56. 嵐の後・前編
「麗の悪い癖。」
急に貴子に注意される。
「辛い時は無理して笑わない。麗は心配させたくないから…って言うけど、それ、逆に心配になるから…せめて私とか、浅井くんとか、お姉さんだけの時はそんな顔しちゃダメだからね。」
「ごめん…。」
「わかればよろしい。じゃあこのまま2人で飲もうか?時にはお酒の力を借りてストレス発散する事も大切だよ?麗が酔いつぶれても私がちゃんと朝まで責任を持って介抱してあげるからね。こーすけにメールしたらあっちはあっちで盛り上がってるらしいからまだゆっくり出来そうだよ?」
さすが貴子。付き合いが長いだけある。私以上に私の事を理解しているというか、私がどうしたいかを察してくれちゃうというか…いつも甘えさせてもらっている。
ずっと緊張していて、糸がプツリと切れたように一気に疲労感に襲われた。その瞬間涙が溢れ、どうしたら良いかわからなくて…。
とりあえず涙を拭いて、トイレに逃げ込んで、気持ちを落ち着かせて…。戻った今も足が震えている。手に力が入らない。
それをごまかすために、笑ってみたけれど、貴子には全く通じなかった。
「ほら、麗、飲もうよ。飲んで嫌な気分、パァッと晴らそうよ。…それにしても、感じ悪かったわぁ…私、頭にきちゃった。相変わらず、あの子達めちゃくちゃだわ…。」
「なんか嵐みたいだよね、あの2人。」
緊張で喉が渇いていたせいか、追加でオーダーした冷えたビールがすごく美味しくて、一気に飲み干してしまった。
「1ヶ月前、貴子と飲んだじゃない?その時言っていた博之がした『私には言えない事』って…もしかしてさっきの話と関係ある?」
貴子は、溜め息を吐いて、小さく頷いた。
「私も、こーすけも、今の奥さんとの浮気が初めてじゃないって事は知ってた。さすがに、相手が美穂子だとは思わなかったけど、1人2人じゃないって話は聞いてた。隠しててごめん。」
「ううん。むしろ今まで隠しててくれてありがとう。」
「平気じゃないなら無理しなくて良いんだよ?」
春ちゃんと出会う前の私がさっきの話を聞いていたら、ショックで寝込んでいた事だろう。だけど、今の私なら大丈夫。無理は…していない。
「上手く言えないけどね、博之が浮気をしていたって事実を知っても平気なの。過去の話だしね。変な話、誰かひとりに執着して関係を持たれていたよりも、取っ替え引っ替えで色んな女の子に手を出していた方がまだマシって言うか…。それでも、ちゃんと私の所に戻って来ていてくれたって事は、私もそれなりに愛されていたのかな?って思えるでしょ?すっごい負け惜しみみたいだけど…。」
負け惜しみみたいだけど、無理はしていない…50%は本当。
「さっき美穂子ちゃんも言ってたでしょ?博之が浮気する原因は、私とのセックスが不満だったからなんだよ。さすがに相性が悪いとは言われなかったけど、付き合ってる時も色々言われたよ。リクエストにも応えたりしてさ、当時、色々悩んでたのは貴子も知ってるよね?博之が巨乳好きで私はボリューム不足だって思ってるのも知ってたし。美穂子ちゃんだって、海夏さんだって、おっぱい大きいし…。だから、博之は身体目当てだったんだって割り切ったら…気分は良くはないけど自分のダメージは最小限で済む…って言うか。…ちゃんと戻って来てくれてたって事は気持ちは私にあったんじゃないかなって思えることで、彼女としてのプライドがギリギリ保てるって言うか…浮気されてるなんて知らなかったけど…私がずっと博之を好きだったのも無駄じゃなかったのかなって思えるんだよね。もちろん、博之はもう過去の人で、今はもう、好きとかそういう気持ちは一切無いし、未練も情も残っていないよ。」
だけど、残りの50%は嘘だ。
