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66. 動揺 (春太郎視点)

「浅井、久し振りに2人で飲まないか?」


 連休前に消化すべき仕事を終え、デスクを片付けていた俺に声をかけてきたのは倉内だった。

 ちょうど1年前、地元に戻って来たばかりの頃は割と頻繁、具体的に言えば週に1度は2人で飲みに行き、真面目な事も馬鹿な事も本音で語り合っていた気がする。


 ここ数ヶ月、倉内と飲みに行く機会が無かった訳ではない。以前ほどのペースでは無いけれど、月に1〜2回は仕事帰りに飲んでいる。

 ただ、俺と倉内だけでなく、他の誰かも一緒だ。そうなると、やはり話せる内容も変わってくる。

 同じフロアで仕事をしているので、普段から2人だけで話す機会が全く無いわけではないが、より突っ込んだ話がしたいならやっぱ飲みながらの方が良い。

 そんな訳で、俺は彼の誘いを二つ返事でOKしたのだった。





 倉内の勧める、漁港から直送される魚がウリの居酒屋で飲むことにしたため、地下鉄に乗り少し離れたターミナル駅まで移動した。

 わざわざ職場から離れた店を選ぶのは、おそらく社内の人間に聞かれる確率を下げたいのだろう。


 いつもの金曜日よりも人が多い駅のコンコースを抜ける。帰省なのか旅行なのか、大きな荷物を持って移動する人々が目に付く。

 繁華街の中心から少し外れたところにあるにもかかわらず、その店は大変賑わっていた。




「麗ちゃんも来れたら良かったのにな。」

「な、なんで麗なんだよ?」

「やっぱりさ、彼女サイドの話も気になるじゃん?俺からそれを聞けるのって麗ちゃんだけなんだよねー?」


 てっきり野沢さんの話が出るものばかり思っていた。いや、実際、「彼女について麗から話を聞きたかった」というニュアンスなのだから、間違ってはいない。


 最近の俺は、ふとした瞬間に麗の不安そうな顔が脳裏に浮かんでしまう。ここへ来る移動中もやはりそうだったため、突然出てきた麗の名前に必要以上に反応してしまった。


 初めて2人が顔を合わせた時、少なくとも麗は野沢さんに苦手意識を持っていた。野沢さんも、なぜかはわからないが、同じだったそうだ。

 けれど、一緒にセクハラを受けるというトラブルがキッカケで、恋愛相談まで出来る仲になったらしい。

 野沢さんはそれ以外にも、麗に色々な事を相談しているっぽいし、麗も過去の事を打ち明けたようだった。


 麗が明言した訳ではないが、野沢さんの相談内容のひとつが、俺の目の前にいる倉内に関する事であるのは間違いない。

 両思いな2人を近くで見ていると早くどうにかなれ!と思わずにはいられない。




 倉内はモテる。

 仕事が出来て、顔も良くて、背も高い。しかも優しくて気が利く。いわゆるフェミニストだ。

 ある意味天然のタラシ体質なのだが、意外にも恋愛に於いては真面目と言うか一途と言うか、きちんと線引きは出来ている、と本人は言う。

 本命の相手に尽くす事が多く、俺と違って付き合うと割と長続きするタイプらしい。


 倉内としては、好きな相手(野沢さん)とそれ以外の対応を変えているつもりらしいが、上手く伝わっていないようだ。

 倉内が勘違いさせてしまっているせいか、そういう女性に好まれやすいのか、彼狙いの女子社員はあからさまなアピールをしてくるタイプが少なくない。お互い火花を散らしている様子さえ伺える程だ。


