4─2 追い付くために
「〈焔球〉っ!」
「〈魔障壁〉!」
堅い防御殻が〈焔球〉の直撃を受けて震える。防御殻とレインの間には空間があるため直接的に響く訳ではないが、間違いなく辺りの空気が振動しているのだ。初日の頃はこんなことはなかったはずだが。
「まだまだ! 〈封焔陣〉!」
休む間もなくアリアは新たに魔法を行使。〈魔障壁〉の周りを焔たちが囲い――内包した威力を解放する。
凄まじい熱と共に、焔柱が〈魔障壁〉の外で荒れ狂った。
「ふう……」
障壁をぐるりと囲む赤い焔柱のせいで周りは全く見えない。逆に言えば周りからも、障壁の中は見えないということだ。アリアにも見えていないことをいいことに、レインは長めの息を吐いて呼吸を整える。
「凄まじいな…………」
もはや感嘆を通り越して呆れたようにレインは呟いた。
修練十二日目。アリアの魔法は、今やレインに肉薄するほどにまで成長していた。
例えばこの〈封焔陣〉。巨大な焔柱で相手を飲み込み焼き尽くす魔法だが、技の威力からも分かるように術式の難易度は相当高い。
使えるだけでもかなりの腕前ということになるのだが、アリアの場合、その火力を維持し続けるという離れ業をやってのけている。瞬間的に発生して敵を焼き尽くすはずの魔法を、長時間、維持しているのだ。詠唱の集中だけでなく行使時の集中まで持続させることがどれだけ難しいことかは想像に難くない。これならば、どれだけ堅い外殻を持つ悪魔でも耐えられないだろう。
と、レインが考えている内に〈魔障壁〉がピキリと小さな悲鳴を上げた。
間断なく降り注ぐ超高温の熱に、ついに障壁が限界を迎えかけているのだ。このままでは割られる……どころか自分すら丸焦げになってしまう。
「…………ふっ」
レインが〈魔障壁〉の術式に軽く力を加えると、障壁は膨張し、焔柱を内部から打ち砕いた。一度形を失った焔柱は、立ち昇ることなく霧散する。
「くっ……でも、もう一度……!」
開けた景色の中で再び魔法を行使しようとするアリア。
当然、レインも黙って待っている訳がない。
「〈魔障壁・凌〉」
術式を改変し、より強固になった障壁。見た目としてはさほど変わらないが、堅さは確実に〈魔障壁〉を越える。
「〈焔球〉……っ!」
一方で、アリアもまた魔法を強化する。
レインのように術式そのものを変えるのではなく、強靱な精神力を以て強く集中し、魔素をより凝縮させたのだ。集まった大量のエネルギーがアリアのイメージに従って現象を発現させる。
〈ヘスティア〉の剣先に生まれたのは、特大の〈焔球〉。大きさは今までの数倍に達し、どれほどの破壊力を秘めているのか、アリア自身でさえ分からない。
「はあああああっ!!」
レインに向けて放たれた〈焔球〉。今までとは比にならない威力のそれが、〈魔障壁・凌〉に激突する――。
***
「はあぁ……、また当てられなかった……」
闘技場から寮に戻る帰り道で、レインの横を歩くアリアはため息を吐きつつ呟いた。余程残念なのか、いつもよりも足取りが重い。
「間違いなく今までで一番上手くいった〈焔球〉だったのに防がれるなんて……。あの障壁ずるいわよね」
「いや、ずるくないし……。まあ、確かに普通の〈魔障壁〉じゃ危なかったかもな」
レインは結局、今日もアリアの全ての魔法を防ぎきった。あの特大の〈焔球〉ですら〈魔障壁・凌〉は防いだのだ。確かに当てる側としては厄介だろうなぁ、とレインも思う。
が、そう簡単には負けられない。何せ負ければ何をお願いされるか分かったものではないのだ。多少大人げなくなっても仕方ないだろう。
「正直ここまで成長するとは思ってなかったよ。多分、魔法能力も俺と変わらないんじゃないのか?」
素直にレインは思ったことを言った。が、アリアは首を振って否定する。
「まだまだよ。結局一回も魔法を当ててないし、術式の改変なんて私には出来ないわ。どう考えても、まだ勝てない」
「…………」
レインはアリアの言葉に黙る。
術式の改変云々は確かにかなり高い技術が必要だが、だからと言って改変を出来ないから魔法が下手ということはない。というより、根本的に魔法の行使と術式の改変の技術は違うものなのだ。
