43. 花火の後に
タクシーで隣に座る美咲ちゃんの顔が赤い。
花火大会が終わり、のんびり片付けをして混雑のピークを避けて会場を後にした。
家まで送ると言ってくれた春ちゃんと倉内さんだったけれど、やっと拾ったタクシーでは4人プラス荷物では乗る事が出来なかったため、私と美咲ちゃんだけ先に乗らせてもらい、その場所で解散となったのだった。
それに、方向も大きく違わないと言うが、花火会場からうちは南東なのに対し、春ちゃんと倉内さんの家は南西方向になるので間違いなく遠回りになってしまう。
「美咲ちゃん…?大丈夫?」
先程から、赤い顔でうつむく彼女に声をかけるが返事がない。
何か考え事をしているのだろう。
なんとなくだけど考えている事はわかる。きっと戸惑っているのだ。
花火が打ち上げられてからの2人の様子は良い感じだった。倉内さんがちょっと強引な気もしなくもなかったけれど、美咲ちゃんは照れながらも嬉しそうだったし。
そして、会場を出た後の帰り道だって2人を包む空気はいつもと違ったのだ。ピークを避けたとはいえ、周辺はかなり混雑していた。はぐれるといけないから…そう言って倉内さんは美咲ちゃんの手を取り、大通りまで出た。倉内さんの手をしっかり握り、頬を染める美咲ちゃんはとても可愛らしかった。
大通りに出たものの、なかなか空車のタクシーが見つからなくて、やっとタクシーをつかまえて…。
その間も2人はずっと手を繋いでいた。
タクシーが自宅マンション前へ到着したので、私は支払いを済ませタクシーを降りる。
「美咲ちゃん?着いたよ?」
「え!?ごめん…。」
なかなか降りてこない美咲ちゃんに声をかけると美咲ちゃんは慌ててタクシーを降りた。
「美咲ちゃん、大丈夫?」
「平気だよ。ちょっと考え事しちゃって…。また今日も麗ちゃんちに泊めてもらってごめんね。浅井さん、麗ちゃんと一緒にいたかったんじゃないかな?」
「明日会う約束してるし、気にしないで。多分春ちゃん、送ってくれても泊まったりするつもりは無かったと思うよ。」
「それなら良いんだけど…。」
美咲ちゃんは倉内さんと一緒にいたかったのだろうか?
私だって、春ちゃんと一緒にいたくない訳じゃないけれど…。正直、そういう雰囲気になってしまうのが怖い。
以前美咲ちゃんに言われた通り、私は重症なのかもしれない。
鍵を開け、部屋に入るなり、私は浴衣を脱ぐ。美咲ちゃんが上手に着付けてくれたとはいえ、やはり慣れない浴衣は疲れる。早くこの締め付けから解放されたい。
「それにさ、春ちゃんがいたら帰った途端豪快に脱ぐ訳にはいかないじゃない?」
「確かに…。この開放感は堪らないよね!」
私と同じく、帯を解いて浴衣を脱いだ美咲ちゃん。
喉が渇いたので、冷蔵庫からビールを取り出し美咲ちゃんに渡す。
プシュッと缶を開け、一気に飲み干す。
「こんな姿、とても見せられないよね。女捨ててるこんな姿なんてさ…。」
私が笑いながらそう言うと、美咲ちゃんも「本当にそうだよね…」と笑って同意した。
「でも、麗ちゃん結構色っぽいよ?」
「そう言う美咲ちゃんもね?」
私達は顔を見合わせて笑い、交代でシャワーを浴びた。
「麗ちゃん…私、どうしたら良いんだろう?」
シャワーを浴びて戻った私に、美咲ちゃんは困った顔でそう尋ねた。
「急にどうしたの?……やっぱり倉内さんのこと?」
頷く美咲ちゃん。
「美咲ちゃん、倉内さんのこと好きなんでしょ?素直になるのも悪くないと思うけどな。」
「好き…ではないかな…やっぱり。…気にはなるよ。でも……分からないっていうか分かりたくない。なのにさ…今日は流されちゃって…。手を繋いだり、一緒にいられるのが嬉しいって思っちゃう自分にもびっくりした…。」
「倉内さんが元彼に似てるからってさ、中身まで一緒とは限らないじゃない?」
そんな事は美咲ちゃんだってわかっているはず。でも、素直に好きだって認められないが故に、どうしたら良いのか分からないとか、苦しいと感じてしまう彼女の気持ちもよく分かる。
「麗ちゃん……倉内さんってね、すごくモテるの。優しいからさ、勘違いしちゃう子も多いんだよね。私もさ、そのうちの1人なんじゃないかな?って。そう思っても…優しくされたらその気になっちゃうじゃない?私の事、恋愛対象として見てくれてるのかな?って期待しちゃうじゃない?だから、誘われても断っていたんだよね。」
美咲ちゃんも、傷付きたくないんだ…。痛い程分かるから、なんだか私まで苦しくなった。
「美咲ちゃんはどうしたいの?」