 野沢さんは、そんな周りの目もあって倉内と親しくする事に抵抗があるらしい。


 そして、それは麗からのアドバイスとして遠回しに倉内に告げられた。

 麗曰く、「女の嫉妬は怖い」そうで、とりわけ、恋愛関係のゴタゴタは非常に面倒臭いらしい。

 麗自身、1ヶ月前にそれを身を以て体験してしまった訳で…それが今俺を悩ませるキッカケのひとつにもなっていたりする…。


 少し前、倉内を含めた男5人で飲んだ時、社内での噂、特に社内恋愛に関するとある修羅場の話が話題となった。

 具体例が上がると、その恐ろしさが、よりリアルに感じられた。


 無用なトラブルは避けられるなら避けるべき。少し移動するだけでそのリスクが下げられるならば、移動しないという選択肢はない。

 幸い、俺も倉内もその方が帰りが楽なので一石二鳥だ。




「社内恋愛って難しいもんだな…。」

「この前の話は正直引いた。」

「周りを気にするなんて馬鹿馬鹿しいと思ってたけどさ、自分のせいで彼女が被害を被る可能性があると思うと無視出来ないよな…。」


 まったくその通りだ。

 麗だって、俺と結婚するって話をした途端、攻撃されたのだ。自分が直接何かした訳ではないのに、変な後ろめたさを感じてしまう。


 倉内の話によると、野沢さんは既に、嫌がらせとまではいかないものの、陰口や嫌味を言われているらしかった。


『倉内さんと仲が良いのが許せない。』

『倉内さんと一緒に客先を回る(出かける)事がムカつく。』

『女の癖に、中途の癖に、地味で若くない癖に。』


 俺や倉内、野沢さんが所属している部署を希望している奴は少なくない。

 彼女が配属されたのは入社して間も無い頃だった。中途採用の彼女のキャリアを活かしての配属なのだが、それを良く思わない人はもちろんいた。

 配属を決めたのは上で、彼女がいる事で支障が出ているわけでもない。

 それどころか、彼女は一生懸命仕事をしているし、倉内や俺はもちろん、上司にも評価されている。


 若くないと言っても、童顔で小柄な野沢さんは可愛らしく、実年齢よりも若く見える。

 それに、野沢さんが地味なんじゃなくて、言ってる方が派手を通り越してケバいのだと、俺と倉内の意見は一致した。


 つまり、彼女に対する陰口は嫉妬以外のナニモノでもないのだ。


 馬鹿馬鹿しい。だけれど、それが現実。




「それより浅井、最近なんか悩んでるだろう?明らかにおかしいぞ?」


 倉内の問いかけにドキリとする。


「悩みが無さそうで羨ましい」だとか、「メンタル強そうでいいよね」なんて言われがちで、実際、麗と再会する前の俺はそうだった。

 心配され慣れていない俺にとって、悩んでいる事をズバリ言い当てられるのは心臓に悪い。

 お陰で、思い切り動揺してしまった。


 麗が俺に悩みや苦しみを打ち明けてくれないのが辛い。

 苦しんでいるのに、何もしてやれない自分がもどかしい。

 彼女の中の博之という存在が俺を苦しめる。


 彼女に与える、その「負の影響力」が怖かった。麗が抱える悩みの殆どの原因となったのは博之だと言っても過言ではない。

 麗の中で、あいつへの気持ちがもう無い事は分かっている。分かっているけれど、その影響力の大きさは、かつて彼女の中でそれだけ大きな存在だったという事なのではないか?

 そう思ったら、彼女にとって、今の俺が当時のあいつ以上の存在である実感も、今後そうなれる自信も無くなってしまった。


 あの日、博之のしてきた事を知るまでは、彼女の心の傷を知ってしまうまでは、過去の事なんて気にならないと言えば嘘になるけれど、俺にとっては気にしていられる様な事ではなかった筈なのに。

 それよりも、今や未来の方が大切だと分かっているのに、俺は麗にとっての「過去」に悩まされていた。


 俺は、あいつみたいに麗を傷付けるような事は絶対しない。


 なのに、麗は……。


 俺を信頼していないのではなく、それだけ彼女が心に深い傷を負っているのが原因なのだと頭では分かっていても、納得できない俺がいる。

 俺はあいつとは違う、信じて欲しい…。




 そんな事を倉内に打ち明けられる訳もなく、俺は先程の倉内の質問をはぐらかすことしか出来なかった。


「まぁ俺だって悩む事くらいあるよ。それより倉内はどうなんだよ?」

「…まさかのマリッジブルー?」

「…そんなんじゃねーし。」


 俺がそう吐き捨てると、倉内はその件についてそれ以上聞いてこなかった。


 俺と倉内は、テーブルを占領している料理をただ無言で食べ進めた。

 料理の味は良い。だけど、旨いとは思えなかった。一緒に飲んでいた温くなった生ビールが余計そう思わせているのかもしれない。






 ***


「お前、酔っ払って俺に電話かけてくるのやめろよ。そんな暇があるなら嫁の相手しろや…は?…嫌なら子どもの面倒見てやれよ…もういい加減昔の女に執着すんな…元はと言えばお前が悪いんだろーが…。そういう事は俺や彼女に対してじゃなく嫁に言うべき。さっさと現実を受け入れろよ…。なぁ、知ってるか?お前みたいな奴をクズって言うんだよ。」


