迷走
エノテカーナから飛び出したディオスは暗闇の道など気にせずに走った。
走って走って、どこかの細い通りに深く入いるとその場で立ち尽くした。
「……何しているんだろう、俺?」
店から飛び出す行為を取ってしまったディオスは茫然自失で空を見上げた。
建物の壁で挟まれている隙間から見える夜空には小さな星の明かりが一面に散らばり、僅かに黒い色をした雲があるだけであった。
その星の明かりが妙に憎く感じ、黒い色の雲が自分の靄のように感じて毛嫌いする。
「本当に、何しているんだろう……」
ディオスは壁に背を預けるとそのまま体を小さくして座り込み、腕の中に顔を伏せた。
エノテカーナから飛び出した理由は分かっている。あの場所に居づらくなったからだ。
ユリシアを助けたかっただけの行動が誰にも理解されなければ共感もない。
長い間、家族を守る為なら命をかけることが普通と思ってきたことが真正面から幾人にも否定されてしまった。
そればかりか、ユリシアが生きているのか死んでいるのか、悪魔になっているのではと最悪の事しか言わない。
本当に救う気があるのかと文句を言いたい。けれども、悪魔である実父から今もユリシアを救いに行かない自分は何をしているのか。
それは簡単なこと。力を持たない自分が悪魔である実父に敵うわけがないからだ。相手が出来るのは死神と弟子と天眷者くらいであり、力を持つことに否定的な自分では何もできないことを理解して、初めて力がないことを悔やむ。
もしも力があったら、立ち向かうだけの力があったなら?しかし、それは望んでいないものであった。
ただ普通でいたかった。けれども普通でいさせてはくれない。そればかりか徐々に理想とする普通像から離れて行ってしまう。
挙げ句の果てには今までやって来たこと、考えて来たことが全否定された気がして、それが悔しくて逃げ出したのだ。
けれども、何よりも悔しいのは、人前で弱さを見せて逃げ出したことだ。いや、逃げたこと自体が弱さである。
「……本当に、何しているんだろう、俺……?」
初めて取った行動に戸惑うが、声には自嘲が含まれていた。
長年、絶対に弱さを見せてはいけないと義父であったグランディオの教えを守ってきた。
いかなる相手であろうと弱さを見せてしまえば付け入られる。その教えをディオスは母親であるシンシアが再婚してからずっと守ってきた。それが家族を守ることであると信じたからだ。だからグランディオが亡くなった時に感じた異常も隠し通してきた。
そんなディオスが声を堪えて泣き出した。
「本当に、何、言ってるんだよ……?何も知らないのに、好き勝手言って……ふざ、けるなよ……!」
自嘲から怒りへと変わる。
「それしか、ないんだよ……それしかないんだから、仕方、ないだろ……他に何があるって言うんだよ……何が出来たって言うんだよ!」
悪魔になった実父に出来た最大限の抗い。それはあの時にディオスが導き出した正解であった。
死神の目があれど死神でなければその弟子でもない。加護はあれど天眷者でもない。特別な力があれど使い方を知らない、ただどこにでもいる普通の人間であり、普通でありたいと願う人間だ。
果たして、導き出した答え意外に何が出来るのか。
逃げることしか出来ない。しかし、それはユリシアを犠牲にする様なもの。ディオスが出来ようはずがない。
「俺が、犠牲になっていればユリシアは……」
「ならば、その目を貰おう」
その瞬間、聞き覚えのある声に顔を上げたディオスは悪魔となった実父が目の前にいることに体が凍えた。
◆
「何故そう思うのですか?」
アンナが何を思って簡単と言ったのか分からずレオナルドは尋ねた。
時々アンナは自分も含めて他の者が思ってもいないことを口にする。だからこそ期待もするが、呆れることを言ったりと当たりハズレが激しい。
しかし、深みという迷走に入ってしまっていたことで頭の回転が鈍く思考放棄を起こしていることで話を聞いてみようと思っている。
「多分だけど、悪魔の目的ってディオスのままだと思うんです」
