3―4 総力戦が始まる
レインが吹き飛ばされた先は、第二校庭と呼ばれる広いスペース。第一の校庭に比べると学舎から遠く、面積としても劣るため、使用頻度はあまり高くない。特別な施設等も近くにはなく戦うにはもってこいの場所だ。
爆発の直前に体を覆うように障壁を張ってダメージを抑えようとしたのだが、クリューエル自身さえ巻き込むほどの爆発の威力は伊達ではなかった。露出していた肌は火傷を負い、黒衣はところどころが焼け焦げている。衝撃で口内を切ったらしく、鉄の味がじんわりと広がっていた。
「〈治癒〉」
簡易的な魔法処置だけをして、レインは口からこぼれる血を拭った。確かにダメージは負ったが致命傷と言うには程遠い。身体能力には支障はない。
「妙ですね。どうしてそんな半端な治癒魔法しか使わないのですか?」
クリューエルの声が頭上から届く。一度地を蹴って、クリューエルと同じ高さまで浮上してから〈魔障壁〉を張り、その上に立ったレイン。治癒魔法を使ったとはいえ完治には至らず、火傷の跡はまだ残っている。
一方でクリューエルはまともに爆風を受けたにもかかわらず無傷だ。高位の悪魔に許された超然的な回復能力ゆえであることは間違いない。
「貴方も使えばいいでしょう。まさか使い方まで忘れたとは言いませんよね?」
煽るクリューエルに冷めた視線を向けて、レインは言い放つ。
「何のことを言ってるのか分からないな。生憎、俺はお前ら悪魔みたいな思考回路は持ってないんだ」
「…………」
クリューエルはしばらく無言でいたが、やがてため息を吐いた。
「やはり、説得は無駄ですか。貴方のお力があれば心強いのですが、どうやら人間側に与するというのは本当らしい」
〈ファウスト〉を構え目を細めるクリューエル。途端、辺りに浸透する覇気はそれだけで生物を硬直させるほど圧倒的なものだが、レインは動じない。
背中の鞘から〈タナトス〉を抜いて〈顕神〉を発動するレイン。仮面が顔を覆い、顕現した粗末な黒衣が新たに身を包む。放たれる波動はクリューエルを動揺させるには至らない。
「歴史に名を残す傑物と手合わせできることを光栄に思います。かつて我らを導いた『英雄』レインよ」
「俺は英雄でも勇者でもない。学園のために戦う一人の騎士だ」
動き始めたのは両者とも全く同じタイミング。
剣と剣が生み出す鈍い衝突音は、両者の中央――ではなく、クリューエル寄りの位置で生まれた。
「さすが……ですねぇ…………!」
鍔迫り合いになりながら、クリューエルは口の端を吊り上げる。“翔躍”を用いたレインの速度はクリューエルを上回っているのだ。さらに、増幅された力は徐々にクリューエルを押し込んでいく。
闇を覗かせる仮面の虚がクリューエルさえ飲み込まんと迫る。殺意は感じないが、気を抜けば一瞬で葬られるとクリューエルも理解していた。
「〈黒爆発〉!」
クリューエルの特異体質“皆爆”により〈ファウスト〉の刀身が小さな爆発を起こす。威力を重視したものではなく衝撃は控えめだが、代わりに濃い黒煙が周囲に撒き散らされた。
レインの視界が遮られたのを確認した瞬間、クリューエルは後ろへ飛ぶ。
視界が奪われているのはクリューエルも同じだが、悪魔ゆえに魔素を正確に感知できる。例え目を潰されたとしても周辺の魔素の様子を視ることで環境を認識することが可能だ。その力を最大限に活用し、クリューエルは黒煙に包まれるレインを捉えた。
「〈血の変幻・長〉」
〈ファウスト〉のボメルから鋭い棘が生え、クリューエルの腕を突き刺す。吹き出す血潮を浴び、剣はその刀身を十倍以上に伸ばした。
「〈悪魔の鎌〉ッ!」
極長の剣を横に薙ぐ一撃。命中すれば“皆爆”による大爆発、そして今レインは黒煙の中で視界が悪い。突如襲い来る刃を回避することはほぼ不可能。
しかしレインは動じなかった。
「神能“虚無”、〈無能空間〉」
〈タナトス〉から溢れ出す闇が黒煙を吹き飛ばし、さらに〈ファウスト〉に作用する“皆爆”まで無効化した。万全の視野さえあれば、ただの薙ぎなどに当たるレインではない。
完璧なタイミングで〈ファウスト〉をすり上げ頭上へ受け流す。一連の動きのまま、レインは滑らかにクリューエルの懐へと潜りこんだ。
長物は取り回しの点で劣る。まして相手が“翔躍”を操るレインであればなおさら。
「神剣技――〈真閃剣〉」
瞬きの間に放たれた数多の斬撃がクリューエルに吸い込まれるように命中した。
「ガッ…………!」
骨すら断つ神速の剣が、決して軽くはないクリューエルを吹き飛ばす。それでもさすがと言うべきか、クリューエルは即座に体勢を立て直し、地面に落下することなく浮き上がった。レインと同じ高さにまで浮上する頃には胸や腹に受けた傷は既に回復していた。
