表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/118

65. 憧れと言われて

 普段の出勤時間よりも早く家を出て、待ち合わせ場所に向かう。今日で8月も終わりだというのに、秋の気配など微塵も感じられない、うだるような暑さに気が滅入る。

 しかし、約束の時間ぴったりに現れた春ちゃんの爽やかな笑顔を見た途端、先程までのメランコリックな気分は何処かへ吹き飛んで、自然と口角だけでなく気分まで上がる。


 まるで魔法にかけられみたいだ…なんて、彼と再会してから何度思っただろうか。




 今日は初めての打ち合わせ。

 挙式予定の料亭に到着し、案内されたのは前回話を聞いたような離れのお部屋ではなく、母屋の奥まった一角に設けられたウェディングデスクだった。

 純和風な母屋の外観とは少しイメージが異なるが、決して違和感を感じさせない和モダンな内装。土の床から伝わるひんやりした空気が火照った体を冷ましてくれる。


 前回お食事した離れとはまた違う、趣のある素敵な空間。元々は蔵で、以前はその造りを活かした広い個室だったそうだが、昨年よりウェディングデスクが施設内に設置されることとなり、改装されたそうだ。


 冷たい飲み物を頂きながら、担当プランナーの佐伯さんとそんなたわいのない会話をしているうち、なんとなくお互いの距離が縮まった気がした。

 佐伯さんは今日もやっぱり柔らかな物腰で、丁寧な口調だった。壁を感じることもなければ、馴れ馴れしくもない、絶妙なバランスの距離感が心地良い。

 彼女の纏う空気感が好き。前回も初めて会った気がしなかったというか、親しみやすくて落ち着く、なんとも言えぬ安心感。


 彼女との会話の中で、何気なく見回した室内。

 部屋の隅に飾られた、シックなウェディングドレスを纏ったトルソー、壁に掛けられた白無垢に綿帽子の花嫁の写真や黒い打掛に番傘を差した花嫁の写真。和風のリングピロー、羽織袴と色打掛を着せられたクマのぬいぐるみ、水引きで出来た鶴のつがい。


 それらのディスプレイに、昔の自分の職場が重なって見えて……。


「麗さん、どうかされましたか?」

「あ、いえ…。ごめんなさい。なんでもありません…。」

「麗、今一瞬魂抜けたような顔してたぞ…疲れてるなら無理するなよ?」


 急に、昔の事が思い出されてしまって、心此処に在らず…だったのかもしれない。

 春ちゃんと佐伯さんに、心配そうに声をかけられてしまった。2人に気付かれぬよう、ゆっくりと息を吐き出し深く息を吸い込み、気持ちを切り替える。




 佐伯さんから、いつ何をするべきか、今から式当日までの大まかなスケジュールについての説明を受け、それをわかりやすくまとめたファイルを受け取る。

 なんだか懐かしい。私がかつてプランナーとしてお渡ししていたものよりもコンパクトでスタイリッシュ。だけれど、内容は殆ど同じ。自分で書き込めるようになっていて、それをもとに打ち合わせを進めていくんだよね。


 次に、衣装、装花、引き出物、前撮りや当日のアルバム・DVDの撮影業者、ブライダルエステのサロンなど、提携先のパンフレットをもらい、各種の割引、持ち込み料が発生するもの、その他注意点についての話を聞いた。以前私が勤めていたところと大体似たような感じ。

 会場の装花を請け負うお花屋さんは、3軒から好みの店を選べるそうで、そのうちの1軒は知っている店だった。ナチュラル系のふんわりした雰囲気に仕上げるのが得意なお花屋さん。以前の職場の出入りの業者で、私のお気に入りだった。自分の好きなお店と提携しているなんてラッキーだ。パンフレットを見比べても、そこが断トツで好み。


 それから、挙式や披露宴について、出来ること、出来ないこと、オススメの演出などを一通り聞いた後、先程のファイルに書き込みながら、前回よりも少し詳しい希望を話し合い、大まかなアウトラインが出来たところで、佐伯さんは席を立った。


 5分後、戻ってきた佐伯さんの腕には数冊のアルバムやファイルが抱えられていた。それら、用意して下さった資料を見ながら結納のプランについての説明を聞き、結納の日程を決め、お料理や結納の品も決め、この日の打ち合わせで決めるべき事はクリア。


