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5―1 窮地と諦観

「…………っ」


 頬を叩く風を感じて、アリアの意識は覚醒した。


 ガンガンと頭が揺れる感覚に抗ってアリアは辺りを見回す。倒木が散乱し、見通しは良くない。アリア自身がもたれかかっているのも倒木だ。


 アリア自身が感知できるはずはないが、実際にアリアが気を失っていたのは一瞬だけだった。吹き飛ばされ、この木に激突した衝撃で瞬間的に気絶していたのだ。


 なぜ吹き飛ばされたのか――記憶を遡ってアリアは寸前の出来事を悟る。アンゴラーが蓄えていた魔素を用いて自爆し、無差別に周囲を破壊したのだ。魔法ではなく、乱暴に魔素を反発させた結果起こった副次的な爆発だが、使われた魔素量が規格外だった。生み出された衝撃は、具体的に示すならば、学園の校庭一つを丸々飲み込むほどはあっただろう。


 アリア単独でアンゴラーと対峙していたならば間違いなく防ぎきれなかった爆発。衝撃が撒き散らされる刹那の光景がアリアの脳裏を過る。


「…………!」


 ――アムルが、そしてゲブが、アリアを全力で守ってくれたのだ。〈散斬チギリ〉にて最大限威力を散らし、“創地グラフト”にて大地の防壁が生み出された。

 しかしそれでも、爆発はあまりにも攻撃規模が大きすぎた。衝撃は〈散斬〉で歪曲した空間領域を回り込み、加えて常識の埒外の威力で大地をも砕き割った。結果、アムルとアリアは吹き飛ばされたのだ。


 ――とはいえ、アムルやゲブがいなければ気絶では済まなかっただろう。いまだアンゴラーとアムルの気配はある。一刻も早く戦線に復帰しなければ。


「急が、なきゃ――…………?」


 立ち上がろうとしたアリアだが、体に力が入らない。刹那の気絶から覚醒し、体の感覚が少しずつ戻ってくる中で、アリアは違和感の正体に気付いた。


 左脇腹から生える、鋭く尖った倒木の枝に。


「―――」


 ゴフッ、とアリアは吐血した。


  ***


「…………大丈夫か、ゲブ」


 倒木にもたれかかり、俯くアムルは、血に濡れた声で呟いた。


 内臓に傷を負ったのだろう。鉄臭い液体が喉の奥から込み上がってくるのが分かる。五体満足ではある――否、既に左前腕はないものの、爆発でさらに四肢がもげることはなかったようだ。激痛さえ忘れれば、体は動いてくれる。


 しかし、あまりにも血を流しすぎた。既に視界は揺らぎ、平衡感覚が失われかけている。魔法さえ使えれば多少の処置もできただろうが、生憎ここには活性状態の魔素はないようだ。アンゴラーが蓄えていた魔素そのものは放出されたが、爆発を引き起こす際にそのエネルギーが消費されたらしく、非活性状態に変化してしまっている。


『余は肉体を持たぬ。ゆえに物理的な苦痛も感じぬ。大事に至っているのは主の方だ』


 応えを返したゲブの声は先程までよりも幾分かかげっていた。ゲブなりに状態を気遣った言葉に、アムルは『もっともだ』と小さく笑う。


 蓄積していた膨大な魔素を全て放出したアンゴラー。核のみを守れるように最小かつ強固な肉の層を構築する目論みは成功したようで、重い頭を上げてみれば、そこでアンゴラーは元の姿へと再生しようとしている。


 しかし、魔素を放出した影響は小さくないはず。これで弱体化してくれればまだ希望はあるが――


「腹……減ッタ……減っタアアアああアああアアア」


 おぞましい呻きと共に――魔素がアンゴラーへと吸い寄せられている。そして吸収した魔素量に比例するように、再生速度が増していく。


 アンゴラーが肉体を構築する際に用いられる魔素は非活性状態でも問題ないらしい。そもそも魔素は悪魔デモンにとっての物理的な肉体となるだけだ。魔法を引き起こせる状態か否かは結果に寄与しない。