 席を立ってトイレに向かう俺の耳に入ってきたのは聞き覚えのある声だった。


 どことなく機嫌の悪そうにも聞こえる、呆れた様な声。投げやりのようなキツい言い方は、実は相手を心配している事を悟られたくない故のカモフラージュか。

 俺と同じで、思った事をズケズケ言ってくるが、俺と違って思い付きではなく、彼なりのメッセージや含みを込めている。

 腹黒いと言えば腹黒いが、根はいい奴。




「うわっ、春太郎じゃん?」

「やっぱ大介かよ?いつ戻った?」


 トイレから出ると、予想通りの人物がそこに立っていて、俺を見上げていた。

 麗と俺が付き合うキッカケを作ったとも言える友人。そして、現在の博之を知る男、竹内 大介。

 2〜3ヶ月位前に会った時、長期出張でしばらく地元を離れると言っていたので、まさか今日、ここで会うとは思わなかった。


「今日、仕事で帰ってた。また連休明けから戻ってホテル暮らしとかマジで怠い…。」

「さっきそこで電話かけてたのって大介だよな…もしかして相手は…」

「あー、それ博之だわ。あいつ、なんか酒癖悪くて…というか悪くなってさ。酔うと時々俺にかけてくるんだ。俺以外話せる奴がいないんだとさ。別れてもう1年半だぜ?いい加減諦めりゃ良いのにまぁだ未練タラタラ。そりゃあさぁ、元カノは可愛かったし、すげぇ良い子だったから忘れられないってのも分かるけど。結局こうなった原因は博之自身が作ったんだから、会いたいとか今でも好きだとか贅沢言うなっての。…あんなに尽くしてくれてた彼女裏切ったくせに。」


 胸が抉られる様だった。

 大介は、俺と麗が結婚を決めた事や付き合っていることは疎か、麗が俺や博之と同じ高校であった事も知らない。


 俺は敢えて言わなかった。大介に、いや博之に知られたくなかった。


 大介に隠している後ろめたさよりも、博之に知られて、麗に合わせて欲しいと頼まれるのも、博之が麗の前に現れるのも、麗が博之にもっと傷付けられそうで、麗が壊れてしまいそうで怖い…そんな感情が勝ってしまったのだ。




 俺の悩みは結局のところ「欲」や「嫉妬」のせいなのかもしれない。


 頼られたい、支えたい、守りたい…

 側にいたい、抱きしめたい、触れたい…

 彼女にとって、過去も未来も含めて、俺が1番の存在で在りたい。


 それを自覚した途端、深い深い溜息が溢れてしまう。先程まで、馬鹿馬鹿しいと思っていた感情に自分も支配されていたなんて…。


「溜息しか出ねぇだろ…?別れて1年半も経てば新しい男が出来てるって思わないのかね。あんな良い子、周りがほっとくわけ無い事くらい気付けっつーの。麗ちゃんには博之に棄てられて辛い思いした分幸せになって欲しいわ…。って、今はどこでどうしてんだろ…元気かな?元気だと良いな…。って春太郎に言っても意味無いよな。」


  大介は酔っているのか、小柄な身体に似合わないくらい大きな声で豪快に笑った。

 しばらく、大介の仕事の愚痴を聞いた後、「ツレに呼ばれた」と言う彼と、適当な別れの挨拶を交わし、互いの席へ戻ったのだった。


 分かっていたことだけれど、「あんなに尽くしてくれた」と言った大介の表情が、かつて麗がどれだけあいつを思っていたのかを物語っている気がして胸が苦しかった。




「浅井が悩んでるのって『ヒロユキ』のせい?」

「倉内、お前…」

「さっきの彼には麗ちゃんと付き合ってる事言ってないんだ?…麗ちゃんが『浮気』って言葉に過剰反応しちゃうのは案の定そういう理由ね。今でも元カレは麗ちゃんが忘れられないわけだ。だけど…麗ちゃんは元カレのせいでトラウマを抱えっちゃってるって感じ?麗ちゃんが苦しんでるのに何も出来ない自分が情けないとか?俺から見たら麗ちゃんは浅井にベタ惚れだから…黙って側にいてあげればそのうち傷も癒えるんじゃないかなー?なんて思うのは他人事だからなんだろうな。当の本人としては不安な気持ちを彼女にぶつけたいよな…。」


 倉内は、なかなか戻らない俺を心配して、トイレに様子を見に来てくれたという。大介と話す俺を目撃し、トイレを占拠していないのなら心配ないと席へ戻ったそうだが、その時の大介との会話を聞かれていた様だ。

 倉内の察しの良さに、胸の内を覗かれた様な何とも言えぬ気分になる。

 当たっているだけに反論できない。


 しかし、彼の最後の言葉に、何故だか少し気持ちが楽になった気がした。

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