87. 仕事納め
12月25日、クリスマス。
イヴ程では無いけれど、開店してからずっと客足は絶えなかった。
ランチの営業が終わり、休憩中。春ちゃんからのメールが3通あることに気付く。
ニヤニヤが止まらない。思い出し笑いとか気持ち悪い、そう自覚しつつも頰は緩んでしまう。
1通目。昨日はありがとうとか、プレゼントを褒められたとか、文章としては当たり障りのないものだったけれど、昨日の出来事を照らし合わせたらもう甘くて甘くて仕方ない様な内容に1人で赤面する私。
勿論、それに対しての返信は欠かさない。文字を打ち込む指が恥ずかしさで震えるほど、私としては思いきり惚気けたメール。万が一、春ちゃん以外の人に読まれても、恥ずかしくないように言葉を選んだつもりだけど、昨日の出来事を思い出しながらだともう恥ずかしくて恥ずかしくて。
こんな姿瀬田さんに見られた日には根掘り葉掘り質問攻めされるに違いないが、幸い見つからずに済んでいる。
2通目は、竹内くんと明日会う約束をしているけれど、実は未だに私との事を竹内くんに話していないので、付き合ってることや結婚する事を報告したいとのメール。勿論二つ返事でそれを了承する。
竹内くんは、博之の友人でもある。だから春ちゃんは、敢えて私との事を言わなかったのかもしれない。
ある意味、春ちゃんと付き合うきっかけを作ってくれたのは竹内くんだとも言える。だから、彼に感謝している事伝えて欲しいと返信した。
3通目は、席の予約の依頼だった。
明日の昼、クリスマスイヴの食事のリベンジをしたいとの事。なんでも、土屋さんの邪魔が入ったとか。
美咲ちゃんとのランチデートかぁ…。
食事の後はそのまま客先へ行くらしい。時間はそこそこあるけれど、優雅にという程時間は無い。わがままかもしれないけれど、なるべくゆっくりしたい…か。
明日なら、確か予約も入っていなかったし、個室風になっている席を抑えておこう。
ソファもゆったりしていて座り心地良いし、窓から日が差し込んで明るいし、窓に施した雪の結晶の装飾も可愛いし、なかなかの良席だと私は思う。
ランチコースの種類と詳細を支配人に確認し、倉内さん宛にメールで送信して。予め聞いておけば、よりスムーズに出せるからゆっくり食事してもらえるはず。
***
「倉内様、お待ちしておりました。本日はご予約、誠にありがとうございます。」
支配人の声で、2人が来た事に気付く。美咲ちゃんと目が合うと、小さく手を振ってくれたので、私も小さく振り返す。
「八重山がお席へご案内いたします。」
私と美咲ちゃんのやり取りに気づいた支配人がそう言って、私に向かってニッと笑った。
美咲ちゃんのキャメルのトレンチコートと、倉内さんの黒いチェスターコートをお預かりして、2人を予約席にご案内する。
「ノンアルのスパークリング、グラスでサービスして。」
「SÌ, ho capito.」
すれ違いざまにコッソリそんなやり取りを交わす。
今日の美咲ちゃんはいつもとちょっと違う。普段はかっちりしたセットアップのスーツを着ている彼女だけど、今日はフンワリしたワンピース。テーラードジャケットを羽織っているから、甘さ控えめのお仕事仕様だけど、カーディガンとかストールと合わせたら完全にデート仕様。髪の毛も巻いてるよね?お化粧もいつもよりも気合入ってるし、表情がちょっと硬い。美咲ちゃん、緊張してる?
支配人も気付いたんだろうなぁ。いつもと違う美咲ちゃんに。春ちゃんだけじゃなくて、倉内さんも美咲ちゃんも下のカフェの常連さん。支配人、ちょこちょこカフェにも顔出すから、2人とも時々話すみたいだし。
本当は少し話したかったけれど、立て続けに料理が出来上がったらしく、厨房の方が慌ただしくなってきた。2人を案内した半個室は少し奥まっていたところにテーブルが配置されているから、席に着けばそんな慌ただしさは殆ど気にならない。しかも厨房から1番近い席なので、出来立ての料理を早くお出しできるという利点もある。
「本日はご予約ありがとうございます。こちら、立花からです。ノンアルコールですので、お仕事にも差し支えないかと…。お料理、すぐお持ちしますね。」
それだけ伝え、2人の席から離れる。邪魔をしたら不粋というもの。両思いではあるものの、自分に自信が無いと言う美咲ちゃん。倉内さんは、彼女の負担にならない様に、少しずつ距離を詰めていく作戦で頑張っているが、なかなか2人きりになるのが難しい上、横槍を入れる人がいたりで頭を抱えているとかいないとか。
お料理はお任せで良いとの事だったので、普段見慣れない料理ばかり。しかも、シェフ気合い入ってる?物凄く美味しそうです。
他のお客様の接客で半個室の前を通るたび、控え目だけれど楽しそうな笑い声が聞こえる。
