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2―1 迷子と占い

 〈フローライト〉と“王属騎士団”の合同特殊作戦会議が行われた日の翌日、日曜サン


 休日にあたる日曜の日は当然ながら神騎士学園も休みだ。神騎士を目指す生徒たちに与えられた貴重な休日とあって、レインもいつもならばベッドで微睡んでいるはずの昼下がり。


「はぁ…………」


 とぼとぼと、レインは王都を歩いていた。


 王都の中心部から少し外れた路地の一角は、どこを向いても同じような景色をレインの瞳に映し出す。どこから来たのか、どの方向へ進むべきなのかはとっくの昔に忘れてしまった。見上げたところで、目印となるはずの独特な形状をした建築物である騎士城ギルドは、ぐるりと周りに密集する家屋に阻まれて見ることはかなわない。


「…………ここ、どこ?」


 端的に言えば、レインは道に迷っていた。


  ***


 今朝、唐突にレインのもとに届いたはた迷惑な〈天声リベレーション〉。送り主であるカイルの指示に従ってレインは王都に赴いた訳だが、あまりにも説明が粗末すぎた。


『以前、私たちが話した廃屋へ来るように。渡したいものがある』


 一方的にそんな用件だけを伝えて〈天声〉は切れた。人が惰眠を貪っているときにそんな言い方はないだろ――などと抗議できるはずもなく、渋々レインは指示に従うことにしたのだが、そもそも廃屋の場所など覚えていない。たった一度、それもほぼ成り行きに任せて着いたような場所だ。先導するカイルに付いていったことは朧気に覚えているが、路地裏の奥まった一角の正確な地点など把握できているはずがない。


 路地を歩きながら、こんなことならしっかり朝食を取ってくるんだった、と後悔するレイン。ものを渡すだけならばすぐに終わるだろうと踏んでいたのだが、道案内が一切ないとは思っていなかった。こちらから〈天声〉を試みても返答は全くない。

 カイルを騙った何者かの罠の可能性を疑ってみても〈天声〉に違和感はなかった。単純にカイルが多忙ゆえに返事ができていないのだろう。あるいは意図的に無視しているか。いずれにしろ、それが人を呼ぶ側の態度か――などと抗議する勇気はやはりなく、レインは愚直に道を進んでみるという明らかな悪手を取ることしかできなかった。


 交渉時に感じた特殊な感覚――何者も範囲内で起こった事象を感知できなくなるらしい空間に入ったときに感じたものだ――は既にうっすらと肌を包んでいる。つまりはあの廃屋から、あるいはあの廃屋にいた神器使いからそう離れてはいないことになる。

 大雑把な方向的感覚のみを頼りに進んでいるので、どうしても時間はかかってしまう。いっそ辺りの家々の屋根に乗って一帯を確認したいところだが、一般の居住区であるらしいこの周囲には普通に人が住んでいるようだ。生活音が聞こえる家もあるし、下手な行動をすれば怪しまれるのは明らかだろう。


 あてのない彷徨を続けるしかないことを悟り、レインがもう一度ため息を吐きかけたとき。


「おらっ! こっちに来い、詐欺師!」


 レインの耳が捉えたのは怒気を含んだ声。呼応して、小さな悲鳴とズルズルと何かを引きずるような異音が続いた。

 何かしらの諍いがあったのだろうか。それにしては反論の声はなく、引きずる音は、一方的な乱暴に近いものに思える。少なくとも穏やかに話し合ってすむ問題ではなさそうだ。


 遠くはない。だが、複雑な路地の構造のせいで声が反響し、あるいはくぐもって位置が特定できない。


 首を突っ込むべきか――と一瞬逡巡したレインだが。


「誰か……助けて…………!」

「…………」


 微かに聞こえた掠れ声が、レインの足を声がした方向へと向けさせた。


 おおよその距離はレインでも分かる。しかし、入り組んだ地形のせいで位置を把握できない。アルスがいれば〈可聴世界エコーロケーション〉で即座に看破できるのだろうが、生憎と今は、隣にあの金髪の青年はいない。


「こんな路地裏に助けなんて来るかよ! いいから大人しく来い!」


 とりあえず一番声が大きく届いてくる方向へと進んだレインは、そこで足を止めた。ズルズルという音はいまだ断続的に聞こえてくる。つまり相手方は移動中――恐らくは人気の少ない場所へ、詐欺師(仮)を引きずっている。


