紅魔のみる夢
『白兎のみる夢』、『白兎の歪な夢』と同じ世界、同じ主人公です。
乙女ゲーで言う別ルートってやつです。
ヴァンクィル国、王立エフォール学院。
国内屈指の規模を誇る学院で、国の次代を担う生徒を育成する機関だ。
10歳に入学し、16歳で卒業する。
その中で、『魔術科』『武術科』『薬術科』のどれかを2年次に選択し、それに特化した授業を受けることができる。
学院の敷地はとても広く、科によって建物が違う。簡易地図があるのだが、それによると大きく横に長い長方形の形をしている敷地の中の、真ん中に中央棟がある。合同授業用の教室や特別教室、この学院の教官それぞれ個人がもつ教官室などがある。
そこから繋がった渡り廊下を通ると、左上に武術棟、中央上には魔術棟で、右上には薬術棟がある。
その棟はそれぞれそれなりの高さがあり、それに伴い階段の段数も多い。しかし一段一段は低めだ。
それでも、足元を見ずに駆け下りれば、足を踏み外すこともあり得るだろう。
…その薬術棟の階段を、胸元に教材を抱えて急いで駆け下りる少女が1人。
「っ、やばいやばいやばいっっ!!」
彼女の名前はユイラ=クルディ。薬術科の5年生で、専攻は動物の治療。
枯葉色の緩く束ねられた髪と、濃い青の瞳を持つ、どちらかといえば可愛いと評される容姿の女子生徒。
成績は中の上。人の倍努力しなければ周りに追いつけないタイプで、それ故に授業も毎回、寝ることもせずに最前列で真面目に聞いている。
そんな彼女が、なぜ急いでいるかというと。
「このままじゃ、遅刻するうっ!!」
単に、次の授業に使われる教室の位置が遠かったにも関わらず、前の授業が終わった後教授を質問攻めにしていたからだ。
そのため時間が無くなってしまい、今急いで階段を駆け下り、次の教室へ向かっているところなのである。
周りに人は疎らだがいて、彼女の必死の形相に多少怯えながら、彼女のために順次道を開けている状態だった。
「っはあっ、はあっ、あと、少しかな…!」
荒く息をしながら、自分を励ますように呟く。息切れしすぎてあまり自分でも聞き取りづらかったが、気にしないことにした。
ちなみに、次の授業とは武術科の生徒との合同授業である。まだ共通授業があるので、人の怪我等の治療の練習もする。故に、次の授業で使う教室は、武術棟にあった。
武術棟は、今いる薬術棟から見て魔術棟を間に挟んだ敷地の反対側にあり、棟が大きいためこの2つの棟はそれなりに距離がある。
薬術科の生徒はそれほど普段から運動するわけではないので、今階段から駆け下りてきただけでも既に息切れしている状態なのであった。
既にへとへとの状態で、今立ち止まったら絶対に足が動かなくなるだろうと容易に想像できる。
そして、あと数段、となったその時。
彼女は階段を左から右へ、通り抜けようとしている数人の男子生徒を見つけた。
こちらに右側の横顔を向けながら歩くその姿。このまま走っていけば、確実にぶつかってしまうだろう。彼女は軌道を逸らそうと体を捻る。
ーーしかし。
「………あっ!」
ずるり、と足が滑り、走ってきた勢いのまま体のバランスを保とうとしたのか手が前方へ伸び、腕から教材がするりとこぼれ落ちていく。視界を過るそれをどうすることも出来ず、体が宙へ放り出された。
警告が、頭の中を掠めていく。
「そこ、どいっ…」
”そこを退いて下さい!”と叫ぼうとした口は、けれど突然の事についてこなかった。
焦りが心を支配していく。前方に投げ出された腕が空気を掴むように宙を掻いた。だんだんと近づく景色に焦燥を覚えた時、声に反応した男子生徒たちが、不意に顔を上げた。
1番手前、右端にいた金髪の男子生徒。その垂れ目がちな紅の瞳が、振り向いて彼女を視界に入れた瞬間に驚いた様に見開かれる。
スローモーションの様にゆっくりと流れるように感じたその中で、その人物がすっと目を細めるのが分かった。
他2人を壁際へ押しやり、彼女に向かって手を広げる。
何かを伝えるように、薄い唇が小さく動く。しかし頭が働かない状況では、何を言っているのかは分からなかった。
…あそこに飛び込めと言うことだろうか?
そう解釈した彼女は、ぐっと覚悟を決めた。
ーーどん、
バサバサバサッ!