改変などという小細工ばかりを身に付けて実戦で魔法が使えない者よりも、改変は出来ずとも強力な魔法を使える方が、仲間として何倍も頼りになるだろう、とレインは思う。
それに、そもそも魔法というもの自体に大きな弱点が存在する。
「そこまで気にすることもないと思うけどな。魔法だって万能じゃないんだし」
「え? でも、魔法さえあれば大体のことは出来るでしょ? 寮だって、魔法のお陰で助かってるところもあるし」
「まあ、普通の状態ならな。でも例えば……」
レインは少し集中し、術式を組む。そして左手の指を――。
「〈魔素失活〉」
――パキン、と鳴らした。
「…………? 何したの?」
「何でもいいから魔法を使ってみな」
意味深なレインの言葉に訝しげに首を傾げるアリアだったが、やがておずおずと〈ヘスティア〉を抜き、集中する。
「〈焔球〉! …………あれ?」
だが、〈ヘスティア〉の剣先に焔が生まれることは無かった。
いくら集中しても魔素が集まらないのだ。魔法の第一の過程が行えないために、結果として魔法は発動しない。
「な、何で? さっきまで普通に使えてたのに……」
驚き慌てるアリアにレインは笑う。
「別にお前がどうかした訳じゃないよ。ここらの魔素を固定したんだ」
「魔素を……固定?」
「ああ。普段魔素は自由に辺りを飛び回ってるだろ? 魔法はそれを引き寄せて使う訳なんだから、魔素自体が動かないようにすれば……」
「魔素が寄ってこないから、魔法を使えない?」
「その通り」
もう一度指を鳴らしてレインが〈魔素失活〉を解く。魔素が再びゆっくりと動き始めるのがアリアにも分かった。
「確かに理屈はそうかも知れないけど……そんな状況はほとんど有り得ないでしょ。それこそ今みたいに意図的に固定しない限りは」
「まあな。でも例えば俺が修練の最中にこれを使えば、お前は俺に魔法を当てられなくなるし、メリットはあるだろ?」
「あ、そうか……って、ダメだからね、そんなの! それこそずるいわ」
「分かってるよ。これを使うと、当然だけど俺も魔法を使えなくなるんだよな。解除以外何も出来なくなるから、相手の魔法が強力だったりした時に使うんだけど」
「へえ……」
頷きつつアリアは歩き続ける。
しばらくしてから、ふと思い付いたように言った。
「レインは魔法を誰に教えてもらったの? あの師匠?」
「…………」
アリアの唐突な質問に、レインはすぐに答えられなかった。いや、答えたくなかったと言った方が正しいだろうか。
それに関わる記憶は、レインが最も思い出したくないものなのだから。
「師匠にも教えてもらったことはあるけど……どちらかというと義姉さんに教えてもらったかな。騎士でもないのに、魔法が得意でさ」
「お姉さんがいるの? 想像出来ないんだけど……」
「血は繋がってないよ。それに今はもう……いない」
「あ…………ごめん」
アリアが謝るのを、レインは小さく笑った。
「いいって。……自慢の義姉だった。まあ、その頃は自慢するような話し相手もいなかったけど」
「……騎士じゃなかったのよね? それなのに魔法が使えたの?」
「ああ。神能と違って、魔法は素質とやり方さえ知っていれば誰でも使えるからな。けど、あの人の魔法はそんな次元のものじゃなかった。俺の目標だよ」
今でも目を閉じれば思い出せる。あの人の優しさと笑顔が。レインにとって、憧れであり、かけがえのない存在であり、唯一の心の拠りどころであったあの人の、全てが。
だが同時にもう一つの記憶も蘇る。それこそ、レインが忌避する記憶。思い出したくない、しかし忘れられない記憶。
重く冷たい雨が降っていた、あの日の記憶。
「……俺のせいなんだ、あれは。あの時、俺にもっと力があれば……」
「…………レイン?」
アリアに訝しげに声をかけられる。レインは、心配そうにこちらを見るアリアに気付くと苦笑した。
「ん? あ、ああ悪い。ちょっとな」
「大丈夫? 昨日も何かおかしかったけど」
「少し嫌なことを思い出しただけだ。たまにあるんだよ」
「……ならいいけど」
