27. 昼休み
それから特に大きな変化もないまま季節は春から初夏、そして梅雨へ移っていった。
GWには3連休をもらったけれど、春ちゃんと私は一緒に過ごさなかった。
春ちゃんが同期の結婚式に出席するため北海道に2泊3日で出かける予定があったのだが、それが私の3連休と見事にかぶってしまっていた事も大きい。
「北海道一緒に行く?」なんて誘われたけれど、一緒に行くのは気が引けたし、私は私で専門学校時代の友人や元同僚からのお誘いもあったりしたので、お互い別々に休日を楽しむ事にした。
春ちゃんは相変わらず、毎週土曜の夕方に私の両親の家を訪ねて父とお酒を飲んで話を聞いてもらっていた。大きな進展はないものの、通い始めて10回を過ぎると小さな変化はいくつかあった。
まず、父の態度の軟化。絶対春ちゃんの前で笑うことのなかった父が、時々笑顔を見せるようになったらしい。
それに、今まで『おい』とか、『君』とか、『お前』と、頑なに名前を呼ぼうとしなかった父がついに、『春太郎くん』と呼んだらしい。未だ気恥ずかしいのか、積極的にはそう呼ばないものの、1度飲めば数回ではあるが父の口から自分の名が聞けることに春ちゃんはすごく喜んでいた。
そして、父が春ちゃんに愚痴というか本音を溢すようになったそうだ。母も春ちゃんも私には内容を教えてくれないところを見ると、恐らくは博之に関することなのだろう。なので私も敢えて聞かないようにしている。
その他の会話の内容も、毎回似たような内容らしいが、母曰く、父が少しずつ春ちゃんに興味を持ってきているそうだ。以前に比べ、会話らしい会話が増えてきて父は楽しそうだと母は言うが、春ちゃんにはその実感はないらしい。父はあまり感情を表に出さない物静かなタイプなので、それも仕方ないと思う。
春ちゃんが両親の家を訪ねた翌日は、毎週一緒に昼食を取り、暗くなる頃春ちゃんと別れる。
ドライブを兼ねて、郊外にある有名店で食事してみたり、私が用意してうちでのんびり過ごしたり、いつものメンバーでBBQをしたりもした。
平日も、私が夕方出勤の日の2回に1回は春ちゃんの職場の近くで一緒にランチもしている。私が少し早めに店に入って、席を確保してランチを2人分注文する。そうすると大抵料理が出てくる頃春ちゃんがやってきて、限られた時間の中でもゆっくり食事が出来るのだ。
***
「お待たせ。いつもありがとな。」
今もそんな感じで待ち合わせしていた。今日は珍しく料理よりも春ちゃんの方が早い。ネイビーのリネンのジャケットにストライプのボタンダウンシャツ、グレンチェックのパンツで見た目も爽やかで涼しげ。
「今日も付けてくれてるんだ。なのにごめんな。」
「私は逆に仕事中は付けられないからね。そっち使ってくれてるでしょ?それで十分。季節柄仕方ないよ、ネクタイしてたら暑いもん。」
私は春ちゃんに会う時は必ずピアスを付けている。仕事中はアウトなので会う時に付けないと付ける機会があまりないし、付けていると春ちゃんがすごく嬉しそうなのだから付けなきゃ損だ。
季節柄クールビズ、という訳でノーネクタイの春ちゃん。でも、IDホルダーはちゃんと首から下げてくれてる。それをつまんで、「似合うだろ?」なんて笑っていた時、私の背後から声がした。
「ふーん、それもベタ惚れの彼女のプレゼントだったんだね…。」
「倉内?それに野沢さんも?」
野沢さん…その名を聞いた瞬間、思わずヒヤリとしてしまった。
落ち着け、彼女は博之の奥さん…海夏さんじゃない…。
そう必死で自分に言い聞かせる。
「席空いてないから相席させてくれないか?空くの待ってたら間に合わないんだよ。」
「麗悪りぃ、良いか?」
「うん、もちろん…。」
「野沢さん、そうさせてもらおう。」
「麗、こいつ俺の同期の倉内。それと野沢さんはお花見の時…会ったよな?」
必死で笑顔を作って頷き、私の視界に入ってきたちょっと軽そうな雰囲気の同世代の男性と野沢さんに挨拶をする。
彼女は野沢さんで海夏さんじゃない…そう自分に言い聞かせながら…。
「初めまして。八重山 麗です。野沢さんはお久しぶり…ですね。」
同期の倉内さんが春ちゃんの隣に座った。野沢さんも必死で作ったような笑顔で「すみません」と言って私の隣に座った。正面から顔を見ないで済むのは非常にありがたい。
自分に言い聞かせたせいか、多少脳裏にあの時の映像がチラついたものの、どうにか我慢出来る程度で済んだ。
皆に気付かれないように、ゆっくり、静かに深呼吸する。
横から見ると、野沢さんと海夏さんは似ても似つかない。なのに…何で少しでも思い出してしまったんだろう。…私が意識しすぎただけだ、きっと。
少し冷静になれたら、お花見の時の彼女の服装が、春ちゃんと再会した翌日にばったり会った海夏さんの服装とそっくりだった事、それに背格好も髪型も似ていたのがあの日の事を思い出してしまった原因なんだっていう事に私はようやく気付いた。被るのはあの時の雰囲気だけ。よく見れば全然似ていない。
今日は、髪を纏め、服装もベージュのノーカラーのジャケットにスカートなので雰囲気が全然違う。…助かった。
「麗、どうした?急にぼーっとして。」
「…え?ごめんなさい、ちょっと考え事。」
「野沢さんもどうしちゃったんだい?」
「…な…なんでもありません!」
いけない、指摘される程考え込んでしまっていたなんて…しかも、私だけじゃなくて野沢さんも?
