1―4 入城
シャルレスの試練開始から、ついに五分が経過した。
結果は一目瞭然。シャルレスは異能、神能を封じられ、さらに半拘束された状態でありながら、無傷で守衛の攻撃をやり過ごしたのだ。
膝をついていた守衛はわずかに悔しさを滲ませた笑みを浮かべて立ち上がり、地に突き刺さった長剣を引き抜いた。
一方で、短く息を吐いてシャルレスは〈ミツハノメ〉を鞘へと戻した。たった五分といえど、全力で集中を注いだ状態での立ち合いは少なからず気力を消耗する。精神を整えるための時間は必要不可欠だ。
ミカに教わった呼吸法で精神を落ち着かせたシャルレスは、改めて守衛と正対した。
「いやはや、さすがは音に聞く“王属騎士団”。騎士としてノッグズ家の名に恥じぬよう鍛錬を続けてきたつもりでしたが、ここまで手が出ないとは思いませんでした。大変な無礼をはたらいたことをお許しください」
守衛は深く頭を下げて非礼を詫びた。とはいえ、この物騒な世の中にあっては仕方のない確認と言えるだろう。シャルレスも文句を言うつもりはない。
むしろ難題を課してきたミカにこそ小言の一つでも言いたい気分ではあるが、その文句は心の内に秘めた。
「次は私の番ですね」
守衛に催促される前にミカが前に進み出る。
シャルレスの確認が済んだ以上、その上司に当たるミカの確認はもはや形式的なものだが、省略する訳にはいかないだろう。訪問の正当性を証明するためにも、この試練は必須なのだ。
「ええ、ご協力をよろしくお願いします」
「分かりました。それでは――」
同意しつつ、ミカが〈ケルヌンノス〉を鞘から引き抜いただけで、場の圧が明確に高まった。妖しく輝く片眼鏡が彼女の思惑をどこかへと隠していく。構えだけで分かる圧倒的な格の違いがそこに表れていた。
さしもの守衛の表情も強ばっていたが、それでも責務を放棄することはなく、真っ直ぐに長剣を構えた。
「始めさせていただきます――!」
――その後の五分間の結果は言うまでもない。
敢えて事実を一つ示すのであれば、ミカは一歩もその場を動くことはなかった。
***
豪華絢爛な大広間を抜けた先に位置する応接室にて、ミカとシャルレスを迎えたのは、穏やかな微笑みを浮かべた物腰の柔らかそうな男だった。
「よくお越しくださいました。直接お会いするのは初めてですね。ノッグズ家当主代理を務めております、ダイズ・ノッグズです。お見知り置きを」
丁寧な所作で差し出されたダイズの手をミカとシャルレスは軽く握り返す。簡単な挨拶を済ませ、ダイズに勧められるまま、二人はソファへと腰掛けた。
客人の着席を確認してからダイズも腰を下ろす。貴族には珍しく、腰の低い態度だ。
ふぅ、と短く息を吐くと、ダイズは応接室を見回してから言った。
「“王属騎士団”からのお客人だというのに、このような部屋での対応になってしまい申し訳ありません。本来ならば盛大にお迎えすべきなのですが」
入室の際にシャルレスも感じたことだが、確かに貴族が客人を迎えるには少々威風に欠ける部屋だ。一応は応接室として最低限の調度品等はあるものの、広さからして明らかに部屋の格は低い。応接室としては最も小さな部類に当たるだろう。
屋敷の規模からして恐らくは複数あるはずの応接室のうち、最も小さく格の低い、奥まった位置にある応接室。ダイズは非礼を詫びているものの、そこに通された理由をミカもシャルレスも理解していた。
ゆえに、ミカは小さく首を振ってダイズの言葉を否定する。
「いえ、爵位も持たない騎士二人に対しては十分すぎるほどです。それに今回の件は、あまり大きな声で話す訳にはいきませんから」
「…………」
ダイズの表情が微かに険しくなった。
“王属騎士団”の二人がここに来たのは、挨拶や交流のためではない。形式的な言葉など不要だと認識したらしいダイズは重々しく口を開いた。
「……早速、本題に入りましょう。よろしくお願いします」
「ええ。事前に本件の情報は共有していますが、まずは今一度、問題を整理したいと思います。今現在の状態を改めて教えていただけますか」
「はい……」
頷いて、ダイズはゆっくりと語り始めた。
――発端は二週間前。ノッグズ家当主であり、ダイズの実兄であるグローズ・ノッグズが突然行方不明になったのだ。
その日、グローズには特別な公務や外出予定はなかった。しかし、前夜には確かに屋敷にいたはずのグローズは、翌朝忽然と姿を消し、以降今日に至るまで見つかっていないのである。連絡や伝言の類いは一切なく、目撃情報もまるでない。
ダイズや使用人によれば、直近のグローズの様子に特別異変は感じられなかったという。彼自身も当主であることに誇りを持っており、不満や問題は抱えていなかった。実際、ノッグズ家は貴族の中でも評判のいい家で、領地の民からも慕われていたようだ。
以上のことからグローズが自身の意思で行方知れずとなったとは考えにくい。もっとも、人知れず苦悩を抱えていた可能性は十分あるが。
しかし一方で本件が外部の人間による犯行だとも考えにくい理由があった。
グローズは、ノッグズ家当主でありながら、ノッグズ家が有する私騎士団の団長を務めるほどの神器使いなのである。
その勇名は第三街区に広く轟いており、貴族であるがゆえに今は私騎士団を率いているものの、かつて“王属騎士団”への入団を検討されたことがあるほどの人物だ。仮に、ならず者が徒党を組んだとしても、彼をどうにかできるとは思えない。
