91. 四者面談
「竹内くん、久しぶり。それから博之も。」
簡単に挨拶をして、春ちゃんに勧められるまま彼の隣に座る。私の正面には竹内くん、そしてその隣には博之。
1年前にばったり会った時よりも痩せているというかやつれているというか、目の下の隈がやたらと目立つ。
顔立ちは殆ど変わってはいないが、私が良く知っていた彼とは雰囲気が全く違う。
常に溢れていたはずの自信も、余裕も、生気すらないように思える。
「麗ちゃんひっさしぶり!相変わらず可愛いね~。今日会うって話したらさ、桜子も会いたがってた。」
「竹内くんも相変わらず軽いね~。私も桜子ちゃんに会いたい。」
竹内くんはチャラいとはまたちょっと違う軽さ。そして彼の「可愛い」は時候の挨拶と同等。陽気で適当っぽいけど、彼の適当は「いい加減」なんじゃなくて「良い加減」。道化を演じて場を和ませるタイプなんだけど、あまりにナチュラルすぎて損することも多いのが玉に瑕。言い換えれば、いい意味で腹黒いとも言える。
「麗ちゃん、何飲む?春太郎と博之はビールでいっか。」
テーブルの上には空になったジョッキが3つ。
聞かれたもののビールの気分じゃなくて、かといって甘いだけのカクテルでもない。たまたま通りかかった店員さんが運んでいたカンパリオレンジが目に入ったのでそれをお願いする。
先程から博之からの視線を感じるが、竹内くんのマシンガントークが炸裂していているせいか会話には入ってこない。
竹内くんの話がおかしくて、同意を求めようと隣の春ちゃんに視線を移せば、不機嫌そうな顔。睨みつける、とまではいかないけれど彼にしては珍しく鋭い目つきをしていて。
もしかして、ヤキモチ妬いてる?元婚約者を牽制してる?
なんだか嬉しくて、でもちゃんと大丈夫だって伝えたくて、テーブルの下でこっそり春ちゃんの手を握る。そしたら急に毒気の抜かれたような顔をするものだからもう可愛くて可愛くて…。可愛いなんて本人に言ったら不貞腐れてしまうだけなので内緒にしておく。
竹内くんもそんな春ちゃんに気づいたのかもしれない。急にマシンガントークが終了したかと思ったら、興味深そうな顔で春ちゃんを眺めはじめた。そんな竹内くんに代わって口を開いたのは博之だった。
「麗…元気そうで良かったよ…。元気な姿を見られて嬉しい。」
先程とは明らかに違う博之に、竹内くんと春ちゃんは困惑しているみたいだ。
もしかしたらこの状況でも彼は気付いていないのかもしれない。昔はこんなに察しの悪い人じゃなかったのに…なんだか残念。
「私は元気だよ。今、すごく充実してる。転職も考えているし…。」
「転職も考えているし、春には彼と式を挙げる予定」――そう言うつもりだった。だけれど注文していたドリンクが運ばれてきて、ごちゃごちゃしていたテーブルに新人と思しき店員さんが困っていたため、会話の途中ではあるが店員さんにお礼を言って、春ちゃんと繋いでいない左手でカンパリオレンジを受け取る。
カンパリとオレンジジュースが綺麗な層になっていて、まるで夕焼けみたいなグラス。
そのグラスに、何故か博之の視線が釘付けになった。
「実は、元旦に籍入れたんだ。挙式は3月、麗の誕生日。」
どうやらグラスではなく、グラスを持つ左手薬指の指輪を見ていたらしい。それに気付いた春ちゃんがすかさず博之に報告し、私もちゃっかり便乗する。
「えっと、浅井 麗です。」
自分で言うのはやっぱり照れ臭くい。春ちゃんの顔を見てはにかめば、嬉しそうに微笑み返してくれた。
「そういう訳で、博之は例の件に関して罪悪感持つ必要無いし、麗の心配だってする必要ないから。麗は俺が責任持って幸せにするから。」