なにやら微妙な顔で男性2人が私と野沢さんの顔を見比べている。
そうこうしているうちに、日替わりが2つ出てきた。倉内さんと野沢さんも同じ物を頼んでいたので、先に2人に食べてもらう事にする。私は時間に余裕があるし、春ちゃんよりも倉内さんの方が今日は忙しいらしい。
「なんで時間の余裕のない時に外に出るんだよ?」
「そりゃ浅井の様子が浮き足立っておかしいからさ、ついてきてみたんだよね、野沢さん?大体その理由だって見当がついたし。」
「わ…私は偶然そこで倉内さんに会って…。偶然です、偶然!」
「倉内、邪魔しに来たのかよ?」
「だって、あの浅井に彼女が出来たんだから実物見てみたいだろ?あんまり浮いた話がなかった上に合コンとかキャバクラ誘っても全然のって来ないしさ…てっきり女よりも男に興味が…」
「おい、それ以上言うなって…。麗、それは絶対ないからな、こいつの言うこと信じるなよ?」
春ちゃんは真っ赤な顔で必死に否定するので、おかしくて思わず笑ってしまった。
「まぁ、彼女見たら納得。浅井には勿体無いくらいだしね。こいつのどこがいいの?」
「…むしろ私には春ちゃんが勿体無い位です……。だけど春ちゃんって会社でもそういうキャラなの?」
「うわぁ…彼女もベタ惚れ?ご馳走様です。…でもそういうキャラってどういう意味?」
「元々高校の同級生なんですけど…当時は残念キャラというか完全に3枚目だったんで、付き合い始めたって言ったら当時の友人にも揃って同じ質問されたんです…。」
私がそう言うと、倉内さんは大爆笑。春ちゃんは「そこまでウケるか?」とジト目で彼に訴えている。
「確かに…仕事が出来るだけに色々残念なとこはあるよねー。ゲイと噂される先輩にやたら気に入られちゃって同期の間で一時はホ◯疑惑も浮上しちゃったし。…それにはっきり言い過ぎちゃうところも残念だよね?で、八重山さんはどこに惚れたの?」
「たくさんありますけど…はっきり言い過ぎるところですかね?」
「もしかして、『全部好き!』とか言っちゃったりする?」
「それは…どうでしょう?」
初対面の人に肯定するのは恥ずかしくて、有耶無耶にしたらそれが逆効果だったらしい。
「それって完全に肯定してるよね?色んな意味でもうお腹いっぱい。ご馳走様でした。というわけで、お邪魔しました。後はお2人ごゆっくり。野沢さんも行こうか?」
「あ…はい。すみません、お邪魔しました。」
そして、逃げるように2人はいなくなってしまった。2人がいなくなってすぐに残り2人分の日替わりがやってきた。今日はオーダー受けてから1つずつ仕上げてるから時間がかかるのかも。今日の日替わりはオムハヤシ。いつもは幾つかまとめて仕上げが出来そうなメニューだし…この間はロコモコで、その前はパスタで、そのまた前はキーマカレーだった。
「なんかすごいスピードで食べていなくなっちゃったね…なんだか申し訳なかったな…。」
「気にしなくていいと思うぞ?それにしても珍しい組み合わせだな…あの2人って。」
珍しい組み合わせだったんだ…。もしかしたら、野沢さんも春ちゃんの様子が気になってついて来てたのかな…。今日の受け答えもなんだか動揺している感じが否めなかったし、お花見の時だって…。
うっかりお花見の時のことを思い出したらあの時の光景が脳裏をよぎってしまった。
「…麗?」
「…あ、ごめん。」
「…もしかして……いや、なんでもない。もう時間だし出ようか…。」
「うん。」
「あれ?伝票がない…。」
春ちゃんが何か言いかけてやめたのが気になるけれど、きっと時間のせいだよね…。
伝票が無い事を確認したら、もう支払い済みだと言われた。どうやら倉内さんに払ってもらってしまったらしい。「そのうちあいつに昼飯おごるから気にするなって」と春ちゃんが言ってくれたので、春ちゃんにお礼を言って、倉内さんにも伝えてもらうようにお願いして別れた。
春ちゃんとは笑顔で別れたつもり。でも、別れ際の春ちゃんの困ったような笑顔でそうじゃなかったんだって気付いてしまう。
なんだかすごくブルーだ。まるで梅雨空の様な気持ち。
今日は木曜日。春ちゃんに会えるのは3日後。私だけじゃなくて、春ちゃんもその間モヤモヤしたまま過ごさせてしまうのかと思うと余計気が重かった。