レオナルドが尋ねたとはいえアンナの口調は店内にいる死神達に言う言い方である。
「何故そう言い切れる?」
そして、リーヴィオが尋ねたが、アンナはそれが当然と予想していたのか慌てず持論を言う。
「少し考えたんです。ユリシアちゃんを生かしたまま連れ去った理由を。それで思い付いたのが人質です」
「人質?」
意外な言葉に空気が変わる。
「はい。今回の悪魔は死神からは逃げますけど私達弟子には積極的に戦いを挑んできた。それでいいんだよね?」
「え、ええ」
アンナから確認されてロレッタが慌てて頷いた。
「そんな悪魔がユリシアちゃんを目の前で連れ去った上で悪魔にするのはないかなって思ったんです。だから、死神を避けた上で動いているのなら人質しかないかなって」
あまりにもシンプル過ぎるというよりは説明が所々抜けている気がする持論に皆が黙る。
「アンナ、いくら何でもそれはないんじゃないかな?」
さすがにそれは客観過ぎないかと沈黙の中でアリアーナが呆れて言った。
「アリアーナ、私も最初はないかなって思ったよ」
「それならどうして?」
「悪魔が死神を避けているってことは自分の生存を少しでも先伸ばししているってことだよね、死神から?だったら死神が動きにくいことをすればいいと思うんです」
動きにくいと言う言葉に全員の雰囲気が僅かに変わった。
現場、アンナが言った通り死神はユリシアを連れ去られたことで動けなくなっている。
「それで、今一番に目を付けているディオスに言うことを聞かせる、っていうのは少しおかしいけど、意のままにするのならユリシアが生きていた方がいいんじゃないかなって思ったんです」
命を捨てようとしてまでユリシアを守ろうとしたディオスならあり得ると空気が張る。
「だが、仮に悪魔にされていたらどうする?」
「……私なら……ディオスも悪魔にします。出来なくても殺すかな?」
アンナの持論が全て言い終わったことで死神達は数秒考えた。
「確かに深く考えることでもなかったな」
「むしろ悪魔のことを知りすぎていた故に固くなりすぎましたね」
悪魔がすること、やることが今までと違いすぎていたために出来るだけ近いものをと探っていたが、アンナが言っていたことがあまりにも当たりに近いのではと思い始める。
「だが、悪魔の狙いがディオスとするなら……」
アドルフが呟いた瞬間、空気が固まった。
店内にディオスはいない。もしも悪魔の狙いが本当にディオスであるのなら一人でいる今は危ない。
「どうやらアンナの予想は当たりのようだ」
「くっそ!」
領域でディオスの存在を確認していたレナードが近くに悪魔が現れたことを伝えると、ガイウス、アドルフ、マオクラフ、ファズマ、フランコが大急ぎで店内から出た。
ただし、ファズマとフランコ以外は領域での移動であるが、途中で回収されることが目に見えて浮かぶ。
「……対策は?」
「もうしている」
レナードはディオスが止まった時点で周りに領域を展開していた。だから慌てることなく教えたのだが、どうやらその事に気づかなかったというよりはディオスの身の安全の為に出た印象である。
「しかし、悪魔の目的は分かりましたが最後の問題、ユリシアさんの所在が判明していません。それに、死神を避けている以上、この問題はかなり難しいです」
「ああ」
クロスビーの言葉にレナードは深く頷いた。
難しい問題であることは分かっている。しかし、それを打開する案が全く思い浮かばない。
いっそのこと本気で領域を展開して探ることも出来るがそうすればユリシアの安全の保証がない。それなら今制作している道具を使うか。しかし、道具に頼りすぎればこれからも先が……と考えるがやはり出ない。
その時、突然店内に置かれていた電話が鳴り始めた。
「誰だこんな時に!」
考えを中断させられたレナードは悪態を付きながら受話器を手に取った。
あくまで店にいるのだから営業スマイルで出る。
「こちらエノテカーナです」
そう言って、受話器から聞こえた相手の声に目を見開いた。
「モルテ!?」
予想外からの人物の連絡にレナードの驚きの声が響いた。




