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77. 一歩踏み出す勇気

 しばらく重い空気が流れる。そんな中、口を開いたのは静香さんだった。

 笑いながら話す彼女の口調とは裏腹に、その目は真剣だった。


「驚いたでしょう?申し訳ないけれど、同じ思いをしている人が身近にいるって知った時、嬉しかった。不謹慎かもしれないけれど、心強かった。この苦しみを共有できる人がいるんだって思っただけで、気持ちが楽になった。だけど私なんかよりあなたの方がずっと辛かったと思う。それに気付いたら、もっと早く会いたかったけれど会いたいなんて言えなかった。実際会ってからも、なかなか打ち明けられなかった。」


 静香さんは私の方が辛かったと思うと言った。だけれど私はそうは思えなかった。

 もしも、私が彼女の立場だったら、絶対に逃げ出していたに違いない。


 私には無理だ。自分を捨てた元彼と自分から彼を奪った相手の担当だなんて想像しただけでゾッとする。


「ごめんね、私、ズルくて。あなたには色々聞いておきながら、自分の事は隠したままで。強いあなたが羨ましかった。昔、私に『憧れ』だって言ってくれたでしょう?実はずっと一緒に仕事してみたいなって思ってたの。だからお手伝い出来て嬉しいし、今の私にとっては、あなたが『憧れ』なの…。」


 私には勿体なさすぎる言葉。静香さんはズルくなんかない。

 私だって、静香さんと一緒に仕事がしたかった。


 静香さんは強い。

 私なんかよりずっと。


 そんな人にそう言ってもらえるだけで、この数日間、負のループに陥って自分を否定し続けていたのが嘘みたいに、晴れやかな気分へと変わる。

 もっと自分に自信を持ってみよう、もっと自分を信じてみよう、もっと自分を好きになってみよう、そう思えた。


「以前、お見舞いに来てくれた時、言ったでしょ?私とあなたは似ているけれど決定的に違うって。あれ、訂正させてもらえないかしら?」


 静香さんは大きく息を吐くと、真っ直ぐに私の目を見た。真剣な眼差しに圧倒されつつも、その力強さに私は見惚れてしまう。


「私、やっぱりプランナーっていう仕事が今でも好き。好きと嫌いは紙一重だって言うじゃない?嫌いだって思い込んでいただけなの。あなたは好きで、私は嫌い。だから、そこが決定的に違うって思ってたけれど、私も本心では好き…あなたと一緒なの。あの仕事に未練があるのよ。大好きだから、辞めたくなかった。だけど、あの時は辞めざるを得なかった。今でも結局諦めきれない。…似た者同士、頑張りましょう。」


 私は、静香さんが差し出した右手を握った。

 固く交わした手から、何かが伝わってくる。何かはうまく説明できない。

 だけど、心が打たれるような、胸が揺さぶられるようなそういった類の衝撃があったのは確かだ。


「…………」


 ごく小さく、何か聞こえたような気がして振り向くと、支配人が静かに泣いていた。


「…なんで立花が泣いているわけ?」

「…そりゃあ泣かずにはいられないだろう…理由はどうあれ、静香から仕事を奪ったのは俺だし…あの時はそれがベストだとは思っていたし、後悔はしていないけれど…責任は感じてたし、本当にこれで良かったかと問われたら…今も肯定は出来ない。…だけど、今の静香の話を聞いていたら…。八重山…お前静香に何したんだよ?…なんか悔しいよ。俺がどうにかしてやりたかったのにさぁ…良いトコ持って行きやがってよぉ。」

「何ソレ?照れ隠しのつもり?…相変わらず素直じゃないわよね、立花って。」


 呆れたような口調。だと言うのに、静香さんの顔はびっくりする位嬉しそうだった。

 静香さんのそんな口調は間違いなく照れ隠しだ。一方の支配人も真っ赤になってそれを否定している。


 結婚に至った経緯や、お互いの呼び方こそ普通とは言い難いけれど、なんだかんだ言いつつも仲睦まじいお二人を見ていると、夫婦っていいな…なんてほっこりしてしまう。

 私の周りには、「良い夫婦」が多いと思う。

 その中でも支配人と静香さんは本当にお互いを思いやっているんだなぁ…と言うのがひしひしと伝わってくる。

 私達も、こんな風になれるだろうか?


「八重山…なんだよ?ニヤニヤして…」

「夫婦って良いなぁ…なんて考えてました。」

「なになに?結婚後の事とか色々想像しちゃった?」

「お二人みたいな夫婦になれたら良いなぁ…って。」


 ニヤニヤというのは心外だけれど、どうしても顔がほころんでしまう。


「立花と違って、彼、素直そうよね。」

「それ、どういう意味かな?」

「そのままの意味よ?それに、私と違ってあなたも素直だし。」

「間違いない。静香ももうちょっと可愛げがあったらなぁ…。」


 今朝、お邪魔した時の雰囲気とはまるで違う。

 モノトーンのインテリアさえも色鮮やかに見える。そんな部屋に似つかわしく無く思えたベビーグッズも、今はそれがぴたりとハマったパズルのピースのようにしっくりとくる。


 静香さんも、支配人も、そして私も笑顔だ。

 笑顔はうつる。

 幸せな気持ちも、前向きな姿勢もうつる。


「これが、八重山の背中を押してやれるか分からないけれど…。うちの店、日曜定休を止める話が持ち上がっている。1階のカフェは今まで通りで、リストランテだけ定休日を平日にしようかって。具体的な時期や詳細は未定だけど、恐らくそうなると思う。」

