協力要請
サンタリがあるヘクトゥームから東南東に遠く離れた森林に覆われた国、ヴライハツのリバタス郊外で《千里千眼の借り暮らし》のミゲルは森林浴をしていた。
大量の荷物を積めた鞄を枕にして顔には帽子を乗せて、ポカポカ陽気とは言えない夏のギラギラとした陽射しが周りの木々の葉によって和らいでいとはいえ直接顔に当たるのを避けて森の涼しさを楽しんでいた。
すると、鞄が揺れたことに気がついた。その揺れは小動物が這い上がる様ではない。中身が揺れているのだ。
「……ん?」
ミゲルは器用に顔から帽子をよせた。
見た目40代後半の肩まで伸ばしたくすんだ金髪に茶色の目をして髭が僅かに延びている男である。
ミゲルは眠たい眼で鞄を漁ると揺れの原因である渡りの伝達文箱を取り出してブンブンと箱を振った。
「……入ってるな?」
聞き慣れている異質な音を聞いて低い声音で呟くと渡りの伝達文箱を開けて中に入っている手紙を取り出して差出人の名前を見る。
「……」
差出人はオティエノであった。
「またか……」
ミゲルがまたかと口にしたのは2日前にオティエノがヴァビルカ教皇の噂を求めて手紙を出してきたことを覚えているからだ。
ミゲルはヴァビルカ教皇のことを20年前の教皇選挙時に見た以外は興味がないために進んで情報を集めようとはしなかった。
精々新しくても2ヶ月程前までの情報と手紙の最初に添えて、尋ねてきた疑問に思うこともなく知っていることを全て書いて教えた。もちろん後程情報料を貰うと付け加えて。
そのオティエノからまた手紙が来たのだ。何か聞き返したいことがあるのかと不機嫌になりながらもまたと言いたくなる気持ちはミゲルの身勝手な性格上どうしても口に出てしまうものである。
そのオティエノだが、出会ってからそれなりの頻度で手紙のやり取りを行っているのである。
と言うのも、オティエノは職業柄どうしても知識や情報を必要とする為にミゲルに特定の情報を求めて手紙を送ってくるのだ。
ミゲル本人はそんなもの他から仕入れろと言ってやりたいところなのだが、情報を専門として取り扱う者としては貴重な顧客である為にそんなことは言えず、めんどくさいと思いながらも情報を教えているのである。
今度はどんなことを知りたいのかと手紙を開いて見るミゲルは顔を歪めて大の字になる。
「また狸か……」
狸と言うのはヴァビルカ教皇の侮蔑である。
20年前の教皇選挙時にあった出来事が終結した際に同じく当時の死神に招集された芳藍の死神がこう言ったのだ。
「狸みたいだったな」
その「狸」というものが何か分からなかったミゲルと死神を除く死神がそれは何だと尋ねて、無駄に上手い絵を書いての説明に一同があまりにも似すぎていることに納得してしまったのだ。
それ以来、死神の間でヴァビルカ教皇を侮蔑する際に「狸」が用いられる様になったのである。
今度もまたとミゲルは思いながらも途中まで読んだ文章の続きを見ると、情報ではなく調査依頼であることに眉を僅かに寄せる。しかも……
「死神か……」
無視するには問題がある死神の文字に初めてミゲルが本当の意味で難しい表情を浮かべた。
「これは……死神絡みか?だが、何故狸と絡む?」
今日の朝方に出た町でヴァビルカ教皇の死去を知り、オティエノが何故ヴァビルカ教皇の情報を聞きたいと申して出たのかはあの時に今の死神に呼ばれたからと理解したはずだった。
だが、今になってはそれだけとは言い難くなった。
「死神まで絡んでいるとするなら……」
手紙の内容からその様に断じたミゲルはよっこらしょっと上半身を起こした。
「面白いことになっているなこりゃ!」
どうして死神に呼ばれた死神がヴァビルカ教皇のことを調べなければならないのか分からないが、向こうでは前代未聞の出来事が起きていると思うならそれはそれで面白いと笑う。口調もそれに合わせてハキハキと言うようになる。
「トンに行くか」
目的地は変わらないがそこからの予定を変更したミゲルはその面白さを味わいたいが為に急いで一筆取るとリバタスへ向かった。
◆
ヘクトゥームの北北東の隣国ハリスタルのトンは知る人ぞ知るヴァビルカ教皇の故郷である。
トンは現在、ヴァビルカ教皇の死を聞き付けた信者達が故郷の地でも冥福を祈ろうと多くの人が押し寄せている。
その人数も知らせから二日目となると一日目よりも増え続けており、町の中央に近い場所に位置する教会には長い列が出来ていた。
そんなものが何なのだと繁華街から離れた郊外に工房を構える《飛躍の製作者》のダーン・ダルファー・アルファルドはこの日も手作業で装飾品を作っていた。
すると、この日も渡りの伝達文箱が手紙が届いたと震えた。
ダーンは一端手を止めると渡りの伝達文箱から手紙を取り出して、差出人の名前に目を尖らせた。
「誰だったかこれは?」
珍しい青紫色の目を鋭く尖らせた白髪の70代程の老人は思い出せないと思いながらも手紙の中身を読み始めた。
そしてすぐに鼻を鳴らした。
「……ふっん!」
出だしに綺麗な文章を並べ、御無沙汰と書かれた文字に覚えていないと吐き捨てて読み続ける。
そしてまた、
「……ははははははははは!!」
今度は大笑いを起こし……