体の自由が利かない為どうする事も出来ないまま、彼女はその青年の腕の中へ真っ直ぐに飛び込んだ。直ぐに背に回されたしなやかな腕。その体に触れた瞬間、訪れるだろう衝撃に身構えて、目の前の制服をぎゅっと握りしめ身を固くした。
しかし、危惧していた様な痛みはやって来ることはなく、足は緩やかに地面と接触した。
「大丈夫ですか…?」
「っあ、はい…!」
しばらく呆としていると不意に頭上から優しい声が聞こえてきた。その声に慌てて返事を返し、顔をあげる。
その瞬間、綺麗だ、と思った。
額に淡い影を落とす蜂蜜色の艶やかな髪。頭上の両側で犬の耳のように髪がぴんと跳ねている。濃い影で瞳を彩る同色の長い睫毛は、きっと女の私より長いだろう。
こちらを安堵したように見下ろすルビィと言う宝石のように紅い垂れ目がちな瞳。
薄い唇はほんのりと赤く、まるで瑞々しい果実の如き透明感だ。
しみひとつない陶器のような肌と人形の如き精巧な造作。
まさに、神が作りたもうた至高の芸術品。
「どうかしましたか」
「………いえ」
その小首を傾げて問うてくる様さえ優美としかいいようがなく、全身から気品というものが溢れ出ている。
訝しげな表情を前に、なんでもないように目をそらすしかできなかった。
「もう、大丈夫です。ありがとうございました」
彼の美貌から目を逸らしつつ、落としたものを拾おうとかがむ。と、
「どうぞ」
と目の前に揃えられた教材が差し出された。
「あ、ありがとうございます!」
礼を言いながら頭を軽く下げつつ受け取る。顔を上げると、受け止めてくれた彼の向こう側にいた淡い茶髪の青年だった。金髪の青年ほどではないが、美しい面立ちをしている。
にこりと微笑み、会釈を交わす。
「いいえ。…あなたは、薬術科ですか」
「……?はい、そうです」
その青年がぽつりと呟いたそれに、何の気なしに返す。すると、金髪の彼がこちらを見下ろした。
今気づいたが、彼らの方が私より頭1個分くらい大きい。顔年齢的には、一つ上くらいだろうか?
「もしかして、武術棟へ行くところでしたか?」
金髪の彼が尋ねてくる。私は首を縦に振って肯定を示した。
「そうです。次の授業が武術科の生徒との合同授業なので…」
「そうなのですね。なら、僕達と行きませんか?」
「おい、ルイ。それは……」
「いいではないですか、レン」
呆然とする私に、にこりと微笑んだ金髪の彼、ルイは「僕達も、その授業を受けに向かっている途中なんですよ」と、口を挟んできたもう一人の青年に言い返したあと私にそう微笑んだ。
もう一人の青年。レンは、金髪の彼と顔かたちが瓜二つだった。だが、醸し出す雰囲気は何処か粗野な感じで、けれど気品もある。
瞳の色だけが唯一違うところで、レンは濃紫の垂れ目だった。
「じゃあ、3人は5年生なんですかっ?」
驚きに、思わず声を上げる。そうですよ、と直ぐに返された答えに、そうなのか、と何処か釈然としない思いを感じた。
「なので、一緒に行きませんか?」
「……はい」
行き先が同じなら、ばらばらで行っても仕方ないだろう。
頷いた私は、彼らと一緒に武術棟へ向かって歩き出した。
*
「おい、ルイ。良いのか?」
「何がです?レン」
靴底によるコツコツとした音が、1人分のみ建物の壁に反響する。陰鬱な印象の灰色をした石畳。前方には、出口の光。
今は武術棟へ行くために、まず薬術棟から抜けるところだ。
こっそり話しかけてきたレンの言葉に軽く返しながらやったルイの視線の先には、先ほど廊下で出逢った少女。目的地が同じらしい前方を彼女が歩くのに合わせ、3人で横並びに着いていく。
少女の長い髪が、その華奢な背中でふわふわと踊る。
ルイは意識して彼女を観察してみた。重心は定まっておらず、足音も特別殺してはいない。後ろの3人に警戒すらせず、こちらの不躾な視線にも気づかないようで無防備に背を晒している。
レンが言いたかったのは、きっとこの少女が何処ぞの襲撃者、又は暗殺者なのかもしれないぞ、ということだろう。
だが、とルイは可笑しさにクスリと笑う。
こんな少女が、危険なものか。
あんな無防備に全身を僕に預け、必死に服を握りしめていた。
恐怖からか体は細かく震えていたが、それには気づいてすらいないようだった。
状況を呑みこむのでいっぱいいっぱいだったからだろう。しばらく呆然としていたから。
自分は武術科の生徒だ。日頃の授業のお陰で、反射神経は鍛えられている。
実戦で培った経験も、多少は役に立った。
自分がいなかったら、あの少女はどうなっていただろうか、と一瞬考え、そんな”もし”は下らないと一蹴する。
自分は今日のあの時間、あそこを通った。
そこで彼女と出逢い、言葉を交わした。
それでいいではないか。
「面白い顔をしているね、ルイ?」
「殿下…」
茶髪の柔和な面立ちをした、隣国の第2王子。この学院に留学中の、カルミア殿下だ。
僕とレンは彼の従者で、彼と同じ武術科に在籍している。
ちなみに僕とレンは一卵性の双子である。
公爵家の次男と三男という立場に生まれ、年の同じ殿下の乳兄弟として育てられた。
次期公爵は、優秀かつ聡明なフォルス家の長男だ。
それは置いておいて、王位継承権を持つ王子は、何かと狙われやすい。
