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35. 独占欲

「あのさ…野沢さん苦手な理由、分かったよ…。」


 食事が終わり、洗い物をしている時、春ちゃんに後ろから抱きしめられた。


 色んな意味でドキドキする。

 春ちゃんがそう思った理由とはなんだろう?という好奇心的なドキドキと、何か勘違いされていたらどうしよう?という緊張によるドキドキ、酔った勢いで言ってしまったのだろうか?という焦りのようなヒヤヒヤに近いドキドキと、純粋に大好きな春ちゃんに抱きしめてもらって嬉しいドキドキ。


「昨日午前中にさ、康介と中村と3人でショッピングモールに行って…そこでさ、急に中村が驚いた顔で固まったから『どうしたんだ?』って聞いたら『博之の奥さんがいる』って。偶然見かけたんだよ。博之はいなかったし、向こうは中村に気付かなかったみたいだけど。」


 私の心臓は突然大きな音を立て、鼓動がどんどん速くなる。驚きで洗い物をする手が止まるが、蛇口からは水がとめどなく流れ続けている。耳に入っていくる水の音。涼しげと言うよりも冷たく感じられる、そんな音。

 急に背筋に寒気が走り、断片的にではあるが、脳裏に浮かぶあの日の光景。


 あの日の彼女の笑った顔…輝く指輪…動揺した博之。


 だけれど、春ちゃんが抱き締めていてくれているお陰でそんなに苦しくはない。背中から伝わってくる温かさに、手の止まってしまった私に察してか、より強く抱きしめられた腕の力強さに安心感さえ覚える。


 聞けばあの日私と貴子が会ったのと同じモールだった。


「雰囲気が似てた。一瞬野沢さんかと思った程だよ。…顔は全く似ていないんだけど…なんていうかさ、髪型とか全体的なバランスが…。お花見の時も、こないだのランチの時も、嫌な事思い出したってさ…正月に博之と奥さんに会った時の事だろ?ごめんな…先週あんな聞き方して。」

「…もう平気だから大丈夫。ごめんね…黙ってて…。」

「気にすんなって。それからさ…スマホもごめん。あれ、本当にアラームだったんだよ。前日にかけてたやつ。麗のお父さんとこに出かける前、少しだけ仮眠しててさ…。麗に触るなって言ったのは、待ち受け見られたくなかったから。こっそり撮ったやつだったし…。」

「ねぇ…待ち受けが私の寝顔って…本当?」


 私がそう尋ねると、春ちゃんは少し狼狽え、小さく「ああ」と答えた。


「仕事の合間に、タブレットで私の写真見てるって本当?」

「…そんな事まで野沢さん言ってたのか?」

「プレゼントしたネクタイを自慢してたのも?」

「ああ。恥ずかしいけどどっちも本当。」

「ごめんね。勝手に凹んで変な空気にして…。」

「仕方ないよ…色んな事が重なりすぎた…俺も仕事が忙しくて余裕無かったし…ごめんな。」


 私と春ちゃんはちゃんと向き合って仲直りをした。


「ちゃんと言えばこんなに長引かなかったのに…意地を張って言わなくて…嫌な気分にさせてごめんね。」

「俺こそごめん。勝手に寝顔撮って待ち受けにした挙句、麗に見られたくないとか思って…不安になるよな。」


 今度から些細な事でもちゃんと口にしよう、そんな約束をして、「仲直りのキス」と言って、春ちゃんがキスしてくれた。ただそれだけなのに、温かな気持ちになれる。


「一昨日…っていうか昨日さ、甘えさせてやれなかった分、甘えていいぞ?」

「本当!?…でもその前に待ち受けを見せて?」

「仕方ないな…ほれ。」


 ぶっきらぼうに取り出したスマホの待ち受けは、本当に私の寝顔だった。


「これ…返事した日?」

「そう。その日の夜からずっとこの待ち受け。」


 私から目を逸らして春ちゃんは答えた。嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ち。野沢さんが知っているって事は、私の寝顔が晒されているって事?


「実際見られたのは倉内と野沢さんと土屋くらいだから…安心しろ…。」


 私の考えていることは彼に筒抜けらしい。私が尋ねる前に応えられてしまった。案の定3人には見られていたんだ…。次会うとき、なんか気まずいなぁ…。でも、口が開いてよだれが垂れていなかったのが不幸中の幸い。


「待ち受け…変えて頂けないでしょうか?」

「あー。やっぱそう言うよね…。だから麗に見られたくなかったってのもある。」


 春ちゃんは待ち受けを変える気はないらしい。一悶着あったものの、結局私が丸め込まれてしまう。「寝顔が嫌なら水着姿撮らせて?」って絶対私がイエスと言わない条件を突きつけてくるとか意地悪だ。意地悪だと言えば、「結構本気なんだけど?」って笑いながら返されてはそのままで良いと答える以外の選択肢は無い…。




 母が春ちゃんに持たせてくれた桃はちょうど食べ頃だ。とても甘い香りを放っている。さっと水で洗った後、種に沿って何本かくるりと回すようにナイフを入れる。それをルービックキューブのように、果肉を潰さぬよう優しく回してやると面白いように種から果肉が外れる。


