39.私の意志
「俺のカウントで、飛び出せ。まっすぐ行けば、小さな丘がある。そこは、この街で一番最初に日が差す場所。俺が言いたいこと、わかるか?」
「ええ…」
サラが答えると、俺はすぐに身構えた。
目の前にいるバンパイアは、女。しかし、こいつから、近寄ってはならない…触ってはいけない何かが感じられる。親父を見送った時のような、触っちゃいけないオーラが。
握り直した剣は、俺にただならぬ恐怖を与える。…サラのように、元気とか、やる気とか…そういうポジティブなものを与えて欲しいぜ。
「行くぞ。スリー、ツー…」
俺は、バンパイアに向かって、走り出した。
「ワン!」
そう叫んだ瞬間、俺は女に向かって剣をふりかざす。
…は?
この渾身の一撃を…短剣で普通に受けた!?
後ろでバッと音が聞こえた。サラが逃げて行った。一目散に、こけながらも…
相変わらず、ドジだなあ…
俺は一度引くと、改めて体制を立て直した。
「…逃したところで意味はない。沢山のバンパイアがそこら中に散らばっている」
「でも、バンパイアさん達も、無敵じゃない…だろ?」
俺は剣を構えながら尋ねた。
「何か、オディール殿はいいものでも持っているのか?」
「さあね」
つーか、久しぶりに『オディール』だなんて単語聞いたな。
ずっと、サラを守ってきた。サラって呼んでもいい、オディールと呼ばなくてもいい世界で、彼女と一緒に暮らしたい。
…俺は、多くのものを失ってきた。だから、せめて彼女だけでも…サラだけでも守る。絶対に。
だから、ここで死んでられない…
きっと、もうすぐクレイグとアレクさんがやって来る。だから、それまで耐えるんだ。
『完全勝利は不可能』と、心に決めて。
「勝負だ…!」
走っても、走ってもダメ!
ずっと何かに追われている気がする。止まって振り返ったら、何かに食べられそうな…そんな気分。
『オディール…オディール…』
私はハッとして、一瞬足を止めた。しかし、すぐに気を取り直して、走り出す。
この声…ルシフェル伯爵!
『オディール…オディール…』
やめて…やめて!
耳鳴りのように響くその声は、私の血の中に何か悪いものを流していく。言うなれば、毒を回されているような…気持ち悪い。
『オディール…オディール…お前の名はオディール…』
「うるさい!もうやめて!」
私は思わず足を止めて目と耳を塞いだ。
ふと目を開けると、そこは比喩ではなく、本当に別世界だった。
…色が…無い?
そこは、黒の濃淡だけでできた世界。色が失われた世界だった。
私は自分の服を見ると、灰色になってしまっていた。水色だったはずなのに…
あれ?みずい…ろ?ミズイロって、どんな色?というか、色って何?色、色、いろ、イロ…?
「どうしたんだい?オディール」
ゆっくりと顔を上げると、そこには優しい顔をした悪魔が立っていた。
「サタン…」
「ねえ。オディール。帰ろうよ。君がいなきゃいけない場所へ」
「いなきゃいけない…場所?」
そして、彼は私のペンダントを手で隠しながら、私に笑いかけた。
「君は、バンパイアなんだよ。人間じゃない。人間といちゃダメ」
「え…?」
私は必死になって首筋を触った。…噛まれていない。
「私は、まだバンパイアじゃないわ」
「でも、君は人間と一緒にいることは許されないんだ。君は、バンパイアに育てられた。だから、君はバンパイア」
そして、彼は私に手を差し出す。
「君はオディール。君はバンパイア」
私はペンダントを強く握りながら、ゆっくりと手を伸ばしていく。
かちゃん!
私はペンダントを壊してしまった。ロケットと十字架が外れてしまう。
ロケットの写真を、私はまじまじと見つめる。一つの写真…ある男の人が、女の子と笑っている写真…男の人だけ、色づいて見える。
「君の名前は…」
「サラ。サラよ」
私はポツリとつぶやいた。アンドリュー。アンドリューが言った。サラって。だから…だから。
「私はサラ」
そう言った瞬間、首筋に殺気を感じた。
「…っ!」
私は一瞬で振り返り、十字架を彼に向けた。
「消えて!今すぐ!私はサラ!オディールじゃない!」
そう叫ぶと、サタンの表情がグニャリと歪んだ。
ヨタヨタと私から遠ざかり、逃げ去って行った。
「アンドリュー…」
気づいた時には、世界に色が戻っていた。