どこか腑に落ちないような表情で、アリアがまた前を向く。しかし少ししてから、そのまま顔をレインに向けることなく言った。
「……私に出来ることがあったら言って。借りがあるから」
「借り…………?」
と、聞いてからレインは気付く。
アリアの借りとは、例の試合で〈ヘスティア〉を壊放させてしまった時のことを指しているのだろう。
「一人でいるのは……辛いよ。私なんかには頼れないかも知れないけど」
アリアは、まるで一人でいる感覚を知っているかのように呟いた。
一人でいること。それは既に、レインにとっては慣れてしまった感覚だ。他人と関わる機会など、あの時以来、〈フローライト〉に入学するまではほとんど無かった気がする。あったとしても自分から距離を置いていただろう。
今ではもはや一人が当たり前であり、一人で全てをこなすことが義務のようにすら思える。自分風情が他人に頼っていいものか、と。
幾度となく失敗し、誰かを――数多くの罪のない人たちを巻き込んだ自分が、今さら人に頼ることなど許されていない気がした。
しかしアリアは。
「お互い様だからね。助けてもらったら、助けてあげるのが私の礼儀なの」
わずかに先を歩いていたアリアは振り向いて言った。仄かな笑みがレインの心を暖める。
久しぶりに、人に頼るのもいいかな、とレインは思った。
「……ん。その時は、頼む」
「任せなさい!」
幼い子供のように胸を張るアリアに、レインは一つ、「あ」と思い出したように付け足した。
「じゃあまず今日の風呂の準備からお願いしようかな。結構疲れるんだよ、あれ」
「それはレインがやるの!」
「えー」
案の定、レインの願いは却下された。
***
――ぴちょん、と天井から落ちた雫が水面を揺らした。
アリアは寮の自室の風呂――無論、準備したのはレインだ――に身を沈めていた。
ちょうどいい温度のお湯が修練で疲れた体を癒やす。大きく伸びをしてから一気に脱力すると、何ともいえない心地よさと温かさがアリアを包んだ。
疲れを残すことがどれだけ戦闘に影響を与えるかを知ったアリアは、あれからずっと十分な休養を取ることを心がけていた。おかげで体力はほぼ全回復し、今ならもう一度悪魔たちと戦っても確実に勝つ自信はある。
しかしまだ力が足りないのだと、アリアは実感していた。と言うのも、近くでレインの実力を見続けていると、どうしても自分に自信が持てないのだ。
きっとレインは、アリアが相談したとしても笑いながら言うだろう。「人にはそれぞれの強さがあるし、気にしなくていい」と。もちろんアリアも理解はしているし、実際その通りだと思う。
レインは、魔法と、聖具使いとは思えないほどの身体能力。アリアならば神能を用いた圧倒的火力。強さの全てを身に付けなくても、何か一つ優れた武器があればいい。それは紛うことなく正しい考え方だ。しかし……それでも、せめてもう一つ、武器が欲しい
アリアは思ってしまう。もっと自分に戦う術があれば、と。
武器は多いに越したことはない。常に勝利を求めるならば、質だけでなく量を優先するのも、また一つの考え方だろう。武器が多ければ多いほど対応出来る場面も多くなる。至極当然の原理だ。
そう考えると、対応範囲という点において魔法は便利だ。魔法能力さえ高めることが出来れば、多少の差はあれどおよそ全ての魔法を使いやすくなる。〈焔球〉のような単純な攻撃魔法だけでなく、〈魔障壁〉のような防御魔法、〈魔素失活〉のような環境変化魔法など、様々な魔法が使えれば戦闘の幅が広がるだろう。少なくとも、今よりは確実に。
そうなるためには……。
「そろそろ目標を達成しないと…………」
――結果として、帰結するのは初日にレインに課された課題だ。
レインに魔法を当てるというのは、言うまでもなく非常に難しいことだ。この数週間でアリアは嫌というほどそのことを思い知った。しかし逆に言えば、もし課題を達成出来た時、少しは自分に自信が持てるのではないかとも思う。
顔の半分ほどまでをお湯に沈め、ブクブクと泡を立てながらアリアは考える。そうなれれば自分も、少しはレインの役に立てるのではないかと。