さしものレインと言えど、“四選魔”が一体の核を容易に割ることはできない。超速での魔素再生を突破するのは困難を極めるだろう。
「フ……フ……いい…………いいですよ、レイン…………!」
腕をだらりと下げ、不気味に笑うクリューエル。〈ファウスト〉は姿を通常時へと戻している。
“翔躍”を使えばレインはクリューエルの速度を容易に上回る。魔素再生がある以上、一筋縄でない相手であることは間違いないが、再生にも限界はある。傷の修復だけでなく〈ファウスト〉の強化、修復にも血を使っていることを考えれば、このままダメージを与えていけば先に折れるのは間違いなくクリューエルだ。
――と、簡単にそんな判断をするほど、レインは楽観的ではなかった。
この世界には絶位級と呼称される脅威が存在する。今まさに学園内を暴れまわっているらしい首獄狗種もまたその内の一種であり、上位級とは比にならない危険度であることは誰もが知る事実だ。存在そのものが天災に匹敵する絶位級は、〈顕神〉を会得した神騎士をさえ屠りかねない。
だが一方で、そんな怪物を使役するモノがいることを忘れてはいけない。特殊な能力や催眠ではなく、悪魔としての格の違いをもってして絶位級を従えるほどの悪魔は確かに存在するのだ。
深く息を吐き、ポキポキと首を鳴らすクリューエルは言った。
「あまり言い訳はしたくない性分なのですが……貴方に軽んじられたくない一心で述べますと、私つい最近起きたばかりでして、どうも体が鈍っていたようです。この一合で失望されたならば、それは早とちりですよ?」
「別に失望するほど期待してないが……つまり?」
クリューエルは〈ファウスト〉を握る手に力を込める。構えることはないまま、これまでで一番大きく口の端を吊り上げた。
「そろそろ体が解れてきたのでご期待ください、ということです」
――刹那、瞬く剣閃がレインの頬を掠めた。
「…………!」
鋭利な傷から血が滲む。飛んできた斬撃がレインの肌を斬り裂いたのだ。
これまでとは段違いの剣速。レインでさえ一瞬反応が遅れるほどの速さ。
“翔躍”を使うことで容易く凌駕してきたこれまでの相手とは比にならない。クリューエルはレインをさえ喰らいかねない実力を確かに持っている。
「〈血の変幻・双〉」
〈ファウスト〉に血を取り込ませ、成長を促すクリューエル。剣はみるみるうちに大きくなり、ちょうど二倍になったとき分裂して二振りの剣となる。
新しく生まれた剣を左手に持ち、子細に検分すると、クリューエルは満足そうに頷いた。
「うん。いい重さですね」
「…………」
当然のことだが、普段剣一本で戦っているものが剣を二本持てば二倍の強さになるなどという道理はない。むしろ剣単体の性能がいくら上がろうと、不慣れな武器を使えばまともに扱うこともできず、かえって不利になることが多い。武器種が変わるとなればなおさらだ。
黙ってクリューエルを見据えるレインに対して、クリューエルは〈ファウスト〉を眺めながら口を開いた。
「急に二刀流なんてできるはずない……と思ってらっしゃいます? 心配はご不要ですよ」
与えられる魔素によって自在に形を変える武器〈ファウスト〉。使い手であるクリューエルがそれらの変形に習熟しており、複数の武器種の扱いを心得ている可能性は確かにある。だが、レインはもう一つの可能性を考えていた。
そしてクリューエルは、レインのその推測を肯定する。
「私、もとより二刀流ですので。一刀で試すような真似をした失礼をお許しください。ただ……これより存分にお楽しみいただけ」
「〈凪随斬〉」
ギイン! と鈍い金属音が響いた。
クリューエルのすぐ左にすれ違うように立つレイン。首を両断する軌道を描いたはずの〈タナトス〉は、〈ファウスト〉にて防がれている。
先程までは存在していなかった左手の剣で。
「……ハッタリじゃないみたいだな」
「貴方を前に下らない冗談など無粋でしょう」
笑みを深めたクリューエルが〈タナトス〉を弾く。レインは咄嗟に勢いをいなし、軸足を中心にして独楽のように回転し再び首を狙った。しかしクリューエルもまたレインと逆方向に回転した勢いを利用して、二刀で〈タナトス〉を受ける。
至近距離での鍔迫り合いは一瞬で解かれ、両者は同時に後ろへ飛ぶ。わずかでも止まれば、静止という選択をすれば、相手に置いていかれると察知していた。
空を蹴り、再激突するレインとクリューエル。その位置はちょうど両者の中央。
「〈真閃剣〉」
「〈黒血の舞い〉!」
