19. 花言葉と石言葉
「じゃあ散歩でもするか?天気もいいし散歩日和って感じだしな。」
立ち上がり、手をさし出す春ちゃん。私は笑顔で再び頷き、その手を取り立ち上がる。
公園内の緑道を2人で歩く。花壇にはチューリップやパンジー、ビオラ、マリーゴールド、スノーフレークなど様々な花が植えられ、その向こうに広がる芝生の広場ではボール遊びをする親子や、ところどころに生えたシロツメクサを摘んで花冠を編んだり、四葉のクローバーを探しているらしい家族の姿が何組か見られた。
歩くたびに、私の耳からぶら下がったピアスが揺れる。春ちゃんはその揺れるピアスを嬉しそうな顔で時々眺めている。
昨日、薄暗い車内でははっきり色が確認できなかったアクアマリン。太陽の下では、その名の通り、美しく澄んだ海のような綺麗な青色で、ティアドロップ型に施され光輝く姿は、人魚の涙が宝石になったと言い伝えられているように本当に人魚の涙みたいだ。アクアマリンが『幸せな結婚』を象徴するとか、『子宝に恵まれる石』だって春ちゃんは知っているのかな?きっと知らないんだろうな…。
以前もらったブーケにしても、今回のアクアマリンにしても、春ちゃんが選んでくれるものはどストライクというか、私の心は春ちゃんに鷲掴みにされっぱなしだ。
1回目のブーケはピンクのガーベラとバラ、ユーカリ。
ピンクのガーベラは崇高な美・崇高な愛、ピンクのバラは上品・しとやか・幸福、ユーカリは新生・再生・慰め。
2回目のブーケは淡いオレンジとグリーンのバラ、ヒペリカム、かすみ草。
淡いオレンジのバラは無邪気・爽やか、グリーンのバラは穏やか・希望を持ちえる、ヒペリカムはきらめき・悲しみは続かない、かすみ草は清らかな心・幸福・無邪気。
どちらも、その時の私をすごく元気付けて幸せな気持ちにしてくれた。
なぜこんなに詳しいのかというと、ウェディングプランナー時代に花言葉や石言葉を勉強した時期があったからだ。ブーケや会場の装花などの詳しい打ち合わせは勿論お花屋さんがするのだけれど、花言葉を知っているとちょっとした会話なんかですごく役に立つ。
石言葉もそう。式場に見学に来たり、打ち合わせに来る女性の付けているアクセサリーは彼からのプレゼントということも多いので、この石にはこういう意味もあるんですよね、なんて会話の中にさりげなく織り込むと、凄く喜ばれるし盛り上がるんだよね…。
まさかこんな形で役に立つとは思わなかったけど。
「春ちゃん、私本当に幸せだよ…早くお父さんに許してもらえるといいな。今まで、結婚っていうと、結婚式の事はリアルに考えられたんだけど、その後の生活の事は漠然としか想像できなかったんだよね。私も仕事をして、いずれは子どもも欲しい、でもそれ以上は考えられなかった…。
なのに最近はそうじゃないの。私が作ったご飯を春ちゃんは美味しそうに食べてくれて、お休みの日はこんな風に手をつないでお散歩して…数年後には2人だけじゃなくて子どももいて…春ちゃん、きっと優しいお父さんになるんだろうな…とか、春ちゃんに似たら男の子でも女の子でも可愛いんだろうな…とか考えちゃう。この間、山内家の彩ちゃんとか、岡崎家のみどりちゃんと春ちゃんが遊ぶ姿見たらそれがすごくリアルになっちゃって…早く結婚したいなって思っちゃう。まだこの間付き合い始めたばかりなのに…変だよね。」
「変じゃないよ。俺もそう。今まで結婚したいと思えるような恋愛もしてこなかったし…結婚って親孝行の為にするもんだと思ってた節もあるし…。でも今は違う。麗と結婚したい、寧ろ麗と結婚できないなら独身のままでいいとさえ思ってしまう。毎日麗の作る飯食べて、2人で笑って暮らせたらどんなに幸せだろう、そう思う。子どもは…俺似じゃなくて麗に似た女の子がいいなぁ…なんて。男の子だったらまぁ俺似でも良いけど、出来たら麗似の子がいいな、とかさ。あんな風に公園で遊んだりしたいってすげぇ思う。」
