76. 告白
人は予期せぬトラブルが起こった時、本質が露わになると云う。
よく聞くのは、事件や事故、災害など、その命に関わる時。けれど、そうじゃない時だって本性が垣間見られる機会は決して少なくはない。
例えば、知りたくもない事実を知った時。
例えば、信頼していた人に裏切られた時。
例えば、目の前で誰かが倒れた時。
私は無力だ。
頭が真っ白になって、ただ立ち竦むだけ。
パニックに陥り、何も出来ない。
何も出来なかったのではなく、しなかった。
頭が真っ白になったのではなく、考える事を放棄した。
パニックに陥ったというのは言い訳でしかない。
私の本質なんてそんなもの…。
誰かに助けてもらうばかりで、そのつもりはなくとも結局のところ他力本願。
私を助けてくれるたくさんの友人、私を支えてくれる家族、私を守ってくれる春ちゃん…本当に私は恵まれていると思う。
それだけでも充分なのに、今日は通りすがりの人にまで助けてもらった。
冷静になれば、どうすべきだったかなど明白なのに私は何も出来なかった…違う、出来なかったんじゃなくてしなかったんだ。
何もしない私に変わって、救急車を呼んでくれたのは通りすがりのサラリーマン風の男性だった。
彼は救急車が見えると、大きく手を振って救急車を停め、救急隊員を私達のところまで誘導してくれた。
私はと言えば、相変わらずオロオロとうろたえ、救急隊員の質問にしどろもどろで答える事しかできない。質問以外の事と言えば、静香さんが妊娠中である事を伝えられた位だ。
気付いた時には、そのサラリーマン風の男性は居なくなっていて、私はお礼すらいう事が出来なかった。
そんな事すら出来ない自分に嫌気がさした。
病院へ搬送されてすぐ、私は支配人に連絡を入れた。その後、私に出来たのは廊下で待つ事だけ。
慌ただしく目の前を通り過ぎる医師や看護師、救急隊員の邪魔にならないよう、そんな事を考えながら身を縮めていた。
「八重山…すまない。迷惑かけたな…。だけど助かったよ。」
「いえ…私は何も…。静香さん…大丈夫ですか?」
「あぁ、今はもう落ち着いて寝てるよ。点滴が終われば帰って良いらしい。今日は俺もこのまま家に帰らせてもらう…悪いけど出勤したら俺が戻らない事、長尾に伝えてくれないか?」
搬送先の病院に駆けつけた支配人とそんな会話を交わし、私は出勤すべく駅へ向かう。
何が原因なのか、何か持病でもあるのか聞けぬままだった。何もしなかった自分の不甲斐なさに後悔しながら乗る地下鉄の車窓に映る自分の顔は朝とは別人…以前の私と同じ顔をしていた。
助けてないのに「ありがとう」と言われて、居心地が悪かった。
自分を変えるなんて簡単じゃない。
だけど、変わりたい。
大切な人達を助けられる、支えられる、そんな自分に…。
***
あれから数日、ずっと鬱々とした気分のまま過ごしていた。どうしたら変われるかなど簡単に分かるはずもない。
「いらっしゃい、忙しいのに呼び出して…この間はごめんなさいね…。」
「いえ…先日は私こそ何も…」
今日は定休日で休日。私は朝から立花家にお邪魔している。
タワーマンションの一室、モノトーンでまとめられた部屋。その部屋の隅には、部屋の雰囲気とはチグハグな、ナチュラルカラーのベビーベッドが置かれ、その上にはパステルカラーのベビーグッズや可愛らしいぬいぐるみが所狭しと並べられていた。
「気が早いでしょ?妊娠がわかるとすぐ、立花が揃えたのよ?」
「支配人が?ちょっと意外です。」
おそらくこの部屋の家具やインテリアは支配人の好みだ。静香さんの雰囲気とは違うし、以前支配人から「部屋にはこだわっている」って話を聞いた気がする。
そんな人が、お部屋のテイストとは真逆のベビーグッズを見えるところに置くなんて考えられない。…いや、あれはもう「置いている」のではなく「飾っている」と言った方が正しいかもしれない。…という事は、ベビーの誕生を相当心待ちにしているに違いない。
「女の子…?なんですか?」
「あれ見たらそう思うわよね〜。まだわからないのに立花ったらピンクとか花柄ばっかり買ってくるの。どう考えても『女の子が欲しい!』って揃え方でしょ?男の子だったらどうするのかしらね?」
なるべく表に出さないようにしているものの、私の沈んだ気分とは対照的に、妙にテンションの高い静香さん。
「あの日、一緒にいてもらったから、その場ではなんとか耐えられたのよ〜。助かったわぁ…。」
世間話の延長のようなノリで話す静香さんに違和感を覚えた。
「体調は…もう大丈夫なんですか?」
「あら、聞いてなかった?ただの過呼吸よ。病気でもなんでもないから…大丈夫、大丈夫。」
ただの過呼吸…?
