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52. 本命

 立派な佇まい。

 手入れの行き届いた見事な日本庭園。


 玉砂利と石畳のアプローチを進み、母屋らしき建物へと向かう。

 受付らしき場所で春ちゃんが予約をしている旨を伝えると、すぐに離れへと案内された。

 離れへの通路はは美しい庭園を散策しているかのような雰囲気だ。色とりどりの花、綺麗に刈り込まれた植木、苔生した大きな岩、錦鯉が優雅に泳ぐ池。足元の黒い石畳と白い玉砂利のコントラストも美しい。通路には屋根があり、真夏の強い日差しを遮ってくれるのでありがたい。流れる水の音も涼を誘う。




「季節が良いとこのガラスの扉を開放出来るのですが…日が暮れてからならまだしも、お日様が高いこの時間はまだまだ暑いすから…ガラス越しで申し訳ございませんが、お庭を眺めながらお食事をお楽しみ下さいませ。」


 係の方が障子を開けながらそう説明してくださった。

 数奇屋造りの離れからの眺めは最高だった。先程通ってきた通路とは反対側に面した縁側から見えるのは、この部屋の為だけに造られたであろう枯山水と青紅葉。

 きっとガラスの扉を開けると更にお庭との一体感が出て見事なことだろう。


 室内に目を向ければ、控えめな床の間には涼しげな色の花器に季節の花が生けられている。


 お庭やお花を眺めているとあっという間に料理が運ばれてきた。


 先附は雲丹とジュンサイの小鉢。前菜はそら豆、栄螺、サーモンと茗荷の小ぶりなお寿司、新生姜の色鮮やかな5点盛り。蛤のしんじょのお椀、お造りは鯛・海老・鮑。伊勢海老の黄金焼き、ブランド牛のフィレステーキ、お赤飯と赤出汁のお味噌汁、香の物、水菓子はメロンだった。

 どれもこれも美味しい。塩気を抑えたいわゆる「薄味」ではあるが、素材の味が活きているのか、上品でいて濃厚な旨味を感じる。




「お庭も、建物も、サービスもすごく素敵だね。」

「かなり前に1度だけ、重里さんに連れて来てもらった事があるんだよ…カナダからのお偉いさんの接待で、俺の留学してた街の出身だからって…面接で留学してた時の話したの覚えててくれたらしくてさぁ…。全国視察に同行させてもらってたの。俺も重里さんも地元じゃなくて東京支社にいた頃の話だから入社して3年目とかそのくらいかなぁ…。それまでもそれなりのところ連れて行ってもらったけど、ここは別格だったなぁ…。地元にこんな料亭があったとは…って驚いたし、何もかもがすごくて圧倒された。そのお偉いさんも、すげぇ喜んでたな。……トラブルもあったけど、本当にいい経験になったし…その視察に同行させてもらったこと自体がすげぇ良い思い出だからさ、ここも思い出補正で美化されてんじゃないかなってちょっと心配してたんだけど…全然そんな事なかった。」


 しみじみと語る春ちゃんの顔はなんだかいつもの春ちゃんとは違ってすごくかっこ良かった。


「その時、いつかここに女の子連れてきてカッコつけたいな…なんて思っちゃたわけ。そんなん考えること自体がカッコ悪いんだけど…。変な話、その時付き合ってた彼女がいたんだけどさ、思い浮かんだ女の子ってその彼女じゃなかったんだよね…。それで…密かにめちゃくちゃ動揺したのを覚えてる。…なぜか麗だったんだよ。卒業してから6年以上経ってるのにさぁ…それを先週、重里さんと話してる時にふと思い出しちゃって。」

「そんな彼女以外の人思い浮かべたら駄目じゃん?」

「…だからすげぇ動揺したんだって。正直、自分でもちょっと引いたし…。卒業の時にキッパリ諦めたはずだったんだけどなぁ…って。で、今こうして麗と一緒にいるわけじゃん?執念深いと言うか、我ながらキモいな…と思っちゃったり。」