警備の厳重なこの学院にも、敵の放った刺客が居ないとは限らない。
だからこその、あのレンの発言だ。声は潜めていたので、彼女には聞こえなかったと思う。こちらが遅れていないか確認するように振り返る彼女に微笑みかけながら、訝しく思われてはいないようで、安堵を覚えた。
「………?」
何故、安心しているのだろう。首を捻る。
彼女の事を考えた時に、自身の胸が一瞬、とくんと音を立てたことに気づいた。
それが何を表すのか分からず、困惑する。
思わず前方の彼女を見た。
「どうしたんだい?」
「……いえ」
胸を軽く押さえた自分に、殿下が訝しそうに首を捻った。首を振って、何でもないと答えた。
「それならいいけど…」
と殿下も言葉を濁し、視線を前に戻す。
ちょうど魔術棟の一階にある吹き抜けのホールを抜けたところだった。
外の空気は涼しく、肌を優しく撫でていく。
前を歩く彼女の髪も、風に煽られて生き物のようにうねる。
見ていると、不意に彼女が振り返った。
「……っ」
一瞬息が止まり、目があった彼女が淡く微笑むのに合わせて鼓動が響く。
体の向きを戻して歩き出した彼女を見て、不意に足を前に踏み出した。
「……ルイ?」
「どうした?…おい、ルイ!」
2人の声を背に聞きながら、彼女の隣へ歩いていく。並び立った彼女の背は、自分より頭1つ分くらい小さかった。
「どうしたんですか?」
不思議そうにこちらを向いた彼女を見下ろして、誰もを魅了すると自覚する甘い微笑みを浮かべてみる。
「貴女と、少し話してみたいと思いまして。………良いでしょうか?」
「勿論ですよ」
にっこりと返された答えに、拒絶されなかったと僅かに安堵が広がった。
「お名前を、聞いても?」
「あ、はい。ユイラ=クルディと言います」
あっさりと告げられた名前。彼女の名前は、ユイラと言うらしい。可愛い、と思った。
「貴方は?」
「僕は、ルイズフェルト=フォルスと言います。…ユイラ、とお呼びしても?」
「はい、いいですよ。…それと、敬語は無しで構いませんよ?同じ年ですし」
彼女は、春風にそよぐ野花のように可愛らしく小首を傾げて笑う。
「それなら、僕の事もルイと呼んでください。ユイラ」
「分かりました、ルイ。…敬語は無し、ですよ」
「そうで…そうだったね。では、貴女も」
「はい。……うん。分かったよ、ルイ」
ふふっと笑い合い、お互いの名を知った。
彼女の名は、ユイラ=クルディ。
淡い茶色の髪に、海のように透き通った青い瞳。溌剌とした雰囲気の小柄な少女。
薬術科の5年生で、専攻は動物の治療。
友達はあまりおらず、人の名前などは忘れっぽいのが特徴。
殿下の存在を知らなかったらしく、物凄く驚いて目を見開いているのが小動物のようで可愛いかった。
レンの名前を呼ぶことがどうしてかイラついて、”レンリュート君”で譲歩した。
殿下はそんな僕を呆れたように見ていたが、特には何も言わなかった。
「これから宜しくね、ユイラ」
「こちらこそ宜しく、ルイ」
微笑みかければ、彼女もふわりと笑い返してくれる。陽だまりのような、穏やかな温かさ。
その度に胸を温かくするこの感情の名前を、僕はまだ知らない。
*
私は、今、とても楽しい気分だ。
「こっちはどう?甘くて美味しいよ」
「うん、じゃあ貰おうかな!」
手を伸ばして、彼の持つ小皿を受け取る。それに盛られた小さなクッキーは、なるほど果実を練り込んだものらしい。
手に持ったクッキー生地はサクサクとしていて、口の中に入れた瞬間ほろりと形を蕩けさせる。
果物の少しねっとりした自然な甘みが、それを覆うように広がっていった。
「どう?」
「美味しいよ!」
満面の笑みを浮かべて、彼ーールイを見返す。視線を受けて嬉しそうに微笑んだ彼は、微かに頬を染めていた。
(…か、かわいいっ!!)
思わず内心でそのはにかみに悶え、さっと視線を周囲に走らせる。
誰もいないとは分かっていても、彼のこんな笑顔を誰かに見られたら連れ去られてしまいそうだと思ったのだ。
「どうしたの?何かいた?」
不思議そうにキョトンと瞬いた赤い瞳。私の視線を追うようにきょろきょろと彷徨った彼の目は、日の光を受けて宝石のように煌めいている。
「な、なんでもないよっ!」
慌てて手を振り、何でもないと伝える。「そう?なら良いけど」と疑った様子もなく顔を戻した彼。
彼との出会いから数ヶ月が経ち、今では頻繁に会うほどに仲良くなった。
武術棟と薬術棟の間にある魔術棟の裏、木々に囲まれ、吹き抜ける風が心地よいそこにあるのは、小さな東屋。
そこへは滅多に人が来ることはなく、嫌でも人目を集めてしまう彼と会うにはうってつけの場所だ。
そこで彼と私は、ささやかなお茶会を開く。
約1週間に1度の頻度で開かれるそれは、お菓子や飲み物を持ち寄り、たわいもない話をしながら2人きりで楽しい時間を過ごすためのもの。
そう彼は私に説明し、私もそれを受け入れた。だからなのか、彼は1度もこの席に他人を混ぜた事はない。
今日も今日とて、2人きり。
仲が良い筈の殿下や、レンリュート君でさえ、彼は1度も連れてこない。
そういえば、殿下はルイにとって護衛対象であると聞いたことがある。
ここで私と話をしていても良いのだろうか?
