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1―1 同時期にて

「っ…………」


 一滴の透明な雫が、こめかみを伝う感覚を久しぶりに覚えた。


 戸惑っている。驚いている。それも、生まれてからこれまでで最も大きい衝撃を自分は感じている。

 いつもなら、動揺さえも冷静に見つめ返し秘匿して、外に出さないようにしているはずなのに。きっと、そうできたはずなのに。


 ――シャルレスは今、思考の一切が停止していた。


「……動揺を隠せないって感じだな」


 眼前の男がそう呟く。聞き覚えのある声がシャルレスの鼓膜を叩く。敵対してはいけないと理性が囁く。


「なん……で…………?」


 掠れたシャルレスの疑問に、男は右の口角をわずかに吊り上げて笑った。


「さあね……ただ、俺はお前を殺さなきゃないんだ」


 黒い装衣に身を包み、それと同じほど……否、それ以上に暗い漆黒のような髪と瞳を持つ男――レインは、凶悪に輝く〈タナトス〉を構え、明確な殺意をシャルレスに向けた。


  ***


 ――全ては、ちょうどアムルやアリアたち第一部隊がアンゴラー討伐に成功する、その二週間前に遡る。


「……では、これで定例報告会を終わります。以降も引き続き油断なく任務にあたるように」


 凛とした女性の声が、執務室というには些か広すぎる部屋に響いた。


 ぴしりと揃った『はっ!』という返事は、現実の大気を揺らすことなくシャルレスの脳裏に届く。騎士団の徽章バッジを用いた遠隔での会話ゆえに、返事の主たちは今この場にはいない。


 “王属騎士団”の拠点、騎士城ギルドの一角。副団長にして第二部隊を束ねる長、ミカ・ケルメリアの執務室であるこの部屋に現在居るのはただ二人。


 巨大な執務机の上に山盛りとなった書類を一枚一枚精査する怜悧な雰囲気の女性こそが、部屋の主であるミカ・ケルメリア。一見すると風変わりな片眼鏡モノクルさえも自らの雰囲気と調和させ、尋常ならざる不思議な気配を纏わせる。書類を捲るたびに揺らめく紫紺の長髪もまた彼女の異質な美しさを際立たせていた。


 そしてそのミカの右斜め後ろに無言で立つのは、ミカを指導騎士として第二部隊に所属するシャルレス。およそ半年前に入団し、今では騎士団の一員としてそつなく任務をこなせるようになった。もっとも、書類との格闘に手間取っていた第一部隊の誰かとは違い、入団から一週間後には雑務も任務も問題なくこなしていたが。


「今週も大した成果はなし、ですか……いよいよ様子見とも言ってられなくなってきましたね」

「…………」


 つい先程終了した報告会の様子を反芻して所感を漏らしたミカ。彼女の呟きの大半は人に反応を求めているものでないと、この半年の付き合いで理解しているシャルレスは無言を貫く。日々膨大な量の情報を扱うミカは、思案を声に出すことで脳内を整理しているのだ。


 ――“王属騎士団”第二部隊、その主な役割は諜報。王国内で起こる様々な事象を把握し、重要性や脅威度等をもとに、騎士団として介入すべきかどうかを判断する。また、任務遂行のため、水面下で情報を収集することも部隊の役割の一つだ。

 部隊長ミカ・ケルメリアは『賢臣』と称される才媛。冷静沈着、泰然自若といった言葉は彼女のためにあると思われるほど感情の起伏が見えず、ミカが動揺する姿を見た者はいないという。


 指導騎士であるミカの指示で、雑務をこなす時間以外は常に彼女の横にいるよう義務付けられているシャルレスだが、そんなシャルレスでも気の抜けたミカを見たことはない。騎士団の副団長や団長に共通する、得体の知れない底知れなさを嫌でも感じるのだ。