 レインの鍛えられた耳だからこそ会話、というか大声を拾えているが、一般人、それも家の壁を隔てていればほとんど聞こえる者はいないだろう。確認のために外に出る者はなく、路地は静まり返っている。

 いっそ窓の一つでも開けてくれれば、この辺りで人気がないところを聞けるのに――と思ったレインは、また新たな音を捉えた。


 ガシャッ、という硬質な音と共に何かを引きずる音が変わった。より湿った……石畳ではなく、土の上を擦る音だろうか。


「……!」


 心当たりが一つだけ。ここに来るまでに散々迷った際に見かけていた、金網で道の先が閉ざされた一本道。金網の奥は土だったはずだし、あんなところに人が住んでいるとは思えない。

 幸いにも覚えている道順を頭の中で再生しながら、レインはそちらへと走り始めた。


 途中、幾度か自分の記憶が正しいか不安になりながらも進めば、件の金網へはすぐに着いた。予想通り、金網の右半分がひしゃげており、人が通れるほどの隙間が空いている。元からかなり錆び付いていたため、壊すのに苦労はなかっただろう。

 先は日中だというのにかなり薄暗く、いかにも人が寄り付かなそうな雰囲気を醸し出していた。むしろ菌類やら両生類やらが好んで住み着いていそうな感じだが、レインはそれらが苦手な人種ではないので大した躊躇もなく金網をくぐる。


 聞こえる声はかなり切迫したものになっている。猶予はあまりないようで、レインは先を急いだ。


「返せっつってんだよ! テメエのインチキな占いとやらに払った金をよ! 何が『未来を占う』だ、馬鹿にしやがって!」

「ち、ちが……私は確かに占った未来をお伝えしただけで…………」

「ならどうして俺たちが『涙を流し逃げ回る』未来なんぞ見えるってんだ! ふざけるのもいい加減にしろよ!」


 段々と大きくなっていく声からするに、道はこちらで合っているらしい。走る速度を上げ角を曲がったところで、ようやくレインは目的の場面に遭遇した。


 行き止まりになった道の最奥で、大柄の男二人が貧相な体つきの人物を囲んでいる。二人の男の背中に隠されて、脅されている側の人物の顔はよく見えない。


 男たちの怒鳴り声から察するに、どうやらあの二人組は占い師に占いを頼んだらしい。その結果が男たちの意図するものではなかったため激昂――今に至るといったところか。

 いくら何でも短絡的すぎるとレインは思ったが、男たちはひどく酔っているようだ。日曜とはいえこんな真っ昼間から……と呆れそうになるものの、レインは酒を飲む感覚が分からないので何とも批判しづらい。


 さて、問題は現在レインには抜剣する権利がないということ。背にはいつものように透明化した〈タナトス〉を吊ってはいるが、神騎士学園の生徒が有するのは抵抗権、つまりあくまで相手が先に攻撃してきた場合にのみ受動的な防衛、反撃が許されるというものなのである。今回のようなケースでは、敵方の攻撃は自分に向いていないため、例え他者を守るという名目でも剣を抜くことは許されない。

 今レインが先制攻撃を加えるには、特定の騎士団の団員が持つ懲戒権が必要になる。しかしもちろんレインは騎士団員ではない――一応“王属騎士団”所属ではあるが、非公式であり権利も有さない――ので、いずれにしろここで見ていることしかできないのだ。


「さっさと出せよ! さっき払ったばっかなんだ、持ってるだろうが!」

「し、しかし…………」

「……ちっ、出せねえならもういい。だったら…………他のモンで払うしかねえよなぁ…………?」


 男の一人が下卑た笑いを浮かべる。視線の先にあるのは何だろうか。いや、想像する必要もない。


 レインの瞳から光が消えた。


 金品の強奪などならまだしも、誇りや尊厳を傷付ける行為はこの世で何よりも愚かで下衆なものだ。つまりはレインが最も嫌う所業だった。何者であれ、他者を愚弄する権利など有してはいない。

 懲戒権の有無など二の次だ。第一、目撃者もいないこの場所であれば権利の問題などあってないようなものである。少なくともここで剣を抜かない方が、人としての価値を問われるべきだろう。


