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黒から私は色を作る  作者: 西川 涼
最後のクリスマス
10/97

10.涙の止め方

 デニッシュは、とても美味しかった。でも、アンドリューが、なぜ女子向けの本の話を知っているかについての、面白い弱みをゲットできなくて、ほんの少しもったいない気分だった。


「なあ。ロザリーさんだっけ?巻いてしまってよかったのか?」

「うーん…いいんじゃない?」

 私の適当さに、アンドリューは呆れ顔を浮かべる。

「なあ、サ…オディール」

「サラでいいわ。でも、ロザリーが来たらオディールにして。怒られちゃうから」

「じゃあ…サラ」


 アンドリューの表情が、なぜか神妙になった。

「君の家は、どこなんだい?いくらお嬢様だからって、あんなにいい服を着てわざわざ偽名を使うのはおかしいだろう。あの格好なら、本名を名乗ってもいいはずだ」

 私はギクリと顔を歪めた。

 ばかなくせに、切れる男ね…と、一瞬だけ感心する。どうやってごまかそう…?


「あれか?マリッジブルーってやつ」

「マリッジ…?」

「ブルー。聞いたことあるだろ?結婚前に女が心配事だらけになって、どっかいっちゃうやつ」

「そんなんじゃないわ」

「じゃあ、なんだってんだ?」

 …やってしまった。よくわからないけど、マリッジブルーって言っとけばよかった。

 養父のルシフェル伯爵が、バンパイアとは言えないし…


「ずっと…ずっと、伯爵が怖くって、街に出られなかったの。でも、もうすぐ結婚しちゃって、本当に自由がなくなる。だから、今のうちに、最初で最後の自由の味を知りたかったの」

 私の中途半端な言い訳を、アンドリューは黙って聞いていた。少し眉の間にシワを寄せたので、もしかして彼は、私の嘘に気づいているのかもしれない。

 なのに、アンドリューはうっとうしそうに髪を掻きむしった。少し私から目をそらし、悲しそうに笑った。

「それか…こんなにお忍びが下手な理由は」

「そんなに下手?」

「クリスマスに喪服着るやつは、目立つだろ?目立つ行為は、お忍びとは言えない」

 その通りね…

 私は観念したように肩をすくめると、彼は優しく笑った。その瞬間、彼の姿と、記憶の薄い、大きな背中の男の姿が重なった。私の誕生日に、七面鳥を持ってきた…あの男。


「ねえ。サラ。その結婚する予定の男はどんなやつなんだ?君を、幸せにできるやつなのか?」

 その優しい声のセリフは、私の心臓をゆっくりと突き刺した。

 幸せ…?そんなの、思いもしなかった。ずっと。いや。今、この時まで、私は幸せなんか知らなかった。今、感じている感情も、幸せと言うのかさえ、怪しいくらいだ。

 でも、きっと、私は結婚したら、バンパイアにされてしまう。そのことで、私はロザリーと引き裂かれてしまう。それは、幸せじゃない。


「幸せ?そんなの関係ないのよ…伯爵に結婚しろと言われた男と結婚する。それしか私に選択肢はないの」

「幸せが約束されない結婚に何の意味がある?」

「じゃあ、あなたは、幸せのある結婚が正解って言うの?幸せのない結婚はおかしいって言うの!?」

 私がアンドリューに迫ると、強気だった彼の表情が一瞬で歪んだ。


「…おい。泣くなって」

 彼の言葉で、やっと私は目から水が出ていたことに気づいた。

 …おかしい。おかしいわ!最近、泣いてばっかり!そんな人じゃなかったのに。そんな女じゃ…!

「ば、ばか!洪水みたいに泣くなって!ああ…俺、ハンカチ持ってたっけ…」


 混み合う街の中、アンドリューが必死に私をなだめて、私は訳も分からず泣き続ける。周りの目は暖かかったり、冷たかったり…

 私は涙を流す方法を忘れてしまっていたのに、なぜか出てしまった。でも、止める方法も忘れている。

 きっと、しばらくは、アンドリューに迷惑をかけてしまうな。

 そう思って、彼のくしゃくしゃハンカチを受け取った。

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