「分からない。この歳でお付き合いするって事はさ、つまり…結婚が絡むわけでしょ?どうしても色々考えちゃうよね。それ以前に、仲良くなった時点での周りの視線も怖い…。同僚のやっかみに耐えられる程、私強くないよ…。もう既に、職場でそんな視線を感じる事も少なくないし…。」
「社内恋愛って大変なんだね…。」
「相手が倉内さんじゃなかったらそんな事気にする必要無いんだけどね…。浅井さんだけじゃなくてね、倉内さんの事狙ってる子も結構多いんだよね。そういう子達って、普段はお互いを牽制しあってるのに、誰か特定の人物が彼と仲良くし始めた途端団結するっていうか…。その人物を叩き始めるんだよね。今の会社に入社して半年の頃、実際そういう話を聞いてすごく驚いた。大人になってもこういう事あるんだって。まさか自分が当事者になるとは思わなかったけど…。」
社内恋愛経験ゼロの私には知らない世界だ。今の職場の正社員はみんな彼氏持ちだし…前職は社内に男性がいないわけじゃなかったけど、基本的に女の職場だったし…。
女の職場はギスギスしていると言うけれど、社内恋愛の修羅場が無いだけマシだって友人に言われたことがある。
「でも麗ちゃん、心配しないでね。前も言ったけど、浅井さん狙ってる子はもうほとんどいないみたいだからね?倉内さんと土屋さんが散々麗ちゃんネタで浅井さんをからかってるから、いつの間にか浅井さんファンの間に広がって…麗ちゃんって結構有名人だよ?」
「美咲ちゃん…私の職場はバレて無いよね…。」
「アハハ、大丈夫大丈夫。それに麗ちゃんは僻まれたり妬まれたりする心配ないよ。だって、浅井さんが高校生の頃ずっと好きだった初恋の人だとか、浅井さんのベタ惚れエピソードと共に広がってるからね!」
「なんか随分話を盛られてる気が…。」
なんだか頭が痛い。自分の知らないところでそんな話が広がっているなんて…。恥ずかしい。
「私ってさ、転職して中途で入ってるでしょ?女子社員の中で、元々結構浮いた存在だったんだよ。入社した当時、『あなたが噂のアラサーの新人ね』って言われることも何度かあったし。歳下の女性の先輩にはすごく扱い辛そうにされたな…。年齢関係なく、この会社では新人なんだから新人として接して欲しいってお願いしたんだけどね、それが逆に微妙だったみたい。しかもさ、その後配属されたのが、今の部署なんだけど…色々と曰く付きの部署で。その後出世する人が多いとか、上に立つ人間を育ててるとか色々言われてるの。倉内さんも浅井さんも、将来有望で、どっちが先に昇格するのか?なんて言われてて…。だからそこに配属された時点で男女問わず私の事よく思っていない人も少なくないんだよね。『なんで女の野沢が…』とか『中途とはいえ、入ったばかりのくせに』とか『あのアラサーが浅井さんや倉内さんと一緒なんて…』ってね。逆に私を利用して倉内さんに近づこうって人もいたけど…。」
「なかなか怖い世界だね…。」
今まで、私の働いてきた職場が、どれだけ人間関係に恵まれていたのかということを痛感させられた。
多少、ゴタゴタも無かった訳では無いけれど、『大人だから』の一言で片付けて、表面上は仲良くしていたし、大半は今でも時々連絡を取る程仲が良い。ゴールデンウィークには、集まって飲んだりもしたし、誰かが結婚するとか出産したって話があれば、お祝いを贈ったりしている。
今の職場にしたって、働きやすい良い環境だ。
「倉内さんと、休みの日に2人で会うのを避けていたのって、実はそういう理由もあったりするんだよね。だから今日の事、会社の誰かに見られてたらかなり微妙。ずっと葛藤してた。2人きりじゃないとは言え、一緒だったのが浅井さんと麗ちゃんで…あの状況じゃどう見たってダブルデートに見えちゃうでしょ?倉内さんと手まで繋いじゃったし。とりあえず、行きは麗ちゃんと2人だったから良いけど、帰りの姿見られたらどうしよう?って。そんな事ずっと考えながら手を繋いで歩いてたのにさ、私、手を離せなかったの。見られてたらどうしよう?って思う以上に、ドキドキした。嬉しかったんだよね。どうしたいかなんてさ、わかってるのに…わかってるのに、素直になれない。バカみたいでしょ、私。」
泣き出してしまった美咲ちゃんに、私はなんて声をかけたら良いのかわからなかった。
ただ彼女の話を黙って聞いて、背中を優しくさすってあげる事しか出来ない。
もう、これは彼女の気持ちの問題だ。そして、それを彼が気付いて受け止めてあげられるのか…つまり、本人同士の問題。
美咲ちゃんは泣き疲れたのか、いつの間にか眠ってしまっていた。