「グローズが当日に屋敷を出た記録はありません。豪快な性分ではありましたが、使用人や私に迷惑をかけたことはほとんどありませんでした。少なくともこの屋敷の中にグローズを疎む者はいなかったと思うのですが………」
一通りの説明を終えたダイズは、疲れを滲ませる表情で深く息を吐いた。
ノッグズ家はグローズ失踪の件を公には認めていないものの、二週間が経ち、当主の不在を訝しむ者が多くなりつつある。実際、近隣の貴族との関係性には既に変化が生じ始めていた。今は実弟のダイズが当主代理を務めているが、それにも限界はあるのだ。
突然当主代理を務めることになったダイズの心労は想像に難くない。兄の喪失そのものによる衝撃に加え、家を支えなければならないという圧は決して小さくはないだろう。
やや投げやりにダイズは呟く。
「それに……このような事件が第三街区で立て続けに起こっているのでしょう? 正直、参りますよ」
「………」
ミカは肯定も否定もしなかった。だが、ダイズの言葉は事実である。
――第三街区において、貴族や私騎士団の団長級の大物が、既に四人も行方不明になっているのだ。それもわずか数週間の間に、だ。
護衛や警備の厳重な大物たちがこうも立て続けに行方不明になるだけでも十分にただならない事態だが、妙なのは行方不明者のいずれもが神器を持つ一流の騎士であるということ。相当な戦力を持つ彼らが揃って姿を消していることの異常性は言うまでもない。
ゆえに“王属騎士団”の第二部隊がほぼ総出でこの件の調査に駆り出されているのだ。
「本日は屋敷内部の調査をお願いします。廊下や広間などは掃除してしまっていますが、グローズの私室はあの日から触れていません。使用人たちには事前に伝えてありますので、どの部屋でもご自由にお調べください」
「分かりました。ご協力、感謝します。ところで、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
ミカの問いに、ダイズは「何でしょうか?」と応じた。ミカは普段通りの表情のまま問う。
「以前にもお伺いしましたが、もし仮にグローズ氏が何者かの手によって行方不明になったと考えた場合、思い当たることはありませんか? 怨恨の類いでなくとも構いません。私的にグローズ氏と交流のある人物や、最近起きた出来事など、気になることは?」
「…………」
ダイズは少し考えるそぶりを見せたが、やがて首を横に振った。
「……いえ、やはり特別な何かがあったとは……。弟として兄の交友関係も周知しているつもりですが、特に親しかった方などは既にお伝えした通りです。お役に立てず申し訳ない」
グローズの交友関係や行方不明になる直前の動向については第二部隊が調査を続けているものの、めぼしい情報はない。ダイズにも心当たりは見つからないという。
「分かりました。こちらこそ、無礼な質問をお許しください」
ミカは非礼を詫びると、「では、屋敷の調査を行わせていただきます」と告げて立ち上がった。シャルレスも同様にソファを立ち、ミカの後を追って応接室を出る。
大広間へと伸びる長い廊下を先行するミカと、そのやや後ろを付いていくシャルレスの間に会話はない。しかし脳裏では、神器を介して〈天声〉による通話が行われていた。
『どうでしたか? ダイズ氏の反応は』
『悪意はありませんでした。ただ、何かを隠そうとしている気配があります。本件に関係するかどうかは断言できませんが』
異能“受心”の真価――他人の感情を感知する能力で、ダイズの思考を不明瞭ながらも捉えたシャルレスは、ミカにそう告げた。
具体的にどんな隠し事をしているのかは分からない。しかし、他人に明かせない思惑を持っている可能性はある。
『ふむ。私も彼から不穏な気配は感じませんでしたが、白と決めつけるのは尚早ですね』
ダイズ自身が本件には無関係だと思っている隠し事が、裏では深く繋がっている可能性もある。そもそも“受心”は感情を朧気に捉えられる程度の能力であり、隠し事があるという確証はない。あくまで推測上の話だ。
現状、第二部隊は一連の犯行を同一犯によるものと考えている。根拠は主に二点――大物が相次いで失踪していることに計画性が感じ取れる点と、そもそも彼らに影響を及ぼせるほどの存在が限られる点だ。
つまり、黒幕が存在したならば十分に王国にとって危機たりえる。この事件に“王属騎士団”が派遣されているのはそうした理由によるところが大きい。一刻も早く解決しなければ、取り返しのつかない事態になる。
しばし沈黙したミカは思考を切り替えて言った。
『……考えていても進展はありません、屋敷内部の調査を始めましょう。分担は予定通りで。何かあれば即時連絡してください』
『了解しました』
ミカはグローズの私室から順に個室を、シャルレスは聞き込みを中心に人の多い部屋を探索する。いずれも能力の適性を考慮した分担だ。
他の失踪事件が起きた屋敷では、機密事項の関係や貴族特有の柵などで内部調査が叶わなかったので、今回は非常に貴重な機会である。ダイズの厚意――あくまで彼が白と仮定したならば、だが――に応えるためにも、収穫なしでは帰れない。
一段と気を引き締めて、二人はそれぞれ、お互いの調査へと向かった。