20. 仕事モード
私はいつも10:00前に出勤をする。
店の掃除をして、カトラリーやグラスを用意して磨き、テーブルセッティングをして、ブリーフィングで予約状況の確認や本日の料理などの情報を共有する。
ランチは11:30から14:30までの営業。
ランチの営業が終わるとひとまず休憩。昼食の賄いが出る。それを終えるとまた掃除をして、再びカトラリーやグラスを磨き、テーブルセッティング。電話を受けたり、予約の管理やテーブルの振り分けもしなければいけない。そして夕方にもブリーフィングがある。予約状況の確認やお客様の情報、注意事項の共有、仕入れの関係で数に限りのあるメニューの確認や、お勧めすべきメニューについての確認、前日やランチの引き継ぎなど、頭に入れるべきことはランチの際よりもたくさんある。
17:30からはディナーの営業が始まる。ラストオーダーが22:00で、22:30に閉店。途中、様子を見ながら順に賄いの夕食を食べるが忙しいと文字通りかき込むように食べなければいけない。閉店後片付けをして、酷く汚れたところだけさっと掃除をして、早ければ23:30頃退勤。なかなか店を出ないお客様がいらっしゃったり、繁忙期は営業後に皆で賄いを食べたりするので、日付が変わってから退勤する事も珍しくない。
月に4日程ある夕方出勤の日は、出勤時間が16:30。夕方のブリーフィングから出る感じだ。
フロアの正社員は支配人、フロアチーフの長尾さん、ソムリエ、私とディナータイムのみバリスタの瀬古さんが加わる。ここに契約社員やアルバイトの子が数人加わり店を回している。
支配人には本当に良くしてもらっている。私の以前お世話になっていた上司の先輩だし、最近知ったことなのだが、支配人の奥様も同業で、私がプランナー時代、数回お会いしてお話ししたことのある方だった。私が来る直前までここで働いていたそうだ。
もともとチーム三十路は支配人の奥様も含め4人、仕事終わりに飲みに行く飲み仲間だったらしい。奥様の退社で飲む機会は減ってしまったそうだが、今でも月に1度は飲んでいるとか。
長尾さんは、2つ年上。6年前のこの店の立ち上げから関わって、支配人の奥様から引き継いでフロアチーフに昇格したそうだ。キリリとしたイケメン風の女性で、ものすごく仕事が出来る。仕事が恋人だと言っているが、実は料理人の彼氏がいるとかいないとか。
バリスタの瀬田さんもオープニングスタッフ。以前はずっと1階のカフェ勤務だったそうだが、夜はコーヒーがあまり出ないため、直談判して夜だけこちらの勤務になったらしい。趣味はイケメン鑑賞と本人が言っていた。そのイケメンの中に『爽やかくん』こと春ちゃんが含まれていたのは言うまでもない。フレンドリーで陽気なとても楽しい人。
ソムリエはワインマニア。完全に自分の世界を持っていて、悪い人ではないが、思いっきり我が道を行くタイプなので、残念ながら仕事中でもワインに関わる話以外ではほとんど話す機会がない。でも、ワインに関わることはすごく丁寧に教えてくれるし、接客をお願いしても笑顔で代わってくれる優しい人。おそらく40代半ば。
契約社員も、学生のアルバイトの子も、みんな良い人たちばかり。
でもやっぱり、話しやすいのは色々知っている支配人、年の近い長尾さんと瀬田さんの3人。
もう1ヶ月もすると、私は勤務して半年になるので、有給がもらえるようになるらしい。
多少希望は聞いてもらえるが、基本は店の状況にこちらが合わせる必要があるらしい。但し冠婚葬祭は例外だから気にせず申告するようにと言われた。
今までもそうだが、私は職場に恵まれていると思う。労働条件にしても、一緒に働く人にしてもそう。
今の仕事だって楽しいし、それなりにやり甲斐もあるけれど前職に未練が無いとは言いきれない。しかし、現時点でまたその仕事に就きたいか、その仕事を出来るのかと問われたら答えは否だ。
今現在、私はこの仕事に満足している。仕事内容にも、労働条件条件にも、一緒に働く人達にも。
でも、結婚したら正社員として続けたいかといえば正直微妙なところ。
日曜日、春ちゃんとあんな話をしてしまったからだろうか?そんな事を考えてしまった。
