72. 今と昔の結婚観
秋と言えば「食欲の秋」。
私の働くリストランテのメニューも、食欲を刺激する様な秋の味覚をふんだんに取り入れたものに変更されている。
秋刀魚や鮭、ポルチーニや松茸などのキノコ類、鹿肉や猪肉、デザートの栗や林檎。
10月に入ると、そんなメニューに惹かれてか、夏で少し引いた客足が涼しさと一緒に戻り、慌ただしく毎日を過ごしていた。
ここのところ、調子が良い。慌ただしさにさえ、充実感を覚える程だ。
正確には、9月の連休に旅行に行って、帰りに春ちゃんときちんと話をしてから、気分も体調も、仕事に対するモチベーションさえも高い。
結局は気の持ち様ということなのか。
もちろん、私にとって春ちゃんは大切な存在だけれど、自分の中で、こんなにも大きなウェイトを占めているとは思わなかった。
彼に関する悩みや不安で、ここまで左右されてしまう自分のメンタルの弱さには驚きだ。
旅行の翌週の日曜日、静香さんの所を訪ねたが、その後も2回程静香さんに会いに行っている。1回目よりも2回目、2回目よりも3回目…と距離が縮まり、随分仲良くなれた様に思う。
プランナーを辞めた理由や詳しい経緯も聞かれたので話した。
こんなに穏やかな気持ちで話せたのは初めてかもしれない。だというのに、私よりも静香さんの方が苦しそうな顔をしていたのがなんだか申し訳なかった。
二次会向けのプランも、静香さんのおかげでかなり進んでいる。
店を辞めた静香さんに、あまりにも頼り過ぎてしまっているため、色々心配になってしまったが、特に問題は無いらしい。
実は、静香さんは正確には退職をした訳では無く、病気療養のため休職中という扱いらしい。
静香さん自身は、退職するつもりだったけれど、支配人と店のオーナーに引き留められ、未だ会社に籍は置いているそうだ。
オーナーには1度お会いした事があるが、他にもたくさんの飲食店や会社を経営していてとても忙しく、店に顔を出す事は殆どない。
文字通り、支配人が店を支配…ではなく、全てを任されている。
それは2階のリストランテだけでなく、1階のカフェもそうで、1階と2階を行ったり来たりしている。
特に最近は、カフェの店長が変わった事もあり、忙しい時間帯、特にランチタイムは1階にいることが多いのだった。
***
「最近、やたらと立花さんに会うぞ?一昨日も、カフェで会ったし。」
「支配人も言ってた。春ちゃんが来たって。二次会の件話したんでしょ?」
「そうそう、店使ってくれてありがとうって。要望があれば、1階のメニューも出せるからパニーニもビュッフェで出しましょうか?もちろん目の前で焼きますよ…って。」
「ふふふ…どんだけパニーニ好きだと思われてるんだろうね?」
いつの間にやら、二次会の話は支配人の中で「保留」ではなく、「了承」されていたようだ。
こうして春ちゃんと2人で過ごすお休みは久しぶり。
先週は、急な仕事の都合で会えなかったし、その前の週は、昼間私が静香さんと会って、夕方から春ちゃんのお家にお邪魔して、春ちゃんの家族と一緒にお夕飯をご馳走になったので、会ってはいるけれどあまりゆっくり話は出来なかった。
今日は、駅で待ち合わせをして、一緒にスーパーマーケットに来ている。
ここで買い物をして、うちでのんびりご飯でも作って食べて、その後はその時の気分で…というのが今日の予定。
春ちゃんと店内をひとまわりして、お昼のメニューを考える。
新鮮で美味しそうな食材がたくさんあって目移りしてしまい、なかなか決まらない。
「食べたいって思うものは色々あるんだけど…料理してる時、麗に放置されるのが嫌だ…。」
「放置って…」
「準備手伝いたいけど、邪魔になるのも嫌だしさぁ…なるべく簡単なのにしようぜ?なんならいっそ、カップラーメンでもいい…。」
「それはさすがに私が嫌…。なるべく急いで作るから…1時間位我慢しようよ?」
結局、ひとまわりのつもりが3周くらい店内をグルグル回って、なぜか食品売り場の片隅に置かれていたたこ焼き器を見つけた春ちゃんの提案で、たこ焼きに決定した。
「たこ焼きには絶対ビールだろ?昼間だけど…1本ずつだけ…」
そう言って春ちゃんは350mlの缶ビールを2本、彼の押していたカートに入れる。
昼間から飲むのは控えてたんじゃなかったっけ?とも思ったけれど、こちらの様子を窺ってくる春ちゃんが可愛くて、それは言わないことにする。
たこ焼きとビールって合うもんね!