 完全に人の姿を取り戻したアンゴラー。しかし再生はそれに留まらない。

 全身を包む筋肉は限界まで硬質化し、ある種の金属のように黒く輝く。上背は相変わらずの高さだが、不格好に大きかった上半身は引き締まり、対照に小さかった脚部が肥大化した。背後――恐らく背中からは幾本もの鋭い触手が生え、不気味に揺らめいている。


 これまでの経験からアンゴラーが編み出した、戦闘における最適解。攻撃力、防御力、敏捷力のいずれもが高い水準でまとめあげられた、まさしく完成形とも言える姿だ。


「〈超態オーバースタイル〉」


 再生を終えたアンゴラーは、圧倒的な覇気を放っていた。


 何が弱体化だとアムルは悪態をつく。まず間違いなく、アンゴラーは次元を一つ超えた。アムルがようやく並び立っていた領域を軽々と超越した。


「……化物が」


 思わず、アムルの口からそんな言葉がこぼれた。


 脳裏でアムルはゲブに問う。


『アリアはどうなった。分かるか?』

『ヘスティアは確実に近くにいる。ならばその主も生きているだろう。……今のところは、だが』


 アリアの動向は探れないが、保有する神器に宿るヘスティアは確かに存在しているらしい。ゆえに、保有者であるアリアの命もまだ尽きてはいないと考えられる。

 しかし、十分に守ることができたとは思えない。副団長として、部隊を率いる長として情けない限りだ。せめて、最後に残された任務だけは果たさねば。


 全身に走る激痛をこらえ、アムルは〈天声リベレーション〉にて通信を送る。


『第一部隊全隊に通達。目標の危険度を絶位級エクストラ以上と推定。作戦は中断し、総員撤退せよ。速やかに本部に連絡し、団長の指示を仰げ。これは――未曾有の危機である』


 下したのは総員撤退の指示。第一部隊の何人たりとも、アンゴラーに立ち向かうことは許さないとアムルは告げたのだ。


 いまや第一部隊にアンゴラーとまともに戦える者はいない。それはアンゴラーの力を実感したアムルが確信した、歴然たる事実である。万全の状態のアムルでやっと相手をできるかどうか、あるいはそれですら及ばないかもしれない。アンゴラーはそれだけの悪魔だ。

 第一部隊の長であるアムルは“王属騎士団”においても第二位の実力を誇る。そんなアムルでも敵わないとなれば、残るは第一位、団長カイルのみ。この難敵に関する作戦の一切の指揮権はカイルに譲渡された。


 これは責任の放棄だろうか。否、アムルは自分が生きて帰れないことを悟っていた。万全の状態でも勝てるか分からない怪物を前にして、満身創痍の自分が勝てる道理はない。ならば、指揮系統の頂点が消える前に後を託すべき――アムルはそう判断した。


「ぐ…………っ」


 〈ゲブ〉を支えにしてアムルはゆっくりと立ち上がる。重力とはこれほどまでに過酷な枷だったかと思いながらも、痛む全身に鞭を打って何とか直立した。


「…………」


 まともに体を動かすことすらままならないアムルに対して、アンゴラーは何も言わず、微塵も動かず、ただじっとその様子を観察していた。先程までの〈大地纏フルアース〉や予想外の切り札がないかと警戒しているのだ。


 これはアムルにとっては好都合だった。既に〈神双化エボルブ〉は解け、〈顕神デュオライズ〉を維持するのが精一杯な体たらくだが、少しは時間を稼げる。部隊が撤退し、カイルがこの怪物に対抗するための策を組み立てる時間が必要なのだ。例えわずかでも、それまでの猶予を引き伸ばすのがアムルの最後の使命。


 ぽたり、ぽたりと左腕から血が滴っている。そろそろこの無理矢理な止血も限界が来ていた。万が一アンゴラーに何もされず放っておかれたとしても、処置できないこの状況では数分で息絶えるだろう。

