87.助けられなかった
俺はシャーロットにバレないように小声で指示を出した。
無謀だろ?だから、やめとけ。さっさと逃げろ。
そう言おうと思ったのに、彼女の目は真剣そのものだった。マジでやる気かよ…
まあ、いっか。正直言って、これ以外の選択肢を思いつくことはできない。
「頼むぞ」
「わかった!」
彼女は五歳の少女を思わせる笑顔を俺に向け、トコトコと走っていった。さっそうと、ではない。それだけで本当に心配…
いや。あいつは一応、十七だ。そうそう簡単に死ぬ…ああ、もういい。心配は置いといて、さっさと終わらせよう。
「シャーロット」
「逃さないわよ」
「ああ。わかってる」
平然と答えた俺に、彼女は戸惑いを隠せていなかった。
わかってんだよ…一応、俺は兄貴なんだ。
「さあ。始めよう」
剣は、彼女の方に、まっすぐと向けられる。
「すぐに終わるわ」
シャーロットがまたボールを出す。でもよ。わかっちゃったんだよ、その攻略法。
「そのボール、憎しみのパワーからできるっつたよな?」
俺はボールを切った後、彼女に笑いかけてみせた。
「じゃあ、気を散らしたらどうなるんだろうな?」
「なっ!?」
やっぱり。彼女は他のバンパイアとは違うんだ。
「風貌や髪色を変え、自らを偽った理由。それは、お前がバンパイアになりきっていないから。その自信の無さは、お前の目が泳いでいることが証明している」
そして…なぜ、サラにテレポートについてあんなに問い詰めたか?先を越されたと思ったから…そうだろ?
俺自身が思いついた推理を、自分自身で否定したくなる。違うよ…多分。そんなわけ、無いに決まっている。
俺はイラつきを隠しながら、シャーロットを睨んだ。バンパイアを消せば…きっと、サラと幸せになれるんだ!
「泳いでいない…」
「泳いでいる!」
カンッ。
出ました。あの、短剣。
集中力が無くなったら、もう黒ボールは出せなくなる。
さあ、こっからだ!
俺が剣を横に向けて切ろうとしたが、彼女は間一髪で避ける。首筋に向けたら、上にジャンプ。
やっぱり…靴のことを忘れている。
今だけ忘れさせよう。今だけ、だ。
さあ、いつ来る?天然お嬢様!
「きゃあーーーーーーー!!!!」
彼女の甲高い声で、俺の頭が『イタイ、イタイ、イタイ!』と叫んだ。
み、耳が…というより、頭がーっ!
「やめて、アンドリュー!お願いだから、やめて!」
サラが泣きじゃくりながら、俺たちに訴えかける。
「いくらバンパイアだからって、兄妹で剣を交えるだなんて…そんな悲しいこと、私二人にして欲しくない!お願い…お願いだから、もうやめて…!」
…これって、演技なんだよな?
なぜか、俺の目から塩水が流れた。んなこと言うなよ…信念が揺らぎそうで…やめろよ。
「くそっ!」
俺がシャーロットの足元を切ろうとして、彼女はハッとする。かなり使える、あの靴に…
「お人好しね。サラって」
彼女は一瞬でサラの元へ向かう。よし、チャンス!
俺は袖で、水を止める。
演技じゃないよ。私の本心を、ただ話しただけ。ただ叫んだだけ。
アンドリューは、こんなことを求めた訳ではないだろう。きっと…決心が揺らいでしまったに違いない。
でも、これが私なの。
どこかで信じたいの。バンパイアだって、人間と仲良くできるって。そうじゃ無いと…私、悲しくなっちゃうから。
「お人好しね。サラって」
冷徹な声に、私はハッとした。ど、動揺が終わった!?
これって…アンドリュー勝てるの!?
シャーロットは煙の出る靴を使いこなし、私の近くへ一瞬で来る。
「いだっ…」
髪を掴まれ、上から目線で彼女は私を睨んだ。
「綺麗事言ってんじゃないわよ」
「…」
「なんなのよ!あんたって!」
「ダメなの!?」
ふと、シャーロットの手が少し緩む。
「綺麗事じゃダメなの!?綺麗事を信じちゃいけないの!?」
その時、私には恐怖ではなく、何かが心にストンと落ちるような、変な感情が現れた。
アンドリューに助けてもらえるってわかってるのに…なんだか、死期を悟ったみたいじゃない。
すると、シャーロットは怪訝そうに顔を歪めた。
「なんで笑っているのよ?」
「…改めて、私って変な人って思ったのよ」
「はぁ!?」
彼女の手が、自然と上に引っ張っていく。イタイ、イタイ。ぶちぶち言ってるよ…
少しだけ涙目になり、痛みを耐えながら、そっと笑った。
「綺麗事言わないとやってらんないのよ。でも、それでもいいじゃない。私、兄妹なんていないから…ずっと一人ぼっちだったから、仲良くしてほしいよ」
「…うるさい」
「この世にたっくさんの人がいると思う。でもね。あなたのお兄ちゃんは、アンドリューだけなのよ?」
「うるさい!」
彼女が私の足に、熱い靴を乗せた。そして、グリグリと、地面に押し付けていく。
地獄のような痛みが、私の足に襲いかかる。
「あんたに何がわかるのよ!?小さい頃から、誰とも会わないで生活してきた私の感情の何がわかるのよ!」
「私だってそうだった!」
「…じゃあ、そのたった一人のお兄ちゃんが、どうしてあんなに冷たかったの?なんで!?」
彼女の涙に気づいて、私は何も言えなくなってしまった。
…辛かったんだ。
二人は、どうしたらいいかわからず、ずっと冷たい態度を取っちゃったんだ。
そんな時、この悲しい兄妹は敵同士になってしまった。憎しみが生まれちゃっても…おかしくない。
救うことができないの?二人を…助けることは?
シュ。
目の前で、人間らしく泣いていた彼女の頭が、空へ舞う。
シャーロットの涙と赤い血しぶきが、混ざり合って地面へ落ちた。
悲鳴をあげられない。あげられないほど…私は呆然とした。
…ねえ、アンドリュー。あなたは大切な妹を、助けることはできなかったの?
私は…最初から、何もできなかったの?