たこ焼き器、たこ焼きの材料、それから他にも色々、春ちゃんはカートにどんどん追加していく。
「半年後はこれが日常かぁ…。」
「春ちゃんがこうやって普段からお買い物付き合ってくれるなら…ね?」
目をキラキラさせて嬉しそうに話す彼にちょっと意地悪な事を言ってしまう。
「なんだよ?麗まで俺が結婚に向いてないって思ってるのかよ?」
そう言って膨れる春ちゃん。だけど、結婚に向いてないとか、私までってどういう事だろう?
「誰かに何か言われたの?」
「うん、まぁ…そんな感じ。俺のイメージってそんなに悪いのかな?」
「春ちゃんのイメージ?悪かったらこうして一緒にいないと思うけど?さっきのは冗談だから気にしないでよ。」
「そう言うって事は、俺のイメージは悪くないって事だよな?」
今さっきまで膨れていたのが嘘のようだ。その再びキラキラ輝く目は、具体的に言って欲しいという事なんだろうな。
「春ちゃんの…イメージ…だよね?…いい旦那さんになりそう…ってイメージかな。ちゃんと根拠もあるよ?私はいつも春ちゃんに助けてもらってるもん。すごく優しいし、気が利くし、照れちゃう様な嬉しい事だって言ってくれるでしょ?それから、一緒にうちでご飯食べる時、絶対洗い物手伝ってくれるし。」
「やっぱ麗は俺の事分かってるな。」
嬉しそうに頷く春ちゃんの姿を見れるのが嬉しくて、もっと話したくなってしまう。
「良いお父さんにもなれると思うよ?彩ちゃんやみどりちゃんと旅行に行って、余計そう思う。後はね…私の事大事にしてくれてる…とか、甘えさせてくれる…とか、ずっとこうして仲の良いままでいたいなぁ…とか。」
「それ、途中から俺に対するイメージじゃなくて麗の願望になってる気がするぞ?」
「あれ?バレちゃった?」
特別でもなんでもない、春ちゃんがさっき言った通り半年後には日常になって、これから何十回、何百回と繰り返していくであろう事。それがこんなにも楽しくて、ウキウキしてしまうのは何故だろう?
その答えはすごくシンプル。
一緒にいるのが春ちゃんだから。ただそれだけなんだ。
会計を済ませ、地下鉄一駅分の距離をのんびり歩いて帰る事にする。
秋らしい晴れ渡る青い空に、心地よく吹く風。こうして歩くのにはもってこいなまさに散歩日和。
「ところで、春ちゃんが『結婚に向いてない』って何で?」
「え?…あの…うーんと、昔の知り合いにバッタリ…じゃないけど会って…。結婚するって話をしたら、『お前が出来るのか?』的な事を言われ…向いてないとか、あり得ないとか、ボロっかすに言われた。」
なんだか様子が変だ。目が泳いでるし、しどろもどろだし。もしかして、昔の知り合いって…きっとただの知り合いじゃないよね?
春ちゃんって、ものすごく分かりやすい。
今すぐ確認したいのを我慢して、家に帰ってから聞くことにする。私自身、そういう話って、お酒が入った方が気が楽だし…。
聞かれたから自分でベラベラ喋った事もあるけど、私の昔の話を彼はたくさん知っている。周りが私の事を思って話したからでもあるし、彼なりに私を気遣ってくれようとした結果でもある。
だけど、私は彼の昔の恋愛についてよく知らない。ちらっと話してくれた事はあったけど、ほんのちょっとだけ。
大好きな人だからこそ、興味がある。
今まで聞くに聞けなかったけど、これってもっと春ちゃんを知る良い機会…だよね?