そう尋ねると、彼は笑って「殿下に許可は取ってあるよ」と言った。レンがいるし、問題ないよ。そう笑って、彼はお茶会を再開した。
秋口に入ったばかりの今日は、まだ夏の残暑が色濃く残る、蒸し暑い日だった。
けれど、頭上に茂る葉が太陽の光を遮ってくれているおかげで、あまり昼の暑さは感じなかった。
今の私は、ルイと向かい合った状態で東屋に設置されている椅子に腰掛け、彼が手ずから淹れてくれた紅茶を飲んでいるところだ。
「今日のお菓子も、美味しかったよ」
「良かった」
カップを皿に戻して、感想を告げる。いつもと変わらない会話が展開した。
毎度、彼は美味しい飲み物とお菓子を持ってきてくれる。どこから調達しているのかと思ってしまうほど、それらは毎回私を満足させてくれる。
今日のお菓子は、果実を練り込んで焼いたクッキー。
いつもながらに、美味しい、としか言いようのない素敵な味だった。
語彙力のない自分が憎らしくなる程だ。
私はふと、常に思っていたことを口に出す。
「ルイのお嫁さんになる人は、幸せだね」
「…………え?」
彼が、驚いたように私を見た。ぽかん、として気の抜けた顔だ。
「だって、こんなに美味しいお菓子を準備してくれるから」
その顔がいつもの澄ました彼らしくなくて少し笑いながらそう言うと、彼は暫く沈黙してから「それだけで?」と苦笑した。
「もちろん、それだけじゃないよ」
と私は笑う。
「頭もいいし、顔も整っててとても綺麗だし、武術科だから筋肉もついてるし身のこなしも優雅だし、本当の貴族だから地位もある。
それに、その地位に驕らないとっても優しい人だし」
指折り数えながら、彼の良いところを挙げ連ねていく。すると、彼は次第に目を見開いていって、遂には固まった。
生ぬるい風がふわりと東屋に吹き込み、彼の蜂蜜色の髪を柔らかく揺らす。
動物の耳にも見える跳ねた髪が、ぴこぴこと動いたように錯覚した。
見開かれた紅い瞳は、真ん丸になったまま私を凝視している。
口が半開きになって、俗に言う”間抜け面”になっていた。
「ふふっ。ルイってば、すごく面白い顔になってるよ?」
何だか面白くって笑ったけれど、彼はまだ動かない。
そんなに変なことを言っただろうか?と首をかしげ、私は皿からカップを持ち上げ紅茶を一口飲んだ。
うん、やっぱり彼の淹れてくれる紅茶は美味しいな。
ーー暫くして、彼はやっと硬直状態から回復したようだ。
「な、なな、何を…言っ……!」
今更のように頬を染めて慌てている。口がぱくぱくして、言葉がまともに出てこなくなったらしい。
くすり、と笑うと、彼はハッとしたように動きを止めた。
「……ユイラ?」
今度はむすりとして、私を睨めつける。
仏頂面になって、いつもと違う歳相応の子供らしい一面が露わになる。
「ごめんごめん。ちょっとからかってみたかっただけ」
「……もう」
「でも、さっき言った事は全部ホントだからね?」
「…っ、え」
そう言うと、彼は今度は赤くなった。両手で顔を覆い、俯いてしまう。怒ってしまったのだろうか。
「え、ど、どうしたの!?嫌だった?ごめんね!もう言わないから!」
「……違うよ、ユイラ」
「……?どういう事?」
慌てて謝ると、彼は顔を上げて首を振った。頬が微かに赤くて、両耳も赤くなっている。
「これは、その……。う、嬉しかったんだ」
「…嬉しかった?」
「うん」
はっきり答えた彼は、膝に置いていた私の両手を取り、軽く握った。
「ありがとう、ユイラ」
未だ頬を染めたまま、にっこりと口角が上がる。うっ、その笑顔は心臓に悪いです…。
その笑みにつられて、私の頬も熱くなっていった。
「ど、どういたしまして……」
笑顔が神々しすぎて直視できないです!後光が差して見えるのは気のせいでしょうか!?
あ、気のせいじゃなかった、木漏れ日がルイの後ろから差してた…!