 男たちの手が怯える人物へと触れる寸前、レインは背に吊った剣の柄を握りしめ――


『失せなよ、ゴミ共』


 ――る前に、不思議な声が響いた。


 声質は物理的なものに近いが、発信源が分からない。四方を覆う建物による反響というよりは、発信源自体の位置が定まっていない感覚だ。高く低くを不規則に繰り返し、一定に定まらない。


「な、何だ!? 誰だ!」


 男たちにも聞こえたようで、手を止め辺りを見回す。大して広くない空間だ、探せば声の主は見つかりそうなものだが、しかしレインを以てして主は見つけられない。

 シャルレスのような視認を困難にする能力かと思い、“虚無エンプティ”を封じた護符を用いて、自身に作用する一切の能力を打ち消したが結果は変わらない。つまりこれは異能や神能に類する能力によらない事象であるか、能力であったとしても他者に影響するものではないということになる。どちらかを判別するのは難しいが、要は今のレインには声の発信源を捉えられないということだ。


『管轄内でそんな下らない真似をするなって言ってんの。アタシが寛大にしてる間に失せて』


 不思議な声はそう続けた。「管轄内」という言葉には引っ掛かりを覚えるが、レインとしては成り行きを見守るしかない。


何者なにモンだ、テメエ! 俺らをおちょくってんのか!」


 男たちが胸元から取り出したのは肉厚の短剣ナイフ。聖具やましてや神器ではないが、一般人が持つには少し攻撃的すぎる代物だ。普通の店で売られているようなものではないので、この男たちにはこんな短剣を手にいれるルートがあるということだろう。


 しかしどうやら、男たちの反応は声の主の気には召さなかったようだ。明白に声の温度が下がった。


『これ以上忠告を無視するなら、死ぬよ?』


 ――ヒュン、と何かが通過する気配。


 男の片割れが持つ短剣は地に落ちていた。


 より正確には、短剣を持つ手首ごと、地に落ちていた。


「……ひっ、ああああああああ!?」


 遅れて腕を切断された男が痛々しい悲鳴を上げる。酔いなど一瞬で覚めただろう。反応からするに、どうやら命の取り合いをするような戦闘の経験などなさそうだ。いや、そんな事態を多く経験する者の方が圧倒的少数ではあるのだが。


 連れの男も状況をうまく飲み込めていないようで、体を動かすことすらできていない。棒立ちのまま、必死に辺りを見回すだけだ。


『次は足。その後は腹。最後は――』

「はっ、ひっ……! うわあああ!」


 処刑の宣告にも似た言葉が男たちの心を折るのは容易だった。次の瞬間には、醜態を晒すことなど気にもせず全力でその場から逃げ去っていった。

 途中、角で隠れていたレインともすれ違ったが、それに気付くこともできないほどに動転していたようだ。追うのも馬鹿らしく感じ、レインは視線を一本道の奥へと戻した。

 男の腕の切断面には簡易的な治癒術式が付与されていた。もうじき血は止まるだろうし、命に別状はないだろう。あれだけ綺麗に切断されていれば適切な処理によって再生もできるはずだ。高額な金は必要になるだろうが、そのくらいの罰は与えられてもいいとレインは思った。


 謎の声の正体は姿を現さなかった。しかし――姿は見えないまま、やたらと近くで声が。


『こんなところで油売ってる時間があるならさっさと来なさいよ。アタシだって暇じゃないんだから。……ったく、どいつもこいつも…………』

「…………」


 レインに向けられた小言……なのだろうか。しかし、声が近付いたことであの不規則な音の揺れが軽減し、幾分か聞き取りやすくなった。まだ幼い――とは言ってもミコトほどではないが――女子の声。一度だけ聞いたことがある声だ。


「あー……シウネ、さん?」


 シウネ・グロノア。カイル直属の精鋭部隊である第零部隊に所属する少女。あの夜は名前しか紹介されなかったので、それ以上詳しいことは何一つ知らない。


 返答はなかった。既にどこかへ行ってしまったのだろうか。恐らくは彼女が例の廃屋にて待っているのだろう。


 レインが紹介された第零部隊の三人の中では最もレインが苦手とするタイプという印象だ。そんな彼女と顔を合わせることになると知り多少げんなりしたレインだが、一応は上司となるカイルの指示を無視する訳にもいくまい。


