95. 引っかかっていた事 (春太郎視点)
春太郎視点です。
高校卒業以来、約12年振りに麗と再会した去年の正月。
30歳という節目の年齢を迎えたせいか、クラスの半数以上が結婚していて……もちろん彼女もそちら側の人間だと思っていた。
友人としてならば、たわいのない話をしたり軽口を叩ける。
高校時代、俺は彼女に恋をして、憧れて、だけれど気持ちを伝えるだなんて大層な事は出来なくて……。
彼女は高嶺の花。
そんなイメージがずっと残っていた。
俺の失態をキッカケに、2人で会うようになった。
当初は彼女への下心なんて微塵もなくて、むしろ友人達に言われたから彼女を食事に誘ったと言っても過言ではない。
無意識に傷付けてしまった事への申し訳なさとか、純粋に彼女へ謝罪したいと思って最初の約束を取りつけ、2度目、3度目と繋がるなんて思ってもいなかったのに。
別れ際、口を突いて出てくるのは次の約束を再び取り付けようとする台詞。
放っておけないとか、1人で抱え込ませたくないとか、ただただ彼女が心配だっただけで、彼女と付き合いたいとかどうにかなりたいとか、そんな感情は無かった筈だった。
なのに、3回目の食事で、傷付いた彼女の心を知ってしまった俺は……。
無意識のうち、再び恋に落ちていたらしい。
あの頃とは違う、憧れだけではない恋。
彼女を支えたいと思い、幸せにしたいと願う、そんな本気の恋なんてした事が無い。
彼女を抱きしめて、キスをして。
彼女を楽にしてあげたくて、苦しみを軽くしてあげたくて……だからって、何故そうなる!?と我ながら突っ込みどころ満載の行動である。
それが丁度1年前の話。
そのキスがキッカケで、お互いを恋愛対象としてハッキリと意識するようになって、俺は麗を、麗は俺を好きだと自覚して、俺がプロポーズまがいの告白をして交際がスタートし、紆余曲折を経てそれが家族にも認められて。
友人達に婚約を報告すれば、ブーイング混じりに祝福された。
彼女の心に負った傷が原因で生じた問題は2人でひとつずつ解決して。
夏に挙式する会場を選び、秋に結納して、冬の初めに結婚指輪を探し、購入。
クリスマスには彼女に内緒で婚約指輪を用意して、改めて俺からプロポーズ。
色々な意味で、俺と麗の距離は更に縮まった。
元日に籍を入れた俺と麗は夫婦となり、家族や友人達はそんな俺たちを思いきり祝福してくれた。
そしてその数日後には麗の心に負った傷の元凶で、今でも麗を引きずる博之に会って話もした。
式の準備は着々と進行中。
招待状は既に招待客の手元へ届き、ありがたい事に皆から出席の返事を貰っている。
主賓挨拶も乾杯の音頭も依頼済み。余興をお願いした友人は快く引き受けてくれたし、プロフィールムービーの作成も順調らしい。
衣装も決まっている。麗は白無垢とかほりさんの振袖、俺は羽織袴。
装花も、料理も、引き出物も、引き菓子も、演出のオプション親の意向を踏まえつつ2人で相談して。
麗が段取りを把握しているし、俺と彼女の好みとか価値観も似通っているせいか、様々な事がすんなり決まってゆく。
リノベーションの件は麗の希望を聞きつつ、俺が直太郎の所へ足繁く通い、逐一麗へ報告。今月末には工事が始まる。
新婚旅行の日程も決まり、飛行機もホテルも予約済み。
結婚の準備は大変だと聞いていたが、俺にはそれを楽しむ余裕すらある。
「何もかもが順調過ぎて不安」などと同僚に惚気れば、「柄にもなくマリッジブルーなのか?」と揶揄われ。
麗の転職の件も話がまとまりつつある。
採用はほぼ確定で、来月には雇用契約や研修のスケジュール、勤務形態についての面談をするらしい。
今も楽しそうに働いてはいるが、やはり彼女にとっての天職はプランナーなのだろう。
次の仕事の話をする麗の表情は、とても輝いているのだから。
籍を入れてから、何かと理由をつけて麗の部屋へ泊まり、麗の部屋から出勤している。
夫婦になったとはいえ、突然押しかけるのは申し訳ないので予め連絡するのだが、そうすると大抵手紙が置いてあり、冷蔵庫の中に食事を用意しておいてくれるのだ。
彼女の職場は賄い付きなので、夕食を用意する必要が無いというのに、俺の為だけに用意してくれるというのは申し訳ないのだが、それ以上に嬉しい。そして、手紙を見てニヤニヤしながら夕食を食べる。
欲を言えば、彼女と一緒に食事を取りたいのだが、現状それは厳しい訳で……とはいえ、もう暫く我慢すればそれも叶う予定である。
一緒に暮らす日が、待ち遠しくて仕方ない。
あいつは、結婚を「違う人生の始まり」だと言ったそうだ。あいつにとって、それは決して良い意味ではない。
俺にとっての結婚とは、なんだろう?
