73. 恥ずかしすぎて
「もしかして…妬いてる?」
「…妬いてない。」
「じゃあ、なんで黙ってんの?」
「ボロっかすに言われるのは、致し方ないかと…。」
「…麗さんの仰る通りです。その件については…否定出来ません。」
「だけど、それは昔の春ちゃんの話でしょ?今の春ちゃんの事は、私の方がよく知ってるもん…。」
キッチンで洗い物をする春ちゃんに、私は背後から抱きついた。
妬いてないというのは嘘だ。それどころか色々考えてしまい、ちょっぴり不安になってしまったくらいなのだから。
「麗だから…だよ。」
春ちゃんは洗い物を続けながら、ポツリとそう呟いた。
「去年の今頃はまだ、結婚に対してその頃と似たような考えだった。さすがに次に彼女が出来たらそういう事考えないといけないんだろうな…とは思っていたけれど。親を安心させる為にはするべきだろうな、とか。」
抱きつく腕に、少しだけ力が入ってしまう。
細身だけれど、見た目よりも広くて、温かい背中。
「それどころかさ…恋愛なんて面倒だって思ってた。」
春ちゃんの背中に顔を埋めて息を吸い込んだら、ちょっぴりだけどホッとした。
「そんな俺だったのにさ、麗と2人で会うようになってからかな。気付いたらプロポーズまがいの告白をしてしまう程、結婚に対して前向きになったというか…。前にも言ったけど、麗だから結婚したいって思ったんだよ。前と違って、忙しい時ほど麗に会いたいって思うし、家に帰って麗がいたらどんなに良いだろうって、逆に、疲れて帰ってくる麗を家で待ってる日があったり、どっかで待ち合わせして一緒に帰るのも良いかも…なんて妄想は膨らむばっかだし。」
水の流れる音が止まる。抱きついていた腕がゆっくり外されてしまう。いやだ、離れたくない…もう少しこうしていたいのに…。
そう思った次の瞬間、先程までと同じ体勢に戻される。だけど、さっきまでとは違う。
私が顔を埋めているのは、春ちゃんの背中じゃない。それに、私が一方的に抱きついているんじゃなくて、私の体も、彼の腕に包まれている。180度、体の向きを変えた春ちゃんの胸に顔を埋めて大きく息を吸い込んだ私は、なんとも言えない安心感で満たされていた。
「だから妬くなって。これでこの話はお終い。ところで、これからどうする?天気も良いし、どっか行くか?」
「行かない。今日はこうしてイチャイチャしてたい…。」
「良いな、それ。まぁ麗の身の安全は保障出来かねるけどな?」
悪戯っぽく笑う春ちゃん。その笑顔に、私もつられて笑顔になった。
***
「……ちょっと…そこは…ダメだって……。」
「身の安全は保障出来かねるって言っただろ?」
「……やめて…ってば。」
「麗、首弱いだろ?……麗の反応が可愛いからやめない。」
「春ちゃんの意地悪…。」
「意地悪じゃないし…少しずつ耐性をつけてもらわないと困るし。」
イチャイチャしたいと言ったのは私だけれども。まぎれもなく私なんだけれども…。
首にキスするのはやめて欲しい。
悔しいけれども、春ちゃんは私が怖くならないギリギリのところを攻めてくる。
首は弱いんです、特にその辺りはヤバイです。そのうちうっかり変な声が出てしまいそうで怖いです。
恥ずかしさをごまかす為に頰を膨らませていたら、春ちゃんがお腹を抱えて笑いだした。
「…ごめんごめん。もうやめるから怒るなって。だからそんな顔すんなよ?…っつうか、その顔も可愛いんだけど。」
さっきからずっと春ちゃんのペースだ。余裕の表情なのが悔しさに拍車をかける。
私だけが真っ赤になってドキドキさせられてる。すごく腑に落ちない。
と言うわけで、やり返す事にする。探り探りではきっとまた私が弄ばれるだけ。ならば確実な所を狙って一発で決めてやる。
とは言え、どこが弱いかなんて分からないんだよね…。
今までの事を思い返してみる。春ちゃんが顔を真っ赤にして動揺していた事は何度かある。いや、むしろ何度もあるって言えるだろう。そんな時ってどんな時?共通点はある?
