38. 気遣い
「春、お父さんとお母さんに麗ちゃん紹介したって事はそういう事でしょ?」
「え?」
「式はいつ頃…とか考えてるの?」
「あー、それは…」
「なんだよ?兄ちゃん考えてねぇのかよ?」
弥生さんの問いに、あやふやにしか答えられない春ちゃん。そんな彼に秀治さんが呆れたように言い放つ。
「麗ちゃんの希望は?」
弥生さんにそう聞かれ、私は少し黙り込んでしまった。
いずれ分かることなら、自分から話すべきだろうという結論に達するまでそう時間はかからなかった。
「時期は考えていないんじゃなくて…まだ考えられないというか…私のせいなんです。」
「麗…俺が説明しようか?」
「ううん、私の事だから…。」
先ほどまで賑やかだったリビングが急に静まり返る。
「以前、結婚を約束した人がいたのですが、彼方の都合で破談になってるんです。それが原因で私の父が、私が男性とお付き合いする事自体、あまり良く思っていなくて。春ちゃんは完全にとばっちりで…希望は、父の許しが出たら早めに…でしょうか。」
「失礼ですけど、彼方の都合って…。」
秀治さんに申し訳なさそうに尋ねられた。私がなんて言おうか考えていると、春ちゃんが代わりに答えてくれた。
「簡潔に言うと、元婚約者が浮気して、浮気相手が妊娠。責任取らなきゃだから麗とは結婚出来ませんって感じ。麗のお父さん、そいつの事スゲぇ気に入ってたみたいで、未だに許せないらしい。実は俺もそいつと友達なんだよね、卒業以来会ってないけど…。」
「毎週、春ちゃんが父を説得しようとしていてくれているんですけど、父が頑固で…。」
「毎週俺だけで麗の両親の家に通って話しして…酒飲むから泊めてもらってるんだよ。そしたらさ、『毎週外泊するなんてどういうつもりだ!お付き合いしている女性の家に泊まっているのなら相手の親御さんに申し訳ないからやめろ!』ってうちの親父に怒られた。俺としては麗のお父さんに許してもらってから紹介したかったんだけど、話の流れで止むを得ず麗を紹介する事になった。」
春ちゃんがお父様のモノマネらしい口調でそう言うと、静まり返っていたリビングがまた賑やかになった。
「春、もうただ残念なだけじゃないじゃん。安心したわー。」
「それにしても今のお義父さんにそっくりだったよ。」
「まぁこの歳になると色々ありますよね。」
「それでさっき、俺と宗一さんにあんな事聞いてたって訳か。」
私達が春ちゃんの写真を見ている間、春ちゃんは秀治さんと宗一さんに、結婚の申し込みに行った時の話を聞いていたらしい。
「そんなに大変なら俺の話じゃ全く参考にならないよな…。」
「何しろお父さん、『弥生に熨斗をつけて差し上げます』って言わんばかりの勢いだったもんね…全く失礼しちゃうわ。」
「私の父もそんな感じだったから…。」
「俺はむしろいつ結婚するんだ?って涼子の親に言われたしなぁ。兄ちゃん、尊敬するわ…マジで。」
宗一さん・弥生さん夫婦も、秀治さん・涼子さん夫妻も、両家のご両親に反対されることは無かったそうだ。
春ちゃんが毎週頑張っている話をすると、皆驚いていた。
「早く許してもらえると良いですね。」
「麗ちゃんならいつでも浅井家にウェルカムだよ!」
「姉ちゃんもう浅井家の人間じゃないじゃん?」
「確かに…一応河瀬家の嫁だしね。」
「細かいこと言わないの!」
朝、心配していたことが嘘みたい。
話せば話すほど、皆明るくて気さくで良い人たちだった。
私はあっという間に受け入れてもらい、春ちゃんのご両親が戻られた時には、私は皆さんとすっかり打ち解けていた。
「あら、もうみんなすっかり仲良しなのね。」
「お母さん、春の初恋の相手は麗ちゃんみたいだよ?」
今日何度言われたか分からないけれど、何度言われても恥ずかしい。先程のポケットアルバムを、今度は春ちゃんのご両親が覗き込んでいる。
時々、春ちゃんを冷やかしながら、とても楽しそうに仲良く見ているご両親。
私以上に恥ずかしいであろう春ちゃんは、クーラーの効いた部屋なのに多量の汗をかいている。
春ちゃんのご家族って、みんな仲が良い。
羨ましくなってしまう位仲良しだ。
うちも家族仲が良い方だとは思うけれど、私と父の関係は1年以上ずっと微妙…。