過呼吸の原因は心理的なストレスだと聞いたことがある。もし、静香さんのそれもそうだとしたら、あの時の何がストレスだったのだろうか?
「大丈夫じゃないだろう?…少しは心配させている自覚をだな…」
「もう、立花ったらそればっかり。いい加減過保護過ぎるのよ。」
「過保護って…明らかに大丈夫じゃないんだから心配するなっていう方が無理だ。それに俺を過保護にさせてるのは静香自身だからな。何があったか…八重山も来たことだし、話してくれるんだろう?」
支配人は少し苛立っているようだった。
あの日、静香さんがああなった理由に心当たりがあるのだろうか?
「原因は…何気ない一言。私に向けられたものじゃないけれど、私にとっては聞きたくない台詞。あの日、店を出る直前にオーナーが発した一言で、私はあの人達を思い出してしまったの。相変わらずでしょ?…いまの私には立花がいるのに…ごめんなさい。…立花だけじゃなく、あなたにも聞いてもらいたい…話したら、私、変われるんじゃないかって、何の根拠もないけれどそんな気がする。だから今日来てもらったの。せっかくのお休みなのにそんな理由で呼び出してごめんなさいね。」
急に泣き出しそうな顔になった静香さんが語ったのは、私が想像もしていなかった過去と本音と、支配人との馴れ初めについてだった。
***
『昔、私とあなたが同じ会社で働いていた頃の話ね。私には結婚を約束している人がいたの。職場恋愛だった。
周りには内緒で付き合っていたんだけれど、それを唯一知っているのが彼の後輩で私の同期だった立花…早い話、彼との間を取り持ってくれたのが立花だったのよ。
付き合って3年、結婚って話が具体的に出てきた頃かな。
それまでも、ああいう仕事だったでしょう?お互い、色んな式を見ているから、たくさん希望があったわ。そういった類の話は何度もしてきた。
何処で式を挙げて、どんな衣装を着て、誰を呼んで、料理はこんなので、装花はどの店のどの担当にお願いするか、司会者はあの人にお願いしたい、引き出物とか引き菓子どころかプチギフトまで希望が決まっていて、かなり正確な見積書が作成できるくらい話してたのよ。
親にも紹介していたし、そろそろ会社に報告しようか?じゃあ、いつ上に言う?って話をしていたのに……。
ある日突然、「別れて欲しい」と言われたの。
理由はね…自分の意に反してお見合いをしたのだけれど、相手に気に入られてしまって、どうしても断れない相手だから、私に自分との結婚は諦めて欲しいって。
お見合いしたなんて初耳だった。
彼が言うには、自分は嵌められたんだ…って。食事会と言われて行ったらお見合いだった…って。
お相手には、初めはお断りしたらしいわ。
だけどまぁ…これ言っちゃうと、あなたなら元彼もお見合い相手も特定できちゃうと思うけど、あなたも私もそこ退社してるし…まぁ良いわよね。
お見合い相手が彼の上司の娘で、会長の孫だったのよ。
彼は私と別れて、自分が出世する道を選んだってわけ。
別にその時は平気だった。
「ああ、そんな考えの人だったんだ…。」って思ったらものすごく冷めちゃって。
大変だったのは私より立花ね。
実は、別れを切り出されたのは、私と彼と立花と3人で飲んでる時だったのよ。
酔ってたせいもあって、怒った立花が説教始めて…彼もそんな立花に腹が立ったらしくて、立花に言っちゃったのよね。
「そんなに好きならお前にくれてやる」的な事を。
彼の一言に立花がブチ切れて、殴り合いの喧嘩になって、3人で飲んでた店追い出されちゃった。
追い出された直後に「いままでありがとう」とだけ言って私は帰ったから、その後2人がどうしたのかはわからない。
翌日はいつも通り出勤したわよ。もちろん何食わぬ顔でね。向うもそんな感じだったと思う。
立花は1ヶ月経たないうちに会社を辞めたわよね?未だにはぐらかされるけど、絶対それが原因でしょう?