 次の打ち合わせのお約束をして、次回までにしてくる「宿題」の説明を受け、お抹茶とお菓子を頂きながら、佐伯さんと歓談。

 お菓子は、ほんのり塩気を利かせてふっくら炊かれた赤えんどうと、喉越しの良い角切りの寒天にたっぷりの黒蜜のかかった豆寒天。

 豆寒天は私の好物。寒天の香りがしっかりしていてすごく美味しい。




 美味しいお菓子に話も弾む。

 馴れ初めから始まって、高校の頃の話、お互いの趣味の話、プロポーズの話。

 佐伯さんは話を振るのも上手い。自然な流れで質問されるので、すごく喋りやすいし、話すのが楽しい。


「告白と同時にプロポーズなんて素敵です!だけど、お付き合いを始めてまだ半年だなんて、すごく意外というか…てっきり何年もお付き合いされているものだとばかり思っていました。お2人の間を流れる空気感がすごく穏やかで、とっても良い感じですので…。」

「確かに、付き合い始めてまだ半年なんだって思うと変な感じです。まぁ、俺の場合、高校の頃ずっと好きだったし…卒業してからもふと彼女の事思い出しちゃったりしてたのもあると思うんですけど…。」

「浅井さん、12年越しの片思いを実らせたんですね。なんだかドラマみたい…。」

「再会したその日はドラマチックでもなんでもなかったですけどね。むしろ俺の中では黒歴史に近いです…。高校卒業後、すぐ地元を離れて大学進学して、麗は専門学校に進学して…その後彼女がどうなったか気にはなってましたけど、連絡取る口実も思いつかなかったし、そもそも俺にとって麗は高嶺の花でしたから…。再会したのが卒業式以来、初めて参加する同窓会だったんですけど、あまりに綺麗になっていて…シラフではまともに顔も見られず、離れた席から眺めてるのが精一杯でした。なのに飲み始めたらちょっと飲み過ぎて失言してしまうし…翌日友人に呼び出されて怒られて…アプローチうんぬん以前の問題で…」


 春ちゃんと佐伯さんがそんな話で盛り上がるのを聞いているのは照れ臭い。


「男女の出会いは何がきっかけになるか分かりませんよね。逆に、初めの印象が良くない方が上手くいくケースが多いなって、この仕事をして、お客様のお話を聞いていて思うんです。……あの、話は変わるんですが、麗さんが高校卒業後進学された専門学校と言うのは、ブライダル系の学校ではありませんか?」


 佐伯さんは、少し躊躇いがちに私に尋ねた。私はというと、突然の事に動揺してしまう。


「実は、お話ししようか迷っていたんですが…私、以前何度か麗さんとお会いしてお話ししているんです。」

「え、そうなんですか…?」


 専門学校の話が出たということは、専門学校時代に話したのだろうか?思い出そうと考えてみるけれど、思い出せない。少なくとも、同じクラスではなかった。

 プランナー学科でも、何クラスかあったし、同じ学年でも1年制のコースと2年制のコースはカリキュラムが違うのであまり交流がなかったし、学年が違ったら尚更だ。


「私が学生だった頃、就職指導のオリエンテーションで麗さんのお話を伺ったんです。個人的にも、少しお話しをさせて頂いたんですが…麗さんが覚えていらっしゃらいのも仕方ないと思います。すごくたくさんの学生に囲まれてましたから…。」

「でもどうしてそんな昔の事、覚えていらっしゃったんですか?」

「学祭の模擬挙式で花嫁役されてましたよね?私、入学直前で、すごく印象に残っていたんです。すごく輝いてましたから…。入学してからも、麗さんのレポートを先生が「こんな感じに仕上げるように」って見本に見せてくださったり、校内に展示してある作品などでお名前を拝見することも多かったですし…綺麗の『麗』の字を『うらら』とお読みするのも記憶に残っていたので…。それに、私にとって、憧れの先輩なので…。」