なんて言って、急に抱きしめられる。こりゃダメだ。多分何かのスイッチが入ってしまったに違いない。
「ちょっと春ちゃん、ここは日本だよ?人前でそういうのは恥ずかしいからやめてよぉ。」
とりあえず、やめて欲しいと伝えたら解放してくれた。ふと顔を上げると、竹内くんの生温かい視線が、私からも博之に何か言えと言わんばかりに突き刺さる。
「もう私には春ちゃんがいるから、いつも支えてくれるから大丈夫。すごく幸せ。博之は、奥さんと子どもを大切にしてあげて下さい。」
そう言って頭を下げる。その直後、春ちゃんに「ね?」と同意を求めたつもりが、裏目に出てしまい…「I love you so much!」なんて顔から火を吹き出しそうなセリフと共に唇を奪われ…。
ちょっと待て。留学仲間の竹内くんが一緒だからって、いくらなんでもこれはやり過ぎ。
うわぁ…竹内くんの顔…若干引いてるよ…。
「だからここは日本だって…。」
テーブルごとに囲われた個室の様な座席で、さらに通路から丸見えにならない様に簾が下がっている造りで良かった。じゃなかったら私、恥ずかしくて倒れていると思う。
まぁ、博之には効果絶大だった様なので、春ちゃんを咎めるのはやめておこう…。
「麗ちゃん、前から聞きたかったんだけどさ、こんな奴のどこがいいの?」
春ちゃんの友人からの毎度お馴染みの質問に苦笑する春ちゃん。やっぱり竹内くんも訊いちゃうのね…。
「うーん、デリカシーの無いところ?それと、空気を読まないところとか、自由すぎるところ?」
「麗ちゃん…それって褒めてるの?貶してるの?」
ちょっと意地悪だけれど、私なりの愛情表現デス。
「俺にとっては最高の褒め言葉!」
どうやら本人にはちゃんと伝わっていたみたい。
「一応褒めてるの。そういうところにたくさん救われたもの。それから、天真爛漫で裏表がなくて、優しくて、ちょっと強引だけど引っ張って行ってくれるところとか、一緒に居たら笑顔で居られるし、ずっと一緒に居たいって思えるところ。そして何より、私だけを見て、私だけを愛してくれるところ。」
最後の一文は、嫌味かもしれないけれど博之が決してしてくれなかった事。それに気付いて、今度はちゃんと奥さんと向き合って欲しいと心から思う。
「はいはい、ごちそーさま。もうお腹いっぱい。」
ですよねー。竹内くんの仰る通りです。散々惚気てすみません。だけど竹内くんがかなりけしかけてきたよね?
「今の俺たちがあるのは、お前らのお陰だよ。ありがとう。」
春ちゃんはようやくスッキリした顔になった。
やっぱり、竹内くんから聞くのと、実際に見るのとでは違うと思う。だって、私自身もそうだったから。
博之の一挙一動は思っていた以上で、美化された思い出に囚われている様にしか見えなかった。
そしてもう1つ。博之には伝えなければいけない事がある。
「あとさ、二次会来ないか?」
あり得ない、普通そう思うだろうが、私と春ちゃんはそれが良いきっかけとなれば…と思っていた。
その話を持ちかけた時、貴子にも山内くんにも、岡崎くんにも初めは反対された。
私達には、私達なりの考えがあったし、これから博之とは高校時代の同級生として付き合っていきたいと思っているのだから、敢えて皆と同じ様に呼びたい。そこで呼ばなければ、逆に特別扱いをするみたいだし、お互いの立場をハッキリさせておいた方が、後腐れないんじゃないか…そんな考え。
勿論、これはあくまで私達の考えで、それを受け入れるかは彼次第なのだけれど。