***
「さっき話してた昔の知り合いってさ、もしかしなくても昔の彼女だよね?」
なるべく軽いノリで聞いてみたところ、たこ焼きを返す春ちゃんの手が一瞬止まる。そして、少し間を置いてから春ちゃんはコクコクと頷いた。
「別にやましい事はないけど…話す程の事じゃないかな…って。麗の気分害するのも嫌だったし。」
「どんな事言われたのか気になるなぁ…。参考までに、色々聞きたいって言ったら嫌?」
「別に麗が聞きたいなら良いよ。」
「春ちゃんの事もっと知りたいから…どういう恋愛してたのかとか気になるし。」
「確かにフェアじゃないよな。俺ばっか色々聞いて…俺には周りから聞く機会もあったけど、麗にはそんな機会は無かった訳だし。」
春ちゃんは、飲みかけのビールを一気に飲み干すと、昔の恋愛について話し始めた。
20歳の頃初めて付き合った1つ年下の彼女には、会えない淋しさを理由に付き合って3ヶ月経たないうちに別れを告げられた事。
23歳の頃、初めて海外赴任となり、現地の大学に留学していた同い年の日本人と知り合って付き合ったけれど、社会人の忙しさや仕事の大変さを理解してもらえず、半年付き合うか付き合わないかくらいの頃、他の人が好きになったから…とフラれた事。
そして、6年前に別れたという彼女の話。
「ほら、先週の頭、出張だったじゃん?月曜の朝の会議の時間が早いからって前日のうちに移動して前泊したやつ。仲の良かった同期が向こうにいるからさ、そいつと飲む約束してたんだけど…連れてきたんだよね。当時、俺が担当してた取引先の1つ年上の人で…いわゆる元カノ。今も仕事上の付き合いがあるらしくて、たまたま俺の話が出て、飲む約束してるって同期が言ったら、久しぶりに会ってみたいって言われたらしい。」
私は春ちゃんが焼いてくれたたこ焼きを頬張った。なんとなく落ち着かなくて、手持ち無沙汰で、黙々と食べ進めてしまう。
「付き合うきっかけは…7年前、向こうが俺を気に入ってくれて…って感じかな。仕事の出来る人で、責任感が強くて、男に混じってバリバリ仕事するタイプの…そこそこ綺麗な人で。それまで付き合ったのが年下とか、学生とかで、立場とか価値観の違いが大きくてすぐ別れちゃったけど…この人なら、仕事の大変さとか、忙しさとか分かってくれるだろうから上手くいくんじゃないかな?って思ったし、仕事に対する姿勢とか、考え方に好感の持てる人だった。」
落ち着かないのは、私だけじゃなさそうだ。
春ちゃんも、どことなくソワソワしている。まだ返すには早いたこ焼きを、必死で突いて返そうとしているのだから…。
「だけどさ、お互い相手に求めるものが違ったんだよね。だんだんすれ違う事が多くなったのに、俺が気付けなくて。彼女なら、仕事を優先しても分かってくれる筈だと思い込んで相手より仕事を優先させてた。向こうもそう思っているとばかり思ってたんだけど、違ったんだよね。確か夏に付き合い始めて、俺の誕生日の直前に別れてるから…付き合ったのは大体8ヶ月間。…前も言っただろ?『仕事と私、どっちが大事なの?』って聞かれたから『仕事』って即答してフラれたって。別れてしばらくしてから気付いたんだけど、彼女に対する『好き』は、尊敬とか友情に近い好意で、恋愛感情じゃなかったのかもしれないって。別れる頃には俺が彼女の会社の担当じゃなかったから…しかも、その後割とすぐ、また海外赴任が決まって渡航したから…別れてから彼女と会ったのは…実は今回が初めて。」
その彼女は、どんな気持ちで春ちゃんに会いたいと言ったのだろう?そう思ったら、少しだけ不安になった。
「俺を驚かそうって同期と相談してたらしくて。約束した店に行くまで知らなかったんだよ。で、まぁ久しぶりに会ったんだから、近況報告になるよな。3人で最近の仕事の話をして、プライベートの話になって。同期は去年結婚したんだけど、来月子どもが産まれるって言ってた。俺は来年の3月に結婚するって話をして…。その同期も彼女と付き合ってた頃、俺が散々仕事優先させてたの知ってるから…2人にはもう酷い言われ様だったよ。絶対家庭を顧みないタイプだとか、誕生日とか記念日よりも仕事関係の接待とか飲み会を優先させそうだとか、絶対家事は手伝わないだろうとか、そもそも俺が結婚に向いてる訳ないとまで言われた。当時、一人暮らしが快適すぎて、結婚して同じ家で暮らすメリットよりもデメリットの方が大きいと思ってたから結婚願望は皆無だって言ってたし、もしも将来結婚する時が来るなら週末婚が良いとか散々言ってたからなぁ…。」
春ちゃんの元彼女と、仲の良かった同期の春ちゃんに対するイメージは、私が持っているそれとは180°違う。
彼の口から飛び出した、当時の結婚に対する考え方にも驚いた。だけど、付き合っていた彼女に対してその発言はデリカシーがないと言うか…彼女が春ちゃんとの結婚を考えていたら物凄く傷付いただろうな…。
付き合い始めの頃、春ちゃんが昔の結婚観について話してくれた事もあったけど、正直ここまでだったとは……。