 社会に出てから、現役プランナーとしての体験談を学生に話して欲しいと恩師から頼まれ、それ以来プランナーを辞めるまで年に1度、母校で話していた。

 佐伯さんの話から推測すると、学生だった彼女と話したのは、おそらく社会人2年目の春、初めて学生の前で話す機会を頂いた時だ。

 自分が大好きな、ウェディングプランナーという仕事について、その素晴らしさを伝えたくて必死だった。話した後は頭が真っ白だった記憶しかない。


「憧れの先輩」だなんて…。あの頃の私が聞いたらきっと飛び上がって喜ぶだろう。ただひたすらに、我武者羅に頑張っていたし、何より仕事が大好きで、誇りに思っていた…。自分と同じ仕事に就きたいと思う後輩にそう思ってもらえるのはすごく嬉しいし誇らしいこと。


 だけど、今の私は…。


 自分が恥ずかしかった。


 博之との事を理由に、逃げているだけなんじゃないか?

 離職理由を話して、面接で落とされて傷付きたくないだけなんじゃないか?


 春ちゃんは、言ってくれたじゃないか。

 1度結婚がダメになってしまっても、今回上手くいけばそれは帳消しになるって。

 そういうのを気にする人は気にするけど、気にしない人だってたくさんいるって。


 結局、それを1番気にしているのは私だ。自分で、自分の可能性を否定しているだけだ…。


 そんな私が、佐伯さんの「憧れ」だなんて、申し訳なくて、恥ずかしくて、居た堪れなかった。






 ***


「泣きたかったら胸貸すぞ?」

「ありがと…大丈夫だから…。」

「無理すんなって。」

「無理してないよ…。色々考えちゃっただけだから…。」


 打ち合わせを終えて、駅へ向かう途中の緑道で突然立ち止まった春ちゃん。彼の両手が私の頬を包んで…と思いきや、私の両方の頬をつねって引っ張られた。


「そういうのを無理してるって言うんだぞー?」


 春ちゃんの顔が近い。ふくれっ面で半目の彼に思わず笑ってしまった。

 そんな私を見て、春ちゃんの表情は優しい笑顔に変わる。


「やっと笑った。……色々真面目に考えすぎて無理しちゃうところ含めて俺は麗のこと愛してるぞー。だからキツイ時は頼って欲しい…。やっぱ麗には笑ってて欲しいからな!」


 そんな春ちゃんの言葉に、重くて苦しかった気持ちがすぅーっと楽になった。まるで胸につかえていた何かがとけてなくなったように…。




『麗は優秀だったんだな〜。提出したレポートが見本になるなんてそういうことだろ?ほら、恥ずかしがるなって。』


 佐伯さんに「憧れ」と言われ、考え込んでしまった私は黙り込んでしまった。そんな私を見兼ねて、その場を取り繕ってくれた春ちゃん。

 毎度の事ながら、春ちゃんに助けられた。先程だけじゃなくて、今だって…。


「ありがとう…。」


 その途端、涙がポロポロと流れ落ちた。


「仕方ないなぁ…ほら。」


 春ちゃんの腕は、力強くて暖かい。あっという間に、幸せな気持ちで胸が満たされる。






 その後は幸せな気持ちでランチを取り、笑顔で手を繋いで何軒ものお店を回り、腕時計を探した。何軒も回ったけれど、結局、1番最初の店で気に入ったペアウォッチを買った。


「なんだろうな…結局1番初めに気に入ったヤツが忘れられなくて…他が全然パッとしなかったんだよな…。なんか色々回って損した気分?」

「えー、損したって酷くない?私は楽しかったよ。結婚指輪も色々見れたし。」

「悪りぃ悪りぃ。損したってのは語弊があるな。俺も楽しかったよ。結婚指輪がどんなもんかって具体的に分かったのは良かったし、他を見て回ったからこそ気に入って買えたんだもんな。…とにかく、良いものが見つかって良かったよ。終わり良ければ全て良し、だな。」


 終わり良ければ全て良し。彼にそのつもりはないだろうけれど、今日の私の気分を一言で表したみたいだ。

 今日は先週とは違い、彼に家まで送ってもらって笑顔で「また来週」って春ちゃんに手を振ることが出来た。これもやっぱり、朝、魔法みたいだって思った春ちゃんの笑顔のお陰なんだろうな…。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