正直、まだ良くわからない。
けれど、守りたい人がいて、その人を幸せにしたくて、笑顔にしたくて、そんな笑顔を1番近くで見たくて、その為に俺は俺の出来るベストを尽くす。
俺が彼女を幸せにする。
そんな俺にも、少し引っかかっている事がある。
***
今日は二次会の件で麗の上司、立花さんと話をする事になっている。ただ打ち合わせをするのではなく、先日立花さんのお子さんが産まれたお祝いを兼ねてお宅へお邪魔するのだ。
出産祝い——今まで上司や取引先の担当者、同僚、友人などに贈る機会は何度もあった。
だが、お祝いの品を選ぶのがこんなに楽しいと感じるのは初めてだ。いや、むしろ品物を選んで贈ること自体が初めてだ。
現金を贈るか、商品券にするか。その2択だった。
小さな洋服、小さな帽子、小さな靴下、小さな靴。
赤ちゃんがいかに小さいのかを、それらで知る。
たまたま今日、俺が着ているカジュアルブランドのシャツにもベビーサイズが展開されている事を初めて知った。
ベビーサイズなんて、まさにミニチュアで。
小さいくせに、メンズのシャツと細部まで同じ様に作られているのがなかなかニクい。
自分に子どもが産まれたら……父子でお揃い、いや、麗も一緒に親子で揃えても良いかもしれない。もういっそここで買ってしまいたいくらいだ。
「うちはまだ子どもがいないんだからね?」
「バレたか?」
そう彼女に笑顔で釘を刺されてしまったので、笑って誤魔化す。
遠くない将来こうして彼女と2人、俺達の子どもの為に買い物をするのだろうなと妄想……もとい想像すればついつい口元が緩んでしまう。
デパート自体は割と来る機会が多い。主に仕事で使う贈答用の菓子折りを買う為利用するのは専ら地下で、そのフロアに限りではあるが何処に何があるのかなんとなく把握する程に利用している。
しかし、同じ建物なのに、ほぼ初めて足を踏み入れる子ども服とベビー用品の売り場。
目に入って来るもの全てが新鮮だ。
カラフルで、小さくて、なかなか面白い。
並べられた商品を眺めているのも面白いが、それ以上に麗を見ているのが面白い。
「春ちゃん、見て見て。これ可愛い!」と微笑む麗が可愛い。あーでもない、こーでもないと悩む姿も可愛い。彼女といるだけでささやかな幸せを感じる。
こうしてこのままずっと一緒に居たいとは思うが、さすがにトイレまで一緒に行くのは憚られる。そんな訳で、一言声をかけて俺は彼女から離れた。
数分後。
用を足して彼女の元へ戻れば、少し戸惑う彼女と初老の夫婦がいた。よくよく見れば、遠い記憶の中にではあるが見知った顔で。初老だなんて失礼だったかも知れない。
「麗、お待たせ。」
平然を装って彼女に声をかける。
「お久しぶりです。」
相手が俺を覚えているなんて期待していない。なんせ以前会ったのは十数年前の話だ。
「浅井 春太郎です。高校の時、博之くんと同級生で何度か家にお邪魔させてもらった……」
***
「ありがとう、一緒にいてくれて。」
麗にそう言われたのは博之の両親と別れ、2人の姿が見えなくなった時だった。
俺も博之の両親とは多少面識があった。
とは言え、高校時代の話なので相手が覚えているとは思っていなかったが、記憶の片隅にはいたらしい。
名乗った際に、母親の方は小さく頷いていたのだから。
「俺も会って話出来て良かったよ。」
「……え?」