――レインの力になりたい。そんな思いがどこかに起こり始めたことを、アリアはまだ自覚していなかった。
「どんな手があるかなあ…………」
そしてアリアは、最近恒例の対レイン用戦略を練る時間へと突入するのだった。
***
「先に宣言しておくわ。私は今日、あんたに魔法をお見舞いする。覚悟しておくことね」
修練十三日目、出し抜けに剣を構えながら言われた言葉に、レインは思わず笑う。
「へえ? そんなに自信があるのか」
「昨日の夜、ずっとお風呂で考えてたのよ。いくらあんたでも防げない作戦をね」
いつも自信に満ち溢れたようなアリアだが、今日はより一層、勝利への確信があるようだった。漲るような気迫が何よりも雄弁にアリアの自信を物語る。
レインは表情には出さないまま、アリアへの警戒を一段と強めた。
「通りで風呂が長い訳だ。眠くて辛かったんだぞ」
「……それは悪かったわ。けどその分、必ず終わらせるから」
「いくら何でも簡単にやられる訳にはいかないな。負けるのは嫌いなんだ」
剣を抜き、レインも気持ちを戦闘に切り替える。レイン自身がやってみろと言った目標ではあるが、すんなり達成されてしまうのも何だか悔しいのだ。
「じゃあ…………行くわよ」
「いつでも」
レインは短く返答し、その時を待つ。
アリアの集中と、対するレインの集中も最大まで高まった時、ついに――。
「…………〈極焔球〉!」
〈ヘスティア〉の剣先に昨日の巨大な〈焔球〉すら越える大きさの焔球が現れた。限界まで高めた集中が、ついに術式すら変えたのだ。
同時にレインも魔法を発動させる。
「〈魔障壁・凌〉」
選択したのは当然、最大級の堅さを誇る防御魔法、〈魔障壁・凌〉。規格外の攻撃が来ると読んだレインは正しかった。普通の〈魔障壁〉では耐えきれなかっただろう。
――いや、あるいはこれでさえ…………。
そんな嫌な予感を振り払って、レインは術式に限界まで魔素を注いだ。〈魔障壁・凌〉はさらに堅さを増す。
とてつもない堅さを誇るであろう〈魔障壁・凌〉。レインが全力で展開した防御魔法だ。生半可な威力で割れるはずがない。
「それでも……っ、打ち破る!!」
だからこそ、アリアは叫んだ。
エネルギーが蓄えられ、限界まで膨れ上がった直後、ついに〈極焔球〉が打ち出された。
ゴウッ! と、焔は膨大な熱を辺りにばらまきながら、わずかな距離をあっという間に駆ける。まるで地上に降る隕石のごとき勢いで、〈極焔球〉はレインに向かい――。
――凄まじい爆音と共に〈魔障壁・凌〉に激突した。
衝撃の余波が闘技場全体に伝わる。大量の土煙が舞い、暴風が吹き荒れた。それはさながら〈ヘスティア〉の神能“神之焔”のような威力。
〈焔球〉など比にならない。普通の防御魔法では、防ぐどころか威力を抑えることすらろくに出来ないはずの圧倒的な力。
――しかし。
「危ね……さすがに割れるかと思った」
――レインはやはり無傷のままそこに立っていた。
〈極焔球〉の直撃を受けて〈魔障壁・凌〉にはヒビが入っている。が、中にまでは威力が伝わらなかったのだ。つまり〈極焔球〉を以てしても〈魔障壁・凌〉は越えられなかったということ。
予想以上、しかし想定内の威力にレインは安堵のため息を吐いた。
「ふぅ……残念だったな、アリ――」
「まだ終わってない」
聞こえたのはそんな声。
「!?」
土煙の中からレインの目の前に現れたのは〈ヘスティア〉を振りかぶったアリアだった。流れるような動きで、障壁に剣を降り下ろす。
パキィィィンと、ヒビが入っていた〈魔障壁・凌〉が砕けた。
勢いのまま、アリアはレインに向けて剣を構える。
「ちょっ、待……剣はなしって――」
「分かってる。だから…………」
アリアは一瞬だけ集中する。魔素に命じるのは一つ。
焔で剣を覆え。
「〈魔法剣〉――〈付与〉:《火焔》」
〈ヘスティア〉の刀身を、赤い焔が包んだ。
魔法属性の付与。レインがあの試合で使った技の一つだ。そこから着想を得て、魔法としてアリアが術式を組んだ。
「魔法での攻撃……これも有効でしょっ!」
