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28. スマートフォン

『何かあったら相談しろよ。』


 春ちゃんに何てメールしようかスマホ片手に悩んでいた時、メールが届いた。


『今日は考え事してしまってごめんなさい。でももう大丈夫。ありがとう。』


 結局そんなメールを返してしまった私。今の私にはそれがベストだった。


 ウジウジしていても仕方がない。時間が無駄に過ぎていくだけ。気が付けばもうそろそろ家を出る時間だ。気持ちを切り替えて仕事へ向かう。

 その日、春ちゃんからの返信は無かった。






 ***


 その翌日、金曜日。朝から出勤していつも通り仕事をこなす。夕方のブリーフィングがいつもより早く終わり、夜の営業前で手が空いていた私は、瀬田さんの持ち場を手伝う。

 洗い場から戻ってきたコーヒーカップやデミタスカップに欠けが無いかチェックして、1つずつ拭いていく作業をする私のすぐ後ろで瀬田さんはエスプレッソマシンのメンテナンスをしている。

 なんでもランチの最後の最後でエスプレッソが落ちなくなったとか。それを退勤するパートさんに先程聞かされ、彼女が慌てて確認したものの、機械の調子が悪いのではなく、ただ単に豆の挽き方が適切で無かっただけだったらしい。原因がわかって、ホッとして、それがマシンの不調で無いのであれば、「時間もあるしせっかくだから」と気を取り直してマシンの掃除(メンテ)を始めたのだった。


「八重山ちゃん、今日も爽やかくん来たよ。今日も相変わらず爽やかだったわぁ…。」

「今日もパニーニのボックスとカフェラテですか?」

「そうそう、今日は2人分買って行ったよ。」


 瀬田さんは春ちゃんがランチタイムに来ると「来たよ」と毎回教えてくれる。今日2人分買ったのは多分、昨日奢ってもらってしまった倉内さんの分なんだろうな…。


「そう言えばさ、最近同じ(ひと)と一緒に来てる事が多いんだよね…。一緒に来てるって言うと語弊があるか…『今日も来てたの?』的な会話してるから…でも彼女の方はあれだね、狙って来てる的な…。前から結構見かける顔だし…。」


 瀬田さんが話してくれたその女性の特徴は、ほぼ野沢さんと断定出来るものだった。

 小柄でややふっくらしていて、黒髪のボブ、涼しげな目元の和風美人。バッグも昨日彼女が持っていたものと良く似ている。

 やっぱり彼女は春ちゃんの事が好きなんだ…。脳裏をよぎるあの日の光景に気を取られ、その事にまで気が回らなかった。気が回ったところで何かする訳でも、どうにかなる訳でもないんだけど…。


 春ちゃんに限って浮気なんてあり得ないし…。


「八重山ちゃん?私余計な事言っちゃった?でも大丈夫だからね、爽やかくんは眼中に無さそうな感じだから…『八重山ちゃんに来たって伝えますね』ってこっそり言ったら嬉しそうだったし。……ってもう営業時間だよ…八重山ちゃんありがとう、もう戻らないとでしょ?」


 気付けばディナー営業の5分前。気持ちを引き締めて自分の持ち場に戻る。こんな事で仕事に支障をきたしてはいけない。

 いつも通り、いや、いつも以上に笑顔を振りまいて仕事をこなす。予約は少なかったものの、金曜日という事で店は満席、店内は賑わっていた。






 ***


「もしかしてさ…野沢さん苦手だったりする?」

「………きゅ…急にどうしたの!?」


 日曜日、いつものように両親の家に泊まり、そのまま私に会いに来てくれた春ちゃん。

 彼の運転する車の助手席に乗り、ドライブがてら美味しい蕎麦でも食べに行こうか…なんて話をしていたはずなのに、急に出てきた彼女の名前に私は動揺してしまった。


「花見の時、絶対おかしかった。それから木曜日も……どっちも彼女に会った後だろ?」

「……き…きっとたまたまだよ。」

「もしかしてさ…ヤキモチ妬いてたりする?」

「…何で?」

「…倉内にそうなんじゃないかって言われた。」

「…そりゃ毎日春ちゃんに会えるのは羨ましいけど…別にそんなんじゃないよ。……それに考え事しちゃったって言ったけど、彼女とは本当に関係ない事だし、どうにもならない事についてだから…。木曜日はせっかく時間割いてもらってたのに…そんな事考えてしまってごめんなさい…。」


 車内に流れる変な空気。


「やっぱり…言いたくない?」

「言いたく無いとかそういうわけじゃないんだけど…言うほどの事じゃ無いっていうか…。」

「わかった…じゃあこの話はやめよう。せっかく今一緒にいるんだもんな…。勿体無い…。」


 少し不服そうにそう呟いたのは、私に向けてなのか…もしかしたら彼自身に言い聞かせているのかもしれない。


 何か話さなくては、そう意識すれば意識するほど何を話していいか分からない。




 やっぱり春ちゃんに理由を話すべきだったのだろうか?