こんな会話も春ちゃんがくれたこのピアスの、アクアマリンの持つ力のせいかもしれない。
ふとそんな事を考えていたら、繋いだ手が強く握られた。なんだか嬉しくなって私も握り返す。
視線を春ちゃんの方に向けると、蕩ける様な笑顔をしていた。私は春ちゃんが時々見せてくれるこの笑顔が大好きだ。優しくて、穏やかで、顔をくしゃくしゃにして笑う春ちゃんを見ていると本当に幸せな気持ちになれるから…。
そんな気持ちになると、会話なんて無くても平気。繋いだ手を強く握ったまま、私と春ちゃんはゆっくり歩いた。
ぽかぽか暖かい陽気だったのに、陽が傾いてくるとだんだん肌寒く感じられるようになってきて、気が付けばどちらからともなく私の家に向かって歩いていた。肌寒くても、繋いだ手と心はぽかぽかで温かいまま。
私の住むマンションの前まで着くと、春ちゃんはゆっくり口を開いた。
「俺、頑張るから。時間はかかってしまうと思うけど、必ず麗のお父さんに結婚を認めてもらうから…。」
「ありがとう。これからが本当に大変だと思うけれど…私は春ちゃんの事信じてるから。」
私がそう伝えると、春ちゃんは私の大好きな笑顔で「任せとけ!」って答えてくれた。
私は笑顔で手を振って彼を見送り、彼もまた笑顔で何度も振り返りながら手を振って帰っていった。
***
「八重山ちゃーん、見ちゃたよぉ?」
翌日出勤すると、チーム三十路のムードメーカー、バリスタの瀬田さんに声をかけられた。瀬田さんは昼は1階のカフェで、夜は2階のリストランテで働いている。私の1つ年上の女性だ。
「まさか常連のお客様に手を出してるとは思わなかったなぁ…。」
「いや、でも八重山とはほぼ顔合わせてないだろ?」
「そうですね、リストランテにも何度かいらっしゃってますけど、八重山さんが入る前の話ですね。」
そこにチーム三十路の自称リーダーである支配人と、フロアチーフの長尾さんが加わる。
「見ちゃった」とは、おそらく土曜の帰りに春ちゃんが迎えに来てくれた時の事だと思われる。常連のお客様か…春ちゃん、カフェでランチボックスを時々テイクアウトしているって言ってたもんな…。
「よりによってパニーニのボックスとラテの人だもん…ランチのメンバーで『爽やかくん』って密かに呼んでて、あの笑顔にみんなで癒されてたのに…。八重山ちゃん、いつの間に彼に声かけてたの?」
「店で声かけたわけじゃないですって…彼、高校時代のクラスメイトなんです。」
「ほら、だから言っただろう?店で声かけたわけじゃないと思うって。」
「それに瀬田さんはちゃんと彼氏がいるんだから僻まないの。」
「それとこれとは別ですって…私の愉しみがぁ…まさかこんな身近にあの笑顔を独り占めしている人がいるとは…。」
春ちゃん本人はモテないと何度も言っていたけれど、1階のカフェスタッフの間では『爽やかくん』と命名され、モテモテだった。
それだけじゃなくて、会社の女の子と一緒によく来ているらしい。誰か特定の子がいるわけではないそうなので安心したけど、瀬田さん曰く、絶対あのうちの何人かは彼を狙っているだろう、との事だった。彼の方は思いっきり脈がなさそうな感じだけどね、そう付け足して教えてくれた。どうやら今も昔も春ちゃん本人はモテている自覚がないらしい。
春ちゃんは本当はモテるんだろうなとは思っていたけれど、自分で勝手にそう思ってるのと、誰かに聞かされるのではやっぱり違う。なんだかすごく妬けてしまう。春ちゃんに会いたくなった。会って、大好きだって伝えたい私がいた。