「いいんじゃない?そんなキモいって自分で言っちゃう春ちゃんも嫌いじゃないよ?」

「ありがとな。で、料理食べた感想はどうだった?」

「料理とロケーションならここに決めちゃってもいいかも。メインのお庭に植えてある木、ぱっと見だから定かじゃないけど…桜の木っぽいのも結構あるよね。もし、私の誕生日の頃挙げられるなら、桜が咲きはじめていて綺麗なんじゃないかな…って思う。…まだ、詳しい話を聞いてないから何とも言えないけど。」


 その時、「失礼いたします」と言う声が聞こえ、入口のふすまが開いた。

 両手にたくさんの資料やアルバムが入った袋を持ったプランナーと思しき担当の女性だった。


「この度は誠におめでとうございます。資料請求してくださり、そして本日はお忙しい中お越しいただき誠にありがとうございます。私、本日お話をさせていただきますプランナーの佐伯と申します。」


 私と春ちゃんは名刺を1枚ずつ受け取り、ご挨拶をした。物腰の柔らかい、丁寧な動作や対応にすごく好感の持てる方だった。


「お手数ですが、こちらにご記入いただいても宜しいでしょうか?差支えの無い範囲で結構ですので…。」


 まず、渡されたアンケート用紙に記入していく。

 住所、氏名、電話番号、年齢、生年月日、職業、勤務先…それから式や披露宴のイメージ、招待客の人数、希望などなど。

 一通り書き終えたところでお渡しする。


「ちなみに…ご希望のお日にちはお決まりでいらっしゃいますか?」

「はい。…彼女の誕生日が第一希望です。」

「左様でございますか…この日は…現時点ではまだご予約可能でございます。ただ…大安ですので…お話しさせていただいて、もし気に入っていただけたようでしたら1週間は仮予約という形で押さえておくことができます。…他の式場などをこれからご覧になられる場合でもそうしていただくことをお勧めいたしております。…なんて本題をお話しする前から言ってしまってはいけませんね。失礼いたしました。では、さっそくご説明させていただきます。」


 プランナーの佐伯さんは、ニコリと笑うと、アルバムと資料を取り出した。


 神前式の説明から始まり、お庭や建物の説明、衣装、披露宴、演出、料理、引き出物、招待状や席次表など、1つ1つ簡潔だけれど丁寧に写真を見ながら説明してくださった。その度に、希望はどんな感じか、質問は無いかと聞いてくださる。そう言えば私もこんな感じで説明していたな…となんだかしんみりしてしまった。


「では、今伺いましたご希望をもとに、お見積もりをご用意してまいりますので少々お待ちいただけますか?宜しければ、こちらに実際挙式なさったお客様のお写真をご用意しておりますので…どうぞご覧になってお待ちくださいませ。」


 出されたアルバムは、丁度春に式を挙げた人のものだった。

 予想通り、お庭に植えられているのは桜の木も多いようで、写真のいたるところに桜の木が写っていった。

 挙式の写真、披露宴の写真、料理の写真、会場の装花やレイアウト、たくさんのスナップを眺めているうちに、プランナーとして働いていた時の事が思い出される。


「麗、俺はここで挙げたいなぁ…麗はどう思う?」

「写真、どれも素敵だね。私もここに賛成。プランナーの佐伯さんもすごく親切で丁寧だし…私、彼女が担当ならいいなぁって思う。……私も、昔そんな風に言ってもらったことあったんだよね。すごく嬉しかったし、やっぱりそんな事言われちゃうと余計頑張っちゃうんだけど。…やっぱり一生に1度の…1度じゃない人も今は少なくないけどさ、結婚式ってすごく大きな事じゃない?それを一緒に考えるんだから、良いなって思った人と考えていきたいよね。私、直感で彼女が良いなって思った。」

