61. 小さな選択を…
3連休明けの出勤はなかなか辛い。
休みボケのせいもあるし、休み中忙しくしていたせいもある。だけど何より、貴子のお陰でなんとか持ち直したとはいえ、メンタル面でのダメージが大きかった気がする。
3日間の休みのうち、2日目の同窓から次の店に移動して飲み始めたところまでは良かったんだけどな…。
楽しい事も、嬉しい事も、幸せな事もたくさんあったはずなのに。
あの夜聞いてしまった過去の話に全部持っていかれてしまった。
今となっては大したことない事。なのに…連鎖して大きなダメージになってしまうとか、今更ながら自分のメンタルの弱さに落ち込む。
最終的には賛成して楽しみだと言ってくれたけれど、2人で行く温泉旅行が大勢で行く温泉旅行になった時の春ちゃんの反応も気になった。
申し訳ないような後ろめたいような気持ち。
だからって、2人で行く勇気も無いんだけど……。
休み明け初日。重たい体に鞭打って頑張る。休憩時、連休を利用して帰省したスタッフのお土産のお菓子が疲れを癒してくれる。甘いお菓子って一時的にだけど心を満たしてくれる気がする。あくまで一時的に…だけど。
休憩が終わると気合を入れ直してどうにか1日を乗り切る。
2日目。鞭を打たなくとも、気合を入れなくともなんとか仕事をこなせるようになる。
連休でOFFになっていたスイッチがようやくONになった感じ。
3日目。やっと通常運転。今回はここまで戻すのにいつもより時間がかかった気がする…。連休の中日に飲み過ぎたのが、休み明け初日にまで響いていたものと思われる。あれは特殊だったとはいえ、もうあんなに飲むような事が無いように気をつけようと1人で勝手に誓う。
4日目。お盆明けでお客様が少ないので夜の営業中、支配人の指示で接客はバイトの学生さん達に任せ、私はひたすらグラスを磨く。
ほぼ店に出る事なく、ひたすらグラスを磨いたのは初めて。ピカピカになっていくグラスに小さな達成感を覚え、この日は帰宅。いつもよりちょっと早く就寝。
5日目。前日があまりに暇過ぎたので、急遽瀬田さんが有給を取ることに。だけど、そういう時に限って、忙しくなるというお約束の展開。なんとか乗り越え、いつもより少し遅めの時間に退勤。
6日目。いつも通りの土曜日。明日は1週間ぶりの休み。今週はいつもよりも時間が過ぎるのが随分遅く感じる。
連休前の予告通り、仕事終わりに飲みに行く事に。支配人は今日の三十路会には欠席。「奥様思いの良い旦那サマだよね」、なんて長尾さんに言われ2人でニヤニヤしていたら支配人に「お前ら気持ち悪いぞ…」と言われてしまうも、ニヤニヤが止まらない。
そんな私と長尾さんとは対照的に、瀬田さんの私を見る目が…ギラギラした鋭い視線がまるで獲物を狙う猛獣のようで怖いデス。
***
「さてさて。八重山ちゃん、いろいろ私達にお話しすることがあるよね?」
「1週間、聞きたいのをずーっと我慢してたんだよ?」
「とはいえ、まずは乾杯しよう!八重山ちゃん、おめでとう!かんぱーい!!」
「乾杯!!おめでとう!!」
「ありがとうございます。」
職場から少し離れた路地裏にある小さな洋風居酒屋。今日は瀬田さんと長尾さんのお気に入りの店に連れてきてもらった。
夕食には賄いを食べているので、軽めのおつまみを数品と、ドリンクをオーダー。私は、2人に質問されるがままに答えていく。
結婚の話が急に進んだ経緯や、連休の過ごし方、見学に行った式場や、今後の事などなど。
もちろん、その話の中には、今後の仕事の事も含まれていて、いつの間にかそれがメインの話題になっていた。
今の仕事を今のまま続けるか、雇用形態を変えてもらって続けるか。それとも、転職するか。
考える時間はたっぷりあるようで僅か。その貴重な時間をこの1週間、無駄にして過ごしてしまった事を後悔した。
「そういえばさ、静香さんも結婚する時八重山ちゃんみたいに悩んでたよね。」
「そういえばそうだったね。まぁ、八重山ちゃんとは悩みがちょっと違う気もするけどね…。」
「静香さんが…ですか?」
再び聞く静香さんの意外な面に驚く。憧れの女性が、まさか自分と同じ様に悩んでいたなんて…。
「静香さん自身は結婚しても仕事を続けたい人だったんだけど…支配人がね。」
「あれはズルいよね。静香さんの好きにしたら良いって言いながら、本音としては専業主婦になって欲しいとか言っちゃってさ。」
「プランナーへの転職も考えてたみたいだけど…休みも生活のリズムも合わないって言って結局そのままうちで働くことを選んだんだよね。」
「静香さんもさ…お客様からのセクハラに悩まされてたんだよ。数ヶ月のあの事件の時、八重山ちゃんが支配人にめっちゃ怒られたのって、昔の静香さんとかぶったからだと思うよ。」