「ユイラがお嫁に来てくれたら、もっと幸せにしてあげるよ」
「……は?」
素っ頓狂な声が口から飛び出した。思わず急いで首を振る。
「無理無理無理無理!」
「…何で?」
途端に曇った彼の柳眉。あ、後光も少し薄くなった気が…。
「だって、身分が違うし!」
「そんなの僕がどうにかするよ」
「私はこの国の人間だけど、ルイは自分の国に帰るじゃない!」
「君が来てくれれば良いじゃないか」
「それは無理!私はお母さんの遺した店を継ぐの!」
「……店?」
不意に彼が問い返した。先ほどまでの笑顔は失せ、訝しげな表情になっている。
「そう。だから、他の国には行かないよ」
勿論、薬草採取とかで行くことはあるかもしれない。けれど、そうそう出かけることはない。それに、母が遺してくれたあの店から離れたくないのだ。
「……そう」
彼が私の手を離して、自分の椅子に戻る。
少し気まずい空気になったが、あえて気にしないことにした。
「おかわり、くれる?」
にっこりとカップを差し出し、紅茶のお代わりをねだる。
「もちろん。…どうぞ」
彼も、気を取り直したようにいつもの笑顔を浮かべ、紅茶を注いでくれた。
飲み干した私は、至福の溜息を零す。
「幸せー…」
「ふふ、良かった」
彼は微笑んで、口元をナプキンで拭う。その仕草も気品にあふれていて、ああ、彼は貴族なんだな、と不意に実感する。
動作の一つ一つが洗練されていて、思わず毎回見惚れてしまう。
「どうしたの?…また、見惚れてた?」
こう悪戯っぽく笑いながら言われる事もよくある。
「うん」
それに私は躊躇いなく返す。
「だって、ルイが綺麗だから」
そう言えば、彼が毎回頬を染めて恥ずかしそうにはにかむ事を知っているから。
「またそういう事を…」
そう言いつつも、彼は自分の容姿が人と比べて優れていることをきちんと理解している。
彼の元に人が寄ってくる原因の1つがそれである事も、勿論。
それと同時に、私が彼の容姿だけを見ているわけではない事も、良く分かっている。
だから、私の心からの賛辞に、嬉しそうに頬を染めてくれるのだ。
それに私も、彼に嘘はつかない。
つけない、と言った方が正しいか。
こんなに素直で純粋な人を、どうして欺こうとなんて出来るだろうか。
彼の笑顔を曇らせる事は絶対にしないと、こっそり誓っている。
「そんなことあるよ」
私は笑って、そう言い切った。
私の笑顔に、彼も仕方なさそうに笑い返してくれる。
こんな困った顔も好きだなんて、私は可笑しいだろうか?
彼の笑った顔も、困った顔も好きだ。
狐のように細まる目も、眉が垂れ下がった情けない表情も、芸術品のようで。
怒った顔は見たことがないが、それはそれで美しいのだろう。
中身も紳士的で大人っぽくて、でも時に悪戯好きで歳相応の幼さもあって。
そんな彼に、いつしか私は惹かれていた。
けれど、彼は隣国の王子の従者で貴族。
私は、この国にある母の店を継ぐ町娘。
同じ学年である為、卒業すればもう会うことはなくなるだろう。
それなら、卒業までこのままの関係でいたいと思う。
あと2年もあるのだ。就職先は決まっているし、変わることはない。
その間、彼と共にお茶会を開きながら、少しでも長く彼と一緒に居たいと思った。
「ルイ」
「ん?なあに?」
帰り際、彼に呼び掛ける。
不思議そうに振り返った彼は、私を真っ直ぐに見た。
「これからも、宜しくね!」
満面の笑顔で、彼に告げる。
ずっと、一緒に居て。
私の側で、笑顔を見せて。
そんな願いは言わないまま、ただ一言だけを伝える。
彼は微笑んで、頷いた。
「勿論。こちらこそ宜しく」
どうか、この時間が何事もなく続きますようにーー。
ただそれだけを、願っていた。
*
今日は、学院の卒業式だ。
胸に花を飾った卒業生たちが、学院での生活に別れを告げ、巣立って行く特別な日。
式は棟ごとに行われ、それぞれ特別な式となる。
私の式も先ほど昼が過ぎた頃に終わり、解散となった。
なので私はいつもの場所へと向かっていた。
「まだ終わってないんだ…」
緑の葉の乗った空席を見つめ、小さく呟く。
勿論、私が待っているのはルイだ。
学院で会えるのは今日が最後なので、彼がお茶会をどうかと言ってくれたのだ。
一も二もなく承諾しましたとも!
彼にしては珍しく少し言いづらそうにしていたが、私の笑顔を見てほっとしたようだ。
何か言いたいことでもあったのだろうか?