 どうあがいてもアムルが生存する未来はない。否定できない命題がアムルに突き付けられた。


 それでも、アムルに恐怖はない。


『主。まだ諦めるには早い。方法はあるはずだ』


 アムルの思考を読んだのか、ゲブが脳裏に語りかけてくる。いつもよりわずかにトーンの下がった声は、しかしアムルを微笑ませた。


『らしくないな。何をそんなに焦っている?』

『当たり前だろう。主が死んだら、余はまた一人で時を過ごさねばならん。それは許さん』

『……ふ。許さん、か…………』


 子供のようにわがままを言い、無茶苦茶な命令を下すゲブ。しかし、アムルの生死を決めるのはアムルではない。命運は、もう決定されてしまったのだ。


『……俺が死ねば、この神器は“王属騎士団”が保有することになるだろう。皆、優秀な騎士だ。いずれすぐに新しい主が現れる』

『なぜ主の死が確定しているような口ぶりなのだ。まだ主には異能が――』


 と、ゲブが言いかけたとき。


 アムルの首のすぐ横を触手が通過した。


「…………っ」


 触手は首の薄皮を斬り裂き、じわりと血が滲み出る。あとほんのわずかでもずれていればアムルの首は飛んでいただろう。


「なゼ防がナイ? サッキまでナラお前ノ意思に関係ナく防いでイタはズ。それニ、地下に張り巡ラセた肉にモ反応シナい」

「…………」


 冷静にアンゴラーは問う。本能や勢いに任せた暴力ではない。確実な思考を経て、アンゴラーはアムルの状態を確かめていたのだ。


 その結果、アンゴラーはアムルを正しく評価する。


 ――アムルに反撃する余力は残されていない。


「……理性まで獲得したか。大層なことだ」


 アムルはぽつりと皮肉を口にした。


 もしもアンゴラーに付け入る隙があったとすれば、それは理知的な行動をとれないという一点に限る。身体能力や特異体質の万能性においては人が及ぶべくもない。唯一、理性と呼ばれる武器こそ、人がアンゴラーに勝る要素だった。

 しかし今、アンゴラーはそんな弱点さえも克服した。皮肉なことに、アムルという強者との戦闘がアンゴラーの成長を促したのだ。


 理性をもってアムルの限界を悟ったアンゴラーは自らの右手を変容させる。指の一本一本が牙の如く鋭く尖ったのだ。


「〈咬手オーバーハンド〉」


 恐らくは握るだけで大木を噛みちぎれるほどの威力。人の生身を相手にすれば、結果は想像に難くない。


 反撃はないと確信したアンゴラーが躊躇せず地を蹴った。


 死期を悟るアムルは、アンゴラー以外に対する感覚を全て絶ち、全神経をもって己を死に導く存在を見据えた。他を犠牲にした超集中により、世界が遅延する。


 もちろん世界が遅延したとはいえ、あくまでアンゴラーの動きが捉えられるだけだ。体は動いてくれない。神能を行使する余力もない。

 それはまさしく、死を受け入れるための儀式。


 アンゴラーの〈咬手〉が口を開き、アムルの心臓を喰いちぎろうとした瞬間だった。


 ――ドンッ、とアムルは横から突き飛ばされたのだ。


「!?」


 闖入者ちんにゅうしゃなど予期していなかったアムルは、倒れながらも必死に首を回して、その姿を見る。


 ――決死の表情でアンゴラーの前に躍り出たミーシャの姿を。


「ミーシャ――!」


 全ては一瞬で起こった。


 ミーシャが左手に持っていた球形の魔法具アイテムを落とす。次の瞬間、それは閃光を放ち、アンゴラーの視界を刹那の間だけ遮った。魔素の動きで周囲を察知するのが得意な悪魔だが、そもそも魔素がないこの空間では目眩ましは有効な手段だ。

 それと同時、ミーシャの右手が閃いた。超速で振り払われる剣は空間を歪め、侵入する力を反射する領域を生み出したのだ。


 神器を持たないミーシャの策は、たった一撃だが、アンゴラーをいなす最適解だった。


「……ぁア。邪魔」


 しかし。


 視界を奪われる瞬間に把握した闖入者の位置、速度、行動。天性の勘で全てを理解したアンゴラーの右腕がぐにゃりと折れ曲がり、〈散斬〉の歪曲領域を回避する。


「ミ――」


 アムルが叫ぶよりも早く。


 アンゴラーの〈咬手〉が、肩口からミーシャの左腕を噛みちぎった。


 アムルの瞳に、赤い命の滴が映った。

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