23. 不安
「麗…今日なんかおかしくないか?」
「…え?何の話?」
「…何かあったのか?」
「…別に…何も無いよ。…今日は楽しかったね。」
「………言いたくないなら無理に言わなくて良いけどさ…それはそれでちょっと寂しいな…って。」
「………ごめん。でも大丈夫。」
「…大丈夫じゃなくなったらすぐ言えよ?」
私は助手席で小さく頷くことしか出来なかった。
お花見は楽しかった。
今日も春ちゃんは私の作ったものを本当に美味しそうに食べてくれたし、皆と一緒に…私達はアルコールフリーの飲み物だけど…飲んで、食べて、おしゃべりして、笑って、彩ちゃんやみどりちゃんと遊んで、また食べて、すごく充実した時間を過ごした。
けれど、その間も頭に片隅に時々、断片的にではあるけれど現れるあの時の光景。
春ちゃんと再会した翌日の、春ちゃんのおかげで、忘れたはずだった出来事。
***
お正月に高校の同級生と集まって飲んだ、つまり私と春ちゃんが再会した翌日、私は貴子と2人でショッピングモールをフラフラしていた。
前日に春ちゃんから聞いた指輪の話から始まり、私と博之が付き合いだした頃の話を貴子としていたんだっけ。
高校卒業後、会うことのなかった博之と成人式で再会した。その後、連絡を取るようになったのだが、その時博之には彼女がいた。
ずっと、私はその彼女から博之を奪ったのだと思っていた。
その彼女こそが現在の博之の奥さん、海夏さんだ。
元はと言えば、私が彼女から博之を奪ったのだから、婚約破棄は自業自得、身から出た錆なのだとずっと思い込んでいた。
しかし、私が奪った訳ではなかったのだと貴子は教えてくれた。
彼女に好きな人が出来、博之が振られて、その後、私と博之がお付き合いを始めた。だから私は彼女から博之を奪ってなどいないのだ…と。
9年間、私が密かに抱えていた後ろめたい気持ちも、婚約を破棄されてから自分を責めて苦しんでいた事も無意味だったのだ…。
馬鹿馬鹿しくて力なく笑う事しか出来なかった。
その時、前方から、まだ首も座っていない赤ちゃんを抱いた女性と博之が仲睦まじい様子で歩いてきたのだった。
博之の奥さんの海夏さんに会うのはその時が初めて。写真ですら見た事がなかった。
「あ…久しぶり。」
無視されるかと思ったのに、声をかけてきた博之に内心私は驚いていた。そして、それを隠すのに必死だった。
「うん、久しぶり。」
私は、ごく普通に返した。ただの顔見知りに会った時のように。我ながらうまく返せていたと思う。
「あの、これ、嫁の海夏とこないだ産まれた息子。柊って書いてシュウって言うんだ。」
奥さんに促され、博之は奥さんと子どもを紹介してくれた。
海夏さんは、私が彼にとってどんな存在なのか知っていたのだろう。軽く会釈をすると、余裕たっぷりの笑顔で私に微笑みかけたのだから…。
その時の私は、不自然なくらい冷静だった。感情を押し殺し、笑顔を繕い、何か言わなくては…と重い口を開いた。
「産まれたんだね。おめでとう。…ご挨拶が遅れました。海夏さん、初めまして。冬田くんと高校で同じクラスだった八重山です。」
そんな当たり障りのない挨拶をした私が意外だったのか、海夏さんは少し不服そうな顔をしていた。
他に話す事もなかったので、適当に理由をつけて別れた。
彼女の左手の薬指には、2つの指輪が輝いていた。
それは紛れもなく、私が贈られる筈だった指輪。
春ちゃんから聞いていた通りだったのだ。
やっぱり、重ねづけしたら綺麗だな…。重ねて付ける事を前提に選んだそれは、2つの指輪なのにも関わらず、まるで1つの指輪であるかのように、ダイヤが美しいカーブを描いていた。
私がはめることのないまま、その指輪は彼女の指に輝いていた。
虚しくて、切なくて、苦しかったのを覚えている。
春ちゃんに聞いていなければ、私は間違いなく取り乱していただろう…。
***
余裕たっぷりで私に微笑みかける海夏さん。
彼女の指に輝く2本の指輪。
視界にちらりと入る博之の心配そうな顔。
そんな光景がモノクロームの静止画となって脳裏をよぎる。
怖い…。何が怖いのかわからないけれど、ただただ怖いのだ…。
何とも言えぬ不安が私を襲う。
何に対して私は恐れているのだろう。
何を恐れることがあるのだろう。
今の私には春ちゃんがいるのに…博之なんて、もう過去なのに…。
無意識のうち、私は運転中の春ちゃんの服の裾を握っていたようだ。
「やっぱおかしいよ。不安そうな顔したかと思えばさ、俺の手とか服の裾を握ってきてるだろ?花見してる時だって何度もあった。今だって…そうだろ?」
「…え?…そうだった?」
「…自覚ないのかよ…。」
春ちゃんは深い溜息を吐いた。
「話せるか…?」
何て話せば良いんだろう?春ちゃんと一緒にいたのに、博之に会った日の事を思い出したと言うのはなんだか気が引ける。かと言って何も言わないのもいけない気がする。
「…ちょっと考え事してただけ。ごめんね…。」
「…どんな?」
「……………。」
「……言いたくない?」
「……ちょっと思い出しちゃって…色々。」
「……そっか…。」
「…ごめんなさ……」
「謝るなって…仕方ないよ…」
車内に流れる重い空気。
春ちゃんは私が思い出してしまった事が博之に関わる事だと気付いたらしい。はっきり言わなかったために、かえって空気を悪くした気がしないでもない…。
「…これからどうしたい?もうすぐ着くけど…このまま送っていいか?」
「…嫌。まだ一緒にいたい…。」
時刻は16時半を回ったところ。
彩ちゃんとみどりちゃんが眠いとぐずり始めたので、15時半過ぎに片付け始めて、16時には解散して…。
私は春ちゃんの隣で約30分も上の空だったということになる。
「良かった…。俺もこのまま送って帰るの嫌だったから…。飯っていってもさっきまで食ってて腹減って無いんだよな…。」
「うちで…お茶でも飲む?」
「だったらどこか入ろうぜ?あんなに作るの大変だったんじゃないか?麗、疲れてるだろ?」
「私なら…大丈夫。」
「何言ってるんだよ?大丈夫じゃないだろ?適当に入るぞ。」
春ちゃんが笑ってくれた。少し困ったような笑顔だったけれど、頭をポンポンと叩かれたら不安な気持ちが少し和らいだ。
「春ちゃん…ギュってして欲しい…。」
「急にどうしたんだよ?」
郊外まで車を走らせ、駐車場のあるカフェまでやってきた。車を停めた春ちゃんに抱きしめて欲しいとお願いした私。さっき、春ちゃんに頭をポンポンされただけで不安な気持ちが不思議と和らいでいったのだから、きっともっと効果があるはず。
春ちゃんは優しい笑顔に変わっていた。そして、抱きしめてくれた。
効果覿面。
魔法のように不安な気持ちも恐れもすーっと消えていった。
と、次の瞬間不意に優しくキスされ、私は心まで温かくなった。
「麗がやっと笑った。」
春ちゃんは私の大好きな笑顔で私を見つめている。顔をくしゃくしゃにして優しい瞳で笑う春ちゃん。それを見ると私も自然と顔がほころぶ。
「じゃあ行こうぜ?」
「春ちゃん…ありがとう。もう本当に大丈夫。」
私は笑顔で春ちゃんと手を繋いで店内に入った。