そういえば、ルイは留学を終えて帰る王子に当たり前だが付いて行くそうだ。
それは、たまに連絡を取るようになったレンリュート君から聞いた。
ちなみに彼と連絡を取っていることを、ルイは知らない。
個人的に趣味があったので、話すようになったのだ。
ルイに教えない理由を、レンリュート君は「アイツ、結構独占欲強いから」と言っていた。
彼が気を許せる友人は私くらいだから、その私を取られたくないってことかな。
そう言うと、レンリュート君は「…そんな感じだな」と苦虫を噛み潰したような顔で言った。
まあそれは置いといて、私は立ったまま彼を待つことにした。
この2年で腰まで伸びた髪。きちんとお手入れをするようになったからか、きちんと艶が出ている。
今日は大事な式だったため、きちんと櫛で梳かして結い上げていた。
結んでいた紐をゆっくり解き、手櫛で梳かす。絡まることなくほどけた髪が、宙を泳いだ。
改めてまとめ直し、肩口で一つに結う。穏やかな風に揺れる長く伸びた髪が、彼と過ごした時間を実感させた。
東屋の柱にもたれつつ、溜息をつく。
温かい空気が頬を撫で、どこか切ない気分になった。
「もう、今日で最後なんだ…」
今日が卒業式。この日が終わってしまえば、国へ帰るルイと下町へ戻る私はもう2度と会うことはない。
それを思うと、胸がズキズキと痛みを訴えた。まだ私は、彼への想いを無くせていない。
2年半という時間を共に過ごし、日に日に募っていった彼への密かな恋心。
伝えることも出来ず、ずっと胸にしまっていた。
彼は王子の乳兄弟で、伯爵子息という肩書きも持っている。
彼ももう16歳。成人に達した彼にはきっと素敵な縁談が沢山来ているだろう。
私はこの国で、亡き母が遺してくれた小さな店を継ぐと決めていた。
動物を専門にする、下町の店。
今は親戚に任せていたが、これからは私が継ぐのだ。だから、残りの1年は人脈とコネ作りに励んでいた。
母が亡くなったあの日からの、私の唯一の夢。
『優秀な動物専門医者になる』
その為に、今日まで頑張ってきた。
もう、引き返すことは出来ない。
「ユイラ!」
「……ルイ」
その時声が聞こえ、私は顔を上げて振り向いた。
私から見て左…武術棟の方から急ぎ目に歩いてきたのは、ルイだった。
太陽の光に照らされるその姿に、私は目を細めた。
深い青に金の縁取りがされた武術科の制服。科の特性がよく出ているそれは、余計な飾りがあまりなく、機能的ですっきりしている。
右手には卒業証書を入れた円筒型の紙筒。青いリボンが巻かれ、吹き付ける風にひらひらと揺れる。
左手にはハンカチのかけられた大き目のバスケット。手にかける仕草が、買い物をする母親のようだ。
淡い水色のマントを靡かせ、金の髪を風に揺らしながら歩いてくる様は、1枚の絵画のようだった。
「久しぶりだね、ユイラ」
私の目の前に立ったルイは、私を見下ろして柔らかく微笑む。
私より頭2つ分高くなった背は、見上げるのが大変である。
「久しぶり、ルイ」
見つめた先の彼は随分と大人びた顔つきで、雰囲気も相応の落ち着きがある。
出会ったばかりの頃も美少年だと思ったが、成長した今では”美青年”と形容するに相応しい容姿だ。
頬が鋭角になり、浮かべる笑みも感情の読めないものになり。他人の前で感情を表に出すことが以前と比べて断然に少なくなって、ずっと同じような真意を悟らせない笑みを浮かべるようになった。
でも、それは他人の前でだけ。
私や殿下、レンリュート君の前では、無邪気な面を見せる。
「ごめんね、待ったでしょう」
「ううん、私もさっき来たところだから大丈夫だよ」
申し訳なさそうに眉を下げた彼に、私は首を振る。
嘘じゃない。考え事をしていたから、時間が短く感じたのだ。
…本当は1時間以上此処にいたなんて、絶対に言わない。
「そう?…ならいいけど」
彼は少し疑っている様だったけど、どうにか納得してくれたようだ。
「それじゃ、お茶会を始めよう?」
ルイの手を引いて、席へ向かう。
彼の席にあった葉を払いのけていると、彼は「いいよ」と言ってその隣の席に座った。
この東屋には、真ん中にテーブルが1脚ある。
その周りに椅子が4脚。
彼が私の正面の席に座らず、1つ隣に座った。
それはつまり、私の隣、詳しく言えば、左隣(しかも僅かに私寄りだ)に座ったことになる。
今までになかった距離感に、私はいつになく緊張した。
「それでは、どうぞ?」
今日は、彼が誘ったのだからと、彼が用意してきたようだ。
立ち上がった彼がバスケットの上からハンカチを取り上げ、中身を出していく。
次々と取り出される美味しそうなお菓子に、私は目を輝かせた。
湯気の立つ紅茶を差し出され、少し冷ましてからひと口飲む。
喉越しがさっぱりしていて、何杯でも飲めそうだ。
相変わらずの美味しさに、口が綻んだ。
「…美味しい」
「良かった」
嬉しそうに微笑んだ彼。
私はカップをソーサーに戻すと、彼に座るように促した。