父が私の目を見て笑ったのはいつだろう?楽しい会話なんてもう随分していない気がする。
お互い、何か用事があれば母を通す事が多い。直接話しても、会話が続かない。
春ちゃんとの事でお願いに行った時だって、父は頑なに話を聞こうとしなかった。
でも、よく考えると、私も父の目を見て笑う事が出来ない。母や姉夫婦には素直に甘えられるのに、父には甘えられない。
例の件で、私は誰よりも父に迷惑をかけ、心配をかけ、そして父を傷つけてしまった。
あの頃、私は急激に痩せてしまったけれど、それは父も同じだった。
「麗、どうした?」
「なんだか羨ましいな。皆仲良しで。」
黙り込んでしまった私に春ちゃんが気付き、こっそり声をかけてくれた。私の返事の意味を正確に理解したらしく、ただ微笑んで、私の頭にポンポンと手を置いた後、私の手を握ってくれた。
春ちゃんのそんな気遣いに、私はすごく癒される。
それから皆でお茶を頂いて、ワイワイ賑やかに過ごし、夕方、春ちゃんに家まで送ってもらった。
「麗、疲れただろ?姉ちゃんうるさいし。色々話したくない話までさせてごめんな。」
「ううん、すごく楽しかったよ。春ちゃんのご家族、皆良い人達で本当に良かった。弥生さんともすっかり仲良くなれたし。それに、いつかは耳に入る話だからさ、隠しとくのも変だし…春ちゃんが一緒に説明してくれて助かりました。ありがとう。」
「麗ならさ、大丈夫だって思ってたけど、正直思ってたよりみんなの反応が良くてビックリした。」
「私も、こんなに仲良くなれるなんて思ってもみなかった。朝、美容師さんに脅されてビビってたのもあるけど。今日は本当にありがとう。皆さんにお礼言っておいてね。」
「わかった。じゃあ、また連絡する。」
その日の夜、今日春ちゃんのご家族にご挨拶をした事、ご両親と食事をした事を報告すべく母に電話をかけると、母は知っていたようで、報告する前にどうだったかと質問されてしまった。
「お母さん、知ってたんだ…。お父さんも知ってるの?」
「知ってるわよ。『本当はお父さんに許してもらってから紹介すべきだとは思うけれど、自分の両親に真面目にお付き合いをしている女性として麗を紹介したいけれど良いですか?』って浅井くんが昨日聞いてたもの。」
「知らなかった…お父さん、何て…?」
「いつもの通り。『好きにすれば良い、でもまだ許した訳じゃないぞ』って。口ではそう言ってたけれど、印象は悪くなかったみたいよ。『真面目に付き合ってる』って表現が良かったみたい。それに、相手の親御さんに対して、もう3ヶ月も彼をうちに通わせてる後ろめたさみたいなものもあるんじゃないかしら?」
春ちゃんが父に伝えているのは驚きだった。
「浅井くんなりに考えたんでしょうね。認めてもらっていないのに自分の親に麗を紹介するのはお父さんが気を悪くするんじゃないか?って、配慮してくれたみたい。本当に真面目よね。ところで、今日はどうだったの?」
春ちゃんがそこまで考えていてくれるのが嬉しくて、目頭が熱くなってしまった。
「春ちゃんのご両親、すごく良い方だったよ。気さくで、優しくて、明るくて。お姉さん夫婦も弟さん夫婦も、みんな仲良くて、すごく楽しかった。春ちゃんの優しくて、明るくて、真っ直ぐな性格はあの家庭環境があってこそ形成されたものなんだろうなって思った。」
「その逆も然り、よね。浅井くん見ていたら、きっとご家族仲良くてご両親もきちんとした方なんだろうなって思っていたけれど、本当にその通りだったのね。…あら?麗、泣いてるの?」
「今日、春ちゃんのご家族の仲の良い姿を見ちゃったら、なんだか寂しくなっちゃって…。私、お父さんとずっとギクシャクしてるでしょ?…春ちゃんがお父さんの事そこまで考えてくれてるのが嬉しくて…思わず…ね?」
母は笑っていた。そして、私も父も妙に気を遣いすぎたり、素直になれなかったり似た者同士だからギクシャクするのも仕方がないのだと言う。
「でも、きっと浅井くんがあなた達のわだかまりを消してくれると思うわ。その時は素直になるのよ?」
母の声は優しかった。母の言う通り、その時は素直になりたいと思う。