デザートをお出しする頃には、美咲ちゃんの緊張もすっかり解けた様で、表情も明るく柔らかい。しかもそのデザート、ハートモチーフだらけですごく可愛いくて、それを見た途端、美咲ちゃんの顔が更にパァっと明るくなった。そんな美咲ちゃんの笑顔を見た倉内さんもとっても良い笑顔。
倉内さんと美咲ちゃんの纏う空気が以前と変わった気がする。すごく良い感じ。温かくて、ほんわか。
「浅井にチラッと話しただけなのに、至れり尽くせりで、半個室まで用意してもらっちゃって…ありがとう。後で立花さんともお話しさせてもらえる?お礼言いたいし。」
「麗ちゃん、色々ありがとう。指輪今度見せてね。」
あれ?指輪の事、春ちゃんに聞いてるのかな?なんて気になったら、急に思い出してしまって、頰がカァーっと熱くなる。
「み、美咲ちゃん。近いうちに2人で飲もうね!」
ダメだ。恥ずかしくてたまらないし、顔も緩んでしまう。
「えっと、支配人呼んでくるね。」
私は逃げる様にテーブルから離れ、どうにか心を落ち着かせる。
昔はこんな事なかったのに。この歳で何やってるんだろう、自分にそんなツッコミを入れるが、どうしてこうなったか分からない。
「なんか麗ちゃん、浅井に似てきたよね。夫婦って段々似てくるって言うけどさ、ちょっと早くない?」
「そう言われたらそうかも…。今日はありがとう。じゃあまたね。」
帰り際、倉内さんと美咲ちゃんにそんな事を言われた。
「あぁ、そういう事か」と妙に納得してしまった反面、目の前の2人にも同じ事が言える様な気がして、なんだか幸せな気持ちになった。
***
「今年はこの店にとって、大きな転機の年でした。本当に皆良くやってくれたと思います。来年は、それをきっかけに大きく変わって行くわけですが、店も、スタッフも、次のステップへと向かって一丸となって頑張っていきましょう!本当に、1年間お疲れ様でした。ありがとう。来年もよろしくお願いします。」
「お疲れ様でした〜!」
「お疲れでーす!」
「お疲れ様です!」
翌日、今年最後の営業も無事に終了。通常よりも早めに店を閉め、大掃除の意味を込めていつもよりも念入りに掃除をした。
既に日付は変わってしまったけれど、社員は全員、契約社員やバイトの子も残れる人は残っているので、こんな時間であるのに結構賑やかだ。
明日と言いたいところだけど、もう日付は変わったので今日から約1週間のお休み。仕事納めという事もあり、普段なら賄いに出ない様な食材も、諸事情により大盤振る舞いされているし、支配人がスプマンテまで開けてくれた。美味しい料理とドリンクで1年間の労をねぎらう。勿論、未成年には相応の飲み物が配られている。
あちらこちらから聞こえる陽気な笑い声。
この店の一年間を振り返ったり、来年の抱負について話す声も聞こえる。
ここは恵まれた職場だ。
特別お給料が良いとか休みが多いとか、福利厚生がすごく充実してるとか、そういった意味では無い。
スタッフの人柄とか、キャラクター、そして雰囲気。つまり人に関する事だ。
モチベーションは多少違うけれど、皆が同じベクトルに向かって協力する事は、当たり前のようで、なかなか難しい。
モチベーションが違うというのは、一見、良くないようだけれど、客観的に判断して、ブレーキをかけることのできる人間がいるということでもある。
来年はここにいないんだと思うと、なんだか淋しい。ここで過ごしたのは1年と少しだというのに、もう何年もここで働いているような気分。それだけ、ここでの時間が私にとって充実したものだったといえるのだろう。
「八重山ちゃーん、この1年で色々あったからってしんみりし過ぎじゃない?」
「ちょっと、瀬田さん、飲み過ぎだから!」
「違いますよ、長尾さんが飲んでないだけですって!ほら、もっと飲みましょう!八重山ちゃんも飲まなきゃ!」
瀬田さんに勧められ、私も長尾さんもいつの間にかホロ酔い気分。気付けば、ここに居る全員がそんな感じ。ワイワイしながらも、穏やかな雰囲気に包まれている。
飲んで、食べて、笑って。去年はこんなに賑やかだったっけ?こんなに温かい雰囲気だったっけ?
そもそも、こうしてスタッフ皆で飲んだり食べたりした記憶は朧げにあるけれど、どんな雰囲気だったとか、美味しかったとか楽しかったとかいう記憶は殆どない。
はっきりと覚えているのは、休みが憂鬱で仕方がなかった事。仕事を理由に、家族の集まりも、友人のとの集まりも放棄出来たらどんなに良いだろうと思っていた事。だけれどそういう訳にもいかないから、周りを心配させない為にはどう振る舞うべきか、そんな事を考えて無駄に笑っていた。それが、逆に皆に心配をさせているなんて知らずに。
「それでは良いお年を!」
互いの無事を願う挨拶を交わして、笑顔で帰路に着く。
吐く息は白く、風は肌を刺す様に冷たい。なのに温かいと思えるのは、アルコールの影響であるのは間違いないけれど。決してそれだけじゃないんだろうな。




