90.みんなの心
私達は、全速力で走る。スカートを持ち上げて、森を走り抜ける。
ウォルを離さなかったらよかった…と、後悔してしまう。
何考えてるのよ。ウォルを危険な目に遭わせてしまうかもしれないのに。
これでよかったのよ…と、膝を震わせながら、必死に走る。
ごめんなさい。…やっぱり、馬に乗りたいよ!
辿り着いた瞬間、何かが叩きつけられた音がした。
「うぐっ…」
クレイグが胸を抑える。彼の服は土と血液で汚れていて、くすんだ金髪がいつも以上にくすんでいる。
「クレイグ!大丈夫か!?」
アンドリューが駆け寄り、クレイグの様子を確認する。
「馬鹿野郎!おっせーんだよ!どこで油…うっ…」
「傷に触るから、叫ぶなよ」
「叫けばしたのは、お前だ!」
ゴホゴホ彼は咳き込む。私も近づき、彼の顔を覗く。
いつもの余裕な表情はなく、歪んだ顔で…黒を見ていた。
「何あれ?」
私のつぶやきに答えることなく、黒い煙の塊は、私たちの方まで襲ってきた。
「やめてください!」
メイドの声と同時に、煙に向かって木の枝が投げられた。
煙は一瞬消えかけ、赤い何かがロザリーの方を向いた。
「ロザリー!」
私は標的を変えた煙から守ろうと走るが…間に合わない!
パン。
「女にてー出すなっつっただろ?」
クレイグが血を口から少し出しながら、不敵に笑った。彼は自分の十八番で、敵の視線を変えようとしたんだ…
もう…男という生き物は、どうしてそんなに命知らずなのよ!
ロザリーも同じことを思ったらしく、こんな状況なのに思いっきり頭を抱えた。
私たちは…というより、ロザリーがクレイグに文句を言いに行く。
「なんなんですか、あんたは!」
「は!?助けてもらったのに、その口かよ!」
「だーれも、助けてだなんて言ってませーん」
「な…!?い、イタタタ…」
また叫びすぎて、どこかを痛めてしまったのかもしれない。本当に…学習しないのね。
「サラ。助けてやれ」
アンドリューが私たちの前に立ち、剣を構える。
「おいおい。何言ってんだ、アンド…」
「サラ?」
彼の強い言葉に、私は思わず頷いた。
「ちょっと。どうやってやるんだよ?つか、俺はこのくらい…」
「クレイグ。一回黙って」
私が彼の口に人差し指指を当てる。ロザリーが息を飲んだが…ほっときます。
クレイグが困惑しているのを無視して、私はそーっと抱きついた。ロザリーが涙目で驚くが…ほっときます。
アンドリューは、私たちから背を向けているが、ショックを受けちゃっているのは簡単にわかる。でも、大丈夫よ。0.004ミリぐらいの間があるもの。
クレイグは最初は顔を真っ赤にしていたが、だんだん彼の傷は癒えていき、少し驚いた表情を見せた。
「大丈夫?」
「あ、うん…」
クレイグが『ありがとう』の一言も言わず、頭を傾げている。
あなたって…ばかなのね。アンドリューは、このことがどういうことを示すか、多分気づいているのに。
「どうしてだ?」
黒い煙の物体がだんだん形を取り戻し、あの忌々しい姿になった。
あのイケメンフェイスは憎しみに歪み、蔑むような目をしていた。
「サタン…」
「どうしてだ!?バンパイアは、人間の傷を癒す能力など、ないはずだぞ!?」
「…え?」
私が目を丸くすると、クレイグとロザリーが納得だと言うようなため息をついた。
「アンドリューも…サラはバンパイアなんだぞ!?それに気づいているのに、見て見ぬふり!また、シャーロットと同じ目に、サラをあわせる気か!?」
「ちゃんと見てるよ」
アンドリューは真剣な表情で、サタンを睨みつけた。彼の赤髪がさらりとなびくが、それに一切構わない姿から、この戦場の緊張感を増加させる。
「見ているから、サラと一緒にいたいと思うんだ。サラが、必死になってバンパイアの運命から逃れようとしているから、助けになりたいって思っているんだ!」
すると、「へー」と含み笑いをしながら、クレイグがアンドリューの肩に手を乗せた。
「つまりだ。このアンドリューくんは、サラちゃんがどんなやつでも受け入れて、一緒になりたいと?」
「そんな誤解を招くようなセリフをはかないでください」
ロザリーが、彼の脇腹を肘で攻撃した。
「サラ様は、バンパイアではありません」
彼女はみんなより一歩前に出て、そう言い放った。
「サラ様は、サタン様に血を吸われたのかもしれない。しかし、そうだとしてもサラ様はバンパイアじゃない。バンパイアにしては…」
そして、彼女はふっと笑った。
「優しすぎる」
…どうして?どうして太陽が出ていないのに、彼らが輝いて見えるの?素敵に見えるの?
私は無意識で涙を流した。その涙があったかくて…人間らしいと思ってしまって。もっと涙を流し続けた。
「それだけで済むか!そんな…そんな理由で!」
「俺、一つだけずっと考えていたんだ。もし、大切な人が、バンパイアになっちゃったらって」
その悲しそうな声で、彼はシャーロットと私のことを言っているんだろうと思った。
「もし、シャーロットのように、みんなに危害を加えるなら、殺さなきゃいけない。でもさ…」
彼はポケットの中から隠し持っていた短剣を、サタンの横に向けて投げた。
「もしも、そうじゃないんだとすれば、俺は受け入れる。バンパイアと人間だって…きっと、恋愛は成立する。そうだろ?」
彼はもう一つ短剣を取り出し、地面にぐさりと差し込んだ。
アンドリューが笑った。私は、今の彼以上にかっこいい笑顔を見たことがなかった。
「俺言ったよな?生きることを諦めんなって。何があっても、サラの味方だって!」
そして、アンドリューは敵がいることを忘れて、私と正面から向き合った。
「サラは?」
まるで、五歳児ね。こんな屈託無い笑顔を向けられて、この世の誰が否定するのよ?
「私も好き。バンパイアでも、好きって言ってくれるアンドリューがだいっすき!」
私と一緒にいてもいい。いや、一緒にいたい。
そう言われて、私がどれだけほっとしたのか…きっと、あなたは一生理解できないでしょうね。
そのくらい…そのくらい私はあなたのことが、好きなんです。