数ヶ月前のあの事件とは、私と美咲ちゃんが仲良くなるきっかけのきっかけとなった立川様のセクハラだ。あの時、支配人は「自分だったらマジ切れする」と言った。あの時の迫力の裏には、そんな事情があったらしい。
「それで結婚してからも静香さんはそのまま仕事を続けていたんだけど、去年の秋、支配人との話し合いの結果、退職したわけ。『上司としては辞めさせたくなかったけど、夫としてはもっと早くに辞めさせたかった』って静香さん抜きで初めて飲んだ時言ってたっけ…。」
「静香さん辞める時、辞めるって聞かされてから辞めるまでが短かったから…大変だったよね。引き継ぎもしたようなしなかったような…って感じだったし。静香さんの代わりに入って来た八重山ちゃんが神に見えたよ。冗談じゃなくて本当に。経験者だったから、教える手間が随分省けたもん。接客マナーも身に付いてたしさ、サービスだって完璧だったし。…そういえば八重山ちゃん入る時、『真面目でいい奴らしいけど訳あり』って支配人言ってたっけ……。」
「訳ありってなんだったんだろうね?って2人で飲む時よく話してたよね。支配人の元部下の部下で、静香さんも顔見知りな時点で、おかしな人では無いと思ってたけど…実際会ってみたら全然訳ありっぽくなかったし。八重山ちゃん的に『訳あり』って言われる事に心当たりある?」
訳ありと言われる事に心当たりですか…。それは思いっきり思い当たる節がありますとも。去年、私に告白してきた若いコックにはお断りする上で打ち明けたけれど、彼は他の人に話していなかったらしい。まぁ当たり前と言えば当たり前か…。迷ったけれど、2人にも簡単に話す事にした。
重い雰囲気になるのが嫌で笑いながら話した。だけど、その努力も虚しく、瀬田さんも長尾さんも申し訳なさそうな顔をして黙り込んでしまった。
「ちょっと、そんな顔しないで下さいよ。それがあったからこそ、こうして楽しく飲めるんじゃないですか?」
「ごめんね、変な事聞いて。」
「まさかそんな事情があったなんて…。本当に思いっきり訳ありだったんだ…。」
「訳ありと言えば訳ありですけど、今となってはそれで良かったと思ってるんですよね。元彼の話がきっかけで今の彼に食事に誘われたりしてお付き合いするに至ったってのもありますし。」
春ちゃんと出会う前は、この話を笑ってする事なんてとてもできなかった。今でも、あの時のことは出来れば思い出したくはない。だけど、いつの間にか無理をしているとか、強がっているわけじゃないのに、笑いながら話せるようになっていた。
「そんな前向きな八重山ちゃんだから彼も結婚したいって思ったんだろうな……。」
「人生ってさ…小さな選択の繰り返しなんだよね。その選択で後悔することもたくさんあるし、想像もつかない事が起こったりして、傷付いたり、逆に誰かを傷付けたりもする。その度にまた岐路に立たされて、選択することを繰り返していく。例えば、嫌なことがあったとしても、考え方を変えれば、それが悪いことだとは限らない。さっき八重山ちゃんが言ったみたいに……。一つも無駄な事なんて無いんだよ。ちゃんと受け止めて、これからにつなげることが出来れば、それが自分を成長させてくれるんだから。すべては自分次第なんだよ……」
「長尾さぁーん、良いこと言いますね!ちょっと感動しました。」
「え?これね、昔お世話になった上司の受け売り。これを思い出すとどんなにキツくても、嫌になっても頑張れるんだよね。」
「そこは長尾さんの名言ってことにしときましょうよ?ね、八重山ちゃん?」
人生は小さな選択の繰り返し。この1年半は特にその選択が多かった様に思える。そんな選択を繰り返した結果、私と春ちゃんは人生を共に歩んでいくことを選んだ。
それを報告すると、家族や友人、上司や先輩方の多くが「おめでとう」と言ってくれた。中には、それをよく思わない人もいて、過去の事を暴露して攻撃してくる人もいた。私はそれで傷付いたりもしたけれど、傷付いたことも、落ち込んだことも改めて無駄じゃないって思えたらなんだか気が楽になった。
「長尾さんの名言聞いたら、勇気付けられました。すべては捉え方次第で良くも悪くもなるんですよね。」
「そうだよ、八重山ちゃん。一度きりの人生、楽しく行こうよ!」
「だから受け売りだってば。それにしても瀬田ちゃんはちょっと楽しみすぎな気もするけどね?」
その日、私たちは「人生」という深いテーマについて、閉店の時間まで粘って語り明かした。ちょっぴり哲学的な話をしたり、現実的な話をしたり、夢見る乙女的な話もしたりして……。
いつもと違う長尾さんと瀬田さんの一面を垣間見て、2人の真逆とも言える人生観に触れ、色々考えさせられたけれど、2人から元気をもらって、なんとなく重く沈んでいた気分が少し軽く明るくなった気がした。




