の中には、来客が入ることを想定していない部屋や個人の私室もある。事件解決のためとはいえ他人に入られたと知ったら気分を害するだろう――という配慮の上での認識阻害だ。


 大広間から近い部屋を起点として、順に隣の部屋を探索していくシャルレス。唯一扉を開けるときだけはシャルレスの存在が発覚する危険性があるが、扉の奥の気配を探ることで、中に一般人がいるかどうか程度は分かる。後は周りの視線にさえ注意すれば苦もなく部屋へ侵入可能だ。


 ――そうして十ほどの部屋を見回ったが進展はない。それなりに屋敷の内部を回ったものの、屋敷そのものに違和感がある訳でもなく、手がかりが残されている望みは薄いだろう。


 そんなことを思いながら、シャルレスはまた一つ新たな部屋に入った。

 これまで入ってきた部屋よりも一回り広く、向こうの壁までは大股で十歩ほど。壁際には数段の棚が敷き詰められている。奥にもう一つ扉があり、その付近から高温の湿気が漏れ出ているらしく、この部屋全体の湿度が高い。

 部屋の扉に記されていたように、浴室に繋がる脱衣場のようだ。ここは女湯――というよりも、女性使用人のための簡易浴場らしい。屋敷そのものに浴場が備え付けられるのは稀であり、ノッグズ家の豊かさが見て取れる。


 別段注意して探索する必要があるとは思えないが、念の為である。人がいれば出直す必要もあろうが、今は昼間で使用人は屋敷内で働いているはず。

 一通り見て回ろうと歩き出したシャルレスの脳内で、ぼんやりと疑問が首をもたげる。


 ――なぜ、浴場から湯気が漏れているのか?


 ――そしてなぜ、最も浴場の扉に近い棚に衣類が置かれているのか?


 答えは、ガラリと開かれた浴場の引き戸の奥に立っていた裸の人物が示していた。


「きゃっ……!?」

「――」


 シャルレスと目が合い、小さな悲鳴を上げたその女性は、ここの使用人なのだろう。

 しかしながら、仔細な分析や観察を置き去りに、シャルレスは獲物を抜き、床を蹴っていた。


 今のシャルレスは“受心”を発動し、他人からの認識を改竄している状態。まして一般人にはシャルレスを認識できるはずがないのだ。つまり眼前の女性はただの使用人ではない。


 彼我の距離はあまりにも短い。大股の一歩でその半分を詰めたシャルレスの視界の中で、女性の見開かれた目が細められ、驚きの色が消えた。


 躊躇なく振り抜かれた〈ミツハノメ〉は空を切る。


「ッ――」


 瞬時に女性が後退し、浴室へと戻ったのだ。同時に引き戸が閉められ、シャルレスの視界から姿が消える。


 間違いなく只者ではない。今のわずかな時間で、彼女は自分が犯した失敗に即座に気付いたのだ。

 恐らく彼女も戸を開けるまでシャルレスには気付いていなかったのだろう。だからこそ、シャルレスに気付いた瞬間、咄嗟に驚く仕草(・・・・)を取ってしまった。結果、本来気付けるはずがないものに気付いたと、シャルレスに悟られてしまったのだ。


 自分が失敗を犯したと認識した瞬間に、女性は素直に後退した。何しろ今の彼女は文字通り身一つ、得物を携帯しているようには見えなかった。争うのは得策でないと判断したのだろう。


 逃げられる訳にはいかないとシャルレスが引き戸を開けた瞬間に、猛烈な白煙――否、蒸気が視界を包んだ。

 周囲には大量の湯。魔法を使えば、この程度の目くらましは誰にでもできる。浴室という閉鎖環境では風で吹き払うこともできないため、追う側としては非常に厄介な状態だ。


 ――もっとも、シャルレスには関係ないが。


「神能“蒼淵(アビス)”」


 水を操る〈ミツハノメ〉の神能。周囲に漂う水が凝固し、一瞬で視界が晴れた。


 しかし、浴室内には誰の姿もなく。


「…………」


 高い位置に換気用の窓。シャルレスが入ってきた引き戸を除けば、浴室から出入りできるのはそこだけだ。窓自体は狭く天井に近いが、人が一人出入りするには十分な大きさがある。


『不審な人物が女性用浴場から逃亡しました。応援要請をお願いします』


 〈天声(リベレーション)〉にてミカに連絡するシャルレス。状況を詳細に説明しながら、不審者の手がかりを求めて浴室内を検分するシャルレスの視界の端に、浴槽の陰に倒れる人影が映った。


 急ぎ駆けつけてみれば――


「…………!?」


 ――すぐ先程シャルレスと対峙していたはずの女性が、そこに倒れていた。

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