 でも、彼に話したところでどうなるのだろう?何かあったら相談してほしいとは言ってくれているけれど、この件がそれに当たるとは思えない。春ちゃんに話して楽になる様な事ではないし、相談するほどの内容とは思えない。

 思い出すのが嫌ならば野沢さんに極力会わなければ良いだけなのだ。万が一会ってしまった時も、なるべく意識しなければ良いだけ。解決方法は単純明解。




「麗、着いたぞ?」


 特に会話らしい会話もないまま、いつの間にか目的地に着いてしまった。


「ありがとう。運転お疲れ様。」

「じゃあ行こうぜ?腹減ったし。」


 雨は降っていないものの、今にも降り出しそうなどんよりとした曇り空。さっきまでの車内の空気みたいだ…。


「すみません…もうお昼の営業終わってしまったんです…。お蕎麦が全部出てしまって…。」


 店に入ろうとしたちょうどその時、入り口の扉が開き、出てきた店主らしき男性にそう告げられる。

 時刻は13時半を少し回ったところ。

 やたらと頭を下げる店主らしき人に次回来るときは来店前にでも電話をもらえれば…と当日予約を勧められたので、一応お礼を言って車に戻る。


「仕方ない。ちゃんと調べなかった俺が悪いし。ごめんな。」

「私は朝が遅かったからまだ大丈夫だよ。また今度来よっか。春ちゃんお腹減ってるんだよね?」

「まだ我慢出来るレベルだから平気だよ。…戻りながらめぼしいとこ適当に入ろうか…。」

「うん。春ちゃんにお任せします。」


 ほんの少しだけ困ったような表情が見られたけれど、やっと笑ってくれた春ちゃん。今日の空模様のように重たかった空気も、ようやく解消された。


 私達が今日訪れた蕎麦屋は周りに飲食店などが無いところだった。お腹も空いていたので、結局、20分程走って1番最初に見つけた回転寿司店に入る事にした。

 相変わらず父との対話に進展がないとか、やっぱり昨日も終盤の記憶が無いとかそんないつもと同じ会話をしながら、のんびりお寿司を食べた。


「俺、昨日は寝言がうるさかったらしい…。今までそんな指摘された事無かったんだけどな…。今朝、麗のお父さんに言われちゃってさ…内容までは聞けなかったけど…大丈夫かな…迷惑かけて無いかな…。」

「母に聞いてみようか?」

「ああ、そうしてもらえると助かる。なんだかお父さんの様子がいつもと違ったからさ…寝言でマズイこと言ってたのか?とか気になっちゃって。」


 食事を終えて車に戻り、私が助手席で母に電話をかけている間、春ちゃんは車から少し離れたところで電話をかけていた。同じ人から複数回着信があったそうで、急ぎかもしれないから念の為折り返す、そう言って車を降りたのだった。そういえば、普段スマホをあまりチェックしない春ちゃんが、今日はやたらと気にしている気がする。何か仕事でトラブルでもあったのだろうか?




「寝言だけど、気にすることないって。はっきり聞き取れなかったって母は言っていたし、父も怒ってるとかじゃなくて、春ちゃんに指摘するのが恥ずかしかっただけみたい…なんで恥ずかしがるのか意味がわからないけど…。」

「わざわざ聞いてもらって悪かったな…。ありがとう。問題無いなら良いんだけど…疲れてたのかな?昨日。」


 私が母と電話を終え、少ししてから春ちゃんは疲れた顔で戻って来て、すぐに車を出した。

 帰りの車中、「寝言に対して返事を返したらいけないんだよね?」とか、「なかなか進展しなくてストレス溜まってるのかも…」なんて寝言トークで盛り上がっている時だった。

 普段はバイブレーションだけで着信音は鳴らない春ちゃんのスマホが急に大音量で鳴り出した。


「あ、ごめん。この音はアラーム。そのうち止まるから…。」

「だったら止めとくね。」


 ドリンクホルダーに無造作に入れられた春ちゃんのスマホ。アラームを止めるだけなら触っても問題無いだろうと私が手を伸ばした時だった。


「あ…触らないでほしい…。」


 春ちゃんの予想外の反応に私は固まってしまった。


「………ごめん…自分で止めるから…。」

「…ううん、私こそごめんなさい。」


 別にメールをチェックしたいとか、見たいとかそんなつもりは無かった。今まで、春ちゃんに対しても、博之に対してもそんな事をした事だってしようと思った事だって1度たりとも無い。

 信用されていないような、拒まれたような気がして、正直、ショックだった。


 大音量の機械音だけが寂しく車内に響き、再び微妙な空気に包まれてしまう。


 信号待ちで停車した時、アラームを止めた春ちゃんはスマホを鞄にしまい、苦い顔をして私に言った。


「ごめん…別に深い意味は無いから…。やましい事も無いし…。」


 そんな春ちゃんの言葉に、私は笑顔を作って「ごめんね」と返す事しか出来なかった。

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