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34. うろ覚え

 けたたましいアラーム音が部屋中に鳴り響き、カーテンの隙間からは強い光が差し込んでいる。

 寝ぼけまなこをこすって布団から這い出た私は、激しい頭痛に襲われながら部屋を見渡した。

 いつもと微妙に違う部屋。床には見慣れないバッグが転がり、ソファでは誰かがモゾモゾ動いている。


「麗ちゃん…おはよ…。」


 そうだ、昨日美咲ちゃんと飲んで、そのまま彼女が泊まったんだ。でもどうやってここまで帰ってきたんだっけ?

……ああそうだ、春ちゃんと倉内さんが送ってくれて…でもなんで春ちゃんと倉内さんが居酒屋にいたんだろう?


 頭痛い…。昨日の夜のこと、あんまり覚えていないや…あんなに飲んだの久しぶりだもんなぁ…あはは…やっちゃった感が半端ない…。

そこに追い打ちをかける様に、美咲ちゃんが口を開く。


「麗ちゃん…昨日ってさ、お金払った?」

「はっ!?…払ってない気がする…。」

「もしかして…無銭飲食とかしてないよね?」

「美咲ちゃん、そんな不安になること言わないでよぉ…。」


 私のその言葉に、彼女の顔色がさらに青ざめた。どうやら彼女も払ってはいないらしい。そしたらなぜ、店を出るとき店員さんに声をかけられなかったんだろう?もしかして覚えてないだけで払った?財布の中身を確認するが、払った形跡はない。


「………麗ちゃん…気持ち悪い…トイレ貸して…。」


 美咲ちゃんのそんな一言に、慌ててトイレへ案内する。




 私も彼女も二日酔い。なんだか部屋も酒臭い…。2時間後には出勤しなくちゃいけないのにお風呂にも入ってないし…メイクしたまま寝ちゃったよ…。

 トイレからげっそりした顔で戻った美咲ちゃんにバスタオルを渡してシャワーを勧め、出勤の準備をしながら布団を片付ける。

 片付けの途中で春ちゃんからの着信に気付いた私は電話を取った。



「もしもし…春ちゃん…?」

『麗…大丈夫か?』

「ちょっと二日酔い…だけど平気だよ。昨日はありがとう…」

『正確には今日だけどな?もう外であんなに飲むなよ…。どうしても飲みたいなら俺を誘うか家で飲めよ?酷いもんだったぞ…。』

「ごめんなさい。あの…ところで、私、お会計した覚えが無いのですが…ご存知ではナイデスカ?」

『それなら安心しろ、俺が払っといたから…。』

「春ちゃんが?…良かったぁ…無銭飲食したんじゃないかって心配だったの…。ごめんなさい…明日返します…いくらだったか教えてください…。」

『そんな事はどうでもいいよ。……それよりも、酔ったらキス魔だとか知らなかったぞ?』

「!?」

『全く…見境無いのもほどほどにしろよ?』

「あの…どういうことでしょう?」

『もしかして…覚えてないのか?』

「見境無いって…私は一体誰と…」

『ははは、冗談だよ。…って否定くらいしろって。これからは否定出来なくなるほど飲むなよ?俺以外の男に絶対あんな姿見せるんじゃねーぞ?全く…前にも言っただろ?…俺がどれだけ麗を……はぁ…いい加減自覚しろって。』

「スミマセンデシタ…以後気をつけます…。」

『分かればよろしい。遅れないようにちゃんと仕事行けよ?じゃあまた明日。』


 気になっていたお会計はどうやら春ちゃんが払っていてくれたらしい。春ちゃんにはいつも迷惑かけっぱなしだ。だけど、心配されてるのがすごく嬉しい…なんて言ったら怒られちゃうかな?




 昨日は相当酔ってたらしい。記憶があやふや。美咲ちゃんと話した内容も、春ちゃんと話した内容も…あんまり覚えてない。

 そもそもなんで美咲ちゃんと飲んでたんだっけ?


 順序立てて考え始めてやっと…徐々に色々な事を芋づる式に思い出せたものの、春ちゃんに外であんなに飲むなと言われるのも仕方ないような酔い方をしていた事を思い出す。

 美咲ちゃんと2人で飲んでいた時の会話なんてとても春ちゃんに聞かせられない…。


 よくよく考えてみれば、春ちゃんが来てくれたのはきっと倉内さんから美咲ちゃんにかかってきた電話で話して、私がおかしいのに気付いた彼が春ちゃんを召喚したに違いない…。

 という事は、春ちゃんにそうなった経緯もバレてしまっただろうか?

 どうしよう?知ったら絶対良い気はしないはず…。


 とにかく、明日会ったら改めて昨日(正確には今日)の事、春ちゃんに謝ろう…。経緯については、それから考えよう…。




「麗ちゃん、ありがとう。」


 シャワーを浴び終えた美咲ちゃんにドライヤーを渡し、今度は私がシャワーを浴びる。急ぎで済ませ、出勤するべく身支度を整え、美咲ちゃんと一緒にいつもよりも30分以上早く家を出た。


 私の出勤前、2人で職場近くのコーヒーショップに入り、朝食を兼ねて反省会。無銭飲食ではなかった事を美咲ちゃんに報告し、お互いの記憶を擦り合わせて情報共有したけれど、記憶があやふやなのは私だけじゃなくて美咲ちゃんも同じ。


「麗ちゃんちに向かう途中で起こった出来事が衝撃すぎて記憶が飛んじゃった…。」

「…うちに向かう途中?なんかあったっけ?」


 居酒屋を出てからの記憶は特に薄い。春ちゃんに甘えたいのにあんまり甘えさせてもらえなかった気がする…その程度の記憶しかない。


「あのね、麗ちゃんどうしよう…。私、月曜日どんな顔して仕事に行ったら良いのかな…。」

「ごめん、言ってる意味がわからないよ?」

「実はね…。」


 倉内さんにキスされました…。


 蚊の鳴くような声で美咲ちゃんはそう言った。そう言えばそんな事もあったような…?