相反するエネルギーの衝突が生む激しい金属音が連続して鳴り響く。三本の剣が奏でる不協和音は、神器使いの常識をも超越する極限の戦闘の副産物。力と力、技と技とが真正面からぶつかり、どこにも逃げ場のない衝撃が起こす現象だ。
音が響く度に衝撃波が周囲に飛んでいく。空中でなければ、さらにはここが建築物さえ近くにない第二校庭でなければ、既に何かしらの被害が出ていてもおかしくない。それほどの戦闘が繰り広げられている。
「ああ、イイですねェ! もっと、もっと血を沸かせましょう! 爆ぜるほどに!」
「爆ぜるのはお前だけで十分だ。長々と付き合うつもりはない」
狂喜して目を見開くクリューエルと微塵も表情を変えないレイン。両者が生み出す剣戟はまさしく伯仲の一言。あらゆる攻撃を放ち、あらゆる攻撃を防ぐ剣戟の極致だ。
熾烈を極める戦闘は、時間を追うごとに苛烈さを増していく――
***
「…………ひとまず落ち着いたか」
神騎士学園〈フローライト〉、男子寮の近くにて。
白髪赤瞳の神器使い、〈ハデス〉を得物とするヘルビアは深く息を吐き、周囲を見回した。
付近の陣から生み出された悪魔たちは既に魔素へと還っている。総数は百を優に越えただろう悪魔はたった一人の神器使いによって殲滅されていた。五十を越えた辺りでヘルビアは数えることをやめたため、正確な数は分からない。完全記憶を可能にする異能“希憶”による〈追想〉を使えば把握できるだろうが、わざわざ数え直す必要もないだろう。
先程聞こえた、“王属騎士団”入隊時の恩師であるジニルからの通信によれば、どうやら付近で首獄狗種が出現しているらしい。記録上では人類がいまだ数えるほどしか遭遇したことのない脅威がすぐ目の前にいることの意味はヘルビアも理解しているつもりだ。ややもすれば、この戦闘の結果が王国そのものの存亡を左右しかねない。
「グウアァァ…………」
見上げれば、しばらく停止していたはずの陣が再び悪魔を生み出し始めている。ヘルビアの殲滅速度は悪魔が転送される速度よりも速いが、今は一刻も早く主戦場へと向かうべきだろう。
「〈顕神〉」
〈ハデス〉の力が解き放たれ、光沢を放つ鎧がヘルビアの体を包む。瞬間、膨れ上がった覇気が悪魔たちを戦かせた。
「俺の邪魔をするものは――破壊する」
触れた全てを破壊する神能“破滅”が〈ハデス〉を覆う。地を蹴ったヘルビアの進路上にいた悪魔が動く間もなく破壊され、瘴気のごとき魔素へと還っていった。今ここにヘルビアの行動を妨げられる存在はいない。
進行方向にあるのは第二闘技場。“王属騎士団”が陣を張り、ジニルが首獄狗種と相対している戦場へ、ヘルビアは歩を進めていく。
***
「あー…………めんどくさい…………」
「何回言ってるの! これだけ大変なときに怠けてる訳にはいかないでしょ! ただでさえ迷惑かけてるんだから、こんなときくらいは役に立たないと!」
「アルマだけで十分じゃん……僕まで来る必要ない」
「学園長先生が二人で来いっておっしゃったのよ。それなりの奴らが襲撃に加わってるんだと思うわ。それに、私が目を離したらどうせまた家から出てこないつもりでしょ。シリアスの思う通りにはさせないから」
気だるげに歩く黒髪で小柄な青年と、その横できびきびと歩く萌葱色で長髪、長身の少女。二人とも学園の制服を着ており、生徒であることが分かるが、悪魔から避難する生徒たちとは異なり表情に恐怖や不安の色はない。
「僕たち合同作戦会議にも参加してないのに……。急に参戦したらかえってややこしいことになるかもよ?」
「そもそもシリアスが寝坊して集合時間に間に合わなかったからじゃない! ……学園長先生が“王属騎士団”に私たちのことも伝えておいてくれたらしいから大丈夫よ。そもそも“王属騎士団”と共闘するかも分からないしね」
「えー…………」
非常にげんなりした様子の青年を無視して強引に引っ張っていく少女。向かう先はアリアたちが首獄狗種と相対している第一闘技場。
彼らが来た道には、瘴気じみた魔素が大量に立ち上っていた。
***
学園に集う強者たちは、相反する目的と思惑を持って武器を振るう。
ある者は守るため。ある者は楽しむため。ある者は奪うため。ある者は止めるため。共存し得ない他者を排除するために、悪魔は、そして神と人らは突き進む。
校庭にて衝突するミコトとベル。
第一闘技場にて衝突するアリア、アルス、シャルレスと首獄狗種。
第二闘技場にて衝突するジニルと首獄狗種。
第二校庭にて衝突するレインとクリューエル。
そして、それぞれの陣営に与する者、あるいは今まさに戦場へ赴かんとしている者。
誰もが勝利を目指し、持てる全てを尽くした戦いが始まる。
――総力戦が始まる。