……あった。
不意打ち、だ。
だけどそれだけじゃ弱い。もっと効果的に動揺させたい。ドキドキさせたい。
良い事思いついちゃったもんね!
つい、悪い顔になってしまう。ニヤニヤが止まらない。
「麗、その顔怪しい…さては何か良からぬ事を企んで……っ!?」
ソファで寛ぎ始めた春ちゃんに、床ドンならぬ、「ソファドン」をしてやりました。
つまり押し倒して、ついでに不意打ちでキスをして。勢い余ってフレンチじゃないキスまでしてしまい……。
そしたら、慌てふためく春ちゃんに引き剥がされて。
春ちゃんの顔は、もう真っ赤。頭から湯気が出るんじゃないかってくらい赤くなって動揺している。
やった!大成功!!
「麗、ちょっと待て。今のはマジでヤバイから。…次、同じ事されたら…間違いなく襲いますよ?麗さん、その覚悟はお有りで?」
「…………え?」
「……今、麗が俺にした事、落ち着いて考えてみようか?…だけど、その前にとりあえず俺の上に座るのやめようか?」
「…!!?」
現在の自分の状況は色々まずい。第三者に見られたら、完全にお取込み中……。しかも、私が襲ってるとかそんな感じ。
ひぇぇぇぇ…恥ずかしい。恥ずかしすぎて倒れそう。
慌てて春ちゃんから離れた私。恥ずかしくて、顔さえ見られない。
何やらかしてるんだ…私。
「自分から仕掛けといて、そんなに恥ずかしがるなよ!こっちまで余計恥ずかしくなるから……。だけど、素直に嬉しかったから…だからこっち向けって。」
恐る恐る視線を彼に向けると、彼の顔はまだ真っ赤だった。だけど、すごく穏やかな目で私をちゃんと見てくれる。
「俺が麗の反応見て楽しんでたから…だろ?ごめんな。」
「私こそ…ごめん。」
「麗の事、大事にしたいんだよ。無理させたり、嫌な思いさせたくないんだよ。だから…今度からもう少し考えような?さっきも言ったけど、次は我慢出来る自信が無いから…。本当に麗の身の安全は保障出来かねるからな?」
「…ありがとう。春ちゃん、大好き。」
***
気まずいわけじゃ無いけれど、そのまま部屋で過ごすのがなんとなく恥ずかしくなってしまった私達は、天気も良いので散歩を兼ねてお茶を飲みに行く事にした。
「ここにしない?」
フラフラ歩いて辿り着いたのは、老舗のお茶屋さんが少し前に出したという和風のカフェだ。前から気になってはいたけれど、いつも混んでいると噂されていたので、実際来るのは初めて。
今日は比較的空いているのだという。それでも、5〜6組ほどが待っているようだった。
2人でベンチに並んで座り、「お待ちの間よろしければどうぞ」と渡された玄米茶を片手にメニューを眺める。
煎茶、玄米茶、焙じ茶など、気軽に飲める日本茶から、普段なかなか飲まない濃茶や、薄茶、玉露などと上生菓子のセット、それから抹茶ラテや焙じ茶ラテなどのドリンクに、様々な和スイーツ。
店内でお茶を煎っているのか、店の外まで立ち込める香ばしい香り。
「あれ、浅井君?今日はデートかな?」
どこか聞き覚えのある声に顔を上げる。私が顔を上げると同時に、春ちゃんは立ち上がっていた。
「重里さん!?」
「こんな所で会うとは奇遇だね。もしかして、数日前に浅井君が言っていた個人的な話とはもしかして……あれ?…八重山さん?」
「こんにちは。いつもお世話になっております。」
「あらあら、あなたのお気に入りのお嬢さんじゃないの?お気に入りの部下とお気に入りのお嬢さん…なんだか素敵な組み合わせね。」
顔を上げるとそこにいたのは、春ちゃんの上司で、私の働く店の常連のお客様である重里様と奥様だった。私も彼に倣い、立ち上がってご挨拶をした。