「何それ?初耳よ?」

「そりゃあ昨日オーナーと話したばかりで誰にも言ってないからな。知ってたら逆にコワイよ。嫁に盗聴器でも仕掛けられてるのか!?ってな。」


 支配人のブラックジョークに3人で笑った。


 そして、一歩踏み出す勇気もうつる事を、後日私達は知る事になるのだった。






 ***


 朝からお邪魔していていた立花家をお(いとま)したのは13時過ぎ。慌てて春ちゃんの元へ向かう。


 約1ヶ月前の結納の後、毎週お休みの度に会ってはいるけれど、2人きりで出かける『デート』は久しぶり。


 春ちゃんのお友達と食事に行ったり、遠方から用事でいらしていた彼のご親戚にご挨拶したり、私の両親の家に遊びに行ったり、弥生さんのお家にお邪魔したり。

 そういうのも必要だし、楽しいけれども、やっぱり2人だけの時間も大事。


 ずっと心の中で引っかかっていた事の答えが自分の中で出たせいか、とても清々しい気持ちだ。


 ずっと躊躇っていたけれど、やっと踏み出す事を決めた。

 上手くいくとは限らない。

 上手くいかなかったらその時考えたら良いだけ。上手くいかなくたって大丈夫。どっちに転んだって私は私。

 別の道だって幾らでもあるんだから。


 自分の中での優先順位がはっきりした今、なりたい自分に一歩近づけた気がした。




 軽い足取りでメールで指定されたタイ料理店に向かう。

 朝の調子ならこんなに早く着けなかっただろう。ランチのオーダーギリギリの時間に店に滑り込むと、空席の目立つ店内でにこやかに手を振る彼の姿が目に入る。


「ごめん、お腹減ってるよね?」

「俺、我慢強いから大丈夫。」

「待たなくて良いって言ったのに…。」

「麗と一緒の方が美味いから。それに空腹は最高のスパイス!って訳で何にする?」


 どうしよっか?と相談したものの、結局売り切れてしまったメニューも多くて、マッサマンカレーのセットを注文した。


 マッサマンカレーって、確かアメリカの何かで、世界一美味しい料理として有名になった料理だよね?なんてたわいの無い話をしながら食べた。

 スパイシーなのにマイルド。鶏の旨味、ナッツやココナッツミルクの甘み、それから鼻を抜ける爽やかな香りや控えめな辛味。

 色んな味がする。世界一の料理に選ばれるだけあって確かに美味しい。


「なんか良いことあった?」


 唐突に春ちゃんに聞かれた私は、思わず「なんで?」と返してしまう。


「いや、気のせいだったら良いんだけど…最近電話しても様子が変だったし、悩みでもあんのかなー?なんて思ってたんだけど、今日は声のトーンも違うし、なんかスッキリした顔してるから、そんな気がした。」


 そんな春ちゃんの返答に、静香さんの話の一節を思い出す。

『立花にはバレちゃった。時々しか会ってないのに…すごく細かいところまで人の事見てるのよ。』

 春ちゃんにも…バレてる!?

 私の事、ちゃんと見てくれているんだ…と嬉しくて、思わず頬が緩む。


「ずっと悩んでいた事の答えが出たっていうか…優先順位がはっきりしたっていうか…。」

「優先順位?」

「転職…考えてみようかな?って思って。」

「転職?」

「うん。まだ、探してみようかな?って段階だけど。今、1.5次会とか2次会向けのプランを考えるって話をしたでしょ?やっぱり楽しいなって思って…。今のとこで働き始めてやっと1年だから、それも引っかかってたんだけど…。」

「俺は賛成。なんかスゲェ良い顔してる。やりたい事やった方が良いよ。」

「ありがとう。それでね、もし転職活動上手くいかなくてもね、一緒に暮らすようになったら今の仕事を今のまま続けるのはやめようかな…って。」

「それはつまり?」

「正社員からパートに切り替えようかな…って思ってる。すれ違いの生活はしたくないから…。」


 春ちゃんは嬉しそうに私の話を聞いてくれた。にこにこしながら頷いて、時々打つ相槌のトーンもいつもより高い。


「それじゃあ住むエリアも職場周辺に限定されずに済むな!」


 何がそんなに嬉しいんだろう?と思っていたら、そういう事だった。彼なりに色々考えてくれていたらしい。


「麗のお父さんにはまだ探すなって言われたけどさ、やっぱ気になるじゃん?実はネットとか雑誌で探してたんだよね。麗が仕事続けるとなると近場じゃないと帰りが遅いから心配だし…だけど、あの辺りって物件少ない上にあっても狭くて高いからさぁ…いずれ子ども育てるにしても環境が良いとは言えないし。」


 父が家を探すなと言った真意はまだわからないまま。

 先日、遊びに行った際、たまたま翌日が夕方出勤の日だったので泊まらせてもらったのだけれど、そんな話が出た時はすでに春ちゃんがベロベロに酔っていたせいか父にあやふやにされてしまった。


 探すなら、子育てする環境の事も考えないといけないんだよね……子どもかぁ。。。


 私は少し考え込んでしまった。

 春ちゃんも何か考え事をしているのか沈黙が流れる。


 そんな沈黙を破ったのは、この後の予定についての春ちゃんからの提案だった。

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