その後、なぜか上司…っていうかお見合い相手の父親からの指名で、元彼の結婚式のプランニングを私がしなくちゃいけなくなって…。
それがきっかけで、大好きだったウェディングプランナーという仕事が大嫌いになった。
「結婚式は一生に一度だから」
付き合ってる時、彼はよく私にそう言ってくれた。
「結婚式は一生に一度だから、お互いの希望を詰め込もう…納得いくまで話し合おう…目一杯、準備も当日も楽しもう」
その後に続く言葉は色々だったけど、そういう話になると必ず彼は「結婚式は一生に一度だから」って。
だけど、その言葉は、彼女が打ち合わせの度に口にする言葉でもあったの。
彼女の口からその言葉を聞けば聞くほど、私の心は壊れていった。
2人の式を最後まで担当する事ができたけれど、休みの度に心療内科に通院して、やっとの事でやり遂げた感は否めないし、それが終わっちゃったら、もうダメ。
意地とプライドだけでどうにかやれてただけだったみたい。
周りにはぜーんぜん気付かれなかったんだけどね、立花にはバレちゃった。時々しか会ってないのに…すごく細かいところまで人の事見てるのよ。だから今の仕事も、そんな立花だから向いていると思う。
もう限界…って時、タイミング良く立花は私を誘ってくれたの。
再就職した会社で、新規オープンのリストランテ任せてもらえる事になったから、手伝ってくれって。
会社を辞めて、サービスの勉強をし直して、あの店でフロアチーフとして働き始めた。
あの頃はひたすらに忙しかった。お陰で気が紛れたわ。
オープンして1年経った頃、店が軌道に乗ってきたある日、仕事終わりに立花と2人で飲んでたら…急にね、立花が「あの約束覚えてるか?」って言い出したの。
そんな事言われても、私はあの約束がなんなのかも分からなかったし、「この人と約束なんてしたっけ?」って感じだったの。
そしたらね、もう10年近く前に酒の席で話してた話で…私にとっては、立花に言われて「そういえばそんな話してたね」って辛うじて思い出せた程度の話だった。けど、立花はそうじゃなかったらしいのよね。
「40になってもお互い独身だったら結婚しようか?って昔約束してたけど…35過ぎてお互いその気配無いし、約束よりも5年早いけど…どう?」
急に真面目な顔でそんな事言うの。一応それがあの人からのプロポーズの言葉。笑えるでしょ?そんなんで結婚するなんて。
私ね、何度も断ったの。そんなの立花に申し訳なさすぎるもの。
だけど…そのうちに、立花なら上手くいくんじゃないかって気がして、素直になっても良いのかな?って思うようになって…。
恋愛感情とは少し違うけれど、人として尊敬できるし、好意は持っていたし…押しに負けたというか、情が湧いたというか。
結果、最終的には私も立花に惚れてしまったんだけど。
で、籍を入れた。私の希望というか我儘で式も挙げてないし、写真も撮ってないけどね。
旅行には…一応行ったかな?食材の買い付けとか勉強って名目でイタリアに。
仕事もプライベートもずっと順調だった。…あなたが来る3ヶ月前までは。
今、あなたが進めてくれているプラン、もともとは私が担当していたの。
立花には反対させたけれど、もう平気だって、時間が解決したから大丈夫って、私がやりたいって言って始めた事よ。
だけど、ダメだった。立花の言う通りだった。嫌なことたくさん思い出して…眠れなくなった…体調も崩した…。
オーナーのご厚意で休職って形にはしてもらってるけど…仕事さえ辞めざるを得なかった位ボロボロになった。
周りには、子どもが欲しいけどなかなか出来ないから「妊活」するために辞めますって嘘までついた。それが余計後ろめたくて、ずっと引きこもっていたの。
立花からあなたが入社した話を聞いた時、すごく驚いた。プランナーを辞めた事も、辞めた理由にも本当に驚いた。
自分と似たような経験をしているあなたにすごく興味が湧いた。
昔、何度か話した事があったじゃない?話す度、思っていたの。私に似てる…とか、私の若い頃みたいだ…って。あなたって、話すと「初心に戻って頑張ろう!」って思わせてくれる存在だったのよ。
当時から勝手に親近感を持っていたんだけど…その話を聞いてそれが一層強くなった。
あなたが結婚するって聞いた時、私が立花にお願いしたの。私が途中で投げ出した仕事をあなたにしてもらいたいって。そしてそれに私も関わりたいって。
この間は、ああなってしまったけれど、あなたと話していると、やっぱりウェディングの仕事って良いなって、戻れるものなら戻りたいって思えるのよ。大嫌いになったと思っていたけれど、心の何処かでは、今もやっぱり大好きなんだと思う。それに気付かせてくれて、本当にありがとう。
だからね、あなたも…大好きなら…いいえ、大好きなんだから、プランナーに戻るべき。こんな事言うの、御節介とか無責任だって思うかもしれないけれど、あなたなら戻れる。だから、諦めないで欲しい…。』




