38.彼の意志
涙が出てる。でも、きっと、泣き止むことは出来ない。
訳が分からなかった。アンドリューが人を殺してる、という光景自体が、そもそも理解不能だった。
さっきから、とにかくつまずく。そのたびに、自分の情けなさが増して行く。
…止められなかったの?バンパイアから人間に戻す方法は?
無理なのに、私はそんなことばかり考えてしまう。
…情けないよ。
たった、私一人のためだけに、たくさんの人がバンパイアになってしまって…
不意に、私は『戻りたい』と思ってしまった。感情の欠片もなかったあの時に、戻りたい、と。
…どこよ、ここ。
私はヘナヘナと座り込んだ。風船の空気が抜けるように、私の気力も失われていく。
「どうしましたか?」
ふと顔を上げると、フードを被った人が立っていた。その人の顔は影になって見えないが、多分、女の人。声が高かったから。
「動けないんです。何もかも、辛くて、悲しくて…もう、どこかに消えてしまいたい…」
「それは、お辛いですね…」
そう言って、彼女は私に歩み寄った。
この人は、天使なのかな?とても綺麗な声で、まるで今夜の月のようだった。
「では、一緒に消えますか?」
「…え?」
「私もここから消えないといけませんので…」
すると、彼女はすっと手を出した。私は、何かに惹かれるように、ゆっくりと手を伸ばし…
「サラ!」
私はハッとして、後ろを振り返った。
「サラ!早くそいつから…」
「アンドリュー、来ないで!」
「ばか!そいつは、バンパイアだっ!」
彼に怒鳴られて、やっと私はバンパイア特有の寒気に襲われた。
こ、この人…!
「さすが、銃士隊一の実力を誇った男の血を引くアンドリューさんね」
「…あ?」
アンドリューの目が、一瞬赤く光る。目の前の女性の声が、急に冷たくなった。
「もっと早くさらうべきだったわ」
「俺を待ってたんだろう?」
彼女がふんと鼻で笑った。そして、ゆっくりと後ろに下がり、彼女の顔を私達に…見せなかった。…仮面をつけてる。ふざけた、道化のような仮面。黒で書かれた口は不気味に上がり、目元はカラフルに彩られ、青い涙が描かれている。
「君もバンパイアになったらどうだ?アンドリュー殿のような、美しさと強さを持っているお前なら、きっとあの方も『本当の永遠の命』を与えてくださるだろう」
「黙れ」
「お前は、あの雑魚どもとは違う。理性を失い、なりふり構わず血を吸うやつらとは」
「つまり、お前はわざと理性のないバンパイアを…!」
アンドリューが、私の前に立ち、剣を敵に向ける。
すっと彼は私にペンダントを差し出した。バンパイアの女性がまだ話しているのに、完全に無視している…
「サラ。俺がやつを切りつけ出したら、すぐに逃げ出せ。バンパイアに襲われたら、これで対抗しろ」
アンドリューが渡そうとしているペンダントを、私は受け取ることができない。
「動けない…私…もう、どうなっても…」
「サラは、俺のことを恨んでいるのか?」
アンドリューが独り言のように、私に尋ねた。その背中は、たくましさの中に悲しみがにじみ出ていた。
「サラはバンパイアを殺す。ということは、罪だと思うか?」
「…え?」
「俺は、思わない。もちろん、バンパイアと言えども、殺人には変わりない。だが、こうとも考えられないか?」
彼は少し涙の浮かんだ目で、私に笑って見せた。
「バンパイアになって永遠の命を得ても、それは自分の人生を束縛しているだけだ。命に終わりがないのは、死より辛い。俺は、そう思う」
彼の頬を、水が伝っていった。
「俺の理論を押し付けているわけではない。だが、サラは大切な友達に、終わり無くあいつらに仕えることを、黙って見ていられるのか?」
そう彼が笑うと、私の顔を引っ張った。止まっていた涙が、私の目から洪水のように流れ出す。
「…痛い」
「ああ。痛いよ。全部痛い。でも、痛みを理解できる間は、俺たちは人間だ」
彼は私の手にペンダントを握らせると、すっとアンドリューは立ち上がり、もう一度バンパイアに剣を向けた。
「バンパイアを人に戻すことは、不可能。だが、根絶やしにすることはできる」
そして、彼は剣を胸の前に構えた。
「せめて、魂が汚れる前に、天国に送ってやる。それが、俺たちができる、バンパイアに対する懺悔だ」
一瞬で、彼のオーラが変わる。その背中は、本気のアンドリューの背中だった。
そのオーラで、彼の周りの景色が、すべて変わったように見えた。
「覚悟しろ。俺の大事な人を、傷つけた罪だ」