***
金曜、夕方からの出勤だった私は、春ちゃんにわがままを言って、一緒にランチをしてもらった。
正味1時間ないけれど良いか?と聞かれたものの、春ちゃんは快くOKしてくれた。
春ちゃんの働くビルから私の職場とは反対側の2件隣、大きなビルの一角にあるカフェ。なるべくゆっくり話したいので、待ち合わせの少し前に行き、ドリンクを頼んで席を確保しておく。約束の時間ぴったりに春ちゃんはやってきた。
「こういうのも良いな…今度から、夕方出勤の日は教えてくれよ?麗さえ良ければまたこうやって会いたいし。」
「本当に?迷惑じゃない?」
「全然。むしろ麗の方が迷惑じゃないか?せっかくの半休なのに、職場の近くまで来るとかさ?面倒臭いだろ?」
ここまで自宅から徒歩10分。ちょっとした買い物の方が遠くまで行かなくちゃだし、全然迷惑じゃない、いくらでも喜んで来ます!的な事を伝えたら大好きな笑顔を返してくれた。
ビジネススーツに身を包んだ春ちゃんもかっこいい。そりゃ『爽やかくん』なんてあだ名つけられて目の保養扱いされる訳だ。
ニヤニヤしていたら、春ちゃんにちょっと訝しげな顔で見られてしまったので、きちんと理由説明する。お仕事モードの春ちゃんが見れて嬉しいのだと。
「そう言えば、俺、麗の職場…って言っても1階の方だけど、週に2度は行ってるのに麗の働いてる姿見たことないよ。さすがに時間無くて2階でランチなんて無理だし。かと言って夜は1人とか、仕事帰りに男だけで行く感じでもないしな…来客からの接待でもあれば行くんだけど…。」
来てくれたら嬉しいけれど、冷やかされるのが目に見えているから無理してまで来て欲しくはない事を伝える。土曜日、一緒に帰るところを職場の人に見られて、「お客様に手を出してる」とからかわれた事を言うと春ちゃんは笑いながらも少し驚いていた。
「俺、2階使ったのって去年の秋の話だぜ?」
「でも、立て続けに3回も4回も使えば顔くらい覚えられても不思議じゃないよ。それにね、土曜日見たうちの1人は、昼間はカフェにいるバリスタなの。」
瀬田さんの特徴を伝えると、「ああ、あの人か」とわかったらしく、「次行くのが恥ずかしいな…まぁ昨日も行ったんだけどな」と笑っていた。
「そうそう、本題。明日…行くんだよね。持って行ってもらいたい物があるんだけどお願い出来ないかな?」
「もちろん良いよ。今持ってる?」
「ううん。行く前にね、取りに行って欲しいの。これを持ってお店に行ってもらえないかな?」
私は財布から、予約票を取り出し春ちゃんに渡した。父が大好きな和菓子屋さんの桜餅と草餅の詰合せ。お酒も好きだが、父は甘いものにも目がない。
「わかった。気ぃ遣わせて悪いな。ありがとう。」
「ううん。こんな事しか出来なくてごめんね。これは私からだって言わないでね。お願い。」
「…麗がそうして欲しいならそうする。」
「それから…春ちゃんって…お酒強い?」
「特別弱いとは思わないけど…強くはないな…。でも割と二日酔いにはならないタイプ。って結構セーブして飲めるようになったからだろうな。」
「やっぱりそうだよね…。父はすごく強いの。父のペースに付き合ったら、あっという間に潰されちゃうから気を付けて…巧さんの時、本当に酷かったから…。あれからもう10年以上経ってるし、父がお酒に弱くなってたら良いんだけど…その可能性は残念ながらほぼ無いと思って。無理したらダメだよ、本当にキツくなったら母に助けを求めてね。母にはお願いしてあるから…。」
「ありがとな、心配してくれて。詳しい話は巧さんに聞いたから覚悟はしてる。今日もまた電話して話聞かせてもらう約束してるんだよ。日曜日、そのまま麗のところ行くから待っててくれ。土曜の夜は連絡出来ないと思うけど我慢してくれよ?」
あっという間に春ちゃんの昼休みは残り僅かになってしまい、慌てて店を出る。春ちゃんは昼休みとはいえ仕事の合間だし、社会人としてさすがに手をつなぐのは微妙だ。今つなぐわけにはいかない。…我ながらよく我慢したと思う。
「春ちゃん、大好き。お仕事頑張ってね。」
別れ際、耳元で囁く。
振り向いて笑顔で手を振ると、真っ赤な顔ではにかみながら手を振りかえす春ちゃんがいた。