「なぁ、麗…結婚を機に転職するのもアリだと思うぞ?博之との事で縁起悪いって言ってたけどさ、俺と結婚したらそれもチャラになるんじゃないか?」


 急に春ちゃんに転職を勧められ、私は動揺してしまう。やっぱりプランナーという仕事が私は大好きだったし、今も未練がある。春ちゃんが言う通り、チャラになるんじゃないかとも考えた。だけど…そうは思わない人が多いのも事実だ。


「春ちゃん…でもやっぱり気になるよ。気にする人はすごく気にするし…。」

「でも、気にしない人は気にしないだろ?」

「…そうだね。ゆっくり考えてみるよ。」

「俺は麗のやりたい事やって欲しいなって思っただけ。仕事したくないなら専業主婦でも構わないし。贅沢はさせてやれないけど、俺と2人で普通に暮らすくらいなら俺の収入だけでもなんとかなるし。……話戻るけど、ここに決めちゃおうか?あのプランナーさんが担当してくれるなら今日契約しますってわがまま言ってさ。」


 私の前職に対する未練も、それに関わる不安も、真剣に考えてくれる。それだけじゃなくて考え込んでしまうと沈みがちな私を笑わせようと、元気づけようと彼が見せる笑顔。

 いつも助けてもらってばかりだ。私は彼に何をしてあげられるんだろう?

 何ができるかわからないけれど、私も笑顔を返そう。


「ワガママ聞いてもらえるかな?」


 私は、笑顔で答えた。




「失礼いたします。お待たせいたしました。…お写真をご覧いただいて、イメージしていただけましたでしょうか?」


 にこやかな笑顔で戻ってきた佐伯さんから資料を受け取り、丁寧な説明を受ける。

 見積もりの項目を見ても、単価を見ても、ちゃんと作られたリアルな見積もりだった。見学の時点では、最低ランクで作った見積もりを出されて、実際の価格とは全然違いましたってところも多い。

 すごく良心的だ。佐伯さんに対する好感度がさらに上がる。


「今、麗と話してたんですけど…佐伯さんに担当してもらってここで式を挙げたいんですけど…」

「そう仰っていただけるなんてすごく嬉しいです…でも、私が浅井様と八重山様のお式の担当できるかどうかは…今はお答えできかねますので…。」

「そこを何とかお願いします…もし、佐伯さんが担当してくださるなら、今ここで契約します。」


 佐伯さんは困ってしまったようだった。


「あの…少々お時間を頂戴してもよろしいでしょうか…。上と相談してまいりますので。」


 私たちが肯定の返事をすると、少し考えた後、そう言ってニコリと笑って立ち上がり、部屋を出て行った。

 彼女が戻って来るまでに、そう時間はかからなかった。


 料亭のお庭や大広間の見学をした後、契約の手続きをした。無事、希望していた日で予約が取れ、私も春ちゃんも思わず笑顔になる。

 勿論、担当のプランナーさんは佐伯さんだ。佐伯さんが戻ってきたとき、満面の笑みだったのを見て、この人なら絶対安心して任せられる、そう思った。




 気が付けば、予定していた時間を大幅に過ぎていた。

 今日はこれから、同級会だ。車で直接向かうわけにはいかないので、1度春ちゃんの家に泊めてから向かうことになる。今から向かってギリギリ、地下鉄の乗り換え次第では遅れてしまうかもしれない。


 佐伯さんに何度もお礼を言い、料亭を出て車に乗り込む。


「もう決めちゃったから、明日予約してるところキャンセルの電話しないといけないな…悪いけど、俺のスマホのメール開いて…電話番号がメールに記載されてるはずだからかけてもらってもいいか?」


 春ちゃんの待ち受けは未だに私の寝顔だ。何度見ても恥ずかしい。

 私は、春ちゃんに言われたとおり、キャンセルの電話を2件かけ、それから自分のスマホを取り出し、貴子に少し遅れるかもしれない事を伝えた。

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