 ――初めてシャルレスがその異質さを覚えたのは、入団初日、挨拶のためミカを訪れたときだった。


『ここでそのような能力を使うのはやめた方がいいですよ』


 あのとき、資料室で過去の書物に目を通していたミカは、部屋に足を踏み入れたシャルレスに対してそう言ったのだ。


『騎士城内での不審な行動は場合によっては処罰の対象にもなります。ましてここは貴重な資料も保管されている部屋。癖づいている行動なのかもしれませんが、早急に改善することを勧めます』


 “受心トレース”を発動していたシャルレスを容易く看破してみせたミカ。それも、こちらを一瞥することもなく。戦闘時ではない今は、足音を含め音もほとんど立てていなかったはずなのに。


『…………すみません』


 異能を解き歩み寄ったシャルレスに対して、ミカは書類を棚へと戻し、顔を向けた。


『言葉をかわすのは初めてですね。私は第二部隊部隊長、ミカ・ケルメリア。ようこそ、第二部隊へ。歓迎しますよ』


 感情の見えない表情からして、とても額面通りには受け入れられない言葉と共にミカの右手が差し出される。まさか拒否する訳にもいかず、シャルレスはおずおずとその右手を握った。

 瞬間、ミカが呟く。


『ふむ、やはり純粋な人間ではないようですね』

『―――』


 刹那、シャルレスの背筋が凍った。


 脳内に浮かぶ数多の疑問を、しかしシャルレスは即座に無視して平静を装った。驚いた様子などおくびにも出さず、傍から見ていればシャルレスの動揺を察せる者はいないだろう。


 四半秒にも満たない時間で自身を律したシャルレスは冷静に問う。


『何のことですか?』

『ご心配なく、別に咎めるつもりはありませんので。団長が認めたのであれば私もそれに従いましょう。他言はしませんよ』


 シャルレスの返答を気にもかけないミカは全てを確信したらしい。恐らくはシャルレスの正体について。


『…………』


 隠しても無駄だろう。カイルの“真言トゥルース”ほどの精度ではないが、他者の言葉の裏の意図を察せられる“受心”も、ミカがデタラメを言っている訳ではないと告げている。彼女は本当にシャルレスの正体に気付いているのだ。


『……なぜ分かったんですか?』


 仮にも人間社会で十年以上生きてきたシャルレスは、半魔の身体を持っていることが露見しないように細心の注意を払っていた。他人に魔素注入時の傷跡を晒した記憶は――ごく一部の例外を除いて――ないし、魔素再生オートリバイヴを発動させないよう極力怪我も避けた。そもそも外部との接触が少なかった上に、それだけの警戒をしていたシャルレスにとって、正体を知られる可能性はほとんどないはずなのだ。

 だがしかし眼前の副団長は、カイルとの入団試験時と今回、たった二回の接触にてシャルレスの秘密を見破ってみせた。なぜなのか――と問うシャルレスに、ミカは平然と答える。


『私の異能は“操魔クリック”。魔素を直接感知、操作できるんです。貴女の身体が内包する魔素があまりにも多く特徴的だったので』

『ですが、特異的に魔素を大量に内包できる体質の人間もいます。あるいは騎士ならば、鍛錬の結果、後天的に多くの魔素を蓄えられる人もいるのでは』


 想定していたミカの答えに対し、シャルレスは例外の可能性を示した。

 魔素は当然ながら人体内にも存在する。半魔であるシャルレスは確かに魔素の内包量が膨大だが、これは鍛え抜かれた騎士でも十分に考えられる範疇のはずだ。


 しかしミカは。


『ええ、確かに。しかし貴女の場合、首筋から肩にかけて、局所的に魔素濃度の高い箇所がありますね。加えて脳にも魔素濃度の偏りがある。恐らくは外部から取り込まれた魔素が濃く沈着した部分でしょう。これは、単純に内包量が多い人間には見られない特徴です』

『…………!』


 表情を変えず淡々とシャルレスの内を暴いていくミカ。時折妖しく光る片眼鏡モノクルは、一切の虚偽を許さないとでも言いたげな雰囲気を放っていた。


『さらに言うならば、団長との入団試験において、魔法を使っていないにもかかわらず貴女の体内の魔素は激しく動いていました。魔素が肉体と結びつき、貴女自身を物理的に構築する一要素となっているからでは? 体内の魔素の動きなど私以外には看破されないでしょうが、意識すべきでしたね』