「え、でも…」
渋る彼に、折角だからと手を引く。
素直に座ってくれた彼に、安堵の息をこっそり吐いた。
手を離し、何も無かったように紅茶を一口。
本当は少しでも近くにいたかっただけだ。
こんな機会は、2度と来ないから。
「……今日で、卒業だね」
「………うん」
不意にルイが呟いた言葉に、ポツリと返す。たった一言。なんの情緒もない、ただの相槌。
それ以上は、何も浮かばない。
「…ねえ、ユイラ」
「なあに」
再び彼が口を開く。
また、一言だけ返す。
自然に、視線が下を向いた。
きっと「今までありがとう」とか、「また会えたらいいね」とか、そういう言葉だろう。
彼は優しいから、そんなありきたりな言葉さえ当たり前にかけてくれる人だから。
そう思って、いたのに。
「……僕の元に、来ない?」
「………」
何を言いだすんだ、と上を見上げた。その先で、真剣な彼の瞳と目が合う。
「僕と一緒に、来て」
まっすぐな声音で、唯それだけを告げる。
呆気に取られて、暫く何も言えなかった。
「無理だって、言ったでしょう」
俯いて、それだけを絞り出す。
胸にこみ上げる息苦しさが、吐きたくなるほどに膨らんでいく。
私は、母の店を継ぐ。隣国には、行かない。
この想いは、諦めなければいけないのだ。
そうしなければ、彼に迷惑をかけてしまう…。
なのに。
「君が、好きなんだ」
突然の、告白。
ひゅっと息を呑み、強く手を握りしめる。
不意に吹いた風が木々を揺らし、ざわざわと不穏な音を立てる。鼓動が低く早鐘を打ち始め、体が冷えていくような感覚を味わう。
「……どうして」
どうして。どうして。どうして。
それだけが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
どうして。
無理だと、言っているのに。
「君が階段から落ちてきたあの日、僕は君に興味を持った」
答えとは言えない、すれ違った返答。
でもその声が聞いて欲しいと訴えているようで、私は仕方なく耳を傾けることにした。
「君は、僕たちの事を知らなかった。
カルミアが隣国ツィドニアの第2王子だという事も、僕とレンがその従者で、公爵家の人間だという事も。
別の棟だからというのもあるだろうけど、君は薬術科の生徒ですら知っているような事さえ知らなかった。
…いや、実際は聞いていなかった。
そうでしょう?
君は興味のないことは忘れてしまう子で、その頃の君は確実に授業の事しか頭に無かった。
だから、周りの子達が噂をしていても、耳に入れることすらしなかった。
君と出会ってから知った情報から導かれる答えは、それだった。
憶測だけれど、確かにそうかもしれない、と思った」
僕らは、自分で言うのもなんだけど地位も財産も容姿も、優れている。
それを見て判断されるのは当然で、僕らの価値は言わばそれしかないんだ。
誰も、僕らの本当の姿は知らない。知ろうとさえ、しないんだ。
けど君は、真っさらな状態で、僕らと言葉を交わしてくれた。
本当は、それが嬉しかったんだ。
色眼鏡で僕らを見ない、真っ直ぐで無垢な君は、僕らにとって光にも等しかった。
長い栗色の髪は艶やかで、穏やかな海みたいな青い瞳は内心をそのまま素直に映す。
ころころ変わる表情は裏表なんかなくて、見ていて飽きない。
微笑むとえくぼが出来て、笑顔は無邪気で可愛くて、まるで花が咲いたみたいだ。
声も高すぎなくて、聞いていると心地いいし、髪を翻して走る様は、野を駆ける小鹿のように軽やかで自由だ。
…いつしか僕は、君に惹かれていた。
屈託のない笑顔を君が浮かべる度に、他の男が見ていやしないか確かめてしまったり。
僕の名前を君の唇が紡ぐ度、この名前がこの上なく価値のあるものに思えてきたり。
君の名を呼ぶほど、君への想いは募っていった。
「今日を逃せば、2度と君に会えなくなってしまうかもしれない。
国に戻れば、王子の側でずっと働かなければならなくなってしまうから。
だから、今日、言うことにしたんだ。
出会った日から、ユイラに惹かれていた。
僕の国で、僕と一緒になって欲しい。
…………君が好きです、って」
数瞬の沈黙が、場を満たす。
ユイラ、と掠れた声が懇願するように、私の名前をそっと呟いた。
微かに震える声音は、私の拒絶を恐れているからか。
ゆっくりと顔を上げて、ルイを仰ぎ見る。頭2つ分高い、同い年の青年を。
少し変わった太陽の位置のお陰で、ルイの表情がよく分かった。
期待と、不安。
やっと言えたと言う安堵と、言ってしまったと言う一抹の焦り。
それらが混ざり合って、彼の表情を複雑に彩っている。
炯炯と光る紅の瞳は真っ直ぐに私を射抜き、どんな小さな変化も見逃さないとでも言うように凝視している。
…その大元の原因は、私だ。
私も、覚悟を決めなければならないだろう。
こんなにも真剣に、彼は私に秘めていた想いを告げたのだ。
私も真摯に返さなければ、きっと私たちはこの燻る想いをずっと抱えていく事になる。