魔法を無理矢理自分の得意な分野に引きずり込み、活用する。アリアが考えた武器の増やし方だ。〈魔障壁・凌〉に〈極焔球〉をぶつけたのは、後の策のために、どれぐらいの威力を出せるようになったかを知りたかっただけに過ぎない。
「そんなのアリかよ……っ、……くあっ!」
アリアの一閃をレインは辛うじて剣で受けた。鈍い音が響き渡り、文字通りの火花が散る。
鍔迫り合いになりながら、二人は笑っていた。
「まさかこんな手があるとはな。完全に油断してた」
「ルールは守ってるわよ? 文句はないはずよね」
レインはそれに「ああ!」と答えてから自ら後ろに飛んだ。離れてから再び〈魔障壁〉を展開しようとするが、
「させない!」
アリアは前につんのめるはずの体を完全に制御して、一瞬でレインとの距離を詰めた。魔法を使う余裕を与えないように、得意の連撃に持ち込む。
「はあああああっ!」
「くっ…………」
レインに反撃させないために、アリアは少しの隙も与えることなく次々と剣撃を放っていく。たった一撃でいいのだ。たった一撃当たれば、修練は終わる。
レインがアリアの一振りを弾くごとに、付与された焔が跳ねて辺りを舞う。二人に何の関係もない者が外から見れば、美しい剣舞も相まって、とても幻想的な風景だった。
もちろん当事者である二人には、そんなことを楽しんでいる余裕はない。
「ああああああっ!」
アリアはもう一段、剣撃の速度を上げる。ほぼ全力で振るう剣は、一振りごとに、焔の残像で宙に線を描くように光芒を残していく。鋭く赤い光と共に〈ヘスティア〉がレインを掠めていく。
レインは辛うじて避けてはいるが、アリアがレインを捉えるのも、もう時間の問題に思えた。
――このままなら……行ける!
一気に全力の剣撃を叩き込むアリア。レインの様子を見る限り、あと一分もしない内に決着は着くと見込んでの攻撃だった。
しかし。
「まだだ。まだ終わらせない!」
レインはなお全てを避ける。アリアの全力の剣撃を。
前に一度見せたあの驚異的な反応速度故ではない。何か魔法が使われている訳でもない。それなのに、何故かアリアの剣だけは危なげながらもかわしていく。
「く……何で……!」
苛立ち紛れにアリアが言った言葉にレインは笑った。
「慣れたんだ。この剣に」
「慣れ――?」
「毎日受けてたからな。完全ではなくても、反応出来る。予想出来る。――防げる!」
アリアが放った一撃を、レインは弾き返した。アリアの剣筋を読んだ証だ。
この十数日間、レインはアリアの剣を毎日受けた。結果、体がアリアの剣筋を覚えたのだ。玄人ほど一度体に染み付いた剣を変えることは難しく、故に、レインはアリアの剣がどう動くのかを読める。
アリアの勝てるという予想は、この瞬間に崩れた。
「で、でも、まだ……!」
焦ったアリアは、瞬間的に剣を振り上げた。重い一撃でレインを崩そうと思ったのだが――そうしてから気付く。
剣を振り上げることは、わずかな時間攻撃が途切れる隙が生まれることと同義だ。高速の戦闘下においては、たった一瞬の隙ですら致命的な失敗となり得る。
アリアの行動すら既に読んでいたレインは、完璧なタイミングで高く振り上げられた〈ヘスティア〉に照準を合わせ、剣を引く。
「神剣技――〈天穿撃〉!」
放たれた突きが、〈ヘスティア〉を直撃した。
〈天穿撃〉――あの試合の時も、決着はこの技で着いた。壊放していた〈ヘスティア〉をレインが吹き飛ばしたのだ。
でも、今度は。
アリアは〈ヘスティア〉を強く握りしめ、自ら飛んだ。尋常ならざる突きの衝撃が、〈ヘスティア〉を握るアリアごと後ろへ吹き飛ばした。
「くっ…………」
吹き飛ばされるのは仕方ない。でも――。
何とか転ぶことなく着地し、アリアは手を見た。腕はじんじんと痛むが、〈ヘスティア〉はすっぽりとそこに収まっている。
「はあ……はあ……」
「…………残念だったな」
遠くから聞こえたのはレインの声。
「…………」
言われなくても分かっている。また勝てなかったのだ。
ここまで距離が離れてしまえば、いくらアリアが全力で走ったとしても先にレインに障壁を展開されてしまう。いや、剣を使う名目で近付いても、剣自体が通用しないのでは為す術がない。