『…………なるほど』


 シャルレスは反論を諦め、大人しく引き下がった。どうやら“操魔”という異能はかなり精緻に魔素を探知できるらしい。ミカの言う通り、今後は体内での魔素の扱いにも気を払った方がいいだろう。


 ほぼ初見で見破られたのは衝撃だが、ミカから敵意は感じられない。ミカの言葉を信じるならば、即座に切り捨てられるようなことはないはずだ。


『今日付けで“王属騎士団”に入団するシャルレス・エリスティルです。これからよろしくお願いします……』


 そう発した自分の声が微かに震えている、と遅れてシャルレスは自覚した。

 呼吸がほんの少し速くなり、手先が痺れるように冷たくなる。自分の重心が分からなくなるほどに平衡感覚も歪んでいた。平時であるはずなのになぜ。


 ぼやける脳内に疑問が浮かんだとき、ミカが口を開いた。


『……失礼。貴女を萎縮させるつもりはありませんでした。貴女にとっては非常に繊細な問題でしょう。伝え方に注意すべきでした』


 そんなミカの言葉を聞いて、シャルレスはようやく理解する。自分は今怯えているのだと。


 何しろ自身に悪魔デモンの血が混じっているという事実は、シャルレスにとってトラウマにも等しい忌まわしい過去。それを察せられることはあってはならない――そう思ってこれまで頑なに隠してきたのだ。半魔の存在など排斥の対象にしかなりえないと思っていたのだから。

 他者とは違う。人と同じにはなれない。人としての暮らしなど望むべくもない。シャルレスが自身に課してきた暗示が、いつしか彼女を蝕んでいた。


 正体を知られたならば殺す。そんな選択肢さえ、かつてのシャルレスにはあったのだ。


 しかし――今は違う。


『大丈夫ですか? 気分が優れないならば医務室へ案内しましょうか』


 相変わらず表情は変わらないものの、幾分か雰囲気を和らげたミカの気遣いに、シャルレスはしかし首を横に振る。


『……問題、ありません。この程度で休んでいたら追いつけませんから』


 シャルレスが半魔であると知ってなお、救ってくれた人がいる。態度を変えずに接してくれる人がいる。それだけで、過去につには十分な理由だろう。


 彼らを思い浮かべていれば、自然と呼吸は落ち着いていた。


『そうですか。ならよいのです。では早速、今後の指導方針について説明しましょう。貴女の要件はそこでは?』


 シャルレスの体の強張りが消えたことだけを確認して、ミカは本題へと入る。どうやらシャルレスの訪問も、その内容も見通していたらしい。


 ミカから何を得られるのかは分からないが、シャルレスよりも強いのは確実だ。ならばそれを吸収するのみ。確たる自己を持たないシャルレスだからこそ、何者にも変容し、適応できる。神器〈ミツハノメ〉に適応し、その力を得たように。


 ただ一つの目的のために、シャルレスは頷いて説明を促した。


『はい。よろしくお願いします』




 ――あれから半年。確実にシャルレスは成長している。本人が自覚している以上に、その能力は飛躍的に向上していた。


「…………シャルレス」

「はい」


 書類を精査していたミカは、一区切りついたところで手を止め、シャルレスを呼んだ。


「申請はこれからですが、問題なければ明日、第三街区に向かいます。例の件の現場調査です。明日は、長期滞在ができる準備を整えてここに来なさい」


 あまりにも突然の通達だが、即日どころか一分一秒を争う急行遠征も行われる“王属騎士団”においては、むしろ猶予がある命令だ。無論、拒否する選択肢はない。

 質問も意見もせず、シャルレスは「了解しました」と命令を受け入れた。


 ミカもそれ以上何かを言うことはなく書類の見分作業に戻る。いつものように部屋に静寂が訪れた。


 シャルレスの成長を試されるそのときが刻々と近づいていた。

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