はっ…!?…そうだ!!…壁ドン&キス!!


「もう何食わぬ顔してたら良いんじゃない?気まずいなら、酔って覚えてないふりしとけば?」

「他人事だね…。」

「酷いな、結構真面目に答えてるんだよ?美咲ちゃん見ているとね、なんか半年前の私とすごく被るんだよね…。好きだって気持ち、認められないっていうか、自覚したくない…みたいなさ。少なくとも、倉内さんは美咲ちゃんに好意を持ってると思う。」

「…麗ちゃん、それは無いよ。」

「美咲ちゃんが認める気が無いならやっぱり酔って覚えてないフリして今まで通り接したら良いと思うよ?って私が偉そうに言える事じゃ無いけど…。」


 時計を見ると、出勤時間が迫っていたのでそこで話を切り上げ、私と美咲ちゃんは電話番号とメアドを交換して別れた。






 いつもよりもほんの少し早く出勤した私を見て、支配人は安心したようだった。


「昨日な、倉内様と一芝居打っといたからな。効果はあったようだから、当分あのお客様はいらっしゃらないと思うぞ?だけどああいう事があったらちゃんと上に言えよ?俺に言いにくけりゃ長尾(フロアチーフ)に言えば良いだけだぞ?」


 支配人だけじゃなくて、フロアチーフやソムリエにまで心配されていた。

 ランチ営業が終わり、こちらにやってきた瀬田さんにも心配されてしまった。

 しかし、美咲ちゃんと意気投合して楽しく飲んだ話をしたら「心配して損した」と笑われてしまった。

 みんなの優しさが嬉しかった。お陰で、昨日の嫌な事が、もうずっと前の出来事に様に感じられた。





 ***


 次の日曜日。春ちゃんには久しぶりにうちでのんびりしてもらおうと、ちょっぴり早起きをして、部屋の掃除を済ませ、買い物に出かける。


『おばあちゃんからお蕎麦が届いたから麗のところに持って行ってもらうわね〜。』


 今朝、母から届いたメール。お昼はそれをあてにしている。

 南瓜、万願寺唐辛子、茄子、茗荷、大葉、鱚、海老、烏賊と葱を買った。今日のお昼は天婦羅とざる蕎麦。

 先週お蕎麦が食べられなかったし、梅雨はどこへ行ったのかと思ってしまう位、今日は真夏の様な暑さなので冷たい物が食べたい。


 帰宅したら、早速調理に取り掛かる。

 天婦羅にするべく野菜や魚介類を下処理。蕎麦茶も沸かして冷やしておく。

 春ちゃんから連絡をもらった時点で、到着する時間を逆算し、たっぷりのお湯を沸かし、天婦羅も揚げ始める。本当であれば、天婦羅は揚げながら、揚げたてを食べて貰うのがベスト。だけど春ちゃんは私が揚げ終わるまで食べずに待っているタイプ。なので先に揚げてしまう。食べる直前にほんの少しオーブンに入れて温めて…で許してもらおう。


 そうこうしているうちに、インターホンが鳴り、春ちゃんがやってきた。


「ただいま。」

「ただいま…ってどうしたの?」

「言ってみたかっただけ…。」

「おかえりなさい。」


 なんかいいなぁ…「ただいま」だって。「ただいま」って言われたから、「おかえりなさい」って返したけど、なんだかとても照れ臭い。


「どうした?1人でにやけて…。」

「え?『ただいま』ってなんかいいなぁ…って思って。」

「だろ?あ、これかほりさんに預かってきた。」


 ニコニコと言うよりも、ニヤニヤした春ちゃんに渡された母からの荷物。朝のメールにあったお蕎麦と、たくさんのミニトマト。それから大きな桃とブルーベリー。


「なんかさ、蕎麦、俺んちの分までもらっちゃったんだよね…。」

「気にしなくて良いと思うよ?毎年この時期になるとおばあちゃんがたくさん送ってくれるんだけど…実は父、お蕎麦よりも素麺とかうどんの方が好きでほとんど食べないんだよね。『もらった』じゃなくて、『押し付けられた』が正解。」


 その話を聞いて、春ちゃんは「それならありがたく頂きます。」と笑っていた。


「でも俺の親にまだ麗の事言って無いんだよ…。蕎麦の事、誰にもらったかちょっとぼかしてもいいかな?嘘はつくつもりないけど…彼女がいるとか言ったらすぐ連れてこいって言いそうだし。…麗の事うちの親に紹介するのはさ、麗のお父さんのお許しをもらってからじゃないと申し訳ない気がして…。付き合ってる事、隠してるみたいでごめんな。」

「春ちゃんがそうしたいならそれで良いよ。お蕎麦も適当にごまかしてもらって平気だから。本当に母だけじゃ食べ切れなくて困ってるだけだしね。」


 そんな会話をしながらお蕎麦を茹で、昼食にしたのだった。

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