「わぁ…すげぇな…。」


 くし切りにされた桃を1つ摘みあげ、感心したように眺める。


「しかもね、上手い具合に熟してるとこんな風に綺麗に皮も剥がれるんだよ?」


 指でそっと皮を剥がすと、春ちゃんは「おぉー!」と感嘆の声をあげた。目をキラキラさせて、少年みたいだ。

 大き目の桃2つとさっと洗って水気を切ったブルーベリー。よく冷やした瑞々しいフルーツが本日のデザート。


「おいひぃ…。」

「ほれ、もっと食え。」


 目の前にフォークに刺さった桃を出され、思わずパクリとかぶりついた私。


「餌付け成功!」

「………それ、私の真似?」

「1度麗にやり返してみたかったんだよ?」


 悪戯っぽく笑いながら春ちゃんは言う。春ちゃんの誕生日に私が「餌付け」と称して口に運んだのを根に持っていたらしい。やけに嬉しそうな彼に、私もやり返す。…最早ただの食べさせ合いっこ。




「それにしても酔っ払った麗はヤバかったなぁ…。」

「あはは…スミマセン…具体的にはどうヤバかったんでしょうか…?」

「そんなの恥ずかしくて俺の口からはとても言えない…。」

「!??」


 一体私は何をした?そんなヤバかったの?春ちゃんの顔は赤くなっているが、私の顔は間違いなく青くなっていることだろう…。


「そもそも、野沢さんと2人、どうしてあんなベロベロになるまで飲んじゃった訳?」


 さっき約束をしたばかりなので言わないわけにはいかないだろう。できたら話したくはなかったけれど、事の顛末を語った。


 春ちゃんとお付き合いする前から立川様に口説かれていた事から始まり、美咲ちゃんもある意味被害者である事、私と彼女が店で揉めていたところ倉内さんと支配人に宥められ上手く取り計らってもらい、私と彼女は立川様と飲まずに済んだ事、仕事終わりに彼女に謝られ、立ち話もなんだから一緒に飲み始めたら意気投合して楽しくなっちゃった事などなど。


「悪りぃ…。あの人にあの店教えたの俺なんだよ…。」

「らしいね…。でも大丈夫だよ。支配人が配慮してくれてるから。それにしばらく来ないだろうって。」


 春ちゃんは案の定、頭を抱えてしまった。想像通りの反応に話した事をちょっぴり後悔した。


「だから本当は言いたくなかったの。もう済んだことだから悩まないでよ、ね?」


 そう言ってどうにか彼を宥める。それでも、相変わらず納得のいかない顔をしている春ちゃん。


「おかげで、美咲ちゃん、麗ちゃんって呼び合う仲になれた訳だし。それにもうすっかり美咲ちゃんと海夏さんが重なる事もなくなったんだから…良かったんだよ?終わりよければ全て良し!ってヤツね?実害は大したこと無いし…。」

「麗…大したこと無いじゃねぇよ?」


 俺だって触って無いのに…ってボソリと呟いたのは聞かなかった事にします…。


「意気投合ってどんな話で意気投合したんだよ?」

「…え?そ…それは…。」


 寝取られた話とか…その原因のひとつであろう話…簡潔に言えばつまり…エッチな(の)話…だなんて恥ずかしくてとても言えない…。


「えっと…自虐ネタ?…自虐ネタってやたらとお酒が進んじゃうんだよね?」

「それって自棄酒(やけざけ)って事じゃねぇか?」

「あとはコンプレックスの話とか?」

「…要するにネガティブな話をしながら飲んで飲み過ぎたって事か?」

「ずっとネガティブな話をしてたわけじゃないよ?た…たとえば…春ちゃんの話もしたよ?」

「…それで待ち受けとかタブレットとかネクタイの話を聞いた、という訳だね?」

「…そうだ、春ちゃん嘘ついてたでしょ?女子社員にモテモテだって聞いたよ?私にはモテないってずっと言ってたじゃん?」


 嘘はついていない。形勢が不利になったところで、私は美咲ちゃんに聞いた話を思い出し反撃開始。


「は?なんの話?モテた覚えなんてないぞ?野沢さんが話盛っただけなんじゃねぇの?」


 全く効果なし。鈍いぜ…そう言えば高校の時もこんな感じだった…。この人と世間一般(わたし)のモテる基準が違う気がする…。はっきり好きって言われないと分からないタイプなんだよね…。いや、はっきり「好き」だと言っても、ちゃんと伝わらなかったって話すら高校時代に小耳に挟んだことがある気もする。


「春ちゃん、言い寄られなくても春ちゃんの事が好きな子がたくさんいるって事だよ?」

「はいはい。じゃあそういう事にしておこうか?心配するな、俺は麗以外に興味は無いからな?…その分、心配も嫉妬もめちゃくちゃするぞ?束縛はしないけど独占欲は強いって事覚えとけよ?」


 流されたのはちょっと悔しいけど、その後の台詞が非常に嬉しくも恥ずかしい。


 春ちゃんに独占されるならもちろん大歓迎です!

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