「……浅井君、君も意外とやるね。」
「えっと、なんの事でしょうか?」
春ちゃんは明日、私との結婚を報告するために重里様に時間を作ってもらっていたらしい。
だけれど、せっかくこうして会ったのだからと、その話をここでする事になった。
こんな事になるなら、もう少しちゃんとした格好で来るんだったと後悔したけれど、偶然に会ってしまったのだから仕方ない。幸い、重里様も奥様もその辺りをあまり気になさらないようなので助かった。
順番が来て、案内されたのはラッキーな事に個室だった。個室のあるカフェって珍しい。
ひとまず、改めて自己紹介をする。
その後は、春ちゃんが来年の3月末に式を挙げる事や、主賓として披露宴に出席して頂きたい事をお願いした。
それから、いつから付き合ってるとか、馴れ初めなど、重里様の質問に春ちゃんが答えていく。
私達が高校の同級生で、クラス会で再会したのをきっかけに食事に行くようになって付き合いだした事を話すと、あからさまに残念そうな顔をされてしまう。
「てっきり浅井君が店に通って口説き落としたものとばかり…。そうか、高校の同級生か…。」
そんな重里様に、奥様と春ちゃんが苦笑していた。一体馴れ初めに何を期待していたんだろう?
重里様は2人の反応など気にも留めていないようだ。いつものイメージそのままの素敵な笑顔で話し続ける。
「12年振りに会った浅井君はいい男になっていただろう?何しろ私が彼の教育をしたからね…というのは冗談。彼自身、よく頑張っていると思うよ。なかなか大変な事ばかり押し付けられて、色々な所に飛ばされて。だけど、彼の場合、上が期待しているからこそなんだよ。もちろん、私もね。これから責任のある立場になって、もっと仕事が大変になると思うけれど、八重山さんが浅井君を支えてくれないかな。」
「はい…もちろんです。」
美咲ちゃんも言っていた。春ちゃんは上から期待されていると。先程、奥様も仰られていたし、今重里様本人も仰られていたけれど、本当に春ちゃんの事を可愛がって下さっていることが伝わってくる。
「八重山さん、あの時は申し訳なかったね。私が行く予定だったんだが、どうしても優先させなければならない案件が入ってしまって…結果的にあなたには嫌な思いをさせてしまった。私が行っていたらああはならなかった筈だし…。」
「そんな、やめてください。あの方のセクハラは以前からでしたし…。それよりも、それがきっかけで気の合う友人が出来た事の方が私にとって大きいですから。」
「友人とは…野沢さんかな?…彼女も色々苦労しているから…時々彼女の相談にのってあげてくれないかな。」
何度か謝られている件についても、また謝られてしまった。その件について、私はもうどうって事ないと思っている。どうやら、当事者達よりも、重里様や春ちゃん、倉内さんの方が未だに気にしているらしい。
「とにかくおめでとう。本当に良かったよ。浅井君にはずっと浮いた話が無かったからね。仕事も出来て容姿にだって恵まれているのに、本人にその気がない様だったから…。もしかして私が仕事をさせ過ぎているせいじゃないか?なんて心配していたんだよ。それも杞憂だった訳だし…何より浅井君のお相手が気立ての良くて綺麗なお嬢さんだってわかったからすごく安心した。これで心置きなく、浅井君にはもっともっと働いてもらう事が出来るからね。」
これから春ちゃんはもっと忙しくなるのか…。
そして、彼を支えなければいけない事を思うと、今の仕事を今のまま続ける事がベストではない気がしていた。