 しかしそんなことよりも、今は目の前で座り込んでいる占い師らしい人物の方が心配だ。急いで駆け寄り、膝立ちになって視線を合わせる。


「だ、大丈夫ですか? 怪我とか…………」


 おずおずと顔を上げた占い師。


 端正な顔立ちだ。真っ白で艶のある長髪は、地に乱れていようと輝きを失っていない。絹のように柔らかに流れる前髪の間から覗く瞳は黒みがかった深い青色で、見つめると吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力を放っている。

 顔だけでは男女の判断がつかず、レインは戸惑った。アルスのような外見的な幼さはないのだが、男性のような凛々しさと女性のような可憐さを内包する表情が性別を覆い隠している。視線をわずかに下に向けてみても、身体的な性差は判別し難い。少々身の丈より大きく見える白い貫頭衣の胸は膨らんでいるようには見えなかったのだ。


 しかし、魅力という点では確かに頷けるものがある。酔った二人組が襲おうとしたのも――決して許される話ではないが――不思議ではなかったのかもしれない。


「あ……ありがとうございます。助けていただいて……」

「いや、実は俺が助けた訳ではないんですけど……」


 占い師の言葉は否定したものの、第零部隊に関わる話ゆえに大っぴらに全てを話すのも躊躇われて、レインは中途半端に言葉を濁した。幸い占い師は追求もせず、身なりを整えてその場に正座する。


「先程あの二人を占ったのですが、その結果にご満足いただけなかったようで、このようなことに……。ここまで引きずられた際に多少擦りむいただけで大きな怪我はありません。改めて、ありがとうございます」


 深々と頭を下げられると、さすがにレインにも罪悪感が生じた。「ホントに俺じゃないんです」と不自然極まりない返答と共に占い師の礼をやめさせる。


 何はともあれ、占い師には自分で言っている通り大きな怪我はなさそうだ。一人にするのは少々不安だが、先程逃げていった男たちも、あれだけ怖がっていればまさか仕返しに来る勇気はないだろう。

 見たところ占い師の精神面も安定しているようだし、レインはこの場を立ち去ろうとしたのだが。


「では、お礼と言ってはなんですがあなたの未来を占いましょう。これくらいしか私ができることはありませんので」

「え、いや、そんなこと…………」

「いいのです。私が占いたいと思っただけですから」


 無視することもできず、半ば強引に占われることが確定したレイン。仕方なく座り直したレインを見据えた占い師が貫頭衣の下から取り出したのは、水晶ではなくカードの束。どうやら紙様占タロットが得意なようだ。


 何やら唱えつつ束を切り、表が見えないように地に置く。そして束を中心に円を描くように、束の上から取ったカードを表にして並べていく。


 九枚のカードがちょうど束を囲む円を描いた後、占い師は束に手を乗せた。


 瞬間、周囲の魔素がざわめく。それらが一様に占い師の手へと集まり、可視化された魔素の高まりが光となって手を包んだと同時、そこを中心に風が起こった。


「…………!」


 カードが宙を舞い、四方八方へ飛んでいく。三十枚はあったであろうカードの大半がどこかへ吹き飛び、その場に残ったのはたった三枚。


 短く息を吐いた占い師は、残った三枚を表にした。


 カードに描かれた絵がどのような意味を持つのか、当然ながらレインには分からない。

 占い師はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「『もう一人の・出現・喪失』。これがあなたの未来です」

「…………」


 告げられた未来とやらが何を表すのか。『もう一人』からして何のことを言っているのか分からない上に、出現や喪失とは一体。


「それ……どういうことですか?」


 思わず尋ねてしまったレインに対して、占い師は簡潔に答えた。


「分かりません。私は占ったこと以上の、具体的に何が起きるかといったことは知り得ませんので」

「……そうですか…………」


 拍子抜けしたレインだが、少なくとも先程の二人組に対する占い師の予言は命中していたのだ、この結果にも意味があるのかもしれない。忠告として心に秘めておこうとレインは思った。


「それでは、私はこの辺りで。ありがとうございました」

「あ、はい、お気を付けて」


 占い師は立ち上がると詠唱し魔法を発動させた。四方八方に散っていたカードたちが一斉に集まり、占い師の手の平に整頓されて乗る。

 普通のカードに見えたが、魔法具アイテムなのだろうか。そんな疑問は口には出さず、レインは占い師が路地を抜けていくのを見送った。


「…………あ」


 しばらくぼーっとしていたレインだが、自分にも用があったことを思い出し、急いで走り出した。

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