振り出しだ。修練が始まった時――それどころか、始める前にまで戻ってしまった。勝つための手がかりがなくなってしまったのだから。
「……〈極焔球〉」
それでもアリアはもう一度集中する。その様子を見てレインは静かに呟いた。
「また、か。確かに一番可能性があるのはそれだけど……」
〈ヘスティア〉にあの巨大な焔球が生まれた。それと共に、レインもまた新たな術式を組んだ。
「〈魔障壁・阻〉」
展開されたのはより堅い究極の障壁。〈魔障壁〉の最終形とすら言える障壁は、〈極焔球〉にさえ耐えうる堅さを持つ。
「悪いけど、手加減はしない。お前が本気で来るなら俺も全力でそれを阻む」
いくらアリアでも、この障壁を突破することは出来ないとレインは確信した。それほどまでに〈魔障壁・阻〉は堅い。神能ならまだしも、魔法ではびくともしないだろう。
「……ええ、分かってるわ」
アリアも障壁の堅さは理解しているのか、いつもより大人しい。自信も消え、諦めかけているように思え――。
「それでこそ、私が勝つことに意味がある」
「――ッ!?」
レインが感じたのは、アリアの今日一番の自信。間違いなく勝利を確信した声は、レインに寒気すら抱かせた。
「私が勝つ。そう言ったでしょ?」
〈極焔球〉が打ち出された。レインが神経を集中させているせいか、いつもより若干、速度は遅いように感じる。
しかし〈極焔球〉が〈魔障壁・阻〉に直撃する前に、アリアはおもむろに、左手をパキン、と鳴らした。
直後。
レインの足元が、赤く光る。
「な――」
「――〈遅焔爆〉」
〈焔球〉と同じ炎系の、時限式魔法
どれだけ堅い障壁と言えども、防御壁の内側の攻撃は防げない。当たり前の、それでいて盲点だった弱点。
しかし一体いつの間に。アリアにそんなことをしている素振りはなかったはず。
と考えてレインは気付く。
先程、剣を直に交えたとき。纏わせた〈ヘスティア〉の焔の中に、既にこの魔法は仕掛けられていたのだ。普通の焔に紛れて時限式で爆発する焔が。
レインが剣を弾く度に少しずつ跳ねていった火花こそ、魔法の原形。レインの近くの辺り一帯に落ちたそれらは、静かに爆発の時を待っていたのだろう。アリアが剣を振り上げたのも、ちょうどいい頃合いでレインから離れるための演技ということか。
レインがアリアの「剣を振り上げる」という行動を読んでいたように、アリアもまた、レインの「振り上げた剣を弾く」という行動を読んでいたのだ。
爆発まで時間はない。だが――。
「……まだだ」
――まだ、甘い。
恐らく足下で光る焔の火力はそれほどではない。近くで爆発するというのなら離れればいいだけだ。一瞬で〈魔障壁・阻〉を解いて後ろへ飛べば、巻き込まれることはない。
今向かってきている〈極焔球〉も軌道は直線だ。障壁を解いても避けることは可能だろう。牽制のつもりだったのだろうが、包囲性に欠けていた。
レインが、まだ逃げられる、と考えた時だった。
「〈加速化〉」
「…………!」
〈極焔球〉の速度が増した。
逃げられないためだろうか。しかし今度は速すぎる。この速度なら〈魔障壁・阻〉で防いでからでも逃げられる。
が、アリアがそんなミスを犯すはずが無かった。
「……砕けなさい、〈極焔球〉!」
障壁にぶつかる間際で、〈極焔球〉は細かく分裂し、障壁を覆うように宙を漂った。
この魔法には見覚えがある。
「まさか――」
「そのまさかよ! ――〈滅焔陣〉!」
刹那。
――凄まじい焔柱が、レインを〈魔障壁・阻〉ごと飲み込んだ。
対象を包囲してから焼き尽くす〈封焔陣〉の強化形、〈滅焔陣〉。レインを飲み込んだ焔は、正しく標的を滅する威力を備えていた。
〈焔球〉を砕いて作られた〈封焔陣〉でさえとてつもない威力。ましてや〈極焔球〉を砕いて作られた〈滅焔陣〉なら――?
答えがこの威力、という訳だ。
轟々と燃える――いや、爆ぜる焔が〈魔障壁・阻〉を浸食する。今、障壁を解けるはずがない。ましてや障壁を膨張させて打ち砕くことも叶わないだろう。
「俺の負け……か」
足元で増していく〈遅焔爆〉の輝きを感じながら、レインは笑って呟いた。