「ふざけるな!!」
手紙を思いっきり叩き捨てた。
「誰があの馬鹿野郎のことを教えないといけないんだ!いなくなって精々しているくらいだ阿呆!」
手紙の内容がこの世で一番嫌っていると言っていいヴァビルカ教皇の調査協力であることに、どうして嫌いな奴を調べてサンタリアに招集された死神に教えなければならないのだと吐き捨てる。
しかも……
「死神の名を借りやがって……」
今代の死神は20年前に見た死神の弟子の面影しか思い浮かばないが、手紙の内容からして七人の死神が明らかに死神の名を勝手に使われている感が滲み出ていることに、随分と甘く見られているものだと嘆かわしく思う。
「俺が死神の名で動くと思っているのか?俺も随分と甘く見られたものだな」
見てすぐに死神の名を語っていることは分かっているし、例え直接死神の命であったとしてもヴァビルカ教皇のことに関わるのはお断りだと突っ放す気でいる。
もう見ないと手紙を破り捨てようとしたその時、作業場の扉が思いっきり開けられた。
「おじいちゃん!」
「ベルモット!?」
何か必死な様子で入って来たのはダーンの孫娘ベルモット・ダルファー・エルナト。ダーンと同じく工房で働く若き職人であり死神でもある。
「どうしたんだベルモット?」
「どうしたじゃないわよおじいちゃん!」
ベルモットは一つに結わえられた金髪を振り回し、青い瞳でダーンを捉えると今さっき読み終えた手紙を突き付けた。
「この手紙と同じのがおじいちゃんの所にも届いているわよね?」
「なっ……!?」
ベルモットが持っていた手紙は先程見て今もなお手に持っている手紙と同じものであることにダーンの目が見開いた。
何故孫娘にもと思いながらもダーンは視線を反らした。
「……知らん」
「嘘言わないの!その手に持ってる手紙は何!」
「これは仕事の依頼の手紙だ……」
「まだ私の所で仕分け中よ!嘘は言わないで……」
「……同じ死神からのなのだが?」
「それじゃこれと同じものね?……ねえ?」
「……すまん」
孫娘の容赦ない追求にダーンの声は低くなり、同時に気持ちも小さくなっていく。
「ごめんじゃないの!おじいちゃん酷いわよ!」
「何が酷いと言うんだ?」
「酷いわよ!ヴァビルカ教皇の調査依頼書を破り捨てるかもしれないって書かれていたから見に来れば本当にしようとしていたじゃない!」
「何ぃ!?」
どうやら手紙の主はそのことを予想してベルモットにも同じ手紙、そして暴挙を止めるようにと頼んだのだと予想外の手に頭を殴られた感覚に陥った。
しかし、ダーンは死神の間では名が知られていることを周りから散々言われている為にその事は嫌でも自覚させられている。だから、ベルモットの存在はダーンの影に隠されている様なもので知られていないはずなのに何故手紙の主は知っているのだと考えて、思い出した。
5年ほど前に直接聞きたいことがあるからと訪れた変わり者の死神のことを。
困惑しながらも必死に聞きたいと頼む若い死神に痺れを切らして怒鳴っていると、その声を聞き付けたベルモットに止められ、逆に叱られる羽目となり、ベルモットの頼みで聞き入れることとなったのだ。
その時の若造が今度はベルモットにも頼み込んだのだ。説得役として。
非常に頭にくるやり方だが、ダーンが今それを怒る暇などなかった。
「おじいちゃん!せっかく向こうが必要だって頼ってくれたのにどうして手を貸してあげないのよ!」
「そんなもの俺じゃなくてもいいだろうよ!」
「良くないわよ!その人にしか出来ないものがあるって言ったのはおじいちゃんでしょ!職人仕事と死神の頼み事、どこか違う?」
「そりゃ……」
「違わないわよね?……ねえ?」
「……くそっ!」
ベルモットの言い訳を許さない追求にダーンは頷くしかなかった。
◆
渡りの伝達文箱に送られて来た二枚目の手紙を見たオティエノは注目のしている死神に朗報を伝えた。
「引き受けたみたいだ」
その言葉にそれぞれが感慨に浸った。
「まさかダーンが孫娘に弱いとはな……」
「こうも早くあっさり引き受けてくれるとは驚きだな」
「それだけその孫娘に甘いってことだろ?」
未だにあの頑固者が孫娘に小さくなる印象がないと思うが、現に結果がそうだと教えている為にギャップに感じてしまう。
ダーンをヴァビルカ教皇の調査に協力させる手立て。それはベルモットに説得してもらうことである。
「直接会っていたオティエノだから思い付いた方法か」
「偶然だよ」
「例え偶然とはいえお手柄ものです。これで次に繋がったのですから」
謙虚になるオティエノを皆が称える。
これで自分達が調べたことと照らし合わせていけば何かが掴めるかもしれないからだ。
すると、扉を叩く音が響いくと、次に声が聞こえた。
「失礼します」
そう言って部屋に入って来たのはユーグであった。
「ご夕飯の準備が整いました」
「もうそんな時間か」
話し込んでいてすっかり時間の確認を忘れていたが、外が暗くなりつつあることからユーグが言ったことに気がついて全員が立ち上がり、夕飯が準備された部屋へと向かった。
この日はその後の予定が何もない為に一日が終わることとなった。