「もちろん無理にとは言わない。気が向いたらさ。ついこないだも高校のメンバーで飲んだんだけど、みんななんだかんだ言ってお前の事気にしてたぞ。康介も啓も中村も他の奴らも。微妙なのはわかるけどいい機会だし。返事は今しなくていいし、保留にしといて当日の気分で決めてもらって構わない。時間と場所はこいつが知ってるはずだから。じゃあ元気でな。家族、大事にしろよ。」
「ああ、考えておく。」
友人達の名前に反応していたという事は、博之自身も気にしているという事他ならない。
彼の「考えておく」という返事を聞いて、春ちゃんはにっこり笑った。
竹内くんも満足そうな顔をしている。
そして、私たちはその店を後にし、彼は私を家まで送ってくれた。
***
「実は俺、すげぇ緊張してた。」
「緊張って言うよりも牽制してたよね?」
「麗が俺の手を握ってくれて、緊張がほぐれた。」
「うん、知ってる。多分竹内くんも気付いてたよ。あの瞬間、春ちゃんの顔がびっくりするくらい変わったもん。」
「マジか…すんげぇ恥ずかしいな、それ。」
「ねぇ、春ちゃんの羞恥の基準てどうなってるの?前々から聞いてみたかったんだけど…今日だって"I love you"とか言っちゃうし、人前でキスとかしちゃうのにさ…。」
「あれは勢いというか…なんか思い出したら恥ずかしくなってきた…」
「つまり、勢い任せとか無意識の行動は恥ずかしくないと?それ、なんか嬉しくない…」
「あれは麗が煽るから…麗のあんな目で見つめられたらつい…」
責任転嫁ですか?なんて責めるのはやめにして。それってそれだけ私の事好きって事だよね?なんて聞きたかったけれどぐっと堪えて、熱々のチャイの入ったマグカップを渡す。寒い夜に飲むスパイスの効いたチャイが好き。ここまで帰ってくるのにすっかり冷えてしまったから生姜を効かせて。
「あー、明日からまた仕事かぁ…この年末年始がずっと一緒だっただけに辛い…。」
「あともう少しの我慢でしょ?それに式の準備はこれから本格的に忙しくなるから本当にあっという間だって。」
「来週は招待状を取りに行って、直と話しして、啓のとこで飯食うんだろ?」
「そう。午前中は佐伯さんと打ち合わせで、午後から建野さんのところでリノベーションの話をして、夕方からは岡崎くんちでプロフィールムービーの相談して…」
「なんか忙しそうだな…」
「忙しそうじゃなくて忙しいんだって…いろいろ相談することも増えてくるし。」
「あーあ、一緒に暮らしてたら相談するのも楽なんだろうなぁ…。」
仰る通りです。電話でもなんとかなるけど、やっぱり直接会って話したいこともあるし。だから、渡しても良いかな、なんて思って…姉に預けていたものを元日に返してもらっていたんだよね。
「長居したら帰りたくなくなるからそろそろ帰るよ。」
「これ…春ちゃんに。準備を進めるうえで、渡しておいた方が便利だと思うから。」
「…合鍵?」
「うん。急ぎの用事とかあったら、仕事帰りに家で待っててもらえるでしょ?」
「それっていつでも泊りに来てって解釈してOK?」
私の顔を覗きこむ春ちゃん。この顔、からかってる、絶対からかってるでしょ!
どうしようかなぁ?なんて悪戯っぽく返せば、「じゃあお言葉に甘えて」なんて自己完結されて。
「長居したら帰りたくなくなるからそろそろ帰るよ。」
「うん、また来週ね。」
「じゃあ、おやすみ。俺の可愛い奥さん。」
彼はそう言うと私にキスをして、上機嫌で帰っていった。キスされた途端熱くなったのはきっと生姜たっぷりのチャイのせい。
翌日、仕事を終え帰宅したら、スーツを含む着替え一式を持ち込んで春ちゃんが待っているなんて、この時の私は露程も知らない。