「私は……」
重い口を開き、言葉を形にしていく。
伝えよう、私の、この想いを。
答えよう。貴方の、その想いに。
「私も、ルイが好き。いつの間にか気になるようになって、いつの間にか好きになってた」
紅の瞳が、間を置いて徐々に見開かれていく。あまりの驚きに声も出ないのか、薄い唇が微かに戦慄く。
私はそれを見つめ、遂に言ってしまった…と溜息をついた。
後悔と、やっと胸のつかえが取れたような安堵。2つが入り混じって、なんの表情も浮かばない。
風が頬を撫でていく中、私は驚き顔からだんだんと笑顔になっていくルイの美貌を見つめた。
「ユイラ……っ」
不意にその姿がぶれ、視界が青一色に染まり体を熱いものが包み込んだ。
「…っ」
一瞬呼吸が止まった。
彼に、抱きしめられたのだ。
「好き、好き。君が、どうしようもなく好きだ」
「………うん。私も、ルイが好き」
耳元で、熱い呼気と共に小さな囁きが落とされた。小さく返すと、私を包む腕の力が強まり、痛いほどの強さで抱きすくめられた。
嬉しい…、と上ずる声で囁かれ、その声音に体温が上がっていく。
好き、大切、もう手放したくない、と呪文のように滑らかに紡がれる言葉たち。声音は段々と変化し、蕩ける様な甘さを帯びた。
「…愛してるよ、ユイラ」
その声に全身が震え、腰が砕けそうになる。吐息と共に紡がれた言葉は、破壊力抜群だ。思わず彼の制服の生地を、縋るように握り締めた。
すると、ごく小さな溜息が聞こえ、思わず手を離す。するとゆっくりと体が離され、体温が遠ざかった。
2人の間を吹き抜けた風に寒さを感じ、小さく身震いをした。
振り切ってそっと見上げると、私を熱い眼差しで見下ろす彼がいた。その焦げ付くような視線に耐えられず、俯く。
「ユイラ」
たった一言。ただ名前を呼ばれただけなのに、それだけで体から力が抜けた。肩と腰に長い腕が回されて、それによって辛うじて体勢を保っていられる。低くなった妖艶なテノールは小さく落とされただけなのに。…その声に逆らえない、逆らう気も起きない。
どこかぼんやりした心地で、彼の紅い瞳を見つめた。
血のように紅い。『ピジョン・ブラッド』と言うのだったか。内側から光を発しているかのような美しい輝き。太陽の光に照らされれば、一層光を発する。
今も、妖しい光を放ちながら私を射抜くように見つめている。その視線は、明らかな熱情を灯していた。
「……ルイ」
小さく零した呟きに、彼はその金の髪を揺らして微笑んだ。「どうしたの?」と視線だけで問いかけてくる。
「すき」
その言葉に、彼は蕩ける様な笑みを浮かべた。
麻痺した思考で、ああ、そんな顔も好きだな、とぼんやり思った。
「ユイラ」
名前だけ呼んで、ルイはそっと顔を近づけてきた。紅い瞳を見つめながら、それが何を意味するのか分からないほど子供ではない私は、近づく距離に自然と目を閉じていく。
『愛してる』
その一言を頭に浮かべた瞬間、唇が重なり合った。乾いた温かい感触が、私の唇と優しく触れ合う。
ちゅ、と音を立ててすぐに離れた唇。目を開けば、吸い込まれそうなほど美しい血の色が間近にあった。煙る様な甘い金色が影を作り、息を呑んで見とれる。
「あ………、ん」
不意に目の前の瞼が閉ざされ、再び口づけが落とされた。私も目を閉じ、身を委ねる。
「、ん、っあ」
すぐにそれは勢いを増し、いつの間にか後頭部に回った彼の手が掬い上げるように私の頭を固定していた。その強さに逃れる事はできず、また逃げることさえ考えさせまいとするかのように口づけがより深まっていく。
「んんっ……あ、ふ…っ……」
中途半端に開いた唇から、ルイの舌が入り込んでくる。口内をなぞる様に意外と厚い舌が這い回る。
余りにも気持ちいいそれに、全身の力が抜けていく。
腰に回った腕にグッと力が入り、それによって私の体が彼の体に沿って持ち上がる。釣られて更に深くなった口づけ。
「…ユイ、ラ……」
キスの隙間で僅かながら呼吸を許され、大きく喘ぎながら新鮮な空気を吸い込む。彼も、その間に私への言葉を囁く。
抑えきれない、とでも言うように溢れてくる言葉たち。嬉しい、と言う感情のままに私は彼へ小さなキスを返す。
それに触発されて彼がまたキスをし、私がそれに返し…、の繰り返しだった。
頭を過る色々な心配事はあるけれども、今だけは忘れていよう。
そう結論付けた私は、彼から与えられる激しいキスに、身を委ねていった。
「逃がさないよ、ユイラ」
彼がそう言って妖しい微笑みを浮かべたことに、気づかぬまま……。
続き?書きます。
題名が、『〜の夢』にしたいんだけど、うまい表現が見つからなくて、大変です。
実は腹黒、監禁系にしようかと。
主人公から見たら現時点では「純粋な可愛い人」なんでしょうね。
まあこの話では主人公が想いを告げたのでセーフです。
のちに彼は家から出て王子の側近をやめ、彼女と一緒に暮らします。
一番いいエンドかな。
愛し愛され、ですね。によによします。