「麗が可愛がってもらってたって話、聞いてたから……向こうも気になってるだろうなって。実際、大介に随分前だけど引っかかる事聞いてたし。」
それは俺が麗に再会して食事に誘うようになり、彼女への気持ちが本物なのだと気付いた頃だった。否、むしろ大介の話を聞いて気付かされたというべきかもしれない。
——産まれた孫が、博之と麗の子どもであったなら。
それは博之に隠していた母親の本音だった。それを偶然耳にしてしまったあいつはどんな気持ちだったのだろうか。
彼の母はそう思わずにはいられない位、麗を可愛がっていたのだから、何らかの形で結婚を報告した方が良いのではないか……そう気になりながらも、俺が提案するのはおかしいだろうと何もせずにいた。
恐らく麗だって気になっていたはずだ。何度かポツリと、漏らしてはいたものの、俺の手前言い出せなかったのではないかと思う。
『今日こうしてお会い出来て良かったです。妻が以前、僕に漏らしたんです。あなた方にきちんとお礼も出来なかったのが心残りだと——』
別れ際、俺は彼女に気付かれぬようそう告げた。
彼女の気持ちを代弁している様に見せかけておきながら、遠回しに、「彼女にとって貴方達は過去の人物である」と言っているようなものだ。
そして、もっと大事な事も伝えた。
『僕が幸せにしますから…では失礼します。』
これは完全なる牽制だ。我ながら大人気ないと思う。
「ありがとね、春ちゃん。」
そんな事はつゆ知らず、改めて俺への感謝を口にした彼女は、とても清々しい表情をしていた。
結局、洋服は立花さんが既に色々買い込んでいるらしいとの事で、少し成長してから長く使えるであろう北欧製の木のおもちゃをプレゼントする事にした。
店頭に見本として試せる様に組み立ててあったのだが、子どもだけでなくついつい大人まで夢中になってしまうところ——実際、俺が夢中になりかけてしまったのだ——に惹かれた事、パッケージが立花さんと彼の奥さんの趣味に合いそうであるというのが決め手となった。
「喜んで貰えると良いね。」
ラッピングしてもらっている間、購入したおもちゃの見本を眺めながら彼女が俺に微笑みかける。やはり笑顔の彼女は良い。俺だけに向けられた笑顔。マジで幸せ。
「いらっしゃい、どうぞ入って。」
麗に連れられて訪れたのは、立花さんのイメージにしっくりくるタワーマンションの1室で、俺たちを出迎えてくれたのは、いかにも「立花さんの奥さん」というイメージにぴったりの女性だった。
玄関も、リビングへ続く廊下も、モノトーン。
以前話した時、インテリアにはこだわりがあると聞いた事がある。
おそらく、モノトーンで整然とまとめられているのだろう。
だがしかし。リビングには俺のイメージと大きくかけ離れた立花さんがいた。
「りぃちゃん、おきゃくしゃんがきまちたよ〜」
モノトーンの中に、ナチュラルカラーとパステルカラーが混在した部屋の中、ぐっすり眠っている産まれて間もない我が子を起こそうと頬を指でつつく、デレッデレの顔の立花さん。
赤ちゃんの方はというと、迷惑そうに顔をしかめながらも起きる気配は無い。
「我が子の可愛さに頭が沸いちゃっちゃみたい。ここの所あんな感じだから気にしないで。」
本当あの言葉遣いやめて欲しいわ……そう呟いた奥さんには激しく同意する。
赤ちゃん言葉を使う彼を目の当たりにして、俺の中の立花さん像は音を立てて崩れたのだった。




