01.プロローグ バンパイアの娘、オディール
サラ。
そう呼ばれていたのは、いつの事だっただろう?
たった五つだ。たった五歳の頃。
私は両親に捨てられた。
両親は農家だった。でも、私たちは植えた植物はことごとく枯れてしまう、土の悪い所に住んでいた。
本当に貧乏だった。
でも、私は幸せだった。
ご飯は、ママの手のひらほどしかないパンを三等分。そして、年老いた牛が出すミルクに、運が良ければサラダ。クリスマスには、パパが撃ってくれた七面鳥。
満腹になったことはなかった。
でも、私は幸せだった。
パパは、私を宝石と言った。
ママは、私をお姫様と呼んだ。
でも、私は捨てられた。
ある日のこと。
いや、あの忌々しい日。
パパとママは知らないおじさんに、私を渡した。
そして、私はおじさんにゴワゴワした雑巾のような服を着せられた。
檻のような馬車に詰め込まれ、ガタガタした道を走り抜けていく。
中には知らない人がたくさんいた。
悲しそうに子供を抱く母親、痩せっぽちのおじいさんに…同じ年ぐらいの子供。
どこへ行くの?みんなは、どうしてそんなに悲しそうにしてるの?
そう聞こうと思ったのに、聞けるはずがなかった。
私は、おじさんに言われた場所に行かされた。
そこは、四方八方からの知らない人の目、目、目。そして、こそこそと静かに笑いあう声。いい気分なわけない。
その時、私はやっと気づいた。私は捨てられたって。
あとで知ったことだが、ここでは『人身売買』がされていたそうだ。
大衆の目にさらされ、とても惨めな状況なのに、なぜか目から一滴の水も出てこなかった。
ただ、呆然と立ち尽くすだけの、人形になった気分だった。
数字が読まれていく。
五歳の私がわかったことは、自分をあの青白い伯爵が買ったことだけ。それも、一生あっても使えないような額で。
このお金は…一体誰が、もらうんだろう?
幼き私は、そんなことをちらりと考えた瞬間、おままごとの時みたいに大人のふりをした。
パパでもママでもさっきのおじさんでも関係ない。
どうせもう、私はあなたたちとは、出会わないだろうだから。
そのおじさんは、ルシフェル伯爵と名乗った。
私のあとにもたくさん人が売られるはずなのに、この黒ずくめの伯爵は、私を馬車に乗せて連れて帰った。
深い深い森が続いている。
ずっと同じ木ばかり続いていて、真っ暗な森なのに、運転手は怖気付かずパンパン馬を叩き、道を進んでいく。
すると、不意に真っ黒な城が見えた。さっきまで…見えなかったのに。
ドアを開けると、数えきれないほどの使用人が揃って頭を下げた。中には、私と同じ年に見える子もいる。
ああ、私もあの中の一人になるのね。きっと、ルシフェル伯爵の娘のメイドあたりかしら?と思いながら、長い長い階段を上っていった。
でも、私が通された部屋は、ゴシック調の豪華な部屋。
使用人って…こんな部屋に住むの?と部屋に圧倒されていると、急に使用人が私のボロ服を脱がし、たくさんのフリフリがついた、可愛い黒のドレスを丁寧に着せる。
一回転すると、裾ががふんわりと膨らみ、死にかけていた心が少し浮ついてしまった。
「さあ、お嬢さん。君のお名前は?」
ルシフェル伯爵が膝間付き、まるで王子様がするように私の手を取った。
「サラ。サラっていうの」
すると、急に目が冷たくなり、私の手を放り投げるように離した。
「アイザックの母の名ではないか…」
「アイザック?」
「『創世記』に登場する太祖の1人だ」
そーせー…じ?と、お腹が空いていたからか、食べ物に文字が変換されてしまった。
すると、ルシフェル伯爵が一冊の本を取り出し、私に渡した。
「その名を捨てろ。新しい名を付けてやる」
その本は有名なバレエでもある、『白鳥の湖』だった。
「これからのお前の名前は『オディール』だ」
誰なんだろう…その名前?と、本のページをパラパラとめくると、ルシフェル伯爵が話を聞かせるためか、本を取り上げた。
「オディール。いい子にしなかったり、この城から出たら…」
伯爵の犬歯が、キラリと光った。
「血を吸うぞ」
その瞬間、私はルシフェル伯爵に会ってたらのことが、走馬灯のようにフラッシュバックされた。
この人…バンパイアだ。
そして…私は、バンパイアの娘になってしまったみたいだ。
こんなに、命の危険があるのに、なぜだろう…怖くも何もない。
私は感情が吸い取られてしまった。その事しか理解できないぐらい、おかしくなってしまったんだろう。
まるで、吸血鬼に血を抜かれたかのように。