「さっきはプライドがギリギリ保てるって言ったけど…彼女としてのプライドは保てても、女としてのプライドはズタズタだよ。私には女としての魅力が無いって事だし。そんな私で、春ちゃんを満足させられるのかな?春ちゃんも、同じ様に不満に思ったらどうしよう…とか、やっぱり胸は大きい方が良いのかな…とかすごく不安。そう思われたらどうしようって思ったら…すごく怖い。」
不安で押し潰されそうだ…。美咲ちゃんと話した時よりもずっと怖い。
「それと、他の子達とそういう事していた博之に私も抱かれていたんだよね…。さっきの話聞いて…他の子を…美穂子ちゃんを抱いたのと同じ日にも…って事もあったんだろうな…って考えちゃった。気持ち悪いよね…考えただけで吐き気がするよ。」
手元のグラスをあおる。不安のせいか味を感じない。香りも感じない。何を飲んでいるのかすらわからない。
「そういう事を、春ちゃんに抱かれてる時に思い出したら…私、きっと動揺しちゃうよ。この前だって…いつもより…ほんのちょっとだけ彼のキスが積極的だっただけで…私、体が強張っちゃって…。また、そうなっちゃったら…私が拒んでるって思われて…春ちゃんを傷つけてしまいそうで怖い。だから怖くて、まだ春ちゃんとそういう事してないの。だから、美希ちゃんと美穂子ちゃんに聞かれてすごく動揺しちゃって……。嘘でも『春ちゃんの方が良いに決まってるでしょ?』って笑い飛ばせたら良かったのに…。」
涙が溢れてきた。不安だった。グラスを持つ手が震える。
「前に1度、付き合う前に、うっかり春ちゃんにチラッと…嫌悪感があるって話しちゃった事があるから、気を遣われているんだろうね…まだ本格的にそんな雰囲気にはなってないんだけど…いつまでもそういうわけにはいかないよね。だけど怖いんだもん…。さっきの話聞いたら、余計怖くなっちゃったよ…。どうしよう…。春ちゃんの誕生日にね、お父さんが結婚を許してくれたら2人で旅行に行こうねって話をしてたの。温泉が良いなぁって…。春ちゃんと旅行、すごく行きたいけど、行きたくない。」
自分でも何を言っているかわからなくなってきた。上手く貴子に伝わっているだろうか…。そもそも貴子にこんなこと言っても困らせるだけではないのだろうか?
「ごめんね…支離滅裂で、おかしな事言って…。困っちゃうよね、こんな話。」
「麗…何言ってるの?私は麗の親友だよ?なんで今まで言ってくれなかったの?おかしな事じゃないよ。ひとりで抱えてちゃダメだよ。全然困らないから。」
「貴子ぉ…飲んでも良い?」
「良いよ、今日は気が済むまで飲んで良いからね…。その代わり、無理して笑っちゃダメだからね。…浅井くんならきっとわかってくれるよ…。」
「わかってくれるかな?」
「麗が信じなくちゃダメでしょ?そんな事言ってたら、『麗、俺を信じろ!』って怒られるよ?」
「そうだよね…。貴子、ありがとう。」
「ほら、飲んで飲んで!途中で寝ちゃっても、私が責任持って麗の家まで連れて行くし、ちゃんと布団で寝かせてあげるからね。麗が望むなら添い寝だってしちゃうし、朝までそばにいてあげるからさ。パァッと飲んで、ぐっすり寝たら気分も晴れるよ。二日酔いは…まぁご愛嬌って事で。明日って何か予定ある?」
「あったけど、なくなったよ。今日式場決めてきたから…。」
「じゃあ昼まで寝てられるね。それに今日はいい事もあったんだからさ、楽しく飲もうよ!」
「…朝まで一緒にいてくれる?」
「もちろん!添い寝は?」
「添い寝は…遠慮しとくわ。春ちゃんに浮気を疑われても困るしね?」
「私もそれは困るわ…ほら、飲もう飲もう!」
貴子に甘えて私は思いっきり飲むことにした。春ちゃんにバレたらまた怒られちゃうかもしれないけれど、パァッと飲んでさっきの事は忘れたい。例えそれが一時的にしか忘れられないとしても